(五)-1
月曜日、納豆ご飯とみそ汁と言う、ザ・日本の朝食をミズルに食べさせると、ミズルの昼食用に大量の焼きそばを作って家を出た。つまり、昨日も朝から夕方まで足が棒になるまでヴァゴスを捜索したが、まだ見つかってはいないってこと。それでも昨日は少しの時間だけど雲の切れ間から月光が射して、ミズルもちょっとだけ魔力が回復したらしいから近いうちになんとかなんだろ。
それにしても何と言う開放感。この数日は朝から晩までそれこそトイレと風呂以外はずっとミズルと一緒だったから久しぶりに伸び伸びと出来る。空は相変わらずの曇り空だが、心晴れ晴れと登校することが出来た。やっぱり普通が一番だ。退屈でも良い。俺はこの日常を大切にしたい。
ところが教室は寂しかった。空が曇っていて教室全体が薄暗いってのも関係してんだろうけど、それより何より人数が少ない。俺が登校する時間にはクラスのだいたい半数以上が来ているんだけど、今日は三分の一も来ていなかった。いつもは俺が教室に入るなり、くだらない話をマシンガンのようにぶっ放してくる太郎の姿も見えない。
「おはよう」
太郎に代わって挨拶をよこしたのは五十嵐だった。ミズルのぺったん胸と過ごしていたせいか、五十嵐の胸がより大きく感じる。
「おう、おはよう」
五十嵐と言うよりは胸に返事して自分の席に着くと、話し相手がいなくて暇なのか五十嵐がやって来て俺の前の席に腰かけた。
「今日、人少なくね?」
「うん。美也子はお姉さんが倒れたんだって」
「それって」
「意識喪失事件」
「じゃあ他の奴もそうなのかな?」
「それは分からないけど、今日、電車の中でもそんな話がいくつか聞こえたよ」
意識喪失事件は昨日から飛躍的に被害者の数を増やした。ミズルが言うにはヴァゴスの力が相当強まっているとのことで、いままではずっと他人事で自分の身に降りかかる災難とはまったく考えていなかったから、こうして人の少ない教室を眺めることで初めて身近で実際に起きている現実なんだって思い知る。
「太郎もそうなのかな……?」
「まさか。あいつに限ってあるわけないじゃん」
五十嵐は冗談っぽく笑ったけど、どこか笑顔は引きつっていて、それで不安が伝わって来て、俺も胸が騒いだ。大変なことにならないと良い。
「実は私も明後日からお婆ちゃんの家に一時避難するんだ」
「え?」
「そう言う人、多いみたいだよ。この街で起きてる事態はどう考えたって異常だもん。せめて原因がはっきりとしなきゃ戻って来ないと思う。久瀬もお父さんの所に避難したら? そうしなよ」
五十嵐は相変わらず下手くそな笑顔だった。父さんから心配する電話があっても危機感無く笑って応対してたけど、本当にこの街は大変なことになってるんだ。俺は頭が悪いからそれに気づくのが遅かったんだ。
「……考えとく」
「時間は無いんだから早く決めなきゃだよ」
今度は真顔だった。目には不安と恐怖が色濃く表れていた。
「わかった」
答えると同時にチャイムが鳴った。五十嵐は「ふぅ」とため息を吐いて席へ戻る。こんなのおかしいよ。息苦しい。俺の好きな日常じゃない。
一時間目は日本史だったはずなのに、教室に現れたのは物理の高宮先生だった。高宮先生は教壇に立つと教室をひと通り見渡して「おはよう」と笑った。
「お前らと俺に朗報だぞー。今日は授業無しでーす」
先生の陽気な声はこの陰気な教室にやけに不釣り合いだ。
「理由はわかるな。意識喪失事件だ。被害が広がり続けていたこの事件だが特に昨夜は爆発的に大人数の被害者が出た。それで朝イチに教育委員会から通達があって、事態が沈静化するまでしばらくの間、休校となったわけだ。再開の連絡は連絡網で回すからそれまでは自宅で自主勉してるように」
「先生」
「なんだ、久瀬」
「今、ここにいない奴らはどうしたんですか? まさか意識喪失事件の被害に?」
クラスの生徒が一斉に息をのんだのが分かった。そして視線は高宮先生に集中する。そうなるとさすがに高宮先生も神妙な顔つきに変わった。
「幸い、このクラスに被害に遭った生徒はいない。ただ家族の中に被害に遭われた方がいたり、また何が起きるから分からないから自主的に登校を取りやめるとのことだ」
そうか。じゃあ太郎は無事なんだ……。少し、ホッとしたぜ。まさかあいつを心から心配する日が来るなんてな。
「ってことで、今日は終わり。帰っていいぞー。まっ、国も動いてるしすぐに解決するさ。だから、近いうちにまた会おうぜ」
高宮先生は笑顔で締めて教壇を下りる。その時に前の席の大沢がすすり泣いたのが静かな教室にやけに大きく聞こえた。
「何を泣いてんだよ。何にも心配いらないって。笑顔、笑顔。なっ」
高宮先生は大沢の肩をポンポンと叩いて口を大きく開いて目を細めると、教室から出て行った。それから大沢のすすり泣きが止むまで俺たちは誰ひとり動けなかった。




