第45話 子供部屋
扉を開けて中に入ると、そこはまるで小さな子供部屋のような空間だった。
部屋には子供用の学習机と椅子が二つ並べられている。一つは使い古されていて、机も椅子も所々汚れている。机の上には文房具や教科書が散らばっていて、机の端や引き出しにはシールが貼り付けられ、生活感に溢れている。
対してもう一つの机は、とても綺麗な状態で、机の上にふわプーシリーズの白いトイプードルのぬいぐるみが飾られているだけだ。机も椅子も綺麗なまま。新品なのだろうか。
床にはおもちゃやゲーム機などが散乱しており、部屋の真ん中にある座卓には写真立てが置かれていて、女の子と男の子が写っている。が、なぜか男の子の顔が暗くなっていて、よく見えない。
そして、部屋の右隅には、小さな本棚に数冊の本が整然と並べられている。
そこから一冊の本を手に取ると、タイトルに『哀宮由実』とあり、その下に小さく日付が記されている。
本の中身を確認しようとするが、まるで強力な接着剤でくっつけられたかのように、本が固く閉ざされていて、びくともしない。
「この部屋の本棚には、哀宮由実の生涯の一部...というより、具体的に言うと、哀宮由実が死ぬ数日前までの本が日付順に並んでいる。
この本棚で一番古いのは、この赤い本。そして次に古い本がこっちの緑の本」
もこ太は本棚の近くへふわふわと飛びながら、片羽で本を指差して説明している。
「この扉が開いた時はなぁ、もしかしたら、このループの根本になる哀宮由実の死を無かったことに出来るかも...なんて期待したが...」
もこ太は先ほど『この本棚で一番古い本』と説明した赤い本を見つめている。
「一番古い本が『赤い本』なんだよなぁ。
この赤い本の日付に彼女の死が確定しているのだとしたら...。これより前の緑の本に戻らないと、過去を変えることはできない。
なーんで一番古い日付の本が緑じゃなくて赤なんだよって話。腹立つよな」
もこ太は赤い本に向かって軽く体当たりして、八つ当たりしている。
「まあ、どのみち、彼女が死んだのは私が死ぬ一ヶ月以上も前のこと。私の霊力じゃ、そこまで過去に遡れないから、彼女を救うことはどうせ出来ませーーん」
そう言うと、座卓の上に寝そべり、両羽を力無く広げて脱力している。
「つまり、もこ太の話を要約すると...こう?
もこ太は、時を遡る能力を使って、様々な情報を集めて、偽物の蓮さんを倒すのは無理だと分かった。
でも彼を止めないと連続殺人事件は終わらない。
そして、彼の殺人の目的は、由実さんを生き返らせるためだった。
その由実さんの死を無かったことには出来ないから、彼女を殺して、偽物の蓮さんの殺人の理由を無くすことで、殺人事件を終わらせようってこと?」
「おう、せいかーい。お前にしちゃ、飲み込みが早いな」
「僕の家に住み着いたのも、色々と理由はあると思うけど...。何度も過去を遡ってきたもこ太なら、今日、この日に由実さんが僕の家に来るって分かってたから...。このタイミングで殺す...ため?
今思うと、温泉に付いて来たのも、由実さんを殺すために必要な拳銃が、教会にあるって知ってたから...?」
言いづらい内容なのだろうか、もこ太は気まずそうに視線を泳がしながら、躊躇いがちに口を開いた。
「まあ...うん。だいたい...合ってるな。
...別に、哀宮由実を殺すのに、わざわざ拳銃を使う必要なんて、ねーけど。でも、前に、ナイフで殺そうとして、上手くいかなくて...。その...、一発で殺せないから、痛がって...どうせ傷なんてすぐ回復するけど、刺した時は痛がるんだよ、あいつ...。
どれだけ悪霊を狩りまくったこの西葉蓮様でも、人を殺した経験なんて...ないから...。
せめて、自分が使い慣れている『銃』なら、もっと楽に殺せるかなって...。
それに、お前の家に住み着いたのは、お前という存在がランダム要素を含む存在だったからってのもある」
「ランダム要素?な、なんですかそれ?」
「過去ってのは面白いもんでよ、仮に同じ未来に辿り着くとしても、過程が変わることがあるんだ。
お前は、榎本と違って頭で動くより、その時の感情というか、直感で動くことが多いタイプだろ?そういうやつは、たとえ同じ未来に辿り着くとしても、過程が変わったり、未来そのものを変えることもある。
そういうやつと時を共にする方が、収集できる情報が多いからな」
「なんとなく..理解したよ。もこ太がどうして僕と一緒にいたのか、そして、なんで由実さんを殺そうとしてたか...」
もこ太が由実さんを殺す動機も、僕の家に住み着いた理由も、もこ太の本来の目的も、理解は出来る。でも、そのやり方に、賛同は出来ない。
「僕は、その上で、もこ太のやり方に賛同出来ない」
もこ太は僕の言葉を聞いても、さして驚くこともなく、寝そべりながら大きな欠伸をしている。
「ちょっと!欠伸しないで真剣に聞いてよ」
「わーってる。分かってるから。ほら、話、続けろ」
明らかに、人の話を聞く態度ではないもこ太に対して苛立ちを覚えるが、僕は構わずに話を続けた。
「そもそも、由実さんを殺しても、偽物の蓮さんが必ず殺しを辞めてくれる保証なんて、どこにもないよ。
もし、由実さんが殺されたと彼が知って、殺人を辞めるどころか、逆に自棄を起こして、色んな人を殺したら、どうするの?
わざわざ他人を殺してまで生き長らえさせている彼女の死を、彼があっさりと受け入れるとは思えない!」
「やつが自棄を起こして冷静さを欠けば、必ず隙が出来るはずだ。その隙をついて、やつに勝つことが出来るかもしれない、だろ?」
「...それで亡くなる街の人はどうでもいい、と?」
「...まあ、そうなったら、数人の犠牲は仕方ないだろうな」
「...なんか、蓮さん...らしくない...です」
僕は全身を震わし、両手の拳を強く握り締める。
僕は、もこ太の意見が、もこ太として...というより、僕がずっと憧れとして追いかけきた『蓮さん』の言葉として、受け入れられなかった。
「だって、こんな不確かな方法で勝とうとするなんて、蓮さんらしくないですよ!!いつも、『最強』の名の通り、その強さで敵を圧倒して勝つのが蓮さんじゃないですか!!
こんな...不確かな方法のために、人殺しまでしようとして」
「春野」
初めてもこ太から「春野」と呼ばれて、一瞬、呼吸が止まった。もう、何ヶ月も、会っていなかった人に、突然呼ばれたかのような、懐かしい響きがする。
「私はもう、強くないんだよ。時を遡れたとしても、物理的な強さは、ほとんど無い。殴って戦ったとしても、相手からしたら、この羽がちょっとくすぐったいくらいだ。
...弱いやつはな、勝ち方を選べないんだ。
お前のいう通り、彼女を殺したところで、正直、上手く行くかなんて分からねぇ...。
でも希望があるなら、私は試してみたい。人なんて殺したくなくても、それでしか勝てないなら、やるしかないんだ」
もこ太は、譲らない、と言ったように覚悟を決めた目でこちらを見ている。
「...でも、僕はやっぱり、こんな方法じゃなくて、もっとちゃんと」
「『僕があの人を説得するから、少し待って欲しい』ってか?」
「...!!!」
またも自分の心を言い当てられ、心臓の鼓動が跳ね上がる。
「はあ...。私がお前に、西葉蓮だと明かした時、『なんでもっと早く教えてくれなかったの?』って、聞いたよな?その理由が、これだよ」
もこ太は僕の顔の近くまで飛び、羽を使って僕のおでこをデコピンで小突いた。
「お前はな、どのループでも、いつもそう!必ず相手と話し合いをしようとするんだよ!
ランダム要素が多いお前でも、これだけはいーーっつも一緒なの!そんで、お前はどうなるか分かるか!?」
「どうなるって、普通に話し合いをして」
僕の返答に対して、気に食わなかったのか今度は右目に思いっきりデコピンをされた。羽の先が目に掠って痛い。
「お前はあいつに話し合いを持ちかける。あいつは真相を知るお前を、そのまま放っておくわけがない!
お前は殺される!!それで終わり。ジ・エンド!
こうなるって分かってたから黙ってたんだよ!
お前に真相を打ち明ければ、お前は私がどんなに止めても、あいつを説得しようとするんだ...。
だから、今回こそは!大人しくしておけよ!!分かったな!?」
最後にトドメの一発として、強めのデコピンを鼻にくらった。
「...もこ太は、何度でも過去に戻れる。もし失敗しても、またやり直せばいい。そう、思ってるのかもしれないけど。
でも、僕にとっては、これが最初で最後の、時間なんだ。だから、後悔しない選択を...取りたい」
デコピンされて少し赤くなっている鼻を手で押さえながら、僕は自分の揺るがない意思を伝えた。
もこ太は僕の言葉に対して、すぐに返事をせず、目を吊り上げ激怒している表情でただ僕を見ていた。
が、元の表情に戻ると、また脱力したように座卓の上に寝そべった。
「...あっそ。はいはい、分かった。勝手にしろ」
「え?いいの?」
もっと反対されると覚悟していたが、あっさりと承諾を得ることが出来た。
「こうなっちまったら、お前を説得出来ないことはもう確定してんだよ。頑張ってもむだむだぁー」
もこ太は「む〜だむだむだぁ〜」と、まるで歌のように口ずさみ、座卓の上をコロコロと転がり回っている。そして、座卓の写真立ての前でぴたりと止まり、写真の男女を眺めている。
「...いいか?お前が死んでも、お前を助けるために過去を遡ったりしねーからな?お前が死んだ時点で、お前の作戦は失敗したとみなして、私は哀宮由実を殺す作戦に移行する」
「それでいいよ!過去がどうであれ、今回こそは必ずやり遂げて見せるから!」
(あの偽物の蓮さんには...まだまだ話したいことが山ほどある。このまま黙って見ているだけなんて、したくない!!僕は僕のやり方で、彼を止めたい!!)
僕は気合満々にガッツポーズをして見せた。もこ太は僕の気合いとは裏腹に、落胆したような表情で長い息を漏らす。
「...今回も...どこで間違えたんだろ...」
もこ太が疲弊し切った様子でぼそりと吐き出すその声に、僕は耳を貸さなかった。




