1-75 零か百か
「ゲホッ!」
急に気管へと入ってきた空気に私は噎せた。喉に入り込んでいた水も一緒に吐き出すと、何度も咳き込んだせいでひゅーひゅーと音を立ててしまう。
窒息寸前だったことと、急に呼吸を再開したことによる過呼吸に、頭がグワングワンと揺れて苦しかった。
「エンレイ!」
誰かが私の名前を読んでいる気もするが、それが誰なのかを確認する余裕も返事をする余裕もなかった。ゲヒュゲヒュ変な音を立てる喉が落ち着くまで、とにかく呼吸だけに集中することにする。
…………
「エンレイ、落ち着いた?」
あれから体感で数分。ようやく呼吸が正常に戻ってきたことで、今の状況に目を向けることができるようになった。
どうやらずっと私を呼んでいたのはクロユリさんだったらしい。心配そうな顔で私を窺い見ていた。
「……は、い……あ、クロユリさん、ガイスト、は……?」
「エンレイが倒したんだよ? エンレイが投げたナイフがあのガイストに命中して……」
フッと顔を逸らしたクロユリさんの目線の先に私も目を向ける。ガイストを倒すと得られるモノといえば、魔石だ。それがあるのだろう。
進化系ガイストの魔石とは、はてさて一体どのような色形、大きさなのだろうか。
そんな不安と僅かばかりの好奇心でもって、進化系ガイストがいた場所に目を向ける。するとそこにあったものといえば。
「っ……、し、んぞ……」
まるで事切れた人間の心臓のようなものだった。それに私のナイフがザックリ刺さっていた。
はっきり言って猟奇的な、というか、その……見ていたくない類の絵面で。脳みそがその物体を認識した瞬間に目を逸らしてしまった。
「あれは本当に……ガイストから出てきたモノなんですか?」
呼吸が安定してきたというのに、胃がグルグルとかき混ぜられるような気持ち悪さに襲われる。
「ああ、ガイストから落ちてきた瞬間を見ていたから、確かだよ。」
「そ……です、か……」
すぐ目を逸らしたというのに、今はクロユリさんの顔を見ているというのに、あの心臓が目に焼き付いて離れない。
「……あ、隊員さんは無事ですか!?」
そうだ、ガイストを討伐できたのなら、脅威が去ったのなら、次に考えるべきことは隊員の無事だ。クロユリさんにそう問えば、彼は苦い顔を浮かべた。
「……一緒に戦っていた隊員は無事だ。だがエンレイが治癒しようとしていた隊員は……」
途中で切れた言葉に、しかしそれでもその後に続くであろう言葉を察してしまった。反射的に倒れていた隊員がいた方に振り向くと、そこには横たわる人を塞ぐようにしゃがみ込むラナンキュラス大先生の背が見えた。
「っ……、」
隊員の最期を、知らなければならない。そんな気がして、力が入らず重怠い足を引きずってラナンキュラス大先生の元へと向かった。
「ラナンキュラス大先生……」
カッスカスな声を振り絞って何とか名前を呼ぶと、彼はユックリとこちらに振り返った。
「……ああ、お前か。」
「……そ、の……方は……」
「ああ、不幸なことに……気管に水が留まってしまったことによる溺死だ。」
「……え? あの、ここは、陸で、すよ? どうやって溺死、するん、ですか?」
「知らん。ただ、生き残りの隊員の話だと、応戦中に突然苦しみ始めたって言っていた。ブラオ属性のガイストが相手だったらしいし、ソレが作り出したブラオ属性魔法……つまり魔法で生み出された水が喉に詰まったと考えるのが妥当だろう。」
「ブラオ属性魔法には、そんな使い方もあったんですか?」
「いや、聞いたことないな。……まあ、俺はオランジェ属性だから他属性の魔法に疎いのも仕方ないけどな。詳しく知りたいならランにでも聞いてくればいいだろう?」
「……それもそうですよね。」
ラナンキュラス大先生の話を聞きながらよくよく見ると、この隊員は以前私に『ガイスト討伐は簡単なお仕事』と言っていた片割れだったことに気がついてしまい、サッと頭から血が引きヒュッと喉が鳴る。
あの時引き下がらずにもっとガイストの恐ろしさを伝えきれていれば、もしかしたらこの方は亡くなることもなかったかもしれない。そんなタラレバが頭を埋め尽くしていった。
震える手を合わせ祈り、ガイストを殲滅して仇を取りますと心の中で宣言してから、次の行動に移すことにした。
悲観している暇があるのなら一体でも多くガイストを討伐し、殲滅するための策を考えなければならない。それこそがこの方を引き止められなかった私に出来る彼への贖罪となるだろう。
そしてそれと同時に私の利用価値を、存在意義を、思い出した。
「ラナンキュラス大先生、この方をよろしくお願いします。私は私の役目を全うします。」
やることが増えた。己の魔法習得に進化系ガイストについての情報収集、塔やもう一組のシュヴァルツヴァイス属性の捜索に加えて、馬の乗り方やブラオ属性魔法の応用についての聞き込み、進化系ガイストの魔石についても調べなければ。
これはもう寝る間も惜しんで全てを同時進行しなければ。死なない私なんて、こういう時に効率的に使ってこそだ。
そこまで思い至れば、今まで己の中で渦巻いていた感情全てがスゥッと引いていき、頭の中に静寂が広がっていく感覚に陥った。
そうだ、何故忘れていたのだろう。私はそのためにヴァイス属性を持って生まれたと言っても過言ではないのだから。
「おい、お前。」
「では、すみません。後はよろしくお願いします。私は先に失礼します。」
まず最初にどこから着手しようか。静かな頭はとても良く回る。まずは練習がてら家まで馬で駆けて、ブラオ属性魔法について聞きこむためにランに手紙を書かなければ。
そして、返事が戻ってくるまで魔法の練習をしながら家の書庫を漁って、それで、それで……
「エンレイ、待った。」
そんな調子良く回る思考を遮るように、よく知る声と体温が私の目を塞いだ。
…………
──クロユリside
エンレイは隊員の死という現実を突きつけられて、スッと彼女の纏う雰囲気が危うく変わった。なんだろう、ちょっとこれは放っておいたら駄目な気がする。
だからこそ一旦視界を塞いでエンレイの思考を断ったのだが、それが良く働いたのか、悪く働いたのかは分からなかった。が、確かに彼女の意識は俺に向いた。
殺気立って濁った目が、俺を射抜く。観劇した時までに見せてくれていたキラキラした目が、感情が、一切消えてしまったように見えて俺は焦った。
「そんな殺気立った顔で歩き回ったら、誰もが怖がって逃げて行っちゃうよ。」
「……クロユリさん、私、思い出したんです。」
「ん?」
「私に課せられた役目……生きていていい理由は、ガイストを殲滅することだけだったと。それが成せない私は生きていてはいけない。ですので、クロユリさん。御前失礼します。」
「ちょちょちょ! 待って待って!」
ねぇー! なんでエンレイの思考回路ってば零か百かしかないわけぇ!?
そんな愚痴めいたことを何とか喉元で留め、エンレイがどこにも行って消えてしまわないように腕を掴む。
「あの、クロユリさん……?」
「俺も一緒に行っていいか? えーと……ほら、今俺って出来る限りアリバイを作っておきたいからさ。一人になりたくないんだよ。」
「……、」
ぶっちゃけ今のエンレイを一人にしたら何をしでかすか分からないからな。
こんな言い方はアレだが、今のエンレイに向かって『心配だから』という言葉は通じないだろうから、敢えて若干の罪悪感を植え付けるような言葉選びをした。
エンレイは『自分はどうなってもいい』そして『他人が害されるのは嫌』という利他的な思考回路を元々……なのか環境故の学習なのかは分からないが、まあ、そういったモノを持っている。
だから、きっと俺が困ることはしないはず。
「……白花家に、帰りましょうか。」
エンレイはそう言ってピリついた雰囲気をほんの少しだけ緩ませたことに、内心ホッと安堵したのだった。




