第六十一話「魔族と剣鬼」
魔族が森に姿を消した瞬間、森の奥から禍々しい魔力を感じた。この魔力の強さは少なくとも幻獣クラスのものだろう。五十人近く居る盗賊達が不敵な笑みを浮かべて俺達に武器を向けると、森の奥から巨大な足音が聞こえた。足音が徐々に近付いてくると、巨体の魔物が木製の柵を飛び越えて着地した。
敵は赤い体毛に包まれており、頭部からは二本の黒い角が生えている。体長は三メートル程。以前魔物の図鑑で見た事がある。幻獣のミノタウロス。人間の体に牛の顔を持つ魔物で、人間を殺める非常に獰猛な生物。
ミノタウロスは両刃の斧を持っており、俺を睨みつけると同時に斧を振り下ろした。攻撃を回避すべきだろうか、もしくはデーモンイーターで受け止めるべきだろうか。俺は村人を殺して女を誘拐する盗賊やミノタウロス、魔族に腹が立っているので、ミノタウロスの斧を左手で受け止めた。
それから全力で斧を握りしめて刃を木っ端微塵に砕くと、ミノタウロスが狼狽して一歩後ろに下がった。敵が自分よりも強いと思ったら逃げ出す。命を懸ける度胸すら無い魔物に負ける訳にはいかない。
「クラウディウスさん。盗賊を任せても良いですか?」
「うむ。私が全て仕留めよう」
クラウディウスさんはバスタードソードを両手で握ると、五十人近く居る盗賊の群れに切り込み、目にも留まらぬ速度で次々と盗賊を切り刻んだ。盗賊がクラウディウスさんに攻撃を仕掛けても、クラウディウスさんはまるで軽やかに踊る様に敵の攻撃を回避し、瞬時に敵の心臓を貫いた。
僅か数秒で盗賊の群れが命を落とした。圧倒的な剣の速度、敵を仕留める際の躊躇のなさ。これが二十五年間冒険者を続けてきた剣聖の実力なのだ。
斧を砕かれて狼狽したミノタウロスが逃げ出そうとした瞬間、魔族の男が背後から現れ、ミノタウロスの背中を鞭で叩くと、ミノタウロスは爆発的な咆哮を上げて両手を振り上げた。
ミノタウロスの拳には炎が纏っており、俺はデーモンイーターを鞘に戻してミノタウロスの前に立った。俺自身の拳に炎を纏わせて敵の攻撃に備えると、ミノタウロスが全力で拳を振り下ろした。
両手で敵の攻撃を受け止めると、全身の骨と筋肉が悲鳴を上げたが、それでもミノタウロスの攻撃によって俺の体が潰れる事はなかった。通常の人間なら斧の一撃で真っ二つに体が裂けているだろう。しかし、俺は何度も骨折と回復を繰り返し、肉体を鍛え続け、悪魔としての力を徹底的に鍛えている。ミノタウロスの攻撃では俺の体を傷つける事は出来ないだろう。
攻撃が受け止められたから、ミノタウロスが憤慨して再び拳を振り上げると、俺は敵の懐に飛び込み、ミノタウロスの腹部を全力で殴り上げた。体長三メートルを超えるミノタウロスの巨体が宙に浮いた。瞬間、俺はミノタウロスの頭上に飛び上がり、両手を頭上高く掲げ、炎の球を作り上げた。冬の森で生き延びるために習得し、何万回も使用してきた最高の攻撃魔法でとどめを刺す。
「ファイアボール!」
直径二メートル程の巨大な炎の球を全力でミノタウロスに向けて飛ばすと、炎の球がミノタウロスに直撃して大きな破裂音を立て、敵の肉体を爆ぜた。炎が魔物の体を焼く匂いが立ち込め、辺りには熱風が発生している。
「馬鹿な……! たった一人でミノタウロスを仕留めるとは……!」
「見くびるなよ……魔族。俺達が人間の町を守り抜く!」
「今日のところは引き下がってやる。しかし、いつか必ず魔族が再びこの地を支配する!」
魔族は強気な言葉とは裏腹に、狼狽した表情を浮かべながらも、静かに森に消えた。幻獣のミノタウロスをも従わせる事が出来る魔族の実力は未知数だ。きっとかなり慎重な性格なのだろう。この場で俺達とは戦おうとはせず、仲間を引き連れて再び人間が暮らす地域を襲撃しようとしているに違いない。
檻に閉じ込められた女達をすぐに開放してから、盗賊の砦をファイアボールで吹き飛ばし、盗賊の死体を炎で焼いてから埋葬した。死体を放置しておけば、人間の死体を好んで喰らうグールの様な魔物が近付いてくるかもしれないから、地域の安全のためにも、全ての盗賊の死体を纏めて埋葬した。
魔族に関する手がかりは無いが、盗賊の一人が古ぼけた召喚書を持っていた。クラウディウスさんの説明によると、これはラミアを召喚するための書物らしく、魔力を込めるだけで瞬時に魔物を召喚出来るラザルスの召喚書なのだとか。
通常の召喚書も魔力を込めるだけで召喚出来るが、ラザルスの召喚書は無契約の召喚にもかかわらず、召喚した魔物を意のままに操る事が出来るのだとか。
六十年程前に無数の魔物を召喚し、王都アドリオンの転覆を図ったハイデン王国の元国家魔術師、ミヒャエル・ラザルスが作り上げた召喚書だ。何故今頃ラザルスの召喚書を持つ盗賊が居るのだろうか。
もしかすると、ミヒャエル・ラザルスは魔族と共に暮らしているかもしれない。魔族の配下の盗賊がラザルスの召喚書を持っていたという事は、きっとこの召喚書はラザルスが魔族に託した物なのだろう。
ラザルスがまだ生きていれば百歳。既に命を落としていると考えるのが普通だろうが、召喚書は未だに残っている。果たしてラザルスが何冊の召喚書を書き上げたのか、調べる手段は無いが、大陸の支配を目論む魔王と、かつてアドリオンを襲撃したミヒャエル・ラザルス。二人が手を組んでいたのなら、これは非常に厄介な事になる。いや、魔族とラザルスが手を組んでいると考えるべきだろう。
「すぐにアドリオンに戻りましょう」
「いや、私はもう暫くこの村に滞在する事にする。もしかすると再び魔族や盗賊がここを襲撃するかもしれん」
「ありがとうございます。俺は急いでアドリオンに戻り、ギルド協会に事件の真相を伝えます。おそらく数日中には国家魔術師か冒険者の集団がディースに派遣されると思います」
「クラウス、くれぐれも気をつけるのだぞ。今回の事件の背後には魔王とラザルスが居ると考えて良い。魔王は既に大陸を支配するために行動を開始しているのだろう」
「はい、クラウディウスさんもお気をつけて」
「うむ。それではな」
俺はクラウディウスさんと固い握手を交わしてから、ラザルスの召喚書を懐に仕舞い、全力でディースを南下し、ひたすらアドリオンを目指して走り続けた。
途中でブラックウルフやゴブリンの集団と遭遇したが、歩みを止めずにアローシャワーを放って駆逐した。今は敵に構っている時間はない。魔族は何らかの理由があって女を誘拐しようとしていた。
魔王ですらない下っ端の魔族がミノタウロスを従えていた事に驚きを感じる。魔物と心を通わせる事が出来る魔族とその王、それから元国家魔術師のミヒャエル・ラザルス。
魔物を味方につけて都市を襲うに違いない。かつてレーヴェやレマルクを襲撃し、ヴェルナーやモーセルを襲撃しようとした様に。ヴェルナーやモーセルは襲撃が行われる前に敵を潰す事が出来たから被害を抑える事が出来たが、国家魔術師が防衛していない村や町を不意に襲撃されれば、一時間も持たずに壊滅する事は間違いない。
エルザの誕生日の朝。無数のガーゴイルやゴーレムを引き連れたデーモンがレーヴェを襲撃し、短時間で多くの村人の命を奪い、エルザに死の呪いを掛けた様に。あんな事件が今後も頻繁に起こるかもしれないのだ。現に、ミノタウロスはディースから程近い森に潜んでいた。
俺がディースに駆けつけていなかったら、村の女を全て誘拐されたあげく、男達はミノタウロスの餌食になっていただろう。それから魔族の男が盗賊とミノタウロスを連れて防衛力の低い村や町を回り、永遠と人間を殺し続けたに違いない。
国家魔術師が一人でも滞在していれば、幻獣が襲撃してきても対処出来るだろうが、ファステンバーグ王国内の全ての地域に国家魔術師を配置する事は不可能。
王国の最高戦力である国家魔術師は、ファステンバーグ王国で最も人口が多い、王都アドリオンに配置しておかなければならない。人口が少ない町や過疎化した村に国家魔術師を配置する事も出来るが、あくまでも人口が多い地域の防衛を優先するのが、国王陛下の方針なのだとか。
王国は以前からヴェルナーに国家魔術師を配置するか否かを検討しているらしく、今年の二月に新しく国家魔術師試験に合格した者を配置する予定になっているのだとか。試験合格者は配属候補地の中から自由に配属先を選択する事が出来る。
人口が増え、都市を防衛する必要があると判断された村や町には国家魔術師の配属が決定する事がある。年間の魔物による被害者数や、人口、地域の人間の平均レベル等を計算して決めるのが普通らしい。
森を走りながらあれこれと考え事をしていると、途中で冒険者のパーティーと遭遇した。高速で森を駆ける俺の姿を見て冒険者達は腰を抜かしたが、アドリオンで活動する冒険者だからか、俺の顔を知っている者が居た。冒険者達は俺に食料を分けてくれたので、ありがたく食料を頂いてから、再びアドリオンを目指して走り出した。
ディースを出て二十時間程、ひたすら走り続けると俺は遂にアドリオンに辿り着いた。一月の冷え切った森に長時間居たにもかかわらず、全身から汗が吹き出している。
途中で体力が尽きそうになったが、狂戦士の秘薬を一口飲んで回復させた。小さな瓶に入った秘薬は常に持ち歩く様にしている。万が一、体力と魔力が尽きた時も、この秘薬があれば一瞬で最高の状態に戻る事が出来るからだ。
重い体を引きずるようにギルド協会に入ると、グラーフェ会長とレベッカさん、それからフェリックスさんが居た。俺は懐からラザルスの召喚書を取り出し、村での出来事を三人に伝えた。グラーフェ会長は俺から召喚書を受け取ると、今回の事件を国王陛下に報告するためにギルド協会を出た。
王国内の領地に魔族が侵入したとなれば、確実に魔族が発見された場所に国家魔術師が派遣されるだろう。レベッカさんの様に、国家魔術師の中でも最高の実力を持つ人はアドリオンの防衛を任され、国家魔術師の中でも実力が低い、と言っても一人で幻獣を軽々と討伐出来る程の者がディースに派遣されるに違いない。
魔族がどこから王国内の土地に侵入したのか、魔族の潜伏場所や人数等を調べるために、国家魔術師が動き出す事は間違いない。
それからグラーフェ会長はディースの防衛力を向上させるために、アドリオンで暮らす冒険者達をディースに向かわせるだろう。クエストとして期間を決めてディースに滞在して貰い、冒険者達は地域を防衛しながら暮らす事になるだろう。
「幻獣のミノタウロスをたった一人で討伐するとは。やはりクラウスは既に俺を上回る力を身に付けた様だな。無事で何よりだ。暫くラサラスで休むが良い。町を魔族が襲撃したとしても、俺達国家魔術師が防衛するから心配するな」
「そうね。随分疲れているみたいだから、今日は早めに休みなさい。ラサラスに戻るわよ」
それから俺はレベッカさんとフェリックスさんと共にギルドに戻ると、仲間達が駆け付けてきた。まずは体を休ませなければならない。
一睡もせずに森を全力で走り続けたから、体力が殆ど残っていない。デーモンの肉を食べ、エールを一杯だけ飲んで体を温めると、俺は部屋に戻って風呂で体を洗い、ベッドに倒れ込んで眠りに就いた……。




