第28話 命をつなぐ魔法
戦が終わった後の空気は、妙に静かだった。
風に乗って焦げた匂いと血のにおいが薄れていくなか、兵士たちは無言で後片付けを進めていた。
その片隅。陽の傾き始めた野営地の一角で、少女たちは小さな命の火をつなぎ止めていた。
「はい、痛いのはすぐに楽になるからね。ヒール!」
シエナの両手に光が集まり、優しい輝きが傷をなぞる。
呻き声を上げていた若い兵士が、ほっと息を吐いた。
「すごい……楽になった……」
「でしょ?」
シエナは笑ってみせたが、額には汗がにじんでいる。
治療に使う魔力は、攻撃魔法以上に繊細で、そして消耗が大きい。
その隣で、アリアは静かにその様子を見つめていた。
手には布と薬草がある。でも、自分の手では“回復魔法”は使えない。今はまだ。
「……ねえ、シエナ。どうしてその魔法が使えるの?」
「え? どうしてって、習ったからだよ?」
「その、魔法陣とか……。構築式っていうのかな。どうやって“それ”を形にしてるのかって、思って」
シエナは怪我人の包帯を結びながら、少しだけ考えるように首をかしげた。
「うーん。私、昔からこの系統は得意なんだよね。傷の深さとか、血の流れとか、そういうのが“こうすれば止まる”って、体で覚えてる感じ」
「そう……」
アリアは、小さく目を伏せた。
(私はまだ、それができない。知識だけじゃ、助けられない)
この戦いで、何人もの命が失われた。救えたはずの命もあったのかもしれない。そう思うと、アリアの胸の奥に小さな痛みが走った。
「……だったら、見せてくれない?」
「えっ?」
「シエナの、その魔法の構築陣。私、それを記憶したいの」
「え、いいけど。見てもわかるの?」
「見れば、“わかる”の」
アリアの瞳に、静かな意志が灯った。
シエナが差し出した手のひらに、小さく淡い魔法陣が浮かぶ。
繊細な紋様が淡く輝き、光の粒が指先から舞い上がった。
「これが《ヒール》の構築式!」
アリアの目が見開かれたまま、微かに揺れる。
(魔力の流れ、接触部位の導線、傷の深さに応じて展開される回復領域)
そして、その瞬間。
アリアの足元に、ふわりと書物の幻影が現れた。
ページが一枚、静かにめくられる。
魔法陣が、音もなくその書の中に刻まれていく――。
「思念写本……再構築、完了」
呟いたと同時に、アリアの掌にシエナと同じ構築式が浮かび上がる。
それは完璧なまでに忠実な再現。しかも、彼女の魔力量に合わせて最適化されていた。
「……いけるかも」
目の前に、肩口から血を流してうずくまる少年兵がいた。年はシエナと変わらないくらい。傷は浅いが、放置すれば感染の恐れもある。
「大丈夫。今、治すから」
アリアは、少年の肩にそっと手を当てる。
「《ヒール》」
魔法陣が回転し、光があふれた。
そして。
「……痛く、ない……?」
少年が、目を見開いた。
傷口がゆっくりとふさがっていくのが見える。血が止まり、皮膚が再生していく――。
「やった!」
アリアの口元が、ほころぶ。小さな息を吐きながら、彼女はもう一度魔法を構築した。
それを見ていたシエナが、ぽかんと口を開いたまま呟く。
「うそ。覚えただけじゃなくて、完璧に再現してる!」
「ありがとう、シエナ。あなたのおかげ」
アリアは微笑む。そして再び、次の負傷兵の元へ向かう。
その後ろ姿を、シエナはしばらく呆然と見ていた。
(アリアやっぱりすごい!)
*
アリアとシエナは手分けして、治療対象を探していた。
そのときだった。荷車の陰に、荒い息を吐いてうずくまる一人の男がいた。
敵兵。
ユリウス軍の紋章がついた破れたマントをまとい、片足に深い傷を負っている。おそらく脱出に失敗し、置き去りにされたのだろう。
アリアは一瞬だけ足を止めた。
だが、彼女の瞳に迷いはなかった。
「あなた、大丈夫?」
そう声をかけると、男はびくりと肩を震わせた。
剣を構える余力もないのに、必死に身を守ろうと身を固める。
「お、おれは……敵、だぞ……助けても、なんの意味も……」
「意味は、あります」
アリアはゆっくりとしゃがみ込み、彼の足元に手を添える。
「あなたがここで死ねば、誰かがまた、あなたの仇を求めて復讐するかもしれない。でも、命がつながれば、その憎しみを終わらせる選択もできるはずです」
「……お前は、戦いの勝者だろう……なんで、そんなことを……」
「勝ったからこそ、できることもあるんです」
アリアの手に、再び魔法陣が浮かぶ。
《ヒール》。
光が足元を照らし、男の傷がゆっくりとふさがっていく。
男の瞳から、ぽたりと涙がこぼれ落ちた。
「……くそ……ありがとう……でも、おれ、どうすればいい……」
「生きて、考えてください。自分がこれから、誰のために生きるのか」
アリアは、そっと微笑んだ。
「ありがとう、本当に、ありがとう……」
うっすらと涙を浮かべた兵士が、震える手でアリアに頭を下げる。
敵味方の区別なく傷を癒やしていく少女の姿は、そこにいた誰よりもまぶしかった。
アリアは、静かに微笑んで答える。
「生きて、帰ってください。それが一番、大切なことです」
彼女の声は、優しく、けれど確かな力を宿していた。
回復魔法を終えた彼女の手元には、すでに次の治療対象が待っている。
「すごいな……あの子」
「さっき見たんだ。敵兵にも、同じように魔法をかけてた。……俺ならできないよ」
兵士たちの間に、自然と感嘆の声が広がっていく。
その中には、仲間だけでなく、治療された元ユリウス軍の者もいた。
「俺は見捨てられたと思ってた。でも、助けられた。」
ただの“勝利”だけじゃない。
その後に何を為すかで、人の“価値”が決まるのだと、誰もが胸のどこかで感じていた。
*
一方その頃。戦場を見渡せる高台には、二人の男が立っていた。
「あれが、アリア・アイゼンベルクの本質」
ヴェルナーが、風に揺れる外套を押さえながら静かに言う。
その隣で、テオドールは黙ってアリアの姿を見つめていた。
治療を続ける彼女の手が、血に濡れたまま、それでも止まらないことに、胸が締めつけられるような感覚を覚える。
「彼女は誰かを傷つけるために力を使わない。救うために使う」
テオドールの声には、どこか憧れにも似た尊敬がにじんでいた。
「僕も、ああありたい。王としてじゃなくて、“人として”」
ヴェルナーは目を細め、彼の言葉に頷く。
「ならば、学べばいいのです。」
太陽は、ゆっくりと西へ傾き始めていた。
だが、アリアが放った光は、戦場の誰の心にも、確かに残り続けていた。




