第三十四話「憧れと復讐心」
森を進むと美しい湖に到着した。ここはリーゼロッテさんが仕事終わりに剣の練習をしている場所なのだとか。俺達は湖の畔に腰を降ろすと、リーゼロッテさんは鞄からサンドイッチを出してくれた。久しぶりの新鮮な野菜に感動しながらも、俺はリーゼロッテさんと雑談をしながら、ゆっくりと過ぎてゆく時間を堪能した。
「私、ベルンシュタインさんに憧れているんです。ベルンシュタインさんが率いるパーティーが幻獣を討伐したと知ってから、私はますます剣の技術を磨き、魔法の練習を重ねてきました。いつかはベルンシュタインさんに追いつくつもりで己を追い込んでいるんです」
「それは光栄です。俺も今は国家魔術師になるために訓練を積んでいるところです」
「剣鬼が国家魔術師ですか……一体どんな国家魔術師になるのか、本当に楽しみです。毎年国家魔術師を合格するのは、魔力が高く、攻撃魔法に特化した魔術師ばかりですから」
「剣士だって国家魔術師になれると証明してみせますよ」
「やっぱり故郷を襲ったデーモンを仕留めるためですか……?」
「そこまで知っているんですか? 俺の事について随分詳しいんですね」
「はい。レマルクでもかなり話題になっていますから。十五歳の冒険者がアーセナルのギルドマスターと協力し、たった四人でゴブリンロードを仕留めたと」
「仲間の力があったから倒せたんですよ。それに、ヴィルヘルムさんのためにも何が何でもゴブリンロードを倒すと決めていましたから」
俺はヴィルヘルムさんの過去の話を少しだけリーゼロッテさんに話すと、彼女は深刻そうな表情を浮かべて俺を見つめた。
「実は、私も愛する人を幻獣に殺されているんです」
「本当ですか……?」
「はい。私の両親は幻獣のゲイザーに殺されました。二年前の事です。冒険者をしていた両親が、レマルクの西部に位置する神殿でゲイザーと遭遇し、命を落としました」
「幻獣のゲイザーですか? ちょっと聞いた事がありません……」
「そうでしょうね。生息数が少ないですし、ゲイザーは室内で人間を待ち伏せ、侵入者を捕食する魔物なので、なかなか目撃情報もありません。しかし、ゲイザーは私の両親を殺めた後も、神殿を拠点にしているのだとか」
「アドリオンの国家魔術師に討伐の要請をしないんですか?」
「レマルクの市長が何度も要請していますが、国家魔術師達は誰一人としてゲイザーの討伐に乗り出そうともしません。というのも、ゲイザーは神殿から出る事がないので、神殿に入らなければ一切の被害はない、だからわざわざ討伐する必要もないと考えているみたいですよ。こんな時に国家魔術師のベル・ブライトナーが生きていたら、きっと駆け付けて討伐して下さったと思うのですが……」
神殿で侵入者を待ち伏せる幻獣のゲイザーか。これは挑戦してみる価値がありそうだな。何より、地域の人達がゲイザーに怯えている事は事実だ。しかし、俺を町に入れる事すら認めないレマルクのために、わざわざ幻獣討伐に乗り出す必要はあるのだろうか。
ゲイザーは神殿に侵入しなければ襲ってくる事もない。レーヴェを襲ったデーモンと違い、積極的に人間を殺めて回る悪質な魔物ではない。魔物と戦う力がない者が神殿を探索し、たまたま遭遇した魔物に殺されるのは仕方がない事だ。魔物だって侵入者から自分の命を守るために戦っている。もしゲイザーが神殿から出て市民を襲う様なら、勝算がなくても挑戦するべきだ……。
「私は両親を殺したゲイザーに復讐がしたいんです! ベルンシュタインさんもデーモンに復讐するために冒険者になったのでしょう?」
「気持ちは分かりますが、リーゼロッテさんがゲイザーに挑んで命を落とせば、天国に居るご両親も悲しむと思いますよ」
「それじゃ、家族を殺されて引き下がれって言うんですか?」
「そうは言ってません。実力を十分につけた時に、圧倒的な力で敵を叩き潰せば良いと思います。失礼ながら、今のリーゼロッテさんから感じる魔力の強さでは、幻獣を倒す事は不可能だと思います」
「それは私も分かっています! 復讐はしたいけれど、弱い自分に毎日腹が立っているんです。ですから、たった四人で幻獣を仕留めたベルンシュタインさん達を尊敬しているんです。私も仲間が居たら、もしかしたらゲイザーを殺せるかもしれない……」
それから俺はリーゼロッテさんからゲイザーについて詳しく説明を受けた。一つ目の魔物で、体内に火属性と雷属性を秘めており、全身が無数の触手で包まれているらしい。体の大きさは個体によって異なるが、神殿を棲家にしているゲイザーは体長七メートル程の大きさなのだとか。
実物を見た事がないから想像も出来ないが、体長七メートルの一つ目の魔物と聞いただけでも、俺は決して関わりたくないと感じた。それに、全く性質の異なる属性、火と雷を操り、無数の触手の先端は刃物の様に鋭利なのだとか。極めつけは、ゲイザーの触手は切断してもすぐに再生し、ゲイザー自身は浮遊する事も出来る魔物らしい。
宙を浮く無敵の魔物としか表現出来ない。国家魔術師達がわざわざ命を懸けてゲイザー討伐に乗り出さない気持ちも理解出来る。地域に甚大な被害を与える魔物が出現した時には、所属する王国内なら必ず国家魔術師が魔物討伐を行わなければならないが、特定の建物内に隠れ住み、侵入者以外には攻撃をしない性質を持つ魔物は討伐対象ではないのだとか。
「国家魔術師達は、『ゲイザーは放置しておけば餓死するだろう』と考えているみたいですよ。わざわざ自分達が危険を犯してまで討伐すべき魔物ではないと思っているのでしょう」
「確かに、魔物も食料が無ければ餓死しますよね。ですが、ゲイザーはまだ生きているのでしょう?」
「ええ。時折、自分自身の力を試したいのか、冒険者として名を上げたいのか、無謀な人間がゲイザー討伐に挑戦して命を落とすんです。ゲイザーはそんな人間だけを喰らって生きているみたいなんです。体はかなり大きいのですが、生きるために必要な栄養は、人間一人分でも一年は生きながらえる事が出来るのだとか」
「人間一人で一年ですか。それはなかなか餓死しない訳ですね」
「そうなんです……」
リーゼロッテさんはレイピアを抜くとタワーシールドを持って俺に笑みを浮かべた。艶のある長い髪が風になびき、紫水晶の様な美しい瞳で俺を見つめている。年齢は三歳上らしい。ヴィルヘルムさんと同い年という訳だ。一体なぜ武器を構えているのかは分からないが、きっと俺と剣の稽古をしたいのだろう。
クレイモアを抜いて構えると、リーゼロッテさんはレイピアで容赦ない突きを放ってきた。物理攻撃の威力はヴィルヘルムさんの魔力を込めた拳の一撃よりも高いが、エンチャントを掛けたティファニーの物理攻撃よりも遥かに軽い。
それからリーゼロッテさんが次々と高速の突きを放ってきたが、俺は彼女の攻撃を全て受け止めた。リーゼロッテさんの戦い方は模範的な剣士の剣さばきという感じがして、攻撃の予測が容易い。ヴィルヘルムさんの様に、魔術師なのに全力で敵を殴ったり、ティファニーの様に武器と体に風を纏わせて、攻撃速度と移動速度を強化しながらも、遠距離攻撃と近距離攻撃を使い分ける様な意外性がないからだろうか。
全ての攻撃を片手で受けると、リーゼロッテさんは遂に魔法を解禁した。レイピアの切っ先を俺に向けると、強烈な光を放出した。この魔法は聖属性のホーリー。バラックさんが得意とする攻撃魔法で、闇属性の魔物に絶大な効果がある。俺の目をくらませるために使用したのだろうが、体内に闇属性を秘める悪魔の俺には、ホーリーの魔法はまるで肌が焼ける様に痛い。
突然の魔法に狼狽しながらも、左手でリーゼロッテさんのタワーシールドを殴りつけると、リーゼロッテさんの体が遥か彼方まで飛んでいった。戦闘で手を抜く事を知らないからか、つい攻撃を受けて反撃してしまった。しかし、武器すら用いていない一撃で怪我をする様では、とてもではないが己の剣で市民を守る事など不可能。ましてや幻獣討伐は到底不可能だろう。
リーゼロッテさんは疲れ切った表情を浮かべながらも、興奮を隠しきれない様子で俺に歩み寄ってきた。レイピアを鞘に仕舞うと、盾を地面に置いて跪いた。
「剣鬼、クラウス・ベルンシュタイン。どうか私に戦い方を教えて下さい! 私はゲイザーを仕留めなければ怒りが収まりません! 両親の仇を討たなければ、私は前に進めないんです! ゲイザーに復讐がしたいんです。復讐のための人生なんて愚かだと衛兵長は言いますが、それでも私は復讐がしたいんです!」
「ゲイザーに復讐ですか。その響きは好きですよ。いいですね……敵が強ければ強いほど燃えてきますよ。国家魔術師になってからゲイザーを倒すか、今ゲイザーを倒すか。大した違いはありませんからね」
「それでは、一緒にゲイザーを討伐して貰えるんですか?」
「はい。二人でゲイザーを仕留めて両親の無念を晴らしましょう! 復讐のための人生、上等じゃないですか。俺もデーモンに復讐するために生きていますから」
「ありがとうございます! ベルンシュタインさん……!」
「リーゼロッテさん、俺の事はクラウスと呼んで下さい。俺達パーティーはあと二日間レマルクに滞在する予定なので、俺の方からも仲間を説得してみます」
「クラウスさん……本当にありがとう。出会ったばかりなのに私に同情してくれて。やっぱり剣鬼は強いだけの冒険者ではなかった。初対面の私の気持ちまで理解してくれるなんで。本当に心が温かい人なんですね……」
「どういたしまして。それから、俺の方が年下なんですから、敬語も必要ありませんよ」
リーゼロッテさんと固い握手を交わすと、俺達はゲイザーを仕留めるための作戦を練りながら、二人で森を歩き始めた。
敵が火属性と雷属性を秘めているなら、属性敵には不利ではない。幸い、俺自身が火属性の使い手だから、敵の攻撃魔法に合わせて魔法を使用すれば、敵の魔法を打ち消す事が出来る。勿論、威力があまりにも違いすぎれば、俺の炎ではゲイザーの炎を止める事は出来ない。しかし、こちらには氷の壁作りを極めた男が居る。ヴィルヘルムさんがアイスウォールの魔法でゲイザーの炎を遮断する事が出来れば、反撃の機会を得る事が出来る。
それに、ティファニーが遠距離からウィンドブローやウィンドショットを連発すれば、着実にダメージを与える事が出来るだろう。敵の触手の攻撃は俺とリーゼロッテさん、ヴィルヘルムさんが防ぐとして、攻撃はティファニーただ一人となると、戦力的に厳しいかもしれない。せめて前衛職か魔法職がもう一人居れば有利に戦えるのだが……。
そろそろ仲間を増やすのも良いかもしれないな。人間の仲間ではなく、バラックさんのファントムナイトの様に、信頼出来る召喚獣なんかも良いかもしれない。新たな仲間については後で考える事にして、まずは今日の寝床を探さなければならない。せめて馬車があれば荷台で眠る事が出来たのだが、今更嘆いても仕方がないだろう。
「それではクラウス、また明日」
「はい、リーゼロッテさん。それではまた」
俺はリーゼロッテさんと再会を約束してから森に戻り、今夜の寝床を探すために歩き始めた……。




