4-7.その賢者、所有者につき
フィッシュサンドを仲良くわけっこした翌日。
俺は最後の荷物を運び出すために、ビリーの宿へと赴いた。
先日家を建てたことを伝え、二日くらい前に、ターニャやビリーにお別れの挨拶をしに参ったのだ。
普通は宿泊していた宿の主人に、そんな畏まった挨拶をすることは無いのだろうが、期間が長かったからな。
ティオ関連のことでも助けてもらったし、体外魔力のことでも知恵を貸してもらったりと、かなりお世話になった。
ターニャは寂しそうにしていたが、普段は王都付近にいるから一生会えなくなるわけじゃない、と告げると、嬉しそうにギザギザの牙を見せてくれた。
頭を撫でてやると、ほんのりと頬を染めて照れ笑い。
熱っぽい視線でじっくりと見つめられた。
ともかく、一応のお別れは済ませたのだが、荷物を運び出すのに数日の時を要したのだ。
誰かを雇うのは気が引けるし、そんなことまでターニャに手伝ってもらうわけにもいかない。
バルテルスも最近は忙しいらしく(主に治癒魔法のバイトが)、荷物運びなど手伝ってくれない。
奴はカネよりもティオを要求しそうだからな。
最近は十歳ちょっとの子にも興味が出てきた、と涎を垂らしながら言っていたし。
話を戻そう。
備品はとくに置いていなかったのだが、服だとか金貨が詰まった宝石箱だとか、ティオの私物だとか――意外と物品が多く、一度に全てを持ち運ぶことが出来なかったのだ。
家自体は結界の中にあるが、それまでの道のりは魔物と遭遇する可能性もあるからな。
ティオには常時周囲の警戒を頼んでいるし、俺も魔導書はいつでも持ち歩いている。
もやしっ子な十八歳と、世間知らずな十歳児。
宿と家を往復するのは、一日に二回くらいが限界だ。
故に時間がかかった。
まあ、それもこれで終了するんだけどな。
「今まで本当に、お世話になりました」
「お、お世話に、なりました」
ティオとともに、闇に包まれたカウンターへ頭を下げる。
ビリーは今日も、身体の調子が良くないらしい。
隻眼、そして片足が欠損しているのだ。
怪我自体は治癒魔法で完治したとしても、やはり身体の優れない日は多いのだとか。
名誉の負傷――とも呼べないらしい。
足を斬られたのは、自身の不注意。目を抉られたのは、自分が愚かだったから。
そうやって、自分への戒めにしているらしい。
そのためビリーは、冒険者を引退してからの長い期間、体躯の傷を隠して生活してきた。
そのうち右足も衰え始め、今では歩くのも苦痛なのだとか。
時折リハビリがてら、杖を着きながら外を歩いてはいるようだが。
「……気を付けて、暮らせよ」
ビリーの返答をちゃんと聞いてから、俺はティオを連れて自宅への道のりを急いだ。
◇ ◇ ◇
凱旋門を抜けて森林へ向かうと、変態的な格好をしたクォーター野郎がドヤ顔をして仁王立ちしていた。
地肌に纏った漆黒のベスト(蝶ネクタイ付き)と、同色のスラックス、そして裸足。包帯。
着た切り雀な、毎度お馴染みの服装だ。
「その服、ちゃんと洗ってるのか?」
「数日振りにィ顔を合わせて、第一声がそれかよ! もっとこう、『寂しかったぜェ』とか、気の利いた言葉とかあンだろォ?」
「お久しぶりです、尾行者さん」
「尾行者て……。賢者師匠の毒舌が、純粋なティオちゃんにまで伝染ッてるみてェだな」
「理解が早いと言ってくれ」
ティオは何に関しても、飲み込みの早い子だ。魔法を教えればすぐに吸収して自分のものにするし、常識や危険なもの、家事のやりかたなどを教えてやれば、数回の失敗の後テキパキとこなせるようになる。
だが掃除に関しては一言申したいので、それだけは俺のお仕事だ。
お洋服を畳んで仕舞うのも苦手なようなので、そのへんも俺がやる。
洗い終わったショーツを畳むのも、俺が行う。
ティオも若干羞恥心が欠けているが、ターニャほどでは無いので、あと四年もすれば洗濯物は自分で畳むようになるだろう。
四年後というと、十四歳くらいか。
反抗期とか始まったら、プリムヴェールに相談しなくちゃな、とか親みたいなこと行ってみたり。
「賢者師匠、顔がニヤけてるぜェ」
バルテルスに指摘されたので、普段の凛々しい表情へと戻す。
「そ、そんなことより。バルテルスはここで何をしてたんだ?」
「あァ、舗装工事のバイトが一区切りついたから、賢者師匠の家に行こうかと思ってなァ。近くまで行ったんだがァ、気配がしねェ。そのうち通るだろうと思ってェ、ここで待ってたッてェわけだ」
宿に泊まっているかも、とかは考えなかったのだろうか。
考えなかったのだろうな。
考えるどころか、微塵にも思ってなかったに違いない。
こいつはそういうやつだ。
まあ丁度いいか。もし会えたら、バルテルスも連れていく予定だったし。
「丁度いいや。ちょっと魔法の実験がしたかったから、手伝ってくれるか?」
バルテルスは「任せとけ」という感じにサムズアップを見せつけた。
心強い。
結界のおかげか、自宅周辺に魔物はいない。
冒険者や兵士とすれ違うことはあるが、彼らもやはり俺の家の周辺には近寄らない。
何だか呪われているみたいだな。
高校生探偵エトウさんの住むお屋敷だって、誰も寄りつかない呪いの館とか呼ばれてたし。
そのうち、森林にそびえる妙な家から怪しい嬌声が聞こえるから見て来てくれ、とかそんな依頼が出たりしないだろうか。
今度ギルドに赴くことがあったら、エイムに言っておこう。
あの土地のあの屋敷は俺の家なので、呪われた怪しい館などでは無いです、ってな。
一応周辺を確認し、盗賊などの怪しい輩がいないことをはっきりとさせてから、鍵をガチャリとやる。
現在使用している鍵は、商店街の雑貨屋で購入したものだ。
安物だが結構頑丈なので、家の鍵としても充分使用に耐えうる。
無理やりこじ開けようとすれば、それもまた可能なのかもしれないが。
結界が張ってあるから、外敵が侵入することはまず無いだろう。
ただ日本人的思考で、鍵をかけないで外に出るのは物騒だという感覚が強いのだ。
バルテルスとティオを連れて玄関へ。
玄関では靴を脱ぎ、綺麗に揃えて並べる。靴を並べたり向きを揃えるという作法は、一般市民の間ではあまり流通していないのだとか。
バルテルスのように貴族の使用人をしている者は、キチンと弁えているらしいが。
彼は常時裸足なので、あまり意味がない。
水魔法を使って即席おしぼりを作り、手渡してやる。
「おゥ、ありがとな、賢者師匠」
ちなみに拭いた後のおしぼりは真っ黒になる。
こいつの足の裏は、絶対に見ないと心に決めている。
見れば多分、あまりの汚らしさに卒倒するだろうからな。
◇ ◇ ◇
――というわけで、俺はこれから魔法実験を始める。
用意するものはペンと杖と、今回の実験のキモであるユグドラシルの魔導書だ。
実験場所は、普段居間として使用している若干広めなリビングだ。
日当たりも良好で暖かいため、ティオもよくここでお昼寝をしている。
借りてきた本を読むのも、大体この場所だ。
一階はこのリビングと、台所とトイレ(パイプを繋いである)、あと空き部屋が三つと、小さいがお風呂もある。
流石に風呂は付いていなかったので、空き部屋の端に風呂桶を置いただけの簡素なものだ。
二階も間取りは一階と同じで、トイレや台所の上は押入れのような場所になっている。
魔法で造ったとは思えない、過ごしやすい家だ。
考えてみれば、こんな便利な魔法が世の中にある時点でおかしいと気が付くべきだったか。
「まあ、何でも無ければそれで良いんだしな」
実験するならタダだ。強いて言えば、歴史的価値があるかもしれない魔導書に、現存しない魔法の使い方を書き込むという暴挙を行う、という変な罪悪感くらいだろうか。
前に詠唱をメモろうとしたときにも思ったが、呪われたりしないよな……。
刹那的に逡巡するが、そんな感情も即座に打ち消す。
とりあえずやってみよう。
この世界に来て初めて魔法を使った時みたいに、良い結果を期待して楽しくやらなければ。
さて、何の魔法を書き込んでみようか。
実験だからな、この世界に存在しない類の魔法が良いだろう。
よって四属性に関する魔法や、治癒解毒系統の魔法は却下だ。氷魔法ってのは雷同様無いようだが、見落としているだけで、実は水魔法の中にあるのかもしれないな。
発動したか失敗したか、すぐに解るものの方が良い。
そうだな――召喚魔法か転移魔法なら、丁度良いんじゃないか。
召喚・転移の概念が無いらしいからな。
発動すれば、実験は成功。発動しなければ、やはり俺の思いすごしだった。うん、それで良いか。
「バルテルスに一つ質問がある。答えてくれるか?」
「あァ、何だァ?」
「お前は今まで生きてきて、人とか物質が突然消失して、他の場所に出現するとか、もしくはあるはずのない物体や生物が突如目の前に現れた、とかいう現象に遭遇したことはあるか?」
バルテルスは「何言ってんだこいつ」という顔で唖然としていたが、やがて彼は肩を竦め、額に手をやって首を左右に振ってみせた。
「局地的な竜巻か何かで、すッげェ遠くまで吹き飛ばせばできるんじゃァねェか? 風魔法ってのは、四属性の中では一ッ番万能だからなァ。そういう使い方も、アリかもしンねェ。賢者師匠が何を聞きてェのかは分ッかンねェけど、オレ自身はそんなオカルトじみた減少に遭遇したことは一度たりともねェな」
やはり風魔法か。
前にプリムヴェールに問うた時も、そんな感じの答えだったな。
魔法が無い世界の人々は《魔法》という現象に理想を詰め込むが、魔法がある世界の人間は《魔法》の限界を知ってしまうから、既存の魔法から大きくかけ離れた超常現象を《魔法》で行おうなど考えもしないのだろう。
科学が発達した地球でも、物体の転送・転移系の機械とかは発明されていないしな。
実際現在の科学進歩なら、近い将来それも可能となるのかもしれないが。
こうして見ると、伸びしろのある化学の方が魔法よりも優れているように思えてくるな。
比べること自体、間違っているのかもしれんが。
だが実際、転移はともかく召喚という概念が生まれることは無いのだろう。
異世界という観念も無いみたいだしな。
勇者系の書物はたくさんあるけど、別世界から召喚とか、別世界に飛ばされた――って類のものは無かった。
どうやらこの世界では、空の先には神様がいると信じられているみたいだしな。
勿論宇宙旅行だとか、異星人との戦闘系の書物もない。
天文学の書物は無かったから、詳しいことは知らないんだけどな。
とにかく、よし。書き込む魔法は考え付いた。
召喚魔法にしてみよう。
効力は――あまり広げないようにしておこう。
失敗を前提に書き込むとはいえ、万が一ということもあるからな。
もし成功して、異世界から不気味な魔物か何かが出現でもしたら目も当てられない。
家を造る魔法だって、間取りがあれだけ細かく限定されているのだ。
魔物のみを召喚する程度――だとか、魔族だけを召喚する程度――という縛りも可能なのではないか。
まあどうしようも無くなったら、俺とバルテルスでどうにかしなければならなくなるが。
「バルテルス、一つ頼まれてくれるか?」
「おゥ、何だァ?」
書き込む作業だが、俺が行うわけにはいかない。
言語こそ日本語と同じように話せているが、俺はこの世界の文字を書くことはできない。
別世界の言語ではいけない、などとはどこにも書かれていないが、妙な因子や事象は出来る限り取り除いておいた方が良いだろう。
この魔導書に魔法を書き込むことができると仮定して、それを別世界の言語で行ったとして、魔導書がその文字を正確に認識するかどうかは分からない。
この世界の言語で書き込んだ方が、確実性は増すだろう。
それもこれも、制覇譚の記述が事実だったら、の話だが。
「今から俺が言う内容を、書ける言語で良いからそこに書いてくれないか?」
「いいけどよォ、賢者師匠じゃなく、オレが書く意味ってあるのかァ? まあ、かまわねェけどよォ」
文字が書けない人間もいるようだし、怪しまれることは無いだろう。
別に後ろめたいことがあるわけでもないしな。
「一字一句、間違えずに書いてくれよ」
「わァってるよォ。あァ、そうだティオちゃん。オレが書いた内容がちゃんと合ってるか、傍で見といてくれや」
「分かりました」
ペンを片手に床に寝そべったバルテルスと並ぶように、ティオも寝転がる。
ティオとバルテルスが分かる言語――ということは、人族の言葉だな。
バルテルスを信頼していないわけでは無いが、セカンドオピニオンがつくというのは助かるな。
もう少ししたら、俺も言語を書く勉強を――って、あれ? 待てよ。
ふとした違和感。
確かに俺は文字を書くことは出来ないが――、読むことはできたんじゃなかったか。
というか、バルテルスの目の前で魔導書を読んだこともあるし、ティオのために基礎的な魔法教本を読み聞かせしていることも知っているはずだ。
「なあバルテルス、別に確認を求めなくても――――」
言いながら振り返ると、幸せそうにティオを見つめるバルテルスの微笑みが映り込んだ。
欲情や肉欲の籠ったそれではなく、可愛らしい子供を世話する優しいお兄さんのような表情だ。
バルテルスに抱いていた不信感を徐々に無くしているのか、ティオも安心しきった顔で寝そべっている。
……まあ、手を出さないなら良いか。
微笑ましい光景といえば、一応そんな感じだ。
代筆のバイト代ってことにしておこう。
もし書き込んで、その魔法が使えなかったとしたら、すぐにでもそのページを切り取っておかなければならないな。
後でこの書物を手にした人が、「召喚魔法、何だそれは!?」って感じに試しに使ってみたけど何も起こりませんでした――なんてことになったら、可哀想だからな。
というわけで、実験が失敗したら即座に切り落とすということにしよう。
逆に、万が一成功した場合の処遇についてだ。
半信半疑だが、その場合も考えておかなければなるまい。
何でも良いから召喚! なんて、どこぞのラノベみたいなことをして、もし獣族や人族のお偉いさんを召喚してしまったらどうする。
魔王とかもな。エルフ族は温厚かつ、冷静に話を聞いてくれる人が多いらしいが、全員が全員そうだとは限らない。
話が通じる種族、もしくは低級の魔物か下級魔族――その辺りなら、どうにかなりそうだ。
王都付近の森林に生息している魔族さんとかなら、もし本当に召喚してしまっても、お礼とお詫びだけして帰ってもらうこともできるだろうし。
下手に範囲を広げてサキュバスなんかを召喚しちゃったら、多分俺とバルテルスが干物になる。
よし、召喚条件は『王都周辺森林に生息する魔物か、下級魔族』。これで決まりだ。
後決めるのは、発動条件を想像か詠唱か魔法陣にするかだが。召喚魔法を想像に頼るのは些か危険な気がする。
変に邪念が混じって、ダイナマイトボディな姉ちゃんとかが召喚されても困るからな。
魔法陣にしよう。ソシャゲーのガチャからカードが飛び出すときみたいに、円状の魔法陣から光とともに出現! ってのはどうだろうか。
詠唱はやめておこう。格好良い詠唱や呪文など、考えられる自信がない。
万が一成功して、いい加減に考えた詠唱が死後も語り継がれたらどうよ。
『目覚めよ、そして傅け、ドラゴン!』とか『静まれ、我の召喚魔法陣』てな感じの詠唱が、永遠に語り継がれたら!
草葉の陰で、枕に顔を埋めてゴロゴロ転がり続けるハメになってしまう。
それは避けたい。
よし、決めた。魔法陣を描いて、そこにマナを送り込むという発動手順にしよう。
マナの量は――、乱発や悪用を防ぐために、かなり純度の高いマナを使うということにしよう。
俺の体内にはオドが完全に無いため、蓋と底のない筒のようにいくらでもマナを通すことができる。
スタッフを使えば、さらに増やすこともできるからな。
「さァ、いつでもいいぜェ」
「バルテルス、頼むぜ。円状の魔法陣を描き、マナを吸い上げてその魔法陣に流し込み――」
魔法陣の絵柄は、俺が描くことにしよう。
カタカナとかアルファベットを模した記号を組み合わせて描けば、既存の魔法陣と被ることも無いだろうし。
問題は、綺麗な円が描けるかどうかだな……。
どんな絵柄の魔法陣にしようかな、と様々な空想を巡らせていると、バルテルスとティオが困ったような顔で俺に視線を向けた。
「なァ、賢者師匠。この紙、インクを弾ィちまうんだけどよォ」
「インクを弾く?」
バルテルスのもとへ歩み寄り、魔導書のページを覗き込む。
インクのたっぷり染み込んだペンを、バルテルスが真っ白なページに押し付けるが、紙にインクが染み込まない。
少年漫画の単行本カバーのようなツルツルした紙に水性ペンで落書きをしたときのように、ペンに染み込んだインクはじわじわとページ上を滑り、弾かれてしまう。
ペンが悪いのかと、試しにポケットに入れていた別のペンを使用してみる。
だがこのペンも同様、ペン先が引っかかるらしく書き込むことができない。
インクが悪いのか! と、書き物机から別のインクを取り出したが、やはりこちらも弾かれてしまう。
ならば紙が悪いのか! ――と、新しい羊皮紙を持ってきたところで、それでは本末転倒だろうと気が付いた。
あくまでも、魔導書に書き込むのが今回の狙いだからな。
別の紙に書いたって、何の意味も無い。
「…………」
やはり、あの煉獄炎制覇譚は完全なる創作物だったのか。
新たな魔法が生まれる、紫紺の魔法書。
持ち主自ら書き込むことで、新しい魔法を世界に描き込むことのできる魔法書――――。
「……持ち主自らが書き込むことで、新たな魔法が生まれる」
いや、単なる言葉の綾だ。
あの魔族(?)は真正のぼっち気質で、頼れる相手が誰もいなかったから、自分で書いていただけだ。
もしあれが殺戮譚や増殖譚のようにヒロインいっぱいのハーレム物語だったら、仲間たちが魔法書に書き込む場面だってあったはずだ。
現に殺戮譚では、仲間たちとともに莫大な魔力を放出し、戦うようなシーンもあった。
……しかし。
図書館二階の蔵書室で、こんな一文を見た。
《ユグドラシルの魔導書を手にし、読むことができた者こそが魔導書に選ばれし真の英雄である》
魔導書の中身を、バルテルスやプリムヴェールは読むことができない。
いや、一部分は読めるのだ。自身の知っている言語で書かれている場所は読めるけど、他の言語で書かれているところは読めない。
だが俺は、異世界人でありながら、魔導書に書かれた言語――王都などで使われている看板や書物の文字。
エイムが代筆した、カザミ・アヤメという身分証明書の名前。
俺は、この世界の文字を読むことが出来る。
正確には“何と書いてあるのか分かる”と言うべきだが、内容を把握できるという点では大して変わらない。
過ごしやすいな、とさらっと流していたが。もしこの異常事態こそが、『ユグドラシルの魔導書に選ばれた』ということなのだとしたら。
だとしたら、何で俺なんだろう。
何故俺が、縁もゆかりも無い異世界の魔導書に選ばれなきゃならないんだ。
……考え過ぎか?
文献に記された内容全てを信じるのは、些か危ない考えだが――。
いやしかし、試してみる価値はあるんじゃないか。
試すだけなら、これといったリスクはないのだから。
俺はバルテルスからペンを引ったくり、床に広げられた魔導書にペン先を走らせた。
書き込む言語は日本語だ。
召喚魔法――魔法陣を描き、そこに膨大な量の魔力を流し込むことで、近場の魔物か下級魔族を一体だけ召喚できる。
第一目標が抵抗する場合は、また別の目標を探し、それを繰り返す。
無抵抗もしくは召喚されることを躊躇わぬ個体が選択された時点で、召喚交渉成立――。
「け、賢者師匠?」
書き込める。
バルテルスのようにインクが弾かれることなく、まるでインク自らが染み込んでいくかのようにスラスラ文字が記されていく。
脳内に描き込んだ魔法の原理や術式が、プログラムを入力するかのように整理され、書き込まれていく。
手が勝手に動くような感じだ。
魔法陣も、脳内に描いた通りのものが寸分違わず綺麗に記された。
「魔族の言語――いや、エルフ族の文字かァ? 変に角ばってるし、図形みたいな文字だなァ、おィ」
魔法陣の周囲に描く記号文字。
時計の文字盤のように、外側に言葉を連ねていく。
ちょっと崩したカタカナとアルファベットによるローマ字を組み合わせて、「ショキュウショウカンマホウ」と書き込まれた。
「…………」
染み込んだインクはページに馴染み、まるで最初から記されていたような錯覚を生じさせる。
召喚魔法の使い方、だ。
俺は、魔導書に新たな魔法を書き込むことに成功した。




