第40話 闇からの誘い
あの、重く、変形した金属製のドアが、「ギィ」という耳障りな呻き声を上げ、ゆっくりと内側へ開いた時、龍園蓮の瞳にあった、あの暴虐さと殺気は、瞬く間に、きれいさっぱりと、収まった。
彼は、また、あの、知的な、優雅で、動じない龍園顧問に、戻っていた。
まるで、先ほどの、残虐で、地獄の修羅のような男が、ただの、綾辻澪の幻覚だったかのように。
彼は、入口に立つ、あの、白いドレスを着て、顔には少し埃がつき、どこか狼狽しているが、その眼差しは、異常なほど明るい少女を見つめ、わずかに、唇の端を吊り上げた。
「どうやら、遅刻は、しなかったようですね。」
澪は、何も言わなかった。
彼女の視線は、彼を通り越し、彼の背後の、あの、既に意識のない、橘拓海という名の、ぼろ屑の上に、落ちた。
そして、彼女の視線は、ゆっくりと、蓮の、あの、黒い革手袋をした、きれいに拭き取られているが、それでも、どこか血の匂いがするような、手に、戻った。
彼女は、普通の少女のように、悲鳴を上げず、恐怖も、詰問も、しなかった。
彼女は、ただ、静かに、彼を見つめ、そして、ほとんど、平穏な口調で、蓮でさえも、少し、意外に思うような質問を、投げかけた。
「彼は……死にますの?」
この質問は、同情からでもなければ、恐怖からでも、なかった。
それは、ほとんど、冷酷な、「処理結果」の、確認だった。
蓮は、深く、彼女を一瞥した。
彼は、目の前のこの少女の、その心臓が、彼が想像していたよりも、遥かに、硬く、そして……暗いことを、知った。
「死にません。」彼は首を振り、その口調は、平穏だった。「死は、彼には、安すぎます。」
「彼を、ある場所へ、送ります。地獄よりも、少しだけ、面白い場所へ。彼の、これからの人生、全てを、終わりのない後悔と恐怖の中で、生き地獄を、味わわせてやります。」
彼は、それを、あっさりと言ったが、その言葉の内容は、それを理解できる者なら、誰でも、毛骨悚然とするものだった。
澪は、理解した。
彼女は、拓海を待つのが、どのような、生き地獄の結末であるかを、想像することさえできた。
彼女は、しばらく、沈黙した。
そして、ゆっくりと、頷いた。
「結構ですわ。」
彼女は、ただ一言、そう言った。
この一言が、彼女の、承認を、受諾を、表していた。
そして、彼女が、自分の、あの無邪気で、可笑しな憎しみに、一つの、終止符を打ったことをも、表していた。
彼女は、元々、復讐とは、仇敵に、相応の罰を受けさせることだと思っていた。
しかし、蓮は、彼女に、真の復讐とは、終わりではなく、むしろ……永遠に終わらない、苦しみであることを、理解させたのだ。
「行きましょう」と、蓮は自分のスーツのジャケットを脱ぎ、以前の、いつものように、自然に、彼女の、あの、か細い肩に、掛けた。「ここは、間もなく、誰かが、きれいに、『掃除』しに来ます。あなたのような、お嬢様が、見るべきものでは、ありません。」
彼のジャケットは、彼の体温と、どこか、硝煙と血の匂いが混じり合った、奇妙な香りが、した。
この香りは、本来、彼女を、恐怖させるはずだった。
しかし、なぜか、今、彼女に、未曾有の……安心感を、与えた。
澪は、肩のジャケットを、整え、拒まなかった。
彼女は、彼に従い、あの、間もなく、世界から、全ての痕跡を消される、「犯罪現場」から、出ていった。
終始、彼女は、二度と、拓海を、振り返ることはなかった。
彼らが、クリエイティブパークを出て、蓮の、あの、控えめな黒いセダンに、乗り込んだ時。
澪は、ようやく、口を開いた。
「龍園さん。」
彼女は、彼の名を呼んだ。その声は、とても、軽かったが、はっきりとしていた。
「はい?」蓮は、彼女のためにシートベルトを締めながら、その声に、動作を止め、横を向いた。
二人の間の距離が、再び、縮まった。
車内の狭い空間で、雰囲気は、どこか、微妙になった。
澪は、彼の、あの、間近にある、自分の姿を映す黒い瞳を見つめ、初めて、避けもせず、警戒も、しなかった。
彼女は、ゆっくりと、手を伸ばし、ひんやりとした指先で、そっと、彼の、あの、先ほどの格闘で、うっかり、擦りむいた、額のかすかな傷に、触れた。
彼女の動きは、羽毛のように、軽やかだった。
「痛みますの?」と、彼女は、小声で、尋ねた。
蓮の体が、瞬く間に、硬直した。
彼は、彼女の指先のひんやりとした感触と、あの、どこか、恐る恐るした、不器用な、気遣いを、はっきりと、感じた。
これは、彼女が初めて、自ら、彼に、「柔らかさ」を、見せた時だった。
彼の喉仏が、制御不能に、上下した。
彼の、瞳の奥深くで、彼自身も、もはや抑えきれないほどの、熱い、暗流が、渦巻いた。
「痛みません。」
長い時間が、流れた。彼は、ようやく、自分の声を、取り戻した。ひどく、掠れていた。
澪は、手を、収めた。
彼女は、椅子の背にもたれかかり、窓の外の、飛ぶように過ぎ去る夜景を見つめ、まるで独り言のように、また、彼に、次にして、最後の、指令を下すかのように、言った。
「葛城靜子……と、葛城紗奈が、国外へ、発つそうですわ。」
「二度と、東京で、いえ、この世界の、どこであっても、彼女たちの姿を、見たくは、ありませんの。」
この言葉は、もはや、「助けを求める」ものでは、なかった。
それは、同類同士の、暗黙の了解のうちの、依頼だった。
彼女は、ついに、完全に、自分自身の、あの、幼稚な、復讐ごっこを、放棄したのだ。
彼女は、自分の背中と、自分自身の最も深い闇を、全て、惜しみなく、目の前のこの男に、委ねることを、選んだのだ。
蓮は、彼女の、清らかな横顔を見つめ、彼女の瞳にある、あの、もはや揺らぐことのない、完全な決意を、見つめた。
彼は、この、手に負えない小悪魔が、ついに、完全に、彼が、彼女のために仕掛けた、「庇護」という名の……牢獄へと、足を踏み入れたことを、知った。
彼の口元に、ゆっくりと、勝者のような、優しく、そして危険な、弧が、描かれた。
彼は車を発進させ、その声は、低く、そして、甘やかだった。
「仰せのままに。」




