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9:機械仕掛けの魔法 ~magic in machinery/後篇

 ぺらり、ぺらり、と紙を捲る音だけが聞こえていた。それなのに、心の中はどこか雨雲のように灰色で満たされている。


 クラークから一通りの説明をしてもらったリィズリットは、そのまま部屋に残って記事をじっくりと読むことにした。クラークはそれを了承して、部屋の使用許可も取ってきてくれていた。

 紙の束に向かうや否や、リィズリットは集中してしまっていた。気が付けば、今、部屋にはリィズリットだけしかいないかった。


 ほぅ、と漏れだしたような息を吐いて、リィズリットは伸びをする。ぎぃ、と椅子が軋んで音を立てた。窓を見れば、差し込む日の角度は鋭くなっており、リィズリットは逆光の眩しさに窓の外を見ることができなかった。


 がさり、とやや荒っぽくフルークブラットを手に取った。クラークの書いた、エドワードに関する記事。エドワードの心情を追った、悲しい文章。さっと目を通して、はら、と机に落とす。じっくり読むまでもない。書かれていたことは、もう頭の中に入っている。


 同じことをもう何度も繰り返していた。頭の中は落ち着いているようで、ぐちゃぐちゃだった。まるで、思いついたものを何でも鍋に放り込んでしまったような――


(いや、それならまだましかな。だって、何が入ってるのかも、分かんないんだもん)


 額を叩き付ける勢いで突っ伏す。狭くなった視界は、とても暗い。机の木目模様も今ではくっきりと、匂いすら感じるほどに近くに見えている。暗闇から覗き見えた紙の束は、遠くにあった。


 話を聞けば聞く程、資料を読めば読むほど、考えれば考えるほど、リィズリットをより悩ませてしまうのは、名前しか知らない老人のことだ。


 初めから選択肢が二つしかないことは分かっていた。

 写真を返して、会わずに去る。写真を返して、会って話す。


 それが問いであり、解答であるとリィズリットは知っている。それでもリィズリットが悩み、迷うのは、ただ、どうしてもその解答に至る道のりが導き出せなかったからだ。


 バートランドは「我が主を助けて欲しい」と言った。しかし、本人がそれを望んでいないのなら、助けることはできない。でも、話を聞き、調べればリィズリットにもエドワードを助けたいと思えてくる。それでも、他人の決めたことに口出しをするのは、憚られる。でも、だが、しかし、それでも――


 思考は騙し絵の階段のように、ひたすら上っても、上っても、上っても頂上には辿り着かず、出口のない迷路を彷徨い続けてしまう。そしていつしか、かき混ぜすぎてバターになってしまうように、そもそも何が混ざっているのかも分からなくなり、『悩み』としての形だけが残っていた。


「師匠……あたし、どうすればいいの」


 腕に顔を押し付けて、零れた泣き言に体が震えた。きっと師匠ならこんな事で悩むことなんてないんだろう。そう考えて、涙が出た。濡れていく袖はとても冷たかった。


「――リズ?」


 がちゃりとドアが開けられて、聞き覚えのある声が届けられた。リィズリットはゆらゆらと、目を拭いながら顔を上げる。


「ロナ……」

「どうしたの? 目が赤いわよ?」

「気のせいだよ。あたしの目は、真っ黒だよ」

「そういうことじゃなくて……」


 ロナージュは口を真一文字に結んで、少しだけ悲しそうな顔をした。そして、何も言わないまま椅子を引いて、向かいに座った。リィズリットはロナージュと目が合って、口を開く。


「……他のみんなは?」

「クラークは同僚の人に捕まって、仕事を手伝ってるみたい。アランはエイプリルさんと話をしてる」

「ごめんね、ロナ。今日は、クラークさんとのデートの日だったんじゃないの? あたしに付き合わせちゃって……」

「ううん。違うわ。それも少しはあったんだけど、クラークの職場を見にきたときに予想はしてたから。今日はアランに言われてから、来たのよ」

「アラン君に?」


 こくり、とロナージュは優しい微笑みで頷いた。


「アランがね、外を見て回りたいって最近言い出したのよ。それで、クラークに会うのも兼ねて、こっちまで来たってわけ」

「アラン君、人の多いところは苦手だって……」

「うん。でもね、それでも少しずつ慣れるようにって。アランは変わろうとしてる。これはね、リズのおかげだよ」

「……あたし? あたしは、何もしてないよ。アラン君と話したのはエイプリルだし……」

「ううん。リズがあの日、来てくれなければこうはならなかった。それにね、詳しくは私も分からないんだけど、アランは色々とリズの話を聞いたみたい。それで、同じように頑張ろうって思ったって」


 リィズリットは言葉に詰まる。誰かから「頑張っている」と言われる程、自分では自信も自覚もなかった。目指すべき高みは遙か遠く、その影を追おうとすればする程に自分が何もできていないと知らされるのだ。


「……ねぇ、リズ。何か悩み事あるの?」


 黙りこくるリィズリットに、ロナージュは探るように尋ねた。無意識に目を逸らして「別、に……」と、歯切れ悪く答える。


「リズが何で悩んでるか、『魔法』とか、『魔女』とか、私には詳しいことは分からないけど……見てると分かるわよ。だって、友達だから」


 引き寄せられるように、リィズリットはロナージュを見る。


「リズ。私は、リズに助けて貰ったのよ。それは、〈携帯電話〉を貰ったことじゃなくて、もっと根本的なことを教えてもらったこと」


 真っ直ぐな瞳と目が合う。


「ちゃんと自分で考えて、自分で決断して、自分で動くこと。誰かに頼っても、自分自身の答えは、自分しか出せないってこと。大事なのは、自分が何をやりたいかってこと」

「自分が、何をやりたいか……」


 復唱した言葉は胸に沁みる。知れず、視線が下がっていく。


 『それ』は初めから持っている。だからこそ、悩んでいる。出口のない迷路の入り口なのだ。


「――いたっ!?」


 突如、額に痛みを覚えて顔を上げた。目の前には、伸ばされたロナージュの腕があった。


「私は、あの時のリズみたいに怖く怒ることなんてできないけど、うじうじしてるのを見たら、こんな風にデコピンして怒るぐらいならできるわ」


 じんじんと、額が熱を持ったように痛む。霧が晴れるように、視界が鮮やかに澄んでいく。伸ばされたロナージュの手は、まだリィズリットへ向けられていた。まるで、痛みを指差すように、その先にあるものを示すように――


(あたしが、やりたいのは――)


「後はリズが決めること。私には、できるのはこの程度しかない。後、私がリズに教えれることと言えば――」


 ロナージュの声が、リィズリットに響く。


「私の友達の『魔女』は、誰よりもカッコいいってことぐらい、かな」

「――っ!」


 がた、と椅子の転がる音が反響した。リィズリットは立ち上がり、背中を押してくれている友人を見つめる。


「――ロナ。あたし、やりたいように、やっていいのかな」

「私には、分からないわ。でも、リズがそう思うのなら、それでいいと思う」

「……うん。そだね。迷わない。答えなんて、自分で作らないといけないんだよね。やりたいように、やれるだけのことを、やってみる」


 言い聞かせるように続ける言葉は、当たり前のように心を軽くする。初めからそれで良かったのだと、迷う必要なんてなかったのだと思わせてくる。


「――あたしは、エドワードさんを助けたい」

「頑張れ、リズ」

「頑張るよ。だって、友達にカッコ悪いところは、見せれないもんね」


 叫ぶように言い切って、リィズリットは部屋を飛び出した。窓から差し込む陽光は、部屋を満遍なく照らしていた。





「ようこそ、お越しくださいました」


 壮年の執事は恭しく頭を下げた。リィズリットは会釈で返して、執事――バートランドへ、写真を差し出した。


「これ、忘れ物です。大事なものだと思って、持って来ました」

「ありがとうございます。本来ならこちらから伺わなければいけない事でした」


 白々しさを感じる言葉だった。しかし、それは想像していたことだった。

 バートランドが、わざと置いて帰った。それは、こうして訪ねさせる為だ。そうでなくても、貴重な写真を手元に置かせることで、否応でも意識せざるを得ない。全ては、リィズリットに――『魔女』の力を使わせる為に。


「――エドワードさんと、話がしたいんだけど」


 バートランドは驚く素振りも見せずに頷いて「では、しばらくお待ちください」と言うと、こつ、こつ、と床を鳴らして屋敷の奥へと消えていった。その背中を見送るリィズリットは、どこか落ち着いていた。


「ご主人様。エドワード様と話してどうされるのですか?」

「あたしにできることをやるだけ、だよ」


 だから、エイプリルの質問にも、そうあっさりと答えていた。

 ややあって、バートランドは戻ってきた。


「我が主がお会いしても良い、と。こちらへ」


 バートランドの案内に従って、リィズリット達は屋敷の中を歩いて行く。かつり、かつり、と三人の疎らな足音が廊下に響いていく。歩きながら、リィズリットは周囲を眺めていた。


(綺麗な家……)


 清潔さを保つように到る所まで丁寧に掃除され、飾られた調度品には埃一つなく、窓にも汚れ一つない。香を焚いているのか、柔らかく甘いハーブの香りが満ちている。内装も、あくまでも家を飾るものとして極端に目立たせない貞淑さを感じさせる。それは、この家に住まう人々を表しているように思え――同時に、がらんとした静けさが、その人々がもういないことを思わせてどこか寂しさを覚えさせた。


「この部屋でお待ちです」


 扉の前で立ち止まり、バートランドはそう言った。そして、扉を四回ノックすると「お客様がおいでになられました」とその向こうへ告げて、数瞬だけ待つと扉を開いた。


 お辞儀をするバートランドの横を抜けて、リィズリット達は部屋の中へと入った。

 そこは執務室のようだった。

壁には大きな棚が添えつけられ、幾つもの書類が並べられている。バルコニーへ繋がる大きな窓と、直角になるように置かれた横に長い大きな机は、事務作業を行うものだろう。しかし、その先の部屋の主が座るべき場所には、誰もいなかった。


 リィズリットは人影を探して、部屋を見渡した。その時、静けさに満ちた部屋に、きぃ、と軋むような音がした。音に向かって、リィズリットは足を進めていく。


「――エドワードさん、ですか?」


 バルコニーの中央。空を仰ぐようにして、角度の深い椅子にその老人は座っていた。


「……君が、『魔女』かね?」

「うん。あたしが、今の『魔女』」


 エドワードは小さく「そうか」と呟くだけで、生気を感じさせない目を、変わらずに天へと向けている。


 小さな老人だと思った。背丈そのものはリィズリットより大きい。だが、椅子に寝そべるその様子は、年齢よりも老けて小さく見えてしまう。


「『魔女』が、私に何の用かな」


 きぃ、と椅子が泣く。エドワードは顔を僅かにリィズリットへと向けた。かつては精悍だったであろう、その顔は疲労と心労の皺を刻んでいる。深く窪んだ眼は、虚ろさと、どこか達観した様子を併せ持っていた。


「あたしは、エドワードさんを助けたい」


 吸い込まれるような瞳に、リィズリットは見つめ返して答える。


「私は『魔法』なんて望んではいないよ」

「それでも、あたしはエドワードさんを助けたい」


 きっぱりと言い切った言葉が揺らすように、暖かな風が吹いた。


「あたしは、エドワードさんの気持ちが分かるよ」

「……君に何が分かるのかな」

「あたしも、大事な人を亡くしたから」


 胸がきゅっと痛んだ。言葉にすることは、それを認識する行為だからだ。でも、それを分かっていても、口にしなければならない。全てをエドワードに伝えなければならない。

 ん、とリィズリットは喉を鳴らす。


「あたし、家族はいないんだ。物心ついた時から一人で暮らしてた。……暮らすって言っても、ちゃんとした生活が出来てたわけでもないんだけどね。だから、親や兄弟がいるってのが分かんなかった。ずっと、一人で生きるんだなって思ってた」


 思い出は冷たく、凍えている。でも、その頃はそうだと知らなかった。それが当たり前だと思っていた。


「でも、そんなときにね、師匠が私を見つけてくれたんだ」


 あの『魔法』の暖かさを、忘れることなんてできない。その熱は今もリィズリットの胸の中で火を点し続けている。


「それで、一緒に暮らすようになった。今までの自分が、当たり前じゃなかったんだ、って知らされた。知れば知るほど、今の温かさが怖くて、泣きそうになって、でも、嬉しくて。楽しくて、ずっと、師匠といれるって信じてた」


 終わりの日は突然やってきた。体調不良を訴えていた師匠は、ベッドの中であっさりと、眠りについたまま、起きてこなかった。


「師匠が死んだこと……信じれなくて、信じたくなくて……あたしは、ずっと泣いてた。一人ぼっちの家は、がらんとして見えて、世界に自分一人だけが残されたような気分になって、寂しくて、寂しくて……気付いたら、家の中をふらふら歩いて回ってた。師匠がどこかに居るような気がして、探して回ってた。それで、見れば見るほど、悲しくなって、また泣いた。だって、そうだよね。家の中にはさ、師匠の残り香があるんだもん。居ないってことを、知らされるだけなんだもん」


 エドワードは天を仰いで、目をゆっくり閉じた。それは溢れ出る感情を堪えているようにも見えた。


「いなくなったって、本当に分かった時、すごく悲しくなって、胸がはち切れそうだった。あたし一人を置いていかないでって……叫んでた。そんな時に、エイプリルを見つけたの。師匠の工房に造りかけの〈自動人形〉が置いてあった。あたしは必死で作った。一人は、寂しくて、耐えきれなかったから。それから、エイプリルと暮らして、寂しさはなくなっていった。でも、エイプリルが事故に遭ったって知ったとき、すごく悲しかった。また、一人になるのかな、って」

「……エイプリルさんに関しては、本当に申し訳なかった」

「ううん。事故だったから仕方ないよ」


 リィズリットは首を振る。今だから、はっきりと答えは出せる。全部『仕方の無いこと』だったのだ。

 はっきりと言い切るリィズリットに、エドワードは問い掛ける。


「それは、彼女が無事だったから言える言葉、なのではないのかね?」

「――そうなのかもしれない。師匠みたいに、寝たまま起きてこなかったら、今のあたしはこうしてここにいないかもしれない」


 それは起こらなかった可能性の一つだ。可能性を辿れば、その先は無限に伸びている。泣き続けている今があったかもしれない。『魔女』にならなかった今があるかもしれない。


(でも、あたしは、今こうしてここにいる)


 足に力を入れる。靴を隔てて、リィズリットの足は床をしっかりと掴んでいる。ここにいることを、立っていることを否定はできない。

 それは、これまでが積み重なった結果だ。一つでも欠けていれば、今はこうして形になっていない。


「正直に言えば、師匠が死んだことは、まだ受け入れきれてない。今も、何かあればすぐに師匠の事を思い返しちゃう。あたしは、エドワードさんを助けたい。そうして、あたし自身も、助けたい」

「……私が、それを望まなくてもかい」

「……うん。だって、あたしだって『魔女』だよ。師匠や、初代のばあちゃんみたいな立派な『魔女』じゃないけど、それでも、『魔法』で、困っている誰かを助ける、『魔女』なんだよ。困っている人を見抜くぐらいの力はあるよ。……だから、エドワードさんみたいに悲しい目をしているひとは、放って置けないよ」


 吐息が満ちて、風に乗って消えた。世界は夕焼けの朱に染まっていた。燦々と照らしていた太陽はもうすぐにでも沈んでしまうだろう。夜を告げる鐘の音は近い。


「……私は、鐘の音が好きだった。一度目の鐘が鳴り響く時間に起きて、二度目の鐘と共に昼食を取って、三度目の鐘が鳴ると家路を急ぎ、四度目の鐘を子守歌に眠りについた。私の人生は鐘の音と共にあった。思い出も、全て共にある。今は、その鐘の音を聞くのが辛いんだ」


 朱の空は黄昏の藍色を少しずつ滲ませている。泣きそうな空だった。


「私は、来週にはこの街を離れるつもりだ。鐘の音の届かないような、遠くの街で、余生を過ごそうと思っている」


 エドワードは体を起こして、リィズリットをその二つの眼で捉えた。


「『魔女』さん。もし、それまでの間。一週間だけなら、私は待っていいかね」

「エドワード、さん……」

「君の『魔法』を見せてくれないか」


 藍色の空が世界に満ちて、鐘が鳴り響く。

 老人は静かに、その天を仰いで、涙を流した。





「あーもうっ!!」


 それから十二回の鐘の音が鳴った、三日目の夕方。リィズリットの工房に、部屋の主の叫びが木霊した。


 工房の中はかつてない程に雑然としていた。足の踏み場もないような、そんな部屋の中で、リィズリットは自分の机に向かって頭を抱えていた。


「ご主人様、お茶が入りました」

「……ん」

「上手くいかないのですか?」

「……うん」


 ティーカップを受け取り、リィズリットは熱い紅茶を流し込みながら喉を鳴らす。


 あれから三日間――飛ぶように帰ってきて以来、リィズリットは殆どこの工房に籠っていた。外に出るのは、裏のクズ山に素材を探しに行くときと、用を足しに行くときぐらいだった。


 しかし、それだけの時間を費やしても、リィズリットは何を作ればいいかすら、決めることができていなかった。様々なものを試しに作ってみたり、設計図を引いてみたりはしたが、そのどれもが納得できるものではなく、部屋の隅に転がっていた。


「先代の工房を探してはどうですか?」


 空になったカップと入れ替わりに、クッキーの乗った皿を差し出して、エイプリルは言う。リィズリットはクッキーを一つ口に運んで、首を横に振った。


「だめ。師匠の力は借りたらダメなの。これは、あたしが作り上げないと……」


 リィズリットの頭を占めるのは、師の言葉と、クラークの言葉だ。


「――あたしは、きっとあたしにしか作れない『魔法』を作らないと、ダメなの」


 さくり、と甘いクッキーの味が口の中に広がった。それなのに、気分は苦い。


「だって、そうしないと、あたしは師匠にいつまで経っても追いつけない。師匠に頼って、その背中をなぞってばかりじゃ、いつまでも、変われない」

「それが、自分を救う、と云うことですか」


 エイプリルの言うそれは、リィズリットがエドワードに言った言葉だ。リィズリットはそれを頷いて肯定する。


「あたしは、あたしなりの答えを出さないといけない。師匠に頼ってばかりのあたしが、頼らないでいける答えを」


 紅茶を口に含んで、リィズリットは息を吐く。暖かな熱を持ったカップからは、まだ湯気が立っていた。


「私にご主人様のお考えを全てを理解するのはできないでしょう。故に、私が何を言おうとも、他人事に過ぎないかもしれませんが――」


 エイプリルは立ち上がり、トレイを胸に抱えて、ほうと柔らかい笑顔を浮かべた。


「私はご主人様が答えを出せると信じております。それは、私を設計した、先代も同じ。何故なら、私の人工知能は先代の手によって作られたのですから」

「……うん。ありがと」


 リィズリットは残った紅茶を一気に流し込んだ。熱が痛みを伴って喉を通り抜ける。胃の中を激しい熱が満たしていく。居ても立っても居られずリィズリットは立ち上がる。


「ちょっと、外に出てくるね。ありがと、エイプリル」


 恭しく最敬礼するエイプリルの横を、駆け抜けてリィズリットは外に跳び出した。



 辺りは夜闇に支配されていた。明かりとなるものは、見渡す限り何もない。


 それなのに、世界は明るかった。


 鉄クズが積み重ねられた丘に登る。がちゃり、と鉄の擦れ合う音が鳴った。その度に、薄い青色の中に落ちる黒色がゆらりと揺れた。

 空を見上げる。天の漆黒を埋めるのは、満天の星だった。所狭しと浮かび上がり、煌めく星々は、その輝きを地上へと落としている。鉄クズと木々は幻想的に青白い光に照らされて、影絵のようにシルエットを作り上げていた。


「――『魔法』なんかなくても、外は明るいんだね」


 しばらくリィズリットは仰向けに寝るようにして、空を眺めていた。


「なーにやってんだ」


 長い時間が経った頃、がちゃり、と音がした。振り向けば、星の明かりに照らされるように、一人の人影があった。それが、アーウィンだとすぐに理解する。


「よ、悩んでるみたいだな」

「……うん」

「うお、珍しくしおらしいな。気持ちわりい」

「なによ。馬鹿にしに来ただけ?」


 アーウィンはそれを無視して、リィズリットの横に腰を下ろした。がちゃり、と鉄が擦れた。


「な、なによぅ」

「少しためになる話をしてやろうと思ってな。俺の昔話だ」

「……別にいい」

「いいから聞いとけ。俺は今、こうして運び屋なんかやってるが、正直特別これをやりたくて仕事にしたわけじゃねえんだ」

「話し始めてるし……。仕事、嫌々やってんの?」

「そういうわけでもねぇな。今の仕事は楽しいさ。色んなところを回るのも、色んな人と喋るのも、途中で起こるアクシデントも、全部。でも、ふとした時に考えるんだよ、俺はこの仕事がやりたかったのか、ってな。それは昔から同じだったんだ。ロナやクラークが、自分なりの目標を持ってる中で、俺だけが特に夢も目標も無かった。ガキの頃はそれだけで良かったんだが、次第に大人になるにつれて、それがどうにも収まり悪くなってきちまった。どうしたもんか、って考えてずっと暮らしてたよ。そんな時に、話を聞いたんだ。町に『魔女』が来てる、って」

「……師匠のこと?」

「ああ。おやっさんだ。あの筋肉達磨、どこが『魔女』だよってな。ま、でも、藁にもすがる思いで話したんだ。どうすればいいか、って。『魔女』は願いを叶えてくれるんだろ、って。そうしたらよ、おやっさんは「じゃあ俺の家に行くぞ」って言うんだ。よく分からないまま、連れられて森に行った。意外と『魔女』の家までは近いんだなって知ったよ。家に着いた俺におやっさんはそのまま工房まで連れてってくれた。そこでさ、あれをくれたんだ」

「〈魔法の箒〉……」

「「そいつを使え。そいつはお前の思い通りに、色んなところに連れてってくれる。色んなものを見て回れ。そうしてたら、いつか、心の中から湧き出てくるもんがある。それが、お前の本当にやりたいことだ」ってな」

「師匠が、そんなこと、言ってたんだ」

「ま、今になってもそいつは見つけきれてないけどな。おやっさんには感謝してるよ」


 星明かりに照らされた横顔が、リィズリットを向いた。


「なぁリズ。考え過ぎても、小手先で考えたって、本当に望むものなんて出来やしない。自分の内側から、自然と溢れ出るようなものを作れ。最後は自分頼りだぜ」

「アーウィン……あんた、結構いいこと言うじゃない」

「はん。殆どおやっさんの受け売りさ」


 その時、夜の静寂に鐘の音が響き渡る。


「あー、日が変わっちまったか。あと三日か。あれ、四日? まぁ、過ぎちまったことを考えても仕方ねえ」

「……過ぎたことは、仕方ない……」


 言葉が何処かに引っかかる。


「頑張れよ、ってどうした?」


 リィズリットはぼんやりと、遠く響き渡る鐘の音に目を向けていた。

思い返すのは、これまでのこと。エイプリルの事故。ミリアの泣き顔と笑顔。始めての友人になったロナージュとの出会い。そして、師匠との思い出。それらは、優しく響き渡る鐘の音に乗せて、闇に融けるように消えていく。


「――――そう、か」


 ぽつり、と零した言葉と共に、頭の中で何かが嵌る。

 次の瞬間、リィズリットは駆け出していた。


「お、おいリズ!」

「アーウィン、ありがと!」


 リィズリットは振り向くことなく、そのまま麓の家に入って行った。


「……ったく、世話の焼けるやつだよ」


 見えなくなったその背中に、アーウィンは小さく呟いた。



 工房に籠ったリィズリットは、一心不乱に机と向き合った。

 頭の中の光り輝くものを形あるものへと作り変える。


 無から有へ。そして、有を以て『魔法』と成す。


 それが『魔女』であると、小さな背中は語る。





 突き抜けるような青天が頭上には広がっていた。風は穏やかに、心地の良い暖かさを伝えてくる。薫るのは、草と花のそれで、甘さを広げていく。


 リィズリットは暫く見上げていた天から、地平へと視線を落とした。


「こんにちは、エドワードさん」


 長く伸びる石畳を、悠然と歩く馬車が止まる。続けて、中から姿を現したのは、深い皺を顔に刻んだ、老人だった。


「――来ないものかと、思っていたよ」

「ここで待ってれば会えると思って。道は一つしかないから」


 イーベルヘルから遙かに離れた場所だった。リィズリットは石畳を歩いて行く。


「どんな『魔法』を見せてくれるのかな」


 杖を突いて待つ老人の前で、リィズリットは立ち止まると、その顔を見上げる。

 そして、首を振った。


「『魔法』は作れなかった」

「――。そうか……」


 エドワードは目を閉じて、静かに息を吐いた。


「仕方の無いことだよ。何もかも――」

「――でも」


 エドワードの言葉を遮って、リィズリットは口を開く。


「今のあたしが作れる『道具』は持ってきた」


 口を結んで見つめるエドワードに、リィズリットは懐から手のひらに収まるほどの、ブローチにも似た円盤状のものを手渡した。


「これは……?」

「あたしの出した、答え。今のあたしができる――ううん、今のあたしだからできる、精一杯のもの」


 リィズリットはエドワードの手に自分の手を添えて、その突起を一緒に押した。


 かちり、かちり、と音が響く。ぱかり、と開いた蓋の内側には、一定の間隔で動く、二つの長さの異なる針があった。


「長い針が一周すると、短い針が十二分の一だけ動く。短い針が、六回動けば――つまり、一番上か、一番下を差した時に、〈イーベルヘルの鐘〉が鳴る時間になる。時間を可視化して、計るもの。名前を付けるなら――〈時計〉(クロノグラフ)」


 かちり、かちり、と針は動き続ける。


「この〈時計〉は定期的に横のネジを回さないと、止まってしまう。それに、時間を刻むのもずっと正確ってわけじゃない。年に一回でもいいから、基準に合わせないとずれていくの」

「基準とは……鐘のことかな。あの街を離れる私に、鐘の音を聞けと、言うのかい」


 リィズリットはゆっくりと首を横に振った。


「時間は動き続ける。決して、止まらない。そして、戻りもしない。この、〈時計〉の針みたいに、あたしたちは、前を向いて生きていくことしかできない。ずっと、ずっと同じ一日と云う時間を繰り返すしか、できない。もし、エドワードさんが――」


 リィズリットは、自分とよく似た老人を真っ直ぐに見つめる。


「思い出を忘れたくないと、思うのなら、そのネジを巻いて欲しいって、思うだけ。最後に決めるのは、エドワードさん次第」

「それが……君の、『魔女』としての答えかい」

「……うん」


 大きな決意をリィズリットは示す。


 それは、認めたくなかったことだ。どこかで気づいていた。ただ、認めてしまえば、憧れた『魔女』の意義を失ってしまうような、気がしていたからだ。


「あたしが、作ったそれはただの便利な道具。使い方次第で、何にでもなる。あたしは、それを作ることしかできない。誰かの背中を押すことしかできない。選択肢を与えることしかできない。最後にどうするかを決めるのは――それを『魔法』にするかどうかは、エドワードさん次第だよ」


 『魔女』は『魔法』を使える『魔法使い』じゃない。


 『魔女』は、ただ『魔法の道具』を作るだけ。


 心を満たすのはかつての師の言葉だ。今になって、ようやくその意味は理解できる。


 答えはすぐ側にあった。


 それは、ロナージュの決意であり、ミリアの後悔であり、アランの覚悟だ。それらに携わった、〈携帯電話〉や〈水晶の箱〉や〈自動人形〉は、決して『魔法』ではない。それ単体では、あくまでも便利な道具でしかないのだ。


 しかし、真に願う者がそれを望み、正しく使うことができれば、それは『魔法』になる。


 『魔女』にできるのはそれを与え、本当の『魔法使い』を導くこと。


「……私に、思い出を忘れるなと――いや、忘れない方法を与えてくれるのか」

「あたしも、師匠の事を思い出すのは、今でも辛いよ。思い出す度に、泣きそうになって、実際に泣き言を言っちゃう。でも、忘れたくない。それが、今までのあたしを作ってきたものだから、否定はしたくない。悲しくても、受け止めていかないといけない。だって、時間は待ってくれないんだから」


 かちり、かちり、と針は動き続ける。絶え間なく、辿り着くべきゴールがあるわけでもなく、進み続ける。


「……だが、もう遅いよ。私はここまで来てしまった。もう鐘の音は届かない」


 天高く昇った太陽は、昼の知らせが近いことを示す。だが、イーベルヘルは遥か遠く、鐘の音は聞こえないことは分かっている。


「リィズリット君。感謝するよ。このような老人に付き合ってくれたことを。私は、もうあの鐘を聞くことはない。残念だが、君のくれたこの〈時計〉も、ずれていくだろう」


 エドワードは悲しげに告げる。だが、リィズリットは貫くように見つめていた。

 黒曜石のような、黒い瞳に映るのは、『魔女』としての強さ。


「――それでは、私はこれで」


 エドワードが〈時計〉の蓋を閉じようとした時だった。

 二つの針が、頂点を向いて重なった。


 ――、――。


 鐘の音が聞こえた。だがそれは、聞き慣れたそれと比べるべもなく、小さい。


「これ、は……」


 エドワードは声と手を震わせて、時計盤へ視線を落としていた。そこには小さな鐘が揺れて、音を奏でていた。


「……短針が一番上か、一番下を差したときだけ、鐘が鳴るようにしてあるの。どこにいても、何をしていても、〈イーベルヘルの鐘〉を聞けるように」

「――ああ」


 小さな鐘は、街に流れる音色だ。老人は息と共に、一筋の涙を流した。


「そうか……そうだったんだな。あれだけ聞きたくないと、もう聞こえないと思っていた鐘の音を……私は……聞きたかったんだ……」


 鐘は小さな音色を奏で続ける。まるで、あの街に響くそれのように。


「思い出を忘れることはあっても、決してなくなることは、ないんだよ」

「そうだな……悲しみに暮れて、失くしたと思っていたのに……まだ、ここにあったんだな。それを……私の半分も生きてない、子供に教えられるとは」


 小さな鐘が鳴り終わって、エドワードはぱちり、と〈時計〉を閉じた。そして、


「ありがとう。これは、私には『魔法』だったよ。小さな『魔女』(リトルウィッチ)」


 この時をもって、リィズリットだけの『魔法』は完成した。

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