第三十七話「森の生活」
〈クラウス視点〉
リーゼロッテさんと別れてから森を彷徨い始めた俺は、レマルクの南西の方角から強い魔力の動きを感じたので、時間もある事だから魔力の源を探しに歩く事にした。
リーゼロッテさんとの出会いを思い出しながらゆっくりと昼の森を歩く。久しぶりに仲間と別れたから、時間の使い方が全く分からない。
明日もリーゼロッテさんと会える事は楽しみだが、ゲイザーを仕留めるための新たな戦力を得なければ、俺達パーティーではゲイザーを倒す事は出来ないだろう。それに、ヴィルヘルムさんもティファニーもゲイザー討伐に協力してくれるかも分からない。リーゼロッテさんの思いを二人に話せばきっと協力してくれるだろう。
俺達三人は国家魔術師を目指しているのだ。幻獣程度の魔物から逃げ出す様では、国家魔術師試験を合格する事は不可能だろう。
暫く歩くと森の上空から可愛らしい生き物が降りてきた。フェアリーが大きなバスケットを持っており、バスケットにはティファニーの名前が書かれた手紙と、大量の食料が詰まっている。ティファニーが俺のために食料を送ってくれたのか。これで魔物の肉を食べずに済みそうだ。
虹色の羽根をした小さなフェアリーは楽しそうに笑みを浮かべてから飛び上がると、俺はフェアリーを見送ってから、早速ティファニーが用意してくれた食事を頂く事にした。バスケットには巨大な肉の塊が入っていたので、ナイフで切り裂いて口に放り込み、それからチーズとナッツを食べ、最後にリンゴを食べた。
栄養を補給すると力が湧いてきたので、久しぶりに全力で森を駆けた。ウィンドホース程ではないが、かなりの速度で森を走る事が出来る。木々が邪魔なので、大きく跳躍して背の高い木々を飛び越え、上空から森を見下ろして飛ぶ。両手から火の魔力を放出すれば、落下するまでの時間を伸ばす事ができ、飛行速度を上げる事が出来る。
跳躍と同時に火の魔力を放出すれば、短い時間だが空を飛べるのだ。勿論、高度は徐々に下がり、最後は地面に着地するが、着地と跳躍を繰り返せば、森を走るよりも遥かに速い速度で移動出来るのだ。
暫く移動を続けていると、俺は森の中で異様な魔力を放つ朽ち果てた墓地を見つけた。レマルクから南西に進んだ位置にあり、深い木々に囲まれた墓地には一体の魔物が徘徊している。それから墓地の周辺を見渡すと、墓荒らしだろうか、シャベルを持った長身の男が居た。きっと墓を掘り起こして装飾品等を奪うつもりなのだろう。
クレイモアを抜いてから、物音を立てずに墓荒らしの背後から忍び寄る。墓荒らしが俺の存在に気づかずに墓地に足を踏み入れた瞬間、まるで侵入者を待ち構えていたかの様に、全身を鎧で固めた魔物が現れた。
手にはバスタードソードを持っており、ミスリル製だろうか、かなり豪華な鎧を身に着けている。不思議な事に、首を切り取られたのか、胴体だけの体で武器を構え、墓荒らしに向かって武器を振り上げた。
三十代後半程の髪をだらしなく伸ばした墓荒らしは、涙を流してしゃがみ込んだ。瞬間、俺は墓荒らしの前に立って敵の攻撃を受けた。
犯罪者を守るために、バラックさんから頂いた剣を使うのは本意ではないが、墓で人間を襲う魔物を放置する訳にはいかない。敵のバスタードソードを受けると、俺は攻撃力の高さに狼狽した。驚く事に、敵の攻撃はゴブリンロードよりも遥かに威力が高いのだ。レマルクから程近い森に、どうしてこれ程まで凶悪な魔物が潜んでいるのだろうか。
「デュラハンだ……! 助けてくれ!」
「デュラハン?」
墓荒らしが叫んだ瞬間、デュラハンは俺の腹部に蹴りを入れた。敵の攻撃をまともに受けた俺は、腹部に激痛を感じながらも、瞬時に敵の胴体を殴りつけた。左の拳から火の魔力を放出し、全力でデュラハンの体を殴ったつもりだが、デュラハンは微動だにせず、俺の顔面を殴った。
一体この強さは何なんだ……? レベル六十の俺がダメージを与える事すら出来ないとは。これは面白い。俺はこんな敵を求めていた! 自分よりも遥かに強い敵と剣を交えた時の緊張感。久しく感じる事がなかった。レーヴェで暮らしてた俺がデーモンを目撃した瞬間の様な、体に電撃が走る様な圧倒的な恐怖。
恐怖が俺の精神を限界まで研ぎ澄ましてくれる。敵が強ければ強い程、俺は実力を発揮出来るのだ。本気で剣を打ち込んでもデュラハンなら受け止めてくれるだろう。正直、手応えのない魔物にうんざりしていたところだ。
「本気でいくぞ……」
下半身に力を込めて地面を蹴り、背の高い木々よりも遥か上空に飛び上がり、両手でクレイモアを握りしめ、デュラハンに向けて落下を始めた。全身の筋肉を総動員させ、全力でクレイモアを振り下ろすと、デュラハンは俺の攻撃を片手で構えたバスタードソードで受け、左手を俺の腹部に向けた。
瞬間、デュラハンの手の平には雷の魔力が発生し、強烈な雷撃が俺の腹部を直撃した。魔装に守られているとしても、敵の魔法を腹部に受ければ無傷で済む筈も無く、魔装は粉々に砕けて皮膚が燃えた。
腹部からは血が滴り落ちているが、傷は瞬く間に塞がり、魔装は徐々に形状を復元し始めた。何と便利な防具だろうか。やはりこの黒の魔装は俺と相性が良い。まるで目の前に居る敵を討ち果たせと言わんばかりに、俺の体内に魔力を供給してくれる。魔装も戦いを望んでいるのだ。俺と魔装は一心同体。魔装が俺に膨大な量の魔力を供給し、体内の魔力が燃えると全身に力がみなぎった。
「そいつには敵わない! すぐに逃げるんだ!」
「いいえ、俺はいかなる戦いからも逃げませんよ」
「馬鹿を言うな! そいつは剣聖、クラウディウス・シュタインなんだ!」
犯罪を犯そうとしていた墓荒らしが必死になって俺を止めようとしているという事は、このデュラハンは本当に関わってはならない魔物なのだろう。剣聖、クラウディウス・シュタイン? 聞いた事も無いが、この地域の英雄的な人物なのだろうか。
デュラハンは左手から雷撃を放ち、次々と攻撃を繰り出してきたが、俺は敵の魔法に合わせ、炎を纏わせたクレイモアで雷撃を切り裂いた。エンチャント状態のクレイモアは、同等の魔力から作られた攻撃魔法を打ち消す事が出来る。敵の実力を読み違えた場合には、相手の魔法を直撃する事になるが、大抵の魔法はクレイモアで叩き切ればなんとかなる。
デュラハンは自分の魔法を打ち消された事が気に触ったのか、両手でバスタードソードを構えて切りかかってきた。反射的にデュラハンの攻撃をクレイモアで受けると、敵の攻撃強さに耐えきれずに、クレイモアは遥か彼方まで吹き飛んだ。武器を失った瞬間、とっさに後退して墓荒らしを担ぎ、デュラハンに向けて火の魔力を放出した。
「ファイアボール!」
全力で炎の球を飛ばすと、デュラハンは俺の炎を切り裂いたが、全身に炎を浴びて立ちすくんだ。鎧の体に炎の魔法は通用しないのか、それでもかなりのダメージがあったのだろう、デュラハンが地面に膝を着くと、俺は一旦墓地から出る事にした。武器も無く、墓荒らしを守りながらデュラハンとやり合う事は不可能だ。
「すまねぇ……助けて貰って」
「大丈夫ですか? 墓荒らしなんてしない方が良いですよ」
「ああ! もうしねぇとも! まさかデュラハンが居るなんて思わなかったんだ!」
「さっき話していた剣聖とはどういう事ですか?」
「俺もレマルクに来たばかりだから詳しくは知らないが……」
俺は墓荒らしから剣聖、クラウディウス・シュタインについて詳しく教えて貰った。十五歳で冒険者になり、二十五年間、報酬すら受け取らずにレマルクを守り続けた英雄。四十歳の時に妻と娘を幻獣のゲイザーに殺され、剣聖自身も復讐のためにゲイザーに挑んだが、首を切り取られて一撃で命を落としたのだとか。
「剣聖はデュラハンとなって、ゲイザーに復讐するつもりらしいが、ゲイザーなんて魔物は国家魔術師でもない限り、とても太刀打ちできんのだ!」
「剣聖もゲイザーを恨んでいるんですね。それは良い情報です……」
もしデュラハンの力を借りる事が出来れば、ゲイザー討伐も夢では無いかもしれない。丁度前衛職が欲しいと思っていたところだ。実力は俺よりも遥かに上。冒険者としての知識もあり、剣と魔法を使いこなせる。これ程優れた魔物が存在するだろうか。強烈な復讐心が剣聖だった頃の正しい思考を失わせているのだろうが、俺がゲイザー討伐を手伝うと言えば、きっと心を開いてくれる筈だ。
「それじゃ、俺はレマルクに戻るよ。足を洗って冒険者として暮らす事にする」
「ええ。それが良いですよ。それではお達者で」
「ああ! ありがとうよ! 最後に名前を教えてくれないか?」
「俺はクラウス・ベルンシュタインです」
「まさか……! 剣鬼か? 剣鬼が剣聖と剣を交えたとは! 道理で強い訳だ。町でこの話をする事にしよう。剣鬼ならかつての剣聖を止められるかもしれないってな!」
「そうですね。俺がデュラハンを改心させてみせます」
墓荒らしは冒険者として生きる事を固く誓ったのか、俺にシャベルを差し出すと、俺はシャベルを真っ二つにへし折った。きっと長年このシャベルを使って墓を荒らしていたのだろう。墓荒らしは静かにすすり泣きながら、新たな人生を歩む覚悟を噛みしめる様に、一歩ずつ力強く歩き始めた……。
それから俺はデュラハンに弾き飛ばさえたクレイモアを探し出し、墓地から程近い場所で再び食事を摂った。報酬すら受け取らず、二十五年間も民を守り続けた聖人の様な冒険者が、どうして墓地で人間を襲っているのだろうか。復讐に燃えて己を追い込み、更なる力を得るために奮闘するのは良い事だが、自分自身が守り続けてきたレマルクの人間を襲うとは。
死の際に肉体を失い、強い復讐心が魂を鎧に憑依させた。デュラハンはかつての善良な剣聖の心を失っているのだろう。俺が目を覚まさせなければならないな。徹底的の叩きのめし、一人ではゲイザーを倒す事は出来ないと思い知らせよう。
そうすれば俺に協力を請うに違いない。今まで何度もゲイザーに挑み、その度にゲイザーの炎を浴びて神殿から逃げ出しているのだ。恐らく、彼も一人ではゲイザーを討伐出来ないと気づいている筈だが、復讐心が判断力を鈍らせているのだろう。
それから俺は飽和状態まで栄養を詰め込み、三時間ほど永遠と素振りをし、筋肉が完全に温まった時、デュラハンを叩きのめすべく、再び墓地に足を踏み入れた……。




