(一)
「雨、降らねーかなぁ?」
昼食時の教室は薄暗く、たまりかねた誰かが部屋の蛍光灯を付けた。
「大丈夫だろ。ケータイじゃ降水確率低いし」
俺は答えて焼きそばパンにかぶりつく。一個百二十円のこの焼きそばパンがこうも美味しいのは購買での争奪戦に勝利したという付加価値があってこそだろう。
「ええ? どうせなら降って欲しいのにぃ。そしたら次の体育、体育館で女子と一緒になんじゃん」
俺の目の前で鼻の下を伸ばしている男、名前を山田太郎という。二十一世紀にある意味奇跡のような名前だ。親はけっこうな面倒臭がり屋なんだろう。そして相当なギャンブラーだと思われる。普通だったらかなりの高確率でグレていてもおかしくない。
「なぁ、修介。お前もそうなったら良いだろ? 一緒に雨乞いしようぜ」
「断る」
即答すると太郎はいつもは線のように細い目をギョロリとひん剥いて「てめぇはそれでも男か! マット運動で揺れまくる五十嵐のあのボヨンボヨンのキョニューを間近から堪能したいと思わねーのかよ!」と咆哮する。それと同時に空気を裂いて飛んでくるイスが太郎の頭に直撃して太郎の首は九十度に折れ曲がった。白目をむいて舌をだらしなく垂らす太郎から目を逸らせば、額に青筋を立てた五十嵐かりんが太郎を睨んでいる。
「久瀬、付き合う友だちは選びなさい」
言われた俺は「今、俺も考えてたとこ」と震える声で返答するのが精いっぱいだった。
「いてーな! 五十嵐! 俺じゃなかったら死んでたとこだぞ!」
復活した太郎に五十嵐は「だからやったんじゃん」と涼しい返事だ。
「ったく! なんて女だよ。ちょっと胸がバインバインだからって調子に乗りやがって」
太郎は毒づくが、さすがに恐ろしいのか五十嵐に届かないような小声だった。
「お前、首大丈夫か?」と一応、気遣っておくと「大丈夫、大丈夫。これがこのクラスのお調子者キャラの宿命だからさ」と何の説明にもなっていない説明をよこす。こいつはかなりのバケモンだ、と呆れていると、遠くの方から救急車のサイレンが聞こえてきた。窓から校門の方へ目をやっていると、学校の前の道を赤色灯を灯した救急車が通り過ぎる。
「またあれかな」
口にすると太郎は「かもしれないな」と神妙な口調で言った。そしてその言葉は教室にいる生徒たちにも染みわたって少しの静寂が出来た。
今、この街ではマスコミが取り上げるほどの事態が発生していて、その事態がこの街に暗い影を落としている。
『連続意識喪失事件』
さかのぼること三週間前、ゴールデンウィークが終わった辺りから突如この街で意識を無くす人が増えだした。最初は数人と言う事もあり話題にもならなかったのだが、日が経つにつれ数が増え、そして先週に入ってその数が五十人に達したことから事件は全国ニュースのトップを飾るほどにまでなった。
意識を失って病院へ運ばれた人たちはいまだに眠り続けているらしい。原因としてはウイルス説、産廃説、災害説と専門家と称する人たちがいろんな見解を述べていたり、ネットでは呪いなんかのオカルト説まで飛び出したりしているんだけど、特定には至っていない。そんな恐ろしい現象が年齢性別問わず襲いかかって来るのだからたまったもんじゃない、と思いつつも何十万人も住むこの街の数十人と言うこともあり、また身近に被害者がいないことから今はまだたいして問題視せずに日常をすごせており、早く事態が収束すれば良いなぁ、ぐらいに考えている次第だ。
「まぁ、そのうちなんとかなるだろ。大人たちだって自分の身に迫る危険にだけは敏感だからな」
確かに太郎の言う通りさ。きっとひと月後には、そんな事件もあったなぁなんて話してるだろう。
「おっ、修介、見てみろ!」
「ん?」
太郎の視線を追うと窓にポツリとはじける雫が一つ。そしてまた一つ。
「雨だ! 雨だ! 雨だぁー! カモン! キョヌー!」
ガッツポーズで立ちあがる太郎に俺は不安を覚えて距離をとる。予想通り、飛んできたイスが太郎の頭を直撃したのであった。