八十九、いまの彼
「じゃあ、お二人さん、お疲れ様でーす。」
そう言うと満面の笑みで楓さんは私達に手をふり、足早にマンションのエントランスに走っていった。私は後ろ座席から手をふり、見送ってからスマホを見た。私はさっきの彼からの文を再度眺め、返事をしようとしては手が止まり、返せずにどんどん時間が経っていた。
「――――――――って、思ってさ…………。」
「………………………………。」
「………………香奈ちゃん?」
「…………………………え…………あ、はい。」
「大丈夫?やっぱ体調悪い?!」
傑先輩は運転席から身をのりだし、こちらを振り向きながら私に話しかけてきた。
「あ、いえ、全然!……ちょっと、考えごとをしてただけなんです……すみません。」
「…………なら、いいけど……。」
「そ、そういえば、ご飯でしたよね!?……なに食べたいですか?」
「俺が決めていいの?」
「どうぞ。」
私がそう返事をすると彼はわかったと言いながら、スマホを片手に店を調べ始めた。私はまたその間に、自分のスマホ画面とにらめっこを始めた。しかし考えても考えても、めんどくさい女のような返事しか浮かばなかった。
「………………はぁぁぁあ。」
「え……?ごめん!」
「え?」
「き、決めるの遅いよね?」
「あ、、、すみません!……今のは違うんです!」
「そうなの……?あ、でも、今、決まったので!」
彼はそう言いながら、慌てて車の運転を再開した。私はお願いしますと会釈すると、スマホをバックにしまった。たぶんこれは一旦、冷静になるべきだ。そう思い、窓の外の激しい雨音を聴きながら、車の心地よい振動も重なり、いつの間にか瞼を閉じてしまい、そのままゆっくりと意識が無くなっていった。
――――――――――――――
「――――――――ちゃん?」
「………………………………。」
「おーい、香奈ちゃーーん?」
「………………ん。」
「はは……相変わらず、車で寝がちなんだね。」
「っは、え!?……すすす、すみませんっ!」
「着いたよ。」
私はそう言われて窓の外を見ると、まさかの光景に驚いた。そこは明らかにどこかのサービスエリアだった。そしてあんなにザーザーだった雨はいつの間にか止んでいた。
「………………は?……………………え、ここ?」
「うん、行こう。」
「え……、いや、え……っと……あの…………?」
「ちゃんと有名なソフトクリームもあるよ。」
「…………………………。」
「あ、あれ?……ソフトクリーム好きだったよね?」
私はその一言に何故か胸が締め付けられた。覚えていてくれたことは嬉しかったが、その反面、透との思い出を上書きしてしまったような罪悪感にかられた。でも先輩に罪はない。私はありがとうございますと言って、車の外に出た。
それからは他愛ない話を2人でしながら、各々好きなメニューをフードコートで食べて、ソフトクリームを買い、さすがに寒かったので、車の中で暖をとりながら食べた。いつもなら嬉しいソフトクリームがやたらと甘く重く感じて、私は考えないようにもくもくと食べ進めた。
「………………やっぱ、なんかあったよね?」
「…大したことじゃないです、ただの…………喧嘩とは違うんですけど……ちょっと……すれ違って……嫌なことがあっただけです。」
「……あぁ、兄弟ゲンカ?……弟さん?」
「そう……です……。」
私は澁谷君以外にバラすつもりもないので、そうごまかした。
「まぁ、色々あるよね……でも香奈ちゃんは……ちゃんと話せる子だから、大丈夫だよ。」
「…………………………あ、あの!」
「なに?」
「や、止めてください……下の名前……。」
「…………だめ?でも、俺、さっきから何回か呼んでるけど……気づかなかった……?」
「え。」
私は思い返してみれば、そうだったような気もするけど、透とのことで頭がいっぱいで、今の今まで気にしてなかった。私は最後の一口を一気に口に放り込み、いきおいよく飲み込んだ。
「……宮野さん……。」
「香奈ちゃんも、傑さんでいいんだけど……逆に皆と違うの変じゃない?」
「いえ、変じゃないです。」
「………………だめってこと……かな?」
「はい、公私混同したくありません。今はあくまで同僚です。」
「…………はぁ、真面目なとこも変わらないんだね。」
「あと約束は1時間のはずです……近くの駅でいいんで……。」
「それはさすがにだめ、住所言って。」
「言えません。」
「なんで……?」
「…………じゃあ、近くのコンビニでいいですか?」
「……はぁ、いいよ。」
私はささっとスマホで調べて、彼にその住所を伝えた。そこからはなんとなく沈黙の時間が流れた。彼はやたらとこちらを気にしていたが、私は気付かないふりをし続けた。そしてあっという間に目的のコンビニに着いた。そこまで遠くなかったことに私は少しだけ安堵した。
「ありがとうございました……では…………っ!」
私はお疲れ様ですと伝えて降りようとすると、またしても腕を掴まれた。
「……怒ってる?」
「怒ってないです。」
「ホントに?」
「…………ただ、今日みたいなのは……もう止めてほしいです……2人きりは……やめましょう。」
「……なんで?過去のことがあるから?」
「いえ、過去は過去です……離してください。」
「…………………………わかった。」
彼はそう言うと諦めたのか、ゆっくり休んでと言って、すぐに車で去っていった。私はそれを確認すると、タメ息をついた。すると次の瞬間、スマホのバイブがバックの中で震えだした。私はまさかと、思い慌てて、取り出した。
そこにはなんとなく今は話したくない、いつもなら嬉しいはずの好きな人の名前が液晶画面に表示されていた。




