もっと恋人らしくなりたい墨俣くん③
結局、自力で人間に戻るのに、いつもより時間を要した俺は、復学して以来、初めて講義を無断欠席した。
その後は、若干呆けたまま、残りの経営学科の講義を受け、魔法屋も数時間だけ営業し、マンションへの帰り道に至る。
(…ちゃんと、観月さんに謝らないと。)
一瞬、進藤教授に何の話だったのか探りを入れようかとも思ったけど、そんな回りくどいことはもうしない方がいいんだろうなと、何となく分かった。
俺は、こう見えて大抵のことは案外器用にこなせるし、人間関係も仕事上なら特に困らない。
だけど、プライベートな関係になると、自分でもどうかと思うくらいポンコツだ。
そもそも自ら関わりたいと思える人間が、今までも、これからも観月さんくらいだから、活かせる経験値というものが皆無だ。
マンションの鍵を恐る恐る開ける。
「?!」
妙な匂いが漂ってきて、思わず手で鼻を塞ぐ。
「み、観月さん?!大丈夫?!」
「おかえり。」
観月さんは普段と変わりない様子でこちらを振り向く。
ただ、その手には圧倒的に怪しさしかない、仄かに発光している緑の液体の入った瓶を持っていた。
「あ、ごめん。まだ匂う?鼻がバカになってるのかな?」
観月さんは台所に行って換気扇のスイッチをつける。
ゴーッという音を確認し、またリビングに戻ってくる。
怪しい瓶は持ったままだ。
「え、っと、それは?」
「あ、これ?これは初めて作ったんだけど、魔法薬で、即効性の睡眠薬。」
「え、…眠れないの?」
「違う。墨俣と安全に話すために作った。」
「え。」
(…なんというか、もはや猛獣扱い。)
一瞬、二人の間に沈黙が流れる。
「あの…」
「すみませんでした!!」
二人同時に口を開き、観月さんは俺の唐突な謝罪に驚いて口を閉じる。
「俺は、観月さんにやりたいように、やって欲しいのに、つい、あんな束縛するようなやり方…。」
「謝ってくれるなら、別にいいけど、なんであんなこと言ったの?」
観月さんは、もう昼間の出来事を全く引きずっていないのか、あっけらかんと俺の行為を許してくれる。
…まぁ、手の睡眠薬は持ったままだけど。
「…観月さん、進藤教授の扶養に入ったりしないよね?」
「は?あり得ないけど。なんで?」
「娘になったら、毎月お小遣いあげるとか言われても?!」
「……まぁ、うん。」
「今一瞬迷った?!」
「いや、ないない。今日もお金出してもらうの断りに行こうとしてたんだし。」
「え?お金?」
観月さんは、うーんと、口ごもり、なぜか一瞬頬を赤らめてから、また口を開く。
「そもそも、墨俣のせいだし。」
「俺?」
「あんたが、扶養とか言って、婚姻届まで持ち出すから。」
「!」
俺は、観月さんの告白のあと、ものすごく浮かれていた。
そして扶養の約束も受け入れてもらえて、すぐに婚姻届を取得して、観月さんに見せた。
その時の観月さんの表情は、かなり驚いて戸惑っているように見えた。
俺は自分がかなり先走っていたことに気づいて冷静になり、書類は引出し奥に封印した。
「婚姻届って、成人の証人のサインが要るんでしょ?私そんなの頼める知り合いいないし、仕方ないからピンクキャットのオーナーとか、お姉さんたちに頼んでみたら、『進藤教授に殺される』って誰も引き受けてくれなくて…。」
確かに彼女の婚姻の証人を、進藤教授を差し置いて、進藤教授に所縁のある人がしたら、あの男はかなり根に持ちそうだ。
「仕方ないから、ものすごく嫌だったけど、進藤教授に頼んでみたら、単位を一つも落とさずに、薬学部の入試に受かったらサインするとか言ってきて。しかも魔法の効果もある二日酔いの漢方薬も欲しいとか言い出して。」
最近の観月さんの忙しさの理由がやっと判明した。
(二日酔いって、あの人ザルじゃん。明らかな嫌がらせ…。)
本当に薬学部への編入を決めたなら、なんなら大学は中退してもいいのだし、漢方薬の勉強も並行する必要は無かったのだ。
「な、なんでそんな無茶な条件…俺に相談してくれれば他に証人なんて。」
「だって、それをクリアしたら薬学部の入学金払ってくれるって言うから。」
(やっぱり金につられてる!!)
「でも、そんなの待ってたら、もし浪人とかなったら、墨俣と結婚するのいつになるか分からないし、やっぱり断って、常連さんのマダム1号か2号に頼もうかなって…。」
(ん?その言い方だと…)
「観月さん、もしかして、俺と結婚してくれるの、結構前向き?」
『!!』
観月さんは自分の発言に含まれていた意味合いを、今しがた自覚したのか、また顔を薄らと赤らめる。
「…はじめは、何言ってんの?って思ったよ。でも、私もう家族居ないし、結婚ってなったら、墨俣が家族になってくれるのかって思ったら、…その、なんか、じわじわ嬉しくなって…。」
やばい、俺も顔が熱くなってきた。
一歩、観月さんとの距離を詰める。
逃げる様子は無い。
瓶を持つ手と、反対側の手を、そっと握ってみる。
もう一歩身を寄せると、ギリギリ触れてはいないけど、体温の温かい熱が伝わってくる。
「…証人は、観月さんが良いなら、俺が何とかするよ。うちのおじいさんは書いてくれるだろうし、あとは母親か、兄か、まぁお父さんは現状俺に逆らえないから頼めば書くだろうし。もちろん、書いてくれるならマダムでもいいし。」
「…うん、ありがとう。」
「薬学部の入学金も、店とオンライン販売の売り上げも好調だし、社員への投資という意味で全然、予算で出せるよ。」
「え?そうなの?」
「うん、…あと、お、"夫"という立場なら、"妻"の夢を応援したいし。」
「お、夫…」
「あの、抱きしめてもいいですか?」
「うん。いい。」
今度こそ、許可をもらってぎゅっと抱きしめる。密着すると、昼間も香った仄かに甘い香りがする。
脳が沸騰しそうだ。
正直付き合う前に平気で彼女の隣をウロチョロしてた自分が、意味わからない。
「キス、してもいいですか?」
「うん。いい。」
顔だけ少し離して、見つめ合ってから、そっと唇を触れ合わせる。
温かくて柔らかくて、俺はなぜか泣きそうになった。
「え?大丈夫?」
たぶん涙ぐんでいる俺を見て、心配そうな表情を浮かべている。
彼女はほんとに優しい。
「どこまで、触れてもいいですか?」
肩に手を添えたまま、顔を離してその瞳を覗く。
長いまつ毛で縁取られた、深く真っ黒な、まるで人を惑わせる魔法使いの瞳。
「結婚して、責任とってくれるなら、どこまででもいい。墨俣なら、尚なら、いつも、なんか全部嫌じゃないから。」
そう言って恥ずかしそうに俺を見つめる彼女は絶対に俺にまた魔法をかけた。
俺はそう確信した。
だって彼女のこと以外何も考えられなくなったから。
おしまい




