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異世界に来たけど魔力が無いから賢者になった  作者: 山科碧葵
第6章 異世界探訪は龍族姉さんとともに
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6-3.逡巡と決意

 世界大樹ユグドラシルが存在する龍族の里へ赴くには、リュウナの連れた魔竜に乗って行かなければならない。

 龍族の里は、世界の果てにある。

 常人がちょっとした旅行気分で、そうほいほいと赴くことが出来るような場所にあるわけではないのだ。


 無論ラスティのように世界中の地理に詳しく、膨大な風魔法で空を翔け、その体質を利用して竜車を乗り継ぐなどして様々な手法をとれば、完全に不可能なことではない。

 とはいえ実際にラスティが利用した経路は、普通の人間には到底不可能なものだ。


 まず危険区域は、その未成熟な矮躯と膨大なオドを利用して、ある程度は安全な双丘を飛翔。

 オドが減ってきたら、オークやインキュバスなどの下級・中級魔族を誘い込み、リリムの秘術で回復する。

 日が傾けば手頃な竜車に乗り込み、所持者が寝ている間などを見計らって、気付かれぬうちに退散する。


 八千年の時を生きた上級魔族リリムであるからこそ、成し遂げえた偉業。

 確かにラスティにとってこの一ヶ月での旅は、さほどの苦労にはならなかった。

 だが十一歳の幼女や旅慣れをしていない文系女子を連れて、行軍出来るような道のりではない。


「プリムヴェールとティオを、連れて行くことは出来ないんですか?」

「アヤメくんのお願い事なら全部叶えてあげたいのが私の本音なんだけど、それだけは無理なんだ。

 長い道のりになるし、体力とか時間の関係上、龍族の里には私の連れてきた魔竜に乗って行くことになるの。

 私の持ってる魔竜は、餌とか私自身の乗竜技術のこともあって、小型飛竜だから。

 魔竜の進行を扶助する私と、当事者であるアヤメくん。あとは――、体格と体力的にラスティさんが乗ったらいっぱいになっちゃうんだ」

「体格面だけで言えば、妾とティオ殿は大して変わらないのじゃが――。

 かなりキツイ旅になるかもしれんからの。

 まだ幼いティオ殿を連れて行くのは、少々難題じゃろう」


 実際にその経路で旅をしてきた二人にそう言われてしまっては、俺に出来ることはない。

 感情論で喚くことは出来るかもしれないが、そんなことをしても何にもならない。


 ようやく手に入れた平穏。

 これを捨ててまで、行くような場所なのだろうか。

 心の天秤が、グラグラと揺れ動く。


 ここで二人と離れたからといって、永遠に会えなくなると決まったわけではない。

 想像力が及ぶ範囲で最悪の事象を上げた結果、元の世界に還される可能性もないとは言い切れないと思っただけだ。


 行くか、行かないか。

 どちらにも、メリットデメリットは存在する。

 あとは俺自身が、どちらにするか決めるだけだ。


「ここから龍族の里まで、往復でどの程度かかりますか」


 ラスティは、龍族の里まで往復で一ヶ月かかった。

 だがそれは、ラスティ個人の能力のみで進む無銭旅行の時間を含めた期間である。

 行き帰り全てを魔竜に任せるのであれば、もう少し早く済むのではないか。


「魔竜に乗っていくから、片道だと――休憩を多くとったとしても、十日はかからないと思うよ。

 私は道を知ってるし、里に入ってからは、魔竜なら半日もかからずに世界大樹ユグドラシルまで辿り着くはずだから。

 向こうでどれだけ滞在するか分からないから、正確なことは言えないけどね」


 十日――まあ、そこまではかからなかったとして、八日くらいとして考える。

 滞在期間は分からないが、まあ五日以上も泊まっていくことはないと思いたい。


 概算して、二十日程度。

 ラスティと比べると十日以上も短いが、それでも結構長い。

 プリムヴェールもティオも傍に感じることの出来ない期間を、一ヶ月近くも過ごさなければならない。

 そこまでの価値が、今回の探訪にあるのだろうか。


 考えが纏まらない。

 ゴチャゴチャする。

 多分、どっちを選んだとしても“後悔”の感情が付きまとうからだろう。


 行かなければ行かないで、行っておけば魔導書や俺の転移原因に進展があったかもしれないと悔やむだろう。

 逆に二人を置いて赴いて――、取り返しのつかないことになったとしたら。

 それはそれで、己の軽率な行動を悔やむだろう。


 元の世界の創作物では、やらないで後悔するよりやって後悔しろという台詞が何度も何度も立ち塞がった。

 だがそれは、どっちにしろ結果が良い方向か悪い方向――大した違いがないからだ。

 今回の決定は、するかしないかで正反対の結果が現れる。

 どちらを選べば良い方向に転がるのかさえ、分からないのだ。


「……少し、考えさせてください」


 立ち上がり、リビングから退出する。

 何とも情けないことだが、一人でゆっくりと考える時間が欲しい。



 階段を上り、寝室に辿り着く。

 ベッドにうつ伏せになって倒れ込み、枕に顔を埋めて深呼吸。

 自分の匂いの中に、ティオやプリムヴェールの香りがほんのりと残っている。


「もう二人と、離れたくない……」


 そう思いながらも、俺の中にはもう一つの思考が渦巻いている。

 俺は何故、迷っているのか。

 何を迷うことがあるのか。


 俺がこの世界に来て、最初に思ったのは何か。

 ティオと出会う前――プリムヴェールと初めて出会い、一瞬で一目惚れしたあの頃。

 俺は図書館で、何を調べていた。


 俺が転移した理由――。そして、この魔導書がどういったもので、何のために、どういう理由で俺の手元へ現れたのか。それを突き止めようと考えていたではないか。

 それが少しずつ――、数々の出会いを経て変化していった。


 あの頃は単に、“異世界”という未知なる世界に自分が選ばれたことに歓喜し、何故転移したのか原因を突き止めてやると、そんな感じだった。

 だが今は少し違う。

 転移した原因も勿論知りたいが、実際は――どうすれば、元の世界に戻らなくて済むのか。これが知りたい。


 元の世界にも、多少の未練はある。

 だけど、この世界で俺が手にしたものは、それらの思い出を凌駕する。


 初めての恋人、初めての体験、初めてのハーレム生活。

 誰よりも強い力を所持し、嫌悪されたり排斥されることもない。

 もう二度と、集団の中で孤立することもないのだ。


 俺は――永遠にこの世界に留まることが出来るのだろうか。

 俺は、それが知りたい。

 いつ戻されてしまうのか心の隅で怯えながら、幸せな毎日を過ごすのは不可能だ。

 もしこっちの世界で家族が出来てしまったら。

 戻されるというのは、大切なその人たちを捨てるのと同じことだ。


「……まあ、異世界転移って時点で元の世界では行方不明扱いな俺が、こんなこと言ってもあれだけど」


 戻ることが逃れられぬ確定事項なのだとしたら、そこまでの時間を余命と考えて、精一杯生きることが出来るだろう。

 いつ終わるか分からない――何が起こるか分からない。

 それよりかはいつ終わり、いつ何が起こるのか、分かっていた方が人生に覚悟出来る。

 全て分かってしまうのは、楽しみも無くなってしまうだろうから遠慮したいが。


「それを知るためにユグドラシルと会うべきか、あるいは」


 ユグドラシルと出会うことが、この世界での俺が行うべく最終地点だったとしたら。


「用心し過ぎだとは思うけど、確信が持てないんだよな……」


 転移原因がはっきりしていないから、戻る原因も分からない。

 俺はそれを、この世界で俺が行うべき現象を全て終わらせたら、戻されるのではないかと勝手に推測している。

 だがこの考えは、完全なる想像論。

 裏付けどころか、何か理由があって考えた理論ではない。


「……どうしよう、かな」

「迷っておるのか」


 扉が開く音はしなかった。

 だがいつの間にか、ラスティが俺の寝室へ入り込んでいたようだ。


 身体を起こすと、ベッドの端に腰かけるアマラントの塊が見えた。

 頭から羊のようなツノを生やした長寿ロリ魔族。

 そのつるぺたな体躯からは想像できないほどの色香を撒き散らしながら、ウェーブのかかったアマラントの髪を軽く撫でつけてみせた。


 格好は普段通りのボンデージ姿。

 だが今は上着を脱いでいるため、背中が丸見えである。


「にぃ様なら、迷わず『イくぅ、イきます!』って言うと思っておったがの」

「イントネーションが何か如何わしいですよ。……俺って、そんなに決断力ある人間に見えましたか?」

「決断力というよりかは、魔導書に関する知識を貪欲に集めている――という妾の勝手なイメージじゃの。

 魔導書を見つめている時の視線が、若かりし頃のサザンそっくりなんじゃよ。

 サザンなら迷わず――たとえ妾を置いて行けと言われても、ユグドラシルの下へ向かうだろうと、そう思ったからの」


 ラスティは、俺のことを過大評価し過ぎだ。

 サザンガンフォルトは一大陸を統治した魔帝で、俺は平凡な異世界人。

 ただちょっとだけ、マナの扱いに長けているというだけだ。


「迷いが生じておるということは、どちらにも未練があるということ。

 にぃ様も分かっておるのじゃろう?

 ここでどちらを選んでも、後々後悔するだろうということを」

「その通りですよ、ラスティさん」


 何にも巻き込まれずに平穏な毎日を過ごす異世界生活には勿論憧れていた。だが俺の場合、転移した時点で何かしら妙なものに巻き込まれているという雰囲気がぷんぷんしていた。


 逃れられない運命――っていえば格好良いけど、事実何かしら俺に――この世界で必要な何かがあったから、俺はこの世界に、あの魔導書とともに転移したのだろう。

 この世に因果律というのものが存在するならば、このまま平穏を追い求める俺を、世界が認めてくれるだろうか。


 いつか――取り返しの付かない状態まで膨れ上がったところで、しっぺ返しを食らうのではないか。

 この世界における俺の存在意義とは、いったい何なのかと。


「俺の場合、魔導書に関して色々調べていたのは、自分本位で打算的な面が多かったんですよ」

「自分本位で、打算的か……」


 無尽蔵にマナも使えて、世界に存在する魔法の全てを知っていて、新たな魔法を生み出すことが出来る。

 所謂、チートだ。

 俺が悪役だったら、ヒーローが主人公補正で覚醒しない限り倒されることは無いだろう凄まじいスペックだ。


 何かしらの現象に備えるため、この世界に必要とされて用意された一種のパーツみたいだ。


「自分本位とは言ってもの。元の場所に戻りたいと思ってしまうのは、人間として仕方がない欲求だとは思うがの」

「は――――」


 胸がドキュンと跳ねあがり、思わずラスティの顔を見る。

 アマラントの瞳を薄く細めた長寿ロリは、幼気な顔をニッと歪めてみせた。


「これでも妾は、八千年という長い期間を無駄に浪費していたわけではない。

 サザンが死んで最初の頃はともかく、それからは魔大陸から出て、エルフ族の集落や龍族の里――様々な場所を巡り、色々な人間をこの目で見てきた。

 じゃが、にぃ様のような人間を見るのは初めてじゃ」


 冷や汗がぶわっと背中を濡らし、動悸が激しくなる。

 どこまでだ。――ラスティは、どこまで感付いているのだ。


 俺のような人間は見たことがない。

 いやしかし、前にも同じようなことを言われたな。

 魔力譲渡マナ・トランスファーを生物に向かって発動し、マナを流し込んだ時だったか。

 悪魔を打倒した話をした時にも、似たようなことは言われたような気がする。


 ラスティは幼気な表情で、俺の顔をじっくりと観察している。

 嘘やごまかしは、通用しないだろう。

 強がるわけではないが、元々いつかは明かすつもりだったことだ。

 むしろ、疑念を口にしてもらえて、良かったかもしれない。


「いつから、疑っていたんですか?」

「疑うとは――言い方が悪いの。

 そうじゃな……。最初におかしいと思ったのは、にぃ様と出会った時かの」


 額に指を当てて犯人を追いつめる、真っ黒な警部補の顔が浮かぶ。

 いつから疑っていたと問われ、初対面の時からだと答えるのは、探偵として一度は憧れる道だ。

 俺は探偵ではないけど。


「最初から、ですか。理由を聞いても、よろしいでしょうか?」

「妾を呼び出した――“召喚”という事象を、何のヒントもなく簡単に思いついた。

 まあその時は、サザンのような人智を超えた天才が生まれただけじゃと思っておったが」


 ラスティは意味ありげに、言葉を止める。

 俺からとくに言うことはない。

 続けてくださいと促す。


「ずっと、違和感はあった。

 確信したのは、魔力譲渡マナ・トランスファーの魔法を発動した時じゃの。

 魔物をあのような姿にする、そんな魔法を使うことが出来る者。

 ――原因は、器がないこと。

 実を言うと、ずっと疑問に思っておった。

 にぃ様には器がないが――、今までの人生をどうやって生きてきたのか。

 魔導書を手にするまで、人族であるにぃ様はどうやってその人生を紡いできたのか。

 そこで、妾は一つの仮説に辿り着いた。

 ――にぃ様に器がないのは、単なる欠落や欠損ではなく、元々そんなものは必要なかったのではないか、との」


 確かにそうだ。

 この世界で一年近く過ごして思ったが。この魔法世界でオドが使えないというのは、実際かなりのハンデとなる。


 ギルドでは相手にされず、自分一人では――剣を使わなければ自分の身を護ることさえ出来ない。

 魔法を使える者からは馬鹿にされ、下に見られる。

 バルテルスに魔法を教えた時、人生で一番感謝された。

 これで他の親衛隊と同等に扱ってもらえると。


 確かに、おかしな話だ。

 それだけ、魔法という現象は重要なものなのに。

 国を一つ救うことの出来るような魔法の賢者が、無名の人間として無一文で現れる。

 人間が生きていくために必要なオドを持たないのに、剣も持たずにここまで生きてきた。

 明らかに怪しい。


「そのことで、俺をどうするつもりですか?」


 自棄になりかけながら問いかけると、ラスティは可愛らしく小首を傾げてみせた。


「どう、というと」

「俺が――皆さんと違う人間だということは、プリムヴェールを含めて誰にも言ったことがありません。他の人が気付いていなければ、この事実を知っているのはラスティさんだけだということになります。

 それを知ったうえで、俺をどうするつもりですか?」


 ラスティは暫し思案気な顔をしていたが、ハッとした顔をすると、ニンマリと頬を緩めてみせた。


「本当に、にぃ様は心配性じゃの。

 妾がにぃ様を脅したり――ゆすったりすると思うかの?」

「そういうことをしない人だと、俺は信じていますよ」

「むしろ妾が今の話を誰かに言ったとしても、信じやせんよ。

 妾だって、この世界の外に他の世界があるなど――考えたことも無かった。

 じゃから安心せい。

 妾は、にぃ様を困らせるようなことはせんよ」


 視線が交錯する。

 悪戯っ娘のような笑みだが、誰かを陥れようだとか弄ぼうだとか、そういった感情は見られない。

 ラスティなら、信じても大丈夫だろう。


「他に、何か言っておきたいこととかってありますか?」

「そうじゃの……。少し気になったことがあったんじゃが。

 ……にぃ様のいた世界というのは、魔族と人族は仲が良いのかの?」


 見当違いな科白に、思わず笑いそうになってしまう。


「何故、そう思ったのですか?」

「にぃ様は、魔族やエルフ族に対しても優しく接してくれるからの」


 なるほど、四種族が生活するこの世界を基準に考えると、そうなるのか。


「俺の元いた世界には、魔族もエルフ族も獣族もいませんでしたよ」

「……!? と、ということは人族だけしかおらんのか?

 良いのぉ……。それなら、戦争も差別も起こらないんじゃろう?」

「いえ、人間――同種族同士で異なる部分を見つけ出しては、戦争もするし差別もありますよ」

「……そうなのか。

 種族が一つでも、そうやっていがみ合い、分かり合えぬのか」


 俺としては普通のことだが、異種族間と比べて同種族間の仲が良いこの世界の常識で考えると、理解しがたい話なのかもしれない。


「ちなみに、魔法もありませんでした」

「!? 魔法が存在しない?

 あ、これでにぃ様に器がない理由がはっきりと分かったが――、いやしかし、ならばどうやって魔物から身を護るんじゃい」

「こういうものが、発展していますので」


 そう言いながらポケットから携帯電話スマホを取り出し、ラスティの驚き顔をパシャリと激写。

 内臓メモリに保存した画像を、ラスティに見せてやる。


「……前に見た時は魔道具じゃと思っていたが、これはにぃ様の故郷で造られたものじゃったのか」


 しげしげと、自分の顔が映った画像を眺めている。

 ここまで自分の過去話に反応してくれると、話すのが楽しいな。


 携帯電話スマホを仕舞いながら、他には何を話そうかと考えていると、不意にラスティの顔が寂しげに緩められた。


「どうじゃ? 少しは、頭の中がスッキリしたんじゃないかの」

「……あ」


 確かに、何故だろう。

 悩みの種は全く解決していないのに、少し頭の中がリフレッシュされたような気がする。

 とはいえ、また新たな問題も生じてしまったのだが。


 軽くなった心に驚いていると、ラスティの顔がゆっくりと近づき、鼻先をつんつんと突っつかれた。


「最終的に結果を出すのは、にぃ様自身じゃ。

 ちゃんと考えておくんじゃぞ。

 魔竜を外に繋いでおるから、そう長く待たせるわけにもいかんからの」


 それだけ言うと、ラスティは寝室から出て行った。




 ラスティが姿を消してすぐ、俺はベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。

 何だか、ドッと疲れが出てしまった。

 色々なことが頭の中をぐるぐる回って、キャパシティオーバーだ。

 放熱しなければ。


 巡るのは、行くべきか行かざるべきかとの自問自答。

 行かなければならないという勝手な使命感と、自宅から離れたくないという引きこもり願望。


 ラスティの言葉から察するに、俺は――他の人々より先を見据え、自分の在るべき姿を探しているように見えていたみたいだ。

 元の場所に戻るため、魔導書に関する情報を集めているのだと考えているみたいだ。


 そのために――そんなことのために、ラスティはリュウナの下へ参り、龍族の里へ俺が行くための下準備をしてくれたのだ。


 勝手だ――と、悪態をつけるような精神力を持っていれば良かったのか。

 自分のために誰かがしてくれたことを、そうやって真っ向から拒絶することは俺には出来ない。


 今までもずっとそうだった。

 悪いことではないのだろう。

 だがこれも、あまりに度が過ぎると単に優柔不断なだけだ。

 最終的に、自分で――自分自身の考えを決めなければならない。



 さて、どうしようかな。



 せっかく、平穏な日常を手に入れたと思っていたんだけどな。

 プリムヴェールとティオとラスティとシュネアと俺と――男女比が酷いことにはなっているが。

 この五人で静かに暮らす毎日が、訪れるものだと思っていた。


 一ヶ月と少し――プリムヴェールと暮らしてみて思ったが、やはり。プリムヴェールの傍にいたい。

 プリムヴェールとティオと、――二人と一緒に生活する。欲求が満たされるだとかそういうのとは別の意味で、一緒にいると、安心するのだ。

 二人と――プリムヴェールと、ずっと一緒にいたい。

 傍にいたい。


「プリムヴェール……」


 思わず、口端から愛しい名前を呟いてしまう。

 灼熱を瞳の中に閉じ込めた銀髪美少女の姿を思い浮かべながら、俺はゆっくりと睡魔に飲み込まれていった。




        ◇          ◇          ◇




 どれくらいの刻が経過したであろうか。

 気が付くと、誰かに頭を撫でられていた。


 眦に溜まった雫を拳で拭い、ぼんやりとした視界を鮮明なものとして映し出す。

 目に入ったのは、見慣れた色のセーター。そして、背中まで届く美しい銀髪。

 顔を上げると、炎を映す見事な灼眼が俺の瞳を捉えた。


「……プリムヴェール」

「お目覚めですか、アヤメさん?」


 ベッドに腰掛けたプリムヴェールが、身体ごとこちらを向く。

 俺も身体を起こし、ベッドの上に女の子座りをするプリムヴェールと向かい合って腰を下ろす。

 灼熱の双眸は、じっと俺を見つめるだけだ。

 羞恥や情けなさとは違うが、思わず視線を逸らしてしまう。


 ダメだ。

 どうにかして、覚悟を決めてリュウナとラスティに付いて行こうと思っていたのに。

 この顔、この姿を見ると、決心が鈍ってしまう。


「アヤメさん、すっごく辛そうな顔をしてますよ」


 くっと身を引き寄せられ、身体の起伏を全面に押し付けられる。

 腕を背中に回されて、大切なものを護るようにギューッと胸の中へ抱きしめられた。


 熱い――いや、温かい抱擁だ。

 優しく、全てを受け入れてくれるような接触。

 思わず、自分の全てを預けてしまいたくなってしまう。


「プリムヴェール……」

「大丈夫ですよ、アヤメさん。わたしはいつだって、アヤメさんの味方ですから」


 身体が少し離される。

 慈しむように細められた真紅の瞳が、優しげな雰囲気で俺の顔を捉えてみせる。


「アヤメさんが行きたいと思えば、行けば良いと思います。

 行きたくないのに無理やり行かされるのであれば、拒絶しても構わないと思います」


 肩を抱く右手が離れ、ぽすんと俺の頭に乗せられる。

 そしてゆっくりと左右に揺らし、滑らかな手つきで髪を梳かす。


「わたしは――大丈夫ですから」


 俯きかけた顔を上げると、プリムヴェールと目が合った。

 真紅の瞳を柔らかく細め小首を傾げると、しなだれかかるように、耳朶に口元を寄せ、


「ちゃんと元気に戻ってきて、それから、今まで以上に愛してくれれば。それで、わたしは満足ですよ」


 ズキンと、胸が痛む。

 どうして俺は――こんなにも健気で可愛らしい娘を置いて行こうなんて考えたのか。

 だけど、行かないわけにはならないのだ。

 この機会から逃げることで、今後どのような結果を巻き起こすのか。

 後になって、己の行動を悔やむ結果だけは見たくない。


 プリムヴェールも、連れて行けるようにすれば。

 そして万が一、俺を元の世界へ戻すような結果になってしまった場合。

 もう一度、この世界に戻って来れるように。

 出来る限りの準備をしておこう。


 戦場に赴く時だって、飲食も装備も馬の状態も確認せずに突っ走る兵士がどこにいるか。

 今回俺が確認するのは――馬と装備。

 司書としての仕事に支障が出ない範囲での、プリムヴェールの移動と、俺の帰還。

 この二つを、どうにかして達成できるように根回しすればいい。


 逃げるんじゃない。

 立ち向かうのだ。

 プリムヴェールに、情けない姿を見せたくなんてないから。


「ありがと、プリムヴェール。なんか、元気出た」

「それは良かったです。アヤメさん」


 抱きしめられたまま、ベッドに寝転がる。

 とはいえ、エロいことをするわけではない。


「ゆっくり考えてください。今晩は一晩中、ずっと傍にいてあげますから」


 抱きしめられるだけで、すごく癒される。

 プリムヴェールを傍に感じるだけで、俺はとても幸せだから。


「本当に、良いお嫁――お姉さんになるよ」

「失礼ですね。わたしはアヤメさんより年下ですよ。それに、何でわざわざ言い直したんですか!」

「んー、だって照れ臭かったんだもん。

 それに、年下って言っても一個だけだし」

「一個でも、年下か年上かってのは全然違うんです!」


 いつも通りの掛け合いに、目が合って思わず笑い合う。

 プリムヴェールに抱きしめられ、頭を撫でられながら――こうして、穏やかな気持ちで夜を過ごす。

 今晩は遠慮なく、プリムヴェールにたっぷりセラピーしてもらった。



        ◇          ◇          ◇



 ――翌朝。


 リビングにリュウナを含む住人全員を揃え、昨晩決定した事項を告げることにした。


 心配そうに見つめるティオ、普段通り艶やかに口元を緩めたラスティ。何故か熱い視線を送ってくるリュウナ、目を伏せ黙ったまま佇むシュネア。そして――分かってるよとでも言うように俺を見つめる、プリムヴェール。

 彼女たちを前にして、一息つく。

 答えは既に、昨晩の内に決めておいた。


「その様子じゃと、悔いのない答えを出せたようじゃな」

「おかげさまで」


 ラスティではなく、プリムヴェールに視線をやってから、深く息を吐き――――。


「龍族の里に、行くことにします」


 それが、俺が出した答えだった。


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