第六十二話「ギルドの朝」
小さな手が頬に触れ、体内に心地良い魔力が流れてくる。目を開けると、赤い髪を腰まで伸ばした可愛らしい妖精が俺を見つめていた。ララと俺は知り合ってからすぐに意気投合し、ララがギルドで仕事を終えた後は、大半の時間を一緒に過ごしている。
勿論、一番長く一緒に居るのはレベッカさんだ。就寝時以外の全ての時間をレベッカさんとの訓練に費やしているため、レベッカさんとは既に家族の様に仲が良い。
「よく眠れた? マスター」
「おはよう、ララ。今は何時?」
「六時よ。久しぶりに沢山眠ったんじゃない?」
「ああ。最近は五時間以上眠れる日も無かったからね……」
「レベッカさんが今日は訓練を休んで良いって言っていたわ。彼女はグラーフェ会長と共にファステンバーグ城で話し合いをしているみたい。フェリックスさんは昨日の深夜にディースに移動したわ。クラウディウスさんと村の警備を交代するみたい」
「フェリックスさんがディースを防衛してくれるなら安心だね」
昨日はあまりにも忙しい一日だった。ディースでミノタウロスと戦い、盗賊の砦を壊滅させ、囚われていた女性達を開放した。村の男性達は家族を取り戻して歓喜の声を上げ、涙を流しながら何度もお礼を言ってくれた。他人から感謝されるために冒険者をしている訳ではないが、俺の行動によって地域を救ったという事実が嬉しかった。
部屋の隅に置かれているソファに腰を掛け、デーモンの肉を齧った。部屋にはデーモンの乾燥肉を大量に保管しており、時間を掛けて全ての肉を消費する事にしている。何だかデーモンの肉を食べると調子が良いのだ。強い闇属性を秘めるデーモンの肉を体内に取り込めばたちまち魔力が回復する。
以前、ヴィルヘルムさんがデーモンの乾燥肉を口にした事があったが、たちまち気分が悪くなって吐き出した事があった。闇属性を持たない者にとっては、デーモンの肉は毒でしかない。それからヴィルヘルムさんはレベッカさんの回復魔法を受けて体調が回復したが、その時はレベッカさんがヴィルヘルムさんを厳しく叱りつけた。
「昨日は一人でミノタウロスを倒したんだよね。町はあれからマスターの噂で持ち切りだよ。私のマスターは本当に凄いな。幻獣を一人で倒してしまうのだから」
「ミノタウロスが弱かったのか、俺自身が強くなったのか分からないけど、余裕を持って倒す事が出来たよ。全力で敵の腹部を殴り、ファイアボールで吹き飛ばした。かつて戦ったゲイザーやゴブリンロードの方が遥かに強かった気がするけど、もしかすると当時の俺が未熟だったからかもしれない」
「同じ幻獣クラスの魔物でも種族やレベルによって強さは異なるからね。ゲイザーとの戦いも冒険者の間では語り継がれているけど、かなり苦戦したんだよね」
「ああ。体を覆い隠す無数の触手は切り裂いても際限なく再生し、口からは火炎を吐き、雷撃まで放つ事も出来る。体長は七メートルを超え、宙を自在に飛行し、触手の先端にはナイフの様に鋭利な爪が付いているんだ。どうやって倒せば良いのかも分からなかったよ……」
「本当に恐ろしい生き物なんだね。ゲイザーって。でも今のマスターな一人でも倒せるでしょう?」
「当時と比べても魔力も増えたし、レベッカさんの指導を受けているから、恐らく一人でも倒せると思うよ。勿論、もう二度とゲイザーとは戦いたくないけどね」
ララがゴブレットに水を注いでくれたので、俺はララからゴブレットを受け取って水を飲み干し、乾燥肉を齧ってから悪魔の魔装を身に纏った。それからデーモンイーターを背負い、狂戦士の秘薬を懐に仕舞った。
毎日武具を身に着けて訓練をしているから、今日はレベッカさんの訓練が休みだというのに、つい習慣的に武具を身に着けてしまった。しかし、いつ魔族が襲撃してくるかも分からないのだから、武器は必ず携帯しなければならないだろう。
「今日は休みだけど、何をするつもり?」
「まずはクラウディウスさんを召喚しようか。きっと今頃徒歩でアドリオンを目指して移動している筈だから」
ララを肩に乗せて部屋を出ると、リーゼロッテさんが一階で剣の稽古をしていた。ヴィルヘルムさんとティファニーはまだ眠っている様だ。
「クラウス。調子はどう?」
「おはようございます。リーゼロッテさん。体長も気分も良いですよ。昨日は疲れ果ててすぐに眠ってしまいましたが、リーゼロッテさんが指導している冒険者達はクエストを達成出来ましたか?」
「ボリスとブリュンヒルデね。昨日はゴブリン討伐をしたのだけど、かなり苦戦していたわ。二人共魔物を恐れてなかなか攻撃を仕掛けなくて。剣士のボリスがゴブリンの攻撃を受け、魔術師のブリュンヒルデが後方から魔法で援護していたのだけど、まだまだ一人前の冒険者になるには時間が掛かりそうだわ」
「やはり、ララとフェリックスさんが加入を認めた冒険者だから、特別な力を持っているのでしょうか」
「別にそういう訳ではないけど、ブリュンヒルデは十三歳にしては魔法の威力も高いし、ボリスは魔物の攻撃を恐れているけど、素直でとても良い子よ。二人はクラウスに憧れてラサラスに加入してくれたみたいよ」
「俺に憧れているんですか、何だが嬉しいです。俺は他人の模範になる冒険者ではありませんが、ギルドマスターとして、二人が長く冒険者として生きられる場を提供するつもりです。武器や防具、ポーションや魔石なんかが必要ならいつでも言って下さいね」
「ええ。いつも頼りにしているわ。マスター」
「もう、リーゼロッテさんまでマスターなんて呼ばないで下さいよ」
今日は長く伸ばした紫色の美しい髪を上品にカールさせており、朝からかなり気合を入れてレイピアを振っている。彼女は剣技と回復魔法の練習に力を入れており、ティファニーやヴィルヘルムさんの様にフェリックスさんから指導を受けている訳ではないが、定期的に俺と打ち合ってお互いの技を指摘し合ったりしている。リーゼロッテさんの回復魔法はレベッカさんも称賛しており、町で怪我人が出れば急行して無償で回復魔法を使用する。
リーゼロッテさんは元々衛兵だったから、責任感も非常に強く、加入したばかりのボリスとブリュンヒルデの面倒を見てくれているのだ。彼女も来月の国家魔術師試験のために準備をしているから忙しい筈なのだが、時間を作って若い二人の指導をしている。
世話焼きなリーゼロッテさんは、まるでメンバー達の母親の様だと、ララと二人で話す事がある。食事の栄養が偏っていると、栄養のバランスが良い食事を用意してくれたり、フェリックスさんがお酒を飲みすぎて潰れると、軽々とフェリックスさんを持ち上げて彼の部屋まで運んだり。俺が魔物討伐で得た肉をギルドに運び入れると、すぐに妖精の館に向かってフェアリー達を呼んでくれて、小さな妖精達と共に料理を始めるのだ。
妖精の館のアドルフィーネさんはリーゼロッテさんの事を気に入っており、暇な時は二人で買い物をしたり、お酒を飲んだりする間柄だ。アドルフィーネさんは定期的にギルドを訪れてくれて、小さな仕事でも嫌がらずに引き受けてくれる。妖精の館のフェアリー達はラサラスのメンバーとも仲が良く、フェアリー達は毎日の様にギルドを訪ねてきてくれる。
ララは以前、フェアリー達から拒絶されていたが、フェアリー達はギルドでのララの働きぶりを評価しており、最近ではララを訪ねてくるフェアリーも居る。
ラサラスと妖精の館で、いつか共に酒場でも経営しようかと話をする事があるが、この夢が現実する予定はない。通りから見てラサラスの左側は以前から空き家になっているので、土地を買い取って新たな事業でも始めようかと考える事があるが、国家魔術師試験に合格するまでは訓練に集中しなければならない。
「クラウス、少し打ち合ってみない? ミノタウロスを倒した剣を受けてみたいの」
「それは良いですが、ミノタウロスの討伐に武器は使っていませんよ」
「何ですって……? まさか、素手でミノタウロスを倒したの? 嘘でしょう?」
「昨日は疲れていたのでミノタウロスとの戦いを詳しく説明出来ませんでしたが、武器は使っていません。拳とファイアボール一発です。本当は魔法を使わずに仕留めたかったのですが、それでは時間がかかりそうだったので、魔法も一発だけ使用しました」
「昨日図鑑でミノタウロスについて調べたけど、とても拳を殴りつけてダメージが通る様な体では無かった気がするのだけど。体長は三メートル以上、筋骨隆々で斧を好んで使う。性格は獰猛で火属性の使い手……」
「はい。確かに獰猛でしたが、ゲイザーやデーモンと比較するとやはり格下の幻獣なんだなって思いました」
「私達の剣鬼は一体どこまで強くなるのかしら。ミノタウロスをたった一人で、しかも武器すら使わずに仕留めるなんて!」
リーゼロッテさんは興奮しながら何度も俺を称賛してくれたが、国家魔術師試験に合格するつもりなら、リーゼロッテさん自身も一人で幻獣を仕留められるだけの力を身に着けなければならない。恐らく、ヴィルヘルムさんとティファニーも一人でミノタウロスを倒す事が出来る。
ティファニーならグラディウスで敵を切り裂き、ミノタウロスは一度も攻撃を当てる事も出来ずに命を落とすだろう。ヴィルヘルムさんならアイシクルレインを落として魔法一発で仕留めた筈だ。万が一、ミノタウロスが接近してもアイスウォールで敵の移動を阻害し、鋭利なアイスジャベリンで心臓を貫いてミノタウロスを仕留めるだろう。二人の戦い方を脳内で再現出来るから、ミノタウロス相手に戦う姿が鮮明に想像出来る。
しかし、今のリーゼロッテさんがミノタウロスと戦えば、敵の攻撃に対して回避が間に合わず、巨大な斧の一撃を喰らって命を落とすだろう。回復魔法の効果は非常に高いが、物理攻撃の威力はあまり高くはない。どうにかしてリーゼロッテさんの戦闘力を上げる事は出来ないだろうか。回復魔法しか使用出来ないから戦力が低いのだ。
国家魔術師試験は個人の強さを計る試験だ。国家魔術師として地域に配属された際、たった一人で幻獣を退ける力がなければ、とても成り立たない仕事である。出来る事なら四人で受験して、同時に合格したいと思う。
レベッカさんとフェリックスさんも今のリーゼロッテでは合格は厳しいと言っている。ヴィルヘルムさんも合格出来る可能性は高くないとレベッカさんは考えているのだ。
リーゼロッテさんはレイピアを構え、非常に鋭い突きを放ってきた。ララは俺の肩から飛び上がってカウンターに着地し、俺は瞬時にデーモンイーターを抜いてレイピアを受けた。それからリーゼロッテさんは何度も突きを放ってきたが、身の丈程の大剣に対して、レイピアの突きは威力が低いので、彼女の攻撃を受ける事は難しくなかった。
同じ女性でもティファニーは武器に風のエンチャントを掛け、攻撃速度と魔法攻撃力を限界まで強化しているから、デーモンイーターで攻撃を受けても、両手に強烈な衝撃を感じる程の威力がある。
もし防御しそこなえば、魔装が砕ける程の威力があるのだ。ティファニーは大人しそうな見た目とは裏腹に、戦闘時は非常に攻撃的だ。それでいて冷静で、攻撃を失敗する事も、敵に躊躇する事も無い。
フェリックスさんはティファニーの事を『将来、確実に俺を超える魔法剣士になる』と称賛している。勿論、レベッカさんからの評価も高く、ロタールさんも国家魔術師試験に合格したら装備を一式鍛えても良いと言ってるのだ。
暫くリーゼロッテさんの攻撃を受け続けると、ヴィルヘルムさんが一階に降りてきてリーゼロッテさん側に加わった。ヴィルヘルムさんはガントレットに強烈な冷気を纏わせ、全力で俺の体を殴ると、魔装が徐々に氷り始めた。
俺は魔装の表面に火の魔力を流して氷を溶かし、瞬時にヴィルヘルムさんの背後に回ると、彼の肩にデーモンイーターを置いた。それからリーゼロッテさんのレイピアを左手で受け止め、力づくで奪い取ると二人は敗北を認めた。ララは小さな手を合わせて可愛らしく拍手をすると、ティファニーが降りてきた。
眠たそうに目を擦ってから眼鏡を掛けると、俺が既に起きている事に驚き、慌てて近付いてきた。深紫色のローブに、ベルトには国家魔術師のベル・ブライトナーから授かった銀の杖を差しており、グラディウスの鞘を通している。
艶のある黒髪を丁寧に編んで纏め、優しい笑みを浮かべて俺の手を握った。彼女を見ているだけで胸が高鳴り、幸福を感じる。俺は本当にティファニーの事が好きなのだろう。
ヴェルナーのダンジョンで両足を骨折した俺を何度も励ましてくれ、生き延びるためにファイアゴブリンをナイフで仕留めて、俺を守り続けてくれた。優しさと非常に強い精神力を持ち合わせており、仲間を守りながら戦う時に最高の力を発揮する。
何度もティファニーの剣に助けられてきた、俺が自分の命を安心して任せられる数少ない仲間の一人だ。
「おはよう、クラウス! 朝から訓練をしていたの?」
「おはよう、ティファニー。リーゼロッテさんと剣の稽古をしていたんだよ」
「昨日は随分疲れたでしょう? もっと寝ていても良かったのに」
「森を走り続けたからかなり疲れたけど、もう大丈夫だよ」
「今日はどうするつもり? ギルドに居る? それとも外で魔物を狩る?」
「そうだね……今日は少し休もうかな。ティファニーは?」
「私は今日もギルドで魔法の練習かな。夕方からロタールさんがギルドで宴を開いてくれるんだって。クラウスが幻獣を討伐した記念にって」
この広い大陸の何処かに魔族や魔王が暮らしていると思うと、今すぐ探し出して戦いを挑みたいところだが、まずは国王陛下の指示を待つ。勿論、国家魔術師ではない俺が魔王討伐を依頼される事はないだろうが、来月の一日に開催される国家魔術師試験に合格すれば、魔王討伐を命令される可能性もある。
王国が魔族の出現に対してどう対処するかは分からないが、暫くはアドリオンを出ずに訓練を続けるつもりだ。久しぶりに一日だけ休みを頂いたのだ、今日は仲間達とゆっくり過ごす事にしよう……。




