(七)-3
「今の時代の教師ってさぁ、クソみたいな仕事なんだわ。言う事きかないナメた生徒を指導するにしても、向こうが殴りかかって来てもこちらからは手は出せない。イジメ問題も親たちはこぞって教師に丸投げで、少しでも対応に不備があれば自分にはまったく責任が無いなんて面して完膚なきまでにこちらを叩きのめしてくる。いつも笑ってお前らのご機嫌伺いしてなきゃ、いや、していても影やネットでボロクソだしよぉ。ストレスだぜ。俺、まだ三十前だろ? こんな生活がまだ三十年ほど続くわけだ。くくくくくく……」
先生は「やってらんねーだろぉ!」と興奮した様子で吠えて朝礼台を蹴った。そして肩で荒く息をしながらこちらを向く。
「久瀬、お前の言う化け物、名前をビヒモスって言うんだぜ」
「な……なん」
なんで名前を? と訊きたかったが先生のあまりの豹変ぶりに言葉が出なかった。
「俺が呼んだんだよ」
何? 何て言った?
「こんなことが現実にあんだねぇ。驚いたよ。ネットを掘って掘って掘りまくってたら悪魔を呼び出すサイトに辿り着いちゃってさぁ。ご親切にも魔法陣や唱える呪文も用意されてると来たもんだ。そりゃやっちゃうよ。当然マジじゃないぜ。酔ったノリでの遊び心だったさ。けど現れちまったんだなぁ」
まさか……先生が……。負の感情から最も遠い所にいると思われた高宮先生が……。
「召喚しちまった悪魔、全身真っ黒な男だったが名前はなんつったかな。まぁいいや、とにかくそいつが願いを訊いてきてよぉ。俺は願った。『このくそったれな世界の終焉』をな。するとビヒモスを渡された。最初は女子供が好むぬいぐるみみたいで頼りなさそうだったが、何が何が。とんでもない化け物だったぜ。ビヒモスは魂を吸うことによって巨大化する。そして身体が大きくなった分だけ、魂を吸い寄せる範囲が広くなる。つまり、ビヒモスは世界の魂を吸いきるまでは止まらないのさ! なぁ久瀬、どこに逃げるって言うんだ? 好きな所に隠れてろよ! まったくの無駄だけどなぁ! あっははははははははは!」
「先生、この事態は全てあんたのせいなのか?」
「違うね。てめーらのせいだ。てめーらがくだらねーから俺がこうなっちまったんだよ。でもここ数週間は楽しかったね。ビヒモスをワゴン車のケツに乗せて街を走り回ってよぉ。魂集めてよぉ。バッタバタ倒れる奴をたくさん見てよぉ、生き甲斐って奴を初めて経験したぜ」
「今まで町の状況を心配してるふりをして……心の中では笑ってたのか?」
「もち、爆笑」
「て、てめぇっ」
こいつ、これでも大人なのか? 許せねぇ。許せねぇぞ。
「しかし、久瀬、お前はなぜ無事でいられる? 俺は契約者だからな。ビヒモスがこの世の魂を全て吸いきるのを見届ける権利が与えられているのだが、貴様はそうじゃないだろう?」
それは俺が、ミズルの血を飲んだから。
「お前の存在は怖いな。得体が知れない。だからさぁ。わかってくれるよな?」
高宮はポケットをまさぐって何かを取り出した。きらりと光るのは折りたたみ式のナイフの刃。
「そ、それ、どうすんの?」
「そうだなぁ。果物もねーし。お前にぶっ刺しておくか。恨むんなら自分の存在を恨め。ビヒモスに魂を吸われてりゃ楽に終われてたのになぁ」
「てめぇは、何もかもが人のせいなんだな。そんな器量の小さい人間が持つナイフが怖いもんかよっ!」
「クソガキッ!」
高宮が今までに見せた事の無い悪鬼のような形相で駆けてきた! こうなったら刺される前にやる!
「死ねよっ! 久瀬ぇぇっ!」
「うっるせぇっ!」
ケンカ? したことないね。人を殴ったこと? それもないね。けど俺は殴る。この右こぶしに俺の魂を乗せて、俺は今、こいつをぶん殴る!
「おおおおおっ!」
こぶしに伝わる頬骨の感触。俺は全力を持って腕を振りぬいた! 高宮の体がエビ反って、後頭部から地面に落ちた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
俺は一発のパンチを放っただけだぜ。それなのにこんなに疲れるのは失敗したらこちらが死ぬパンチだったからに違いない。生まれて初めて向けられた本物の殺意は想像以上に体に応えるものだった。
「アクション映画の主人公ってスゲータフなんだな」
毎回死にかけてる彼らを敬服するよ。
「……うっ!」
えっ? あ、あれっ?
「やってくれたな、ガキがぁっ」
何だ? 何? 高宮……俺に何を……。
「うぇっ!」
は、腹が痛……。
「教師の顔をぶん殴るとはやってくれる。ただ残念だったな、久瀬。俺はもうやられて黙ってる教師じゃないんだよ」
こ、こいつ、俺の腹にナイフを刺しやがった!
「うああああああああああああっ!」
立ってられない! うずくまる! でも痛みは治まらない! 傷口に刺さったナイフの刃が火のように熱くて、なのに背筋がぞくぞくと冷たい!
「分かったかな? 教師をナメてっとこうなるんだよ! おらぁっ!」
転げまわる俺に高宮は何度も蹴りを入れて、殴って、唾を吐きかけると「死ぬ前に良い勉強になったな。自分の愚行を悔いながら逝け」と俺の腹からナイフを引き抜いた。
「それじゃ俺はビヒモスの所へ行くとするよ。お前も死んで魂になったら来ると良い。美津島海岸に隠してあるからよ。いいや、こんだけの魂を吸ってんならもう隠れてるレベルじゃないだろうな。あっはははははは」
おい、ウソだろ。行くなよ。治療してってくれよ。何このベタベタしてるの……。俺の血? これ全部?
痛みが……遠のく。意識が……遠のく。
命が暗い暗い闇へ引っ張られる。
もう駄目かもしれない……。
死ぬの……かもしれない。




