6-2.ユグドラシルの番人
――世界大樹ユグドラシル。
この世界の遥か北方――世界の果てとも呼ばれる地域。
背丈の高い山脈が建ち並び、一年中霞や霧が晴れぬその場所には、龍族の里が存在する。
龍族という種族は、前に書物で何度か読んだことがある。
神聖な種族であり、基本四種族と呼ばれる人族・獣族・魔族・エルフ族との間に子孫を残すことの出来ない種族だ。
他の種族と交わる必要性が無いため、普段は里の奥深くに籠っているのだとか。
ちなみに龍族が戦闘・移動手段などに使用する飛竜を、竜族――魔竜と呼ぶ。
魔竜は行動範囲が広く、広大な蒼穹であればどこにでも出現する。
だがそのほとんどが龍族の飼い竜であり、滅多に人を襲ったり、ましてや地上に降りることはまずないらしい。
その魔竜の飼い主である龍族。
彼らは、魔竜と心を通わせ、自身の意向に従えさせることが出来るのだ。
そして彼らの住む龍族の里――そこには、天まで届くとも言われる巨大な聖樹が存在する。
一説には世界が出来た時から存在し、世界中のマナを還元して循環させる基盤だとも言われているらしい。
その聖樹こそが、世界大樹ユグドラシルだ。
リュウナ・アルデバランは、その世界大樹ユグドラシルを先祖代々管理してきた、謂わば「ユグドラシルの番人」と呼ばれる一族の末裔なのだとか。
「そこにいるラスティ・ネイルさんから、大まかなお話は聞いてるわ。ここに、ユグドラシルの魔導書に選ばれたお方がいると。そうだったよね?」
サファイアの瞳を揺らめかし、リュウナ・アルデバランとやらは、湯呑を片手に瞑目するラスティに問いかける。
その視線にアマラントの双眸で返答し、ラスティは「くっくゥ」と楽しげに笑ってみせた。
「リュウナ殿の疑り深さは、三百年前から変わってないのぉ」
「ユグドラシルの魔導書という名を傘に、龍族の里を荒らそうと企む輩とは、何度も対峙してるからね」
ちなみに今現在ここリビングには、この家の住人が勢揃いしている。
俺と、ティオと、シュネアと、プリムヴェール。そしてラスティとリュウナ・アルデバラン。
ティオとシュネアは、何のことやらといった様子でつまらなそうに湯呑の中身を口に含んでいた。
この話題に興味を示しているのは、何やら俺の知らないところで話を進めているらしい二人と、当事者であるらしき俺と、――プリムヴェールだけである。
何故プリムヴェールがと思ったが、そういえばこの魔導書の名称を最初に教えてくれたのは、確かプリムヴェールだったはずだ。
その時樹木の話までは出て来なかったが、その魔導書は様々な書物にて、マグガフィンとして出てくるのだと教示された。
「お二人は、どのようなご関係なのですか?」
「あれは三百年ほど前のことじゃったかの。過去に魔導書を手にしていたという者の子孫に話を聞く機会があったんじゃが、その時に龍族の里には魔導書と関係のある何かがあるという情報を手にしてな。気になって、自分でも龍族の里に赴いてみたんじゃよ。あっさり、門前払いをされてしまったがの」
冗談めかして笑ってみせるラスティとは裏腹に、リュウナ・アルデバランは神妙な表情だ。
門前払いしたのには、何かしらの理由があったのだろう。
「さっきも言ったけど、『魔導書を持っているからユグドラシルに触らせてくれ』とかいって近寄ってくる輩が多くて、困ってんのよ。過去に持っていた人と知り合いだったと言われても、現在の行方が不明なら、その方にユグドラシルと触れ合う資格はありません。観光地では無いのですから」
「その割には今回は、あっさり信じてくれたみたいじゃがの」
「新たな魔法の出現を、聖樹ユグドラシルが感知してたかんね。流石にどのような魔法が書きこまれたのかまでは、分からないんだけど」
リュウナはそう言って、俺とプリムヴェールとシュネアとティオとを順々に見やっていく。
魔導書の持ち主が誰なのか、探ろうとしているのだろうか。
「――というわけで、もしよければ、魔導書を私に見せて戴けないでしょうか。一応、確認だけでもしておきたいので」
「分かりました、どうぞ」
ローブの内ポケットから魔導書を取り出し、リュウナに手渡す。
魔導書に詳しい者ならば、強奪や破損が無意味なことだと知っているとはラスティの談だ。
魔導書欲しさに俺を殺したとしても、その魔導書は光の粒子となって新たな誰かの手元へ転移してしまう。
リュウナとラスティの思惑が何なのかはまだ分からないが、手渡す程度ならとくに問題は生じないだろう。
魔導書を受け取ったリュウナは、びっくりした様子で俺のことを見つめていた。
この中での所有者が俺だというのは、意外だったのだろうか。
「…………え、えっと、拝見いたします。――えーと」
「カザミ・アヤメです。アヤメって呼んで貰えれば」
「わ、分かったよ。……ア、アヤメくん」
リュウナは首を傾げながら、俺が手渡した魔導書の表紙をじっくりと見つめていた。
次いでページをパラパラ捲ると、何度か頷き、やがてパタンと書物を閉じた。
「間違いありません。これは純粋純正な、ユグドラシルの魔導書。――かの大賢者ガーネットが創造した、魔導書に違いありません」
「少し見ただけで分かるんですか?」
「まず表紙には古代龍族の文字。これは、他の誰にも真似できるものではないかと思われます。
そして、最初の数ページに書かれた、同じく古代龍族の文字。
紙の質や持った感じなどからも、偽物である可能性はかなり低いかと」
魔導書を返され、俺はそれをもう一度捲ってみる。
ミミズがのたくったような文字。
何て書いてあるのかは、何となく理解できるが。
「何と書いてあるか、読めますか?」
「ええ、火魔法の使い方――水魔法の使い方――――」
「うふふ、お見事だよ。流石はアヤメくんだね」
何が流石なのかは分からないが、まあ別に構わない。
「プリムヴェールは、その世界大樹だかの存在を、知ってたの?」
「はい、前にラスティさんが『とある聖樹のもとへ還元される』と、おっしゃってましたので」
「待ってください。それ、俺は初耳なんですけど」
情報の提供者が意外な人だったこともあって、思わず動揺する。
ラスティから聖樹だとか世界大樹だとか、そんな言葉を聞いた覚えはない。
ユグドラシルという名前自体は、俺も元の世界で何度か聞いたことがある。
伝説の樹木だとか世界を支える大樹だとか――、まあ創作物によって若干の差異はあったけど。
俺にとってユグドラシルという単語は、未だに樹木――真っ先にそれなりの大きさまで育った大樹を思い起こすものだ。
この魔導書は聖樹とやらと関係があると聞いたことがあるのなら、決して忘れないはずだ。
「にぃ様には言っとらんかったかの? てっきり知ってるもんじゃと思ってたし」
情報を提供してもらう方がこんなことを言うのもなんだが、なんと無責任な。
「プリムヴェールは、その話をいつ聞いたんだ?」
「えーと……、アヤメさんがお酒を飲んで熟睡してた時だったかと」
それを聞いて、記憶を掘り返す。
俺が酒を飲んで熟睡していたとき――。
俺がこの世界に来てアルコールの混入した飲み物を口に入れたのは、過去に一度だけだ。
あの時か。
俺が寝ている間に、ラスティはなんて重大な話をしていたのか。
まあ今更文句を言ったところで何も変わらない。
それに万が一魔導書と聖樹とやらが俺の中で結びついても、龍族の里とやらまで赴くのは不可能だっただろうし。
情報を手に入れたのが早かろうが遅かろうが、大して変わらなかったともいえる。
しかし――、聖樹――世界大樹ユグドラシルか。
それとこの魔導書とは、一体どのような関係があるのやらだな。
リュウナの話から察するに、魔導書に魔法が書きこまれると、その情報が世界大樹に伝達される。そしてどういったわけか、魔導書の名前を騙ってまで、世界大樹ユグドラシルに近づきたい輩がいる。
魔導書には知識を書き込むことが出来る。
もしかして、世界大樹ユグドラシルに触れると、世界のあらゆる叡知が降り注ぐとか、そんな特典でもあるのだろうか。
……いや、ないな。
それならここにいるリュウナ・アルデバランは、誰が魔導書を所有しているか事前に知っているはずだ。
俺が取り出した時、ちょっと驚いているみたいだったし。
とはいえ、魔導書に関して何かしらの用件があってここまで来たということには間違いないだろう。
ただ単に存在を確かめるためだけに、わざわざここまで来る必要性は感じられない。
このお姉さんはいったい、何のためにここまで遥々やってきたのか――。
「それで、金色のお姉さんはアヤメお兄さんに何の用事があって来たの?」
どうやって切り出そうかと思案している間に、背後から純粋無垢な問いかけがリュウナに向かって紡がれた。
発言者は言うまでもなく、この場で一番純真なティオである。
難しい話の連続で、ティオは既にこの話題から退いていた。
元々魔導書に関する知識もほとんどない状態で、また新たな情報の嵐である。
大して興味も無いであろう難しいお話は、十一歳の童女にとってつまらない現象そのものだ。
俺だって自分に関係無ければ、多分ティオと同じく、この空気に飽きていただろう。
「そういえば、まだ聞いてませんでした。
ラスティさんが、その――リュウナさんに会うために龍族の里とやらに出向いていたってのは分かりましたけど。
どうして俺とリュウナさんを会わせようと思ったのか、そしてリュウナさんは何で俺に会ってみようと思ったのか、その辺りの話がまだだったかと思います」
往復で一ヶ月もかけてまで、わざわざ出向いたその理由は。
ラスティも俺とは異なる理由で、魔導書に関する情報を集めていると聞いたが。
俺とリュウナを会わせることで、何かラスティの得になるのだろうか。
「――私が頼んだから」
ラスティへの問いかけは、リュウナの口から紡がれることとなった。
「世界の根幹であるユグドラシルと、世界を彷徨う魔導書。
それらは決して、離れ離れになって良い物ではない。
代々伝わるその掟を、私も守りたかったから。
守る必要が、あったから。
前に会った時、現在の所有者を見つけたら、連れてきてほしい。
そう、お願いしておいたの。
それにね、メリットはアヤメくんにもあるのよ。
今までも何度か、魔導書の所有者をユグドラシルの下へいざなったことはあるんだけど。
それがきっかけで、他者と和解したり、絡まっていた思考が解されたり――所有者が抱えている問題が、幾つか解消することがあるの。
私自身が魔導書の所有者になったことは無いから、どういった邂逅が行われているかまでは分からない。
でも、アヤメくんには是非うちの実家――じゃなくて、世界大樹ユグドラシルに触れて欲しい。
それが――、魔導書の延命にも繋がるから」
「魔導書の延命?」
突っ込みどころは幾つかあったが、とりあえずそこからだ。
延命とは、生命がある者に対して使われる言葉ではないか。
この魔導書は、生きているとでも言うのか。
「魔導書のページに新たな魔法を書き込むと、それだけ残りのページは減っていく。魔導書のページが増えるのは、世界大樹ユグドラシルと邂逅し、意思疎通をした時だけ。もう少しで、魔導書のページが終わってしまうから」
俺は手に持った魔導書を見やる。
確かにもう少しで、魔導書のページは無くなってしまうだろう。
だが今のところ俺は新たな魔法を書き込む予定はないし、無駄な魔法は弾かれることもこの手で証明済みだ。
必要最低限の使い方をすれば、まだまだ充分使えると思うのだが。
――しかし。
さっきのリュウナの話には、気になる点が幾つかあった。
一つは、どうにかして俺を世界大樹ユグドラシルと会わせようとしているところ。
若干無理矢理にも思えるそのとってつけた理由は、何によるものなのか。
意図的に行っているのであれば、ここで討論を続けても答えは帰ってこないだろう。
そしてもう一つ。
これは単なる、俺の推測だが。
他者と和解したり、絡まっていた思考が解かれるというのが、もし嘘偽りでは無いのだとしたら。
世界大樹との邂逅は、決して無駄なことでは無いのではないかと。
俺が抱えている謎も、全て解き明かされるのではないかと思ってしまう。
転移・召喚魔法の存在しないこの世界に、どうして俺が転移したのか。
この魔導書は、どのような意図で造られたものなのか。
弾かれる魔法と弾かれない魔法は、どこがどう違うのか。
――そして。
俺はいつまで、この世界にいることが出来るのか。
戻れるのか戻れないのか。
戻されるのか戻らなくて良いのか。
故郷も地元も両親も友人――はいないけど、住み慣れた元の世界に、俺は戻されてしまうのか。
プリムヴェールやティオと出会って、愛を育んで、愛し合って。
それらを全て、捨てることになってしまうのか。
戻らなくて良いのなら、それでも良い。
むしろその方が良い。
だが、確証がないのだ。
誰かの手によって召喚されたのなら、何かしらのアプローチをかけなければ元の世界には戻れないだろう。
だが俺の転移は、未だ理由が分かっていない。
転移なんて概念、俺が来るまでこの世界には無かったのだ。
もしこれが俺の良く知る転移や召喚では無いのだとしたら、いつどういったきっかけで元の世界に還されるか分からない。
この素晴らしい世界がいつまで俺を許容するのか、それに怯えながら形だけは平穏な暮らしを続けるべきか。
自分が今後どうなるのか全てを把握した状態で、来るべく事態に備えるのか。
また違った人生を、歩むことが出来るだろう。
余命を知らずに怯えて暮らすか、余命を知って限界まで本気で生きるか。
俺だったら、後者を選ぼう。
「俺も今、たくさんの考えや思いが絡まって大変なことになっています。
一人じゃ解決出来ないこの悩みや迷いを、正しい道へといざなってもらえるのでしょうか?」
リュウナを見る。
サファイアを閉じ込めた美しい碧眼が瞬いた。
その瞳には、若干熱が籠っているような気がする。
「アヤメくん。来てくれるの? だったら、いざなうよ。勿論だよ。アヤメくんのためなら、何だってするよ!」
上気した顔で、リュウナは身を乗り出して科白を吐く。
何か様子がおかしい気がするが――、気にしないでおこう。
俺のためとは言っていたが、実際はそのために遥々ここまで来たのだろう。
うまく丸め込まれたような気がしないでもないが、良い結果が出るのならば、丸め込まれても良いと思いたい。
「じゃあ、早速出発しようよ! アヤメくんと一緒に、実家にご挨拶に行かなきゃ!」
「そんなすぐには無理ですよ。プリムヴェールの都合も考慮しないといけませんし、ティオとか俺だって旅慣れしているわけでは無いんですから」
後半の科白は聞き流しておく。
多分軽口や冗談の類いだろう。
俺は別に、このお姉さんに何かしたわけではない。
ニコポやナデポどころか、顔を合わせたのも会話したのも今日が初めてである。
あまり深く捉えないようにしよう。
勘違いという名の火傷は、後々じわじわと心を浸蝕するものなのだ。
リュウナの発言はともかく。
流石に今回は、プリムヴェールやティオを置いて俺だけで出かけるわけにはいかないだろう。
もしかすると、その世界大樹と出会うことこそが、この世界における俺の終着点なのかもしれないのだから。
役目を終えた不適合者が、その後どういった扱いをされるかどうか未だ未知数だ。
強制的な帰還を余儀なくされるという可能性も皆無ではない。
そんなことになれば無言の帰宅どころか、世界からの消滅ということになってしまう。
この娘たちと二度と会えなくなるというのは、絶対に避けたい事象だ。
――が。
「ごめんねアヤメくん。でも、それは無理よ」
リュウナの科白が、俺の決意を打ち砕く。
「世界大樹ユグドラシルの下に、アヤメくん以外の娘を連れてくのは無理な相談だわ」
実にあっさりと、俺の意向は真正面から拒絶された。




