更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 4-⑧
「お待ちしておりました。レーヴェン女侯爵様」
迎えてくれた禁書庫の管理人に鷹揚に頷き、ナキアは図書室の奥にある禁書庫に足を踏み入れる。その後ろを、私も何気ない感じでしれっと付いていった。
流石に禁書庫というだけあって、そのつくりは厳重そのものだ。部屋自体に窓は一切なく、四方の壁はもちろん、床や天井も金属の一枚板で覆われている。覆われているというか……この板、実は全部つながっている。辺も角も、土属性神術によって溶接どころじゃなく完全に接合しているので、この部屋自体が大きな金属の箱と化しているのだ。前世でいうコンテナに近いだろうか?
これはこの禁書庫に限った話ではなく、裕福な貴族の宝物庫などは大体この形だ。
この金属の箱全体が神具となっていて、強度が上げられているのはもちろん、一定以上の衝撃が加わると、全体に電気が流れると同時に大音量で警告音が発せられるようになっている。
作り方はというと、材料となる金属を部屋に大量に持ち込み、土属性神術で箱型に加工してから、加工で加わった神力を抜く工程を踏んだ上で改めて神具化をして……という、恐ろしく手間とお金が掛かるものだ。
(なんか、どこかの貴族が見栄のためにこういうタイプの立派な宝物庫を作ったところ、その費用で宝物庫に入れるものがなくなってしまった……なんて笑い話もあったっけ)
そんなことをつらつらと思い出しながら、禁書庫の中を見回す。
と言っても、内装自体は簡素なものだ。部屋の真ん中に机と椅子があり、四方の壁にガラス戸付きの本棚がある。明かりは、天井中央に付けられた大型の照明用神具のみ。
「それで……たしか、聖人の資料をご覧になりたいとか?」
「ええ、あるだけ出してもらえますか?」
「少々お待ちを。えぇっと、たしかこの辺りに……」
「ウーノ、手伝いなさい」
「……承知いたしました。ナキア様」
一瞬誰のことかと思ってから、ナキアの視線に慌てて動き始める。いけないいけない、いくら校舎内で誰にも気付かれなかったからって、気を抜き過ぎだ。今の私はウーノ・サルバン。ラルフの親戚で、ナキアの執事なのだった。
「お手伝いします」
「ああ、いえいえ。このくらい構いませんよ」
脚立に上っている管理人さんに近付いて手伝いを申し出るも、丁重に断られる。下で本を受け取ろうとしたのだが、管理人さんは4冊ほどの本を抱えたままひょいひょいと脚立を下りてきてしまった。見た感じ60を超えているように見えるのに、ずいぶんと体幹がしっかりしているようだ。
「ここにあるのはこれだけですね。これらは年代も新しく、神術に関するものでもないと判断されたものです」
「そうですか」
「わたくしの知る限りで、解説いたしましょうか?」
「いいえ、結構ですわ」
「左様でございますか。それではお時間までごゆっくり」
管理人さんはそう言って一礼すると、入口の脇に控えた。
「……」
「ぁ……どうぞ」
無言でナキアに見られ、慌てて椅子を引く。
全く執事になり切れていない私に、ナキアは咎めるような目を向けると、優雅に椅子に腰を下ろした。私も首を縮めつつ、その斜め後ろに立ってナキアが広げた本を覗き込む。が……その段階で、私は早々に大問題に気付いて焦った。
(しまった……単純に字が小さ過ぎて、この距離じゃ読めない)
翻訳とか、それ以前の問題だった。シンプルに自分の視力を過信していた。なんと言うか……机が思ったより低かったとか、文字がすごく細かかったとか……言い訳は出来るが、我ながらもっとその可能性を考えておけよと思う。
(神術で視力を強化すれば読めるだろうけど……でも)
ここでもう1つの問題が。今、私達の後ろでこちらを見張っている管理人さん、どうやら神術師らしい。学園にいた頃は特に意識したこともなかったのだが、今改めて見てみると、その身にはしっかりと神力が宿っているのが分かる。
(下手なことしたら……バレるよね)
身体強化の神術も“翻訳”も両方体内で発動させる神術なので、慎重に発動させれば同じ神術師にもバレない可能性はある。だが、感知能力に優れている神術師なら間違いなく気付く。
そもそも、ここの管理人を任されており、現在進行形で私達を見張っている人物が、目の前で神術を使われて気付かないというのはあまりにも甘い見積もりだろう。
(とりあえず、あの人を何とかしないと……やっぱり、魔属性神術で意識を奪う? でも、仮に上手くいっても後で絶対問題になるし……いざとなったら記憶を消せば……いや、あまりに空白の時間があれば怪しまれるか。なんとか一瞬でも隙を──)
数秒間、完全に隙を作れれば、全てを解決できる手段がある。だが、その隙をどう作るか……
思案する私だったが、そこで当の管理人さんが急に口を開いた。
「それにしても、姉君だけでなく妹君まで聖人の史料にご興味を抱かれるとは、やはり血とは争えないものなのでしょうか?」
「?」
突然の言葉に一瞬内心首を傾げてから、それが自分のことを言われているのだと気付いて思わず振り返る。
同じく振り返ったナキアに穏やかな笑みを向けながら、管理人さんは懐かしむように言った。
「ちょうど、セリア様が王都を去られる数日前のことです。この禁書庫にいらっしゃって、あるだけ聖人の史料を見せてほしいとおっしゃられたのですよ」
ああ、そう言えばそんなこともあった。
あの時は聖人の暗号が前世の世界の言語だと気付き、自分に読める日本語で書かれた史料を血眼になって探し回っていた。
「あの方はそれ以前からも非常に勉強熱心な方でしてね……よくこの図書室にもいらして、たくさん本を読んでいらっしゃいましたよ。学園ではいろいろと辛い目にも遭われていたでしょうが、それでも我が国のために必死に勉強されていて……わたくしは、あの方ならば立派な王太子妃になられると思っていたのですが……きっとあの時、あの方はそれよりも大事な何かを見付けられたのでしょうね……」
どこか懐かしむようにそこまで言うと、管理人さんはゆるゆると頭を振り、小さく頭を下げた。
「つまらぬことを申し上げました。どうぞ、ごゆっくり。わたくしは少し、席を外しますので」
そう言うと、なんと管理人さんはその言葉通り禁書庫を出て行ってしまった。
「……え? 出て行っちゃっていいの?」
思わずそう呟き、チラリとナキアを見下ろすと、ナキアは少し厳しい表情で管理人さんが出て行った扉を見つめていた。
「……ナキア?」
「……いえ、そうですわね。せっかくの機会ですもの。今のうちに手早く済ませてくださいな」
「……了解」
たしかに、何はともあれこれはチャンスだ。望んでいた完全な隙が出来た以上、躊躇う理由はない。
「それじゃあ、手早くいきますか」
そして、私は奥の手を使った。
* * * * * * *
それから10分ほどしてから、私とナキアは禁書庫を出た。
結局出て行ったっきり戻ってこなかった管理人さんは、入口のすぐ外で私達を待っていた。
「もう、よろしいのですか?」
「ええ」
「……そうですか。またいつでもお越しください」
管理人さんは少し不思議そうにしながらも、私達に向かって静かに一礼をした。
それに礼を返しながら立ち去ろうとする私達だったが、そこに管理人さんの「あの」という声が掛けられた。
振り返ると、管理人さんはナキアの方を見ながら、どこか切実そうに言った。
「もし、あの方に……セリア様にお会いしましたら、お伝えしていただけないでしょうか。『貴女様の、我が国に対する献身に感謝いたします。貴女様の行く先に幸あらんことを願っています』と。……そう言う者が、確かに1人いたと」
そう言った彼の視線が、一瞬確かに私の方を向いた。
しかし、すぐに目を逸らすと、再び深々と頭を下げる。
「……確かに、伝えますわ」
それだけ言うと、ナキアは視線で私を促す。
それに応じて半ば無意識に足を動かし、私はナキアと共にその場を後にした。




