2-10.賢者と司書と――
迷宮。
王都北部の山脈に出現した、名もなき迷宮の一つだ。
迷宮とは言っても、見た感じは普通の洞窟と大差ない。
壁に穴が開いている感じだ。
中は薄暗く、松明か何かが欲しいが、そんな便利なものはない。
仕方が無いので石ころを幾つか拾っておいて、非常灯として扱うことにした。
迷宮の中は、ぼんやりと光っていた。
どうやら苔のような植物が壁中に生息しているらしく、その苔が光っているのだ。
発光ダイオード程度の明るさもないが、足元に多く生息しているため、結構便利だ。
視界は悪いが、何かに蹴躓くことはなさそうだ。
ただ苔は滑るので、足元に気を付けなければならないことに違いはないか。
少し進んだところで、俺は屈み込んで地面に手を触れてみる。
湿っている。
左手で地面を撫でながら、水魔法を具現化してみる。
迷宮で火魔法を使うのはご法度だ。
入り口付近ならまだしも、植物に燃え移ったりして火の手が回ると、あっという間に煙に巻かれて呼吸困難になる。
ここで使用できる火は、非常灯や松明程度が関の山らしい。
地面を撫でつけ、無事手のひらからジョロジョロと水魔法を発動できたことを確認。
立ち上がって歩きながら、今度は壁に手を宛がいながら水魔法を使用する。
ジョロジョロと水を出しながら歩くことに成功。
一階層時点では、壁からも床からもマナを吸い出すことが可能なようだ。
実験成功の旨をプリムヴェールに伝えようと振り返ると、プリムヴェールは顔を真っ赤にさせて気まずそうに髪を弄っていた。
「マナの吸出しは可能でしたけど――、どうかしたんですか?」
「すみません、ちょっと変なことを想像してしまいまして」
チラチラと視線が泳ぐプリムヴェールに違和感を覚え、俺は周囲を見渡してみた。
何の変哲もない、洞窟のような場所だ。
俺が通った地面が若干湿っているが、それ以外に変なところは――。
と、そこまで考えたところで、プリムヴェールが照れている理由がわかった。
歩きながら水魔法を出している光景を、仄暗い洞窟内で背後から見たとしよう。
俯瞰視点で見てみると、あら不思議、よからぬものを漏らしているように見える。
ヤバい、分かったらなんだか恥ずかしくなってきた。
関係無いのに!
ともかくこの方法はプリムヴェールの集中を霧散させる要因になりうるので、次からは風魔法で試すことにした。
手の甲につむじ風でも発生させられれば十分だ。
少し進むと、階段のようなものが視界に入った。
階段の傍や壁には、先ほどより発光苔が多く生息している。
便利だなと思ったが、実はこれにも理由があるらしい。
現在俺たちが入っているようなレベルの低い迷宮には、今までに幾つもの探索者が挑み、既に踏破されていることが多い。
迷宮を完全に踏破する目的で探索する場合、パーティが一人や二人ということはまずない。
最低でも五人か六人、もっと多いかもしれない。
迷宮慣れしている探索者であればあるほど、足元には気を付けるようになる。
そのためこうして発光苔が生息している迷宮に足を踏み入れた場合、先頭の斥候職の探索者が餌や肥料を撒いて「ここは階段です」とか「段差があります」といった道しるべを作っておくのだとか。
そうしておくと、帰り道で迷ったり怪我をする可能性が減るのだとか。
故に階段付近や段差の傍には発光苔が多く生息している。
もっともこうした手心が加えられている時点で、この迷宮には財宝や守護神のような魔物はもういません、と言われているようなものなのだが。
「どうしますか、もっと奥まで行ってみます?」
「二階層以降も使えるかどうか、試してみるのは良いことだと思います」
意見が一致したところで、階段を降りて二階層へ進む。
勿論、階段を降りるときは手を差し伸べてプリムヴェールをエスコート。
転ぶような段差でも無いんだけどね。
せっかく手を取ることができたので、このまま手を繋ぎながら下まで――と思ったのだが、すぐに振りほどかれた。
迷宮ではいつ何時たりとも気を抜くことはできない。
いつ魔物が出るか分からないから、手を塞ぐような行動は慎むように、と真面目な顔で釘を刺された。
生命がかかっていることなら、仕方が無い。素直に従うことにする。
二階層も一階層と大差ない空間だ。
稀に魔物が飛び出してくるが、プリムヴェールの風魔法か俺の土魔法ですぐ死滅する。
ちなみに出てくる魔物は、全て虫のような生物ばかりだ。
ムカデのような甲虫や、蟻のような赤い虫。
ちょっと気持ち悪いが、洞窟に出る魔物だから仕方ないのだと割り切る。
土魔法で木槌を造り、脳天に叩きこむ。
――言葉で表現すると格好いいが、実際はひょろい賢者が、ふらつきながら餅つきをしているような状況だった。
ミミズみたいな魔物も出てきたが、プリムヴェールの放つ旋風によりズタズタにされた。
ミミズとは言っても、チー○ーマンに出てくるようなやつだったが。
「中堅レベルの迷宮と言っても、強い魔物が出てくるってわけじゃないんですね」
「基本的に迷宮のレベルは、最深部までの距離で決まりますからね。自分たちでは太刀打ちできない魔物が現れた時、どれだけ早く地上へ逃げることができるかも大切なんですよ」
そういうものなのか。
ただ実際、迷宮が深くまで続いており、道中が入り組んでいる迷宮であればあるほど総魔力数が多く、出現する魔物の危険度も増すようなので、レベルが高い迷宮であればあるほど危険な魔物が出ることには変わりないらしい。
「そういえば、素材を採ったりしないんですね」
先ほどからプリムヴェールは、虫たちの体躯を旋風で切り刻み、そのまま放置している。
迷宮内で見つけた素材や鉱石や魔道具はギルドに提出しろとエイムは言っていたが、良いのだろうか。
「エイムが言ってた『素材』というのは、もう少し大きな魔物から採れるもののことですよ。多分もう少し降りると出てくると思いますけど――、せっかくですから行ってみましょうか?」
鉛筆くらいの大きさをしたムカデを容赦なく切り刻みながら、プリムヴェールはそう提案する。
プリムヴェールさえ良ければ、俺も奥まで行ってみたい。
せっかく二人きりで仄暗い場所にいるのだから。
甲虫だらけで陰気くさい場所なため、どう転がしてもデートっぽくならないのが惜しいところだが。
階段を抜けては、同じような洞窟を巡り、プリムヴェールの風魔法で小さな虫たちを殲滅する。
もう五、六階層は来ただろうか。
景色が全く変わらないため、今自分が何階層を歩いているのか分からなくなってきた。
実際の迷宮探索でも、戦うことを専門とした探索者たちは、そういった状況に陥りやすいらしい。
そのためもっと難解な迷宮に潜るときは、魔物と戦わない代わりにその他の雑用やら何やらを一手に引き受ける便利屋のような探索者が最低でも一人くっついてくるらしい。
それが所謂、賢者という職業に求められる技なのだ。
出現した魔物の特性を仲間に伝え、自衛をしながら前方の罠を発見したり段差を埋める。
食料や雑用品の管理から、何階層まで降りたかどうかの把握。
万が一の逃げ道の確保、etc。
全てが求められるというわけではないが、一流の迷宮探索パーティに所属する賢者は、大抵一人で上記の事柄は片手間にこなしてしまうらしい。
賢者って、凄いね。
俺には到底できないことばっかりだぜ。
……はぁ。
落ち込んでいても何も変わらないので、先へ進む。
さらに階段を何回か降りると、講堂ぐらいの大きさをした部屋が広がった階層に辿り着いた。
綺麗な直方体の空間だ。
発光苔がびっしりと天井に生息しており、今までの階層より明るく安心だ。
薄暗い、ではなくぼんやりと明るい、という表現が的確だろう。
そして嫌に静かだ。
さっきまで大量に湧いていた虫たちが姿を消している。
休憩場所か何かだろうか。
「……おかしいなぁ」
「どうかしたんですか?」
ルビーの瞳を細めて地図と睨めっこをしながら、プリムヴェールは不安げな声を漏らした。
「多分この程度の迷宮だったら、もう少し強い魔物が出てきてもおかしくないと思うんですけど……」
プリムヴェール曰く、ある程度成長した迷宮には、魔物によって幾つかの縄張りが造られるものなのだとか。
この迷宮はムカデや蟻のような魔物が多いため、そういった類の上位種の魔物が、こうした広い部屋を陣取って構えていることが多いのだ。
プリムヴェールとしては、そろそろ大きめの魔物が出てくるかな、と警戒していたらしい。
脅威が少ないことに不満を感じることはないが、少しこの状況はおかしいとのことだ。
「エイムが気をつかって、最近踏破されたばかりの迷宮を選んでくれたのかなぁ……」
迷宮の魔力は循環しているため、時が経つとまた歪みから新たな魔物が誕生するらしい。
だがゲームのように、一度出てもう一度入り直せばすぐさま魔物が復活している、なんて鬼畜仕様にはならない。
魔物だって生き物なのだ。
探索者の気まぐれでそうポンポン生まれては、生態系が壊れてしまう。
故に長い期間誰も足を踏み入れていない迷宮には、成長して肥大化している魔物が多く生息しているらしい。
「もしくは、今も誰かがこの迷宮を探索している……とかですか?」
「確かにそれもありえるかもしれません。この程度の迷宮でしたら、ギルドを通さずに勝手に入る探索者もいるかもしれませんし」
少なくとも、この迷宮には最近誰かが入った形跡があるということで間違いないらしい。
安心もするが、ちょっと残念だったりもする。
実際ここに来た理由は迷宮でもマナが使えるかどうかの実験が主な目的だったため、無駄足になることはないが。
「でもやっぱり、魔物と戦ってみたかったなぁ……」
「そうですね。――もう少しだけ、潜ってみましょうか?」
プリムヴェールの提案に、俺は喜んで首肯。
こうしてプリムヴェールの方から、あっちへ行こうこっちへ行こうと誘われるのはやはり嬉しい。
肩を並べて歩いているといつも思うんだけど、本当にプリムヴェールは良い匂いがする。
さりげなく彼女の斜め後ろにまわり、ふわっと漂ってきた香りを楽しむ。
とろけてしまうような甘い匂い。
ヤバい、癖になりそうだ。
「うむ、悪くないな」
「何が『悪くないな』ですか、突然背後にまわったと思ったら、いやらしい顔なんてして」
ルビーの瞳を半眼にしたプリムヴェールに睨まれた。
おおぅ、意外とバレてしまうものなのか。
これからはもう少しさりげなく近づこう、と全く以て改善が見受けられない決心をしたところで、目の前を歩いていたプリムヴェールが不意に立ち止まった。
咄嗟のことに間に合わず、顔が後頭部に押し付けられる。
プリムヴェールの香りが鼻先にパッと弾けた。
意外と“これから”は早く来たようだった。
「何か――誰かが来ますね」
「誰か、ですか?」
魔物ではないのだろうか。
発光苔のおかげで視界は悪くないが、一応ここは迷宮だ。
講堂の端から端までを見通せるだけの明るさは存在しない。
息を殺して立ち止まっていると、微かに足音が聴こえてきた。
一人――いや、二人か、なんて分かるわけがない。
反響しているのか、幾つもの足音が近づいてきているようにも感じる。
ただ、二足歩行していることには間違い無さそうだ。
「この迷宮に、二足歩行するような魔物は出てきますか?」
「いえ、多分それはないかと。吸血ゴブリンか悪魔か何かが潜っていなければ、ですけど」
この迷宮に出現する小型の魔物は九割以上が虫系の魔物だった。
それらの下僕を管理している魔物は、小型の魔物と容姿や体内構造が類似しているものであることが多い。
故にこの迷宮には、二足歩行する人型の魔物や龍系統の魔物が出現することはありえないのだ。
「はァっ……! はァっ……!!」
暗がりの中から飛び出してきた“何か”は、息を荒くしながらこちらへ向かってきた。
影の形からして、男性――それも少年だろう。
最低でも、俺やプリムヴェールよりは小さい。
危険なオーラを出しているような節も無かったため、俺は一歩踏み出し、本を片手に堂々とした仁王立ちをして立ち塞がった。
「止まれ! 貴様は何者だ」
息荒く飛び出してきたそいつは、俺を見るや否や安堵したような表情を見せてバッタリと倒れ込んだ。
マラソンランナーがゴール直後にそのまま転倒したような感じだ。
かなり長い距離を走って来たのではなかろうか。
そいつ――は、少年だった。
ところどころカッパーブラウンの混じった金髪短髪の少年だ。
イノシシか何かをなめしたような安っぽい毛皮を纏っているが、下半身を包む衣類はやたら高価そうなものだ。
スーツとまではいかないが、普段着として着て良いような生地ではない。
「お、おい、大丈夫かよ」
「――ったァ、心配すんな。オレァ大丈夫だ。何せ俺は、うちの親衛隊の中で誰よりも強いからな」
弱々しく瞑られていた双眸がカッと見開かれ、少年はうつ伏せの格好から即座に跳躍して立ち上がった。
俺と同じように仁王立ちして、清々しいほどのドヤ顔を披露している。
向かい合って同じ格好をとるのが少し恥ずかしくなったので、俺は一歩下がって体勢を崩した。
「…………」
ドヤ顔を披露する少年の格好は、やはりどこかしら違和感を生じさせる着こなしだった。
安っぽい毛皮を纏う上半身を包み込むのは、どこのバーテンダーだと聞きたくなるような黒いベストに、黄色の蝶ネクタイ。
だがそのベストの下には何も着ていないらしく、年頃にしては若干筋肉質な胸板が堂々と顔を覗かせている。
腕には包帯のようなものをグルグル巻きにしており、どこぞの巫女さんのように腋は丸出しだ。
ズボンもこれまた高価そうな布地を使用しており、ご丁寧にベルトまで通している。
だが裸足だった。
靴下を穿くのが嫌なのだろうか。
ともかく、総合的な評価とすれば――。
「と、とても個性的な着こなしをなされていますね……」
「もしかして、変態さんか?」
人を見かけで判断しないプリムヴェールでも、若干引くほどの服装である。
これでもしノーパンだったら、変態としか言いようがない。
ありえそうで怖いが。
「なァに二人してみょーちきりんな顔してんだァ? オレが格好良すぎて、思わず見惚れちまったのかなァ?」
「い、いや、格好いいとかそういう次元じゃあなくて……」
「はい、とても素敵な着こなしをされていると思います」
プリムヴェールが一歩前に出て、穏やかな笑顔でそう締めくくった。
だが俺には分かる。
一か月間一緒にいた俺にはよく分かる。
この笑顔は、引きつっている顔を隠す時に使う笑顔だ。
図書館デートのようなことをしている時に、偶然お取込み中のサキュバスと鉢合わせしたときも、プリムヴェールは確かこんな顔をしていた。
だがそんなことを知らなければ、プリムヴェールの表情と声音は本心から相手を褒めているようにしか見えない。
金髪短髪の少年は「へへん」と笑い、鼻息を漏らした。
笑いたいのはこっちだ。
「ところで先ほどはひどく慌てていたようですけど、この先で何かあったのですか?」
プリムヴェールの疑問に、俺はさっきのことを思い出した。
そうだった。こいつの奇抜なファッションのせいで頭から抜け落ちていたが、さっきまで彼は相当焦っていた。
何かから逃げるように、もしくは誰かに救いを求めるような雰囲気で。
「あァ、そうそう。女騎士と一緒にお嬢様を連れて迷宮に潜ってたんだが、最深部ででっかい闇光蠍に襲われちまってよォ。三人じゃァどォにもなァんねえから、助けを呼びに来たんだよ」
闇光蠍。魔物が書かれていた書物にも載っていたな。
身体が肥大化した大蠍で、体躯を堅牢な鎧に囲まれていてハサミはとくに堅い。
尻尾の先に毒は無いらしいが、大振りの突き攻撃は威力が高く、並みの鎧では簡単に貫通してしまうという。
だが割と大人しく、下手に刺激しなければ襲ってこないという安全な部類に位置する魔物だったはずだ。
運が悪かったのだろうか。
「闇光蠍は、滅多に人を襲わない静謐な魔物なはずですけど」
「アァ、オレだってそんくらい知ってらァ。……だがよォ、お嬢様が面白がって鎧を引っ叩いてたら、急にキレやがってなァ」
金髪短髪の少年はポリポリと後頭部を掻きながら遠い目をした。
今までも、何度も何度もこんな目に遭ってきたのに……とでも言うような表情だった。
「そのお嬢様とやらは、今どこに?」
「親衛隊のカミーユって女騎士と、最深部にいるはずだ。カミーユは一応上級レベルの迷宮に潜ったこともあるって言ってたからな、お嬢様の護衛くらいならできるはずだ」
「上級レベルの迷宮って……。一人でですか?」
「いんや、十人近くのパーティだったはずだがァな」
探索者の手記によると、喩え大人数のパーティでも上級レベルの迷宮に潜るということは良い経験になると書かれていた。
「騎士ということは、前衛を任されていたのでしょうか」
「まさか! そんな強けりゃァ、今でも探索者を続けてるだろうよ。……確か後衛だっつってたかなァ。予備戦力として呼ばれただけとか言ってたしよォ」
プリムヴェールは困惑したような表情を浮かべ、俺の方を見やった。
あれかな、助けてあげようって言うのかな。
プリムヴェールがそうしたいなら、俺もついていくつもりだけど。
「ア、アヤメさん……」
何かを訴えようと、プリムヴェールは遠慮がちにチラチラとこっちを見ている。
「助けに、行きましょうか?」
「はい、そうさせてください!」
ついでに迷宮の魔物とやらとも戦うことができるかもしれない。
それに、何て言うか。プリムヴェールは困っている人を放っておけない人だ。
きっとこのまま戻ろうと言えば、「アヤメさんだけ戻っていてください」とでも言っていただろう。
そういう人だ。
彼女を置いて自分だけ逃げるなんて薄情なことはできない。
「助かるぜェ! よっしゃァ、付いてきな! こっちだかんよォ!」
金髪短髪の少年は歯をむき出して獣的に笑うと、背中を見せて一目散に突っ走っていった。
弾丸のように消え失せた背中を見送った後、俺とプリムヴェールは顔を見合わせてから、ゆっくりと彼の消えた軌跡を歩んでいくことにした。




