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残響魔術(エコー・コード)  作者: 天音シオン
第一部 覚醒と喪失

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第9章:暗躍する影と交差する想い

第9章:暗躍する影と交差する想い



江東区の廃工場での爆発事件から数日が過ぎた。

対魔局は「新星ノヴァ」の活動を警戒し、都内各所のパトロールを強化していたが、目立った動きは見られなかった。嵐の前の静けさのような、不気味な平穏が続いていた。


そんな中、蓮と結月は、神宮寺紗綾からの呼び出しを受け、局長室へと向かっていた。


「……局長直々の呼び出しとは、珍しいですね」


結月が廊下を歩きながら呟く。


「ああ。神崎の件か、それとも新星の件か……どちらにせよ、ろくな話じゃないだろうな」


蓮は少しだけ顔をしかめた。


局長室の重厚なドアをノックすると、「入れ」という低い声が響いた。


部屋の中には、対魔局局長である厳格な初老の男、そして神宮寺紗綾、さらに特務監査官の神崎が同席していた。


「失礼します」


蓮と結月が敬礼すると、局長は静かに頷いた。


「雨宮隊員、柊隊員。タワー事件での君たちの活躍は、高く評価している。だが、今日は別の件で来てもらった」


局長は机の上で手を組み、二人を真っ直ぐに見据えた。


「神崎監査官から、君たちの部隊に関する『再編案』が提出された」


「再編案、ですか?」


結月が眉をひそめる。


「ええ」


神崎が一歩前に出た。


「タワー事件以降、特異点である桜井舞さんの重要性はさらに高まっています。彼女を単なる保護対象として扱うのは、対魔局の戦力的な損失です。そこで、彼女を正式に対魔局の『特務隊員』として迎え入れ、雨宮隊員、柊隊員と共に新たなチームを編成することを提案しました」


「……舞を、実戦に投入する気か?」


蓮の声が低くなる。


「実戦と言っても、彼女の『幻影』は後方支援や情報撹乱に特化しています。前線で戦うのは、これまで通りあなたたちです。彼女には、安全な場所からサポートをしてもらう。それだけのことですよ」


神崎は涼しい顔で答えた。


「ふざけるな。舞の代償は『自己認識の喪失』だ。魔法を使えば使うほど、あいつは自分を失っていく。そんな危険な真似をさせられるか!」


蓮が声を荒らげると、紗綾がそれを制した。


「雨宮、落ち着きなさい。……私も、この案には反対したわ。でも、上層部は神崎の提案を承認したの」


紗綾の表情は苦渋に満ちていた。


「……局長。本気ですか?」


蓮が局長を睨みつける。


「雨宮隊員。我々は、世界を守るためにあらゆる手段を講じなければならない。桜井舞の力は、新星との戦いにおいて不可欠だ。彼女の代償については、技術班が全力でサポートする」


局長の言葉は、冷徹な決定事項だった。


「……納得できません」


結月が静かに、しかしはっきりと言った。


「彼女は民間人です。対魔局の都合で、彼女の人生を犠牲にすることは許されません」


「犠牲ではありませんよ、柊隊員」


神崎が薄く笑う。


「彼女自身も、あなたたちの力になりたいと望んでいるはずです。彼女の意志を尊重するのも、我々の役目ではありませんか?」


その言葉に、蓮は言葉を詰まらせた。

確かに、舞は「一緒に戦いたい」と言っていた。だが、それは彼女の優しさゆえであり、対魔局がそれを利用していい理由にはならない。


「……決定は覆らない。明日から、桜井舞を交えた新チームでの訓練を開始しろ。以上だ」


局長がそう告げると、蓮と結月は無言で敬礼し、局長室を後にした。






「……くそっ!」


廊下に出た瞬間、蓮は壁を強く殴りつけた。


「雨宮隊員、落ち着いてください。壁を殴っても何も解決しません」


結月が冷静に窘めるが、彼女の瞳にも静かな怒りが宿っていた。


「分かってる。だが、あの神崎って男……絶対に裏がある。舞を特務隊員にするのは、あいつを『管理』しやすくするためだ」


「ええ。私もそう思います。彼女の『特異点』としての力を、対魔局の兵器として利用するつもりでしょう」


結月は深くため息をついた。


「……舞には、俺から話す」


蓮はそう言うと、舞がいる訓練場へと向かった。


訓練場では、舞が凛音の指導のもと、新しい魔法具のテストを行っていた。


「蓮くん! 結月ちゃん!」


舞が二人の姿を見つけると、嬉しそうに駆け寄ってきた。


「舞……少し、話があるんだ」


蓮の深刻な表情に、舞の笑顔が少しだけ曇った。


蓮は、局長室での決定事項――舞が特務隊員として実戦に組み込まれることを、包み隠さず話した。


話を聞き終えた舞は、しばらく黙り込んでいた。


「……ごめん、舞。俺たちがもっと強ければ、お前をこんなことに巻き込まずに済んだのに」


蓮が俯くと、舞は首を横に振った。


「ううん。謝らないで、蓮くん」


舞は、蓮の手を両手で包み込んだ。


「私、嬉しいよ。これでやっと、蓮くんたちの本当の仲間になれるんだもん」


「……舞。お前、自分の代償が分かってるのか? 魔法を使えば使うほど、お前は……」


「分かってる。でも、私、決めたの」


舞は、真っ直ぐに蓮を見つめた。


「私が私でなくなっても、蓮くんが覚えていてくれるなら、それでいい。私は、蓮くんと結月ちゃんを守るために、私の力を使いたい」


その言葉に、蓮は胸が締め付けられるような思いがした。

彼女の優しさが、彼女自身を傷つけていく。それが分かっていながら、止めることができない自分の無力さが歯痒かった。


「……舞さん」


結月が一歩前に出た。


「あなたの覚悟は分かりました。ですが、私たちはあなたを『兵器』として扱うつもりはありません。あなたは、私たちの『仲間』です。絶対に、あなたを一人にはしません」


結月の言葉に、舞は嬉しそうに微笑んだ。


「うん! ありがとう、結月ちゃん!」


舞が結月に抱きつくと、結月は少し戸惑いながらも、不器用に彼女の背中を撫でた。


その様子を見ていた凛音が、小さくため息をついた。


「……まったく、どいつもこいつも自己犠牲の塊ね。私がしっかりサポートしてあげないと、すぐに全滅しそう」


凛音はタブレットを操作しながら、新しい魔法具の調整を始めた。


「頼むぞ、凛音。舞の負担を少しでも減らしてやってくれ」


「言われなくても分かってるわよ。……でも、神崎には気をつけて。あの男、技術班のデータにも頻繁にアクセスしてる。何かを探っているみたい」


凛音の警告に、蓮は頷いた。


「ああ。あいつの動向は、俺たちも監視しておく」


新たなチームが結成された。

しかし、それは希望の始まりではなく、より過酷な戦いへの序曲に過ぎなかった。






新チーム結成から数日後。

蓮たちは、都内の廃ビルで発生した「魔力異常」の調査に向かっていた。


「……ここですね」


結月がタブレットの地図を確認しながら言う。


廃ビルは、かつてノクスのアジトとして使われていた場所の一つだった。

周囲には、微かに空間が歪んでいるような、不気味な気配が漂っている。


「舞、お前は凛音と一緒に後方で待機してくれ。何かあれば、すぐに通信する」


蓮が指示を出すと、舞は頷いた。


「うん。気をつけてね、蓮くん、結月ちゃん」


蓮と結月は、廃ビルの中へと足を踏み入れた。


内部は薄暗く、埃とカビの臭いが充満している。

二人は慎重に階段を上がり、魔力反応が最も強い最上階へと向かった。


「……雨宮隊員、何かおかしいです」


結月が足を止めた。


「どうした?」


「魔力反応が……一定の周期で脈打っています。まるで、何かの『心臓』のように」


結月の言葉に、蓮も「残響」で周囲の魔力を読み取った。

確かに、空間全体が生き物のように脈動している。


「……罠か?」


蓮が炎の式を練り上げた、その時。


「ご名答」


暗闇の中から、複数の影が現れた。

黒いコートを着た「新星」の戦闘員たちだ。


「対魔局のネズミども。ここが貴様らの墓場だ」


戦闘員の一人が、魔法具を構えた。


「『崩壊』――重力圧壊!」


蓮と結月の頭上に、凄まじい重力が発生する。


「くっ……!」


蓮は即座に「風」の式を展開し、重力を相殺しようとするが、敵の数が多すぎる。


「『氷結』――氷壁!」


結月が氷の壁を展開し、敵の攻撃を防ぐ。


「雨宮隊員、数が多すぎます! 一旦退きましょう!」


「ああ!」


二人が後退しようとした時、背後の空間が歪み、退路が塞がれた。


「逃がさんぞ」


別の戦闘員が、空間歪曲の壁を展開していた。


「……完全に包囲されたか」


蓮は舌打ちをし、両手に炎と雷の式を集中させた。


「やるしかないな、柊」


「はい!」


二人は背中合わせになり、戦闘員たちと対峙した。


「『残響』――雷炎刃!」


蓮が巨大な刃を放ち、前方の敵を薙ぎ払う。


「『絶対零度』!」


結月が冷気を放ち、後方の敵を凍結させる。


二人の連携は完璧だった。

しかし、敵は倒れても倒れても、次から次へと湧いてくる。


「……おかしい。いくら新星でも、これほどの数を揃えられるはずが……」


蓮が息を切らしながら呟く。


「雨宮隊員、あれを!」


結月が指差した先には、部屋の中央に設置された巨大な魔力増幅装置があった。

その装置が、周囲の空間から魔力を吸収し、戦闘員たちに無限の力を供給しているのだ。


「あの装置を壊さない限り、キリがないぞ!」


蓮が装置に向かって駆け出そうとした時、通信機から舞の悲鳴が聞こえた。


『きゃあっ!』


「舞!? どうした!」


蓮が叫ぶが、通信機からは激しいノイズが聞こえるだけだ。


『蓮くん……助け……』


舞の声が途切れ、通信が完全に遮断された。


「……くそっ! 舞たちが襲われたのか!」


蓮の顔色が変わる。


「雨宮隊員、ここは私が引き受けます! あなたは舞さんたちの救出に!」


結月が氷の刃を乱射しながら叫ぶ。


「バカ言え! お前一人でこの数を相手にできるわけがない!」


「行けと言っているんです! 彼女は、私たちの『仲間』でしょう!」


結月の強い言葉に、蓮は一瞬だけ躊躇したが、すぐに頷いた。


「……死ぬなよ、柊!」


蓮は「風」の式を全開にし、空間歪曲の壁を強引に突破して、廃ビルの外へと飛び出した。






蓮が廃ビルの外に出ると、そこには信じられない光景が広がっていた。


凛音が乗っていた装甲車両が横転し、炎上している。

そして、その傍らで、舞が黒ずくめの男たちに囲まれていた。


「舞!」


蓮が駆け寄ろうとした時、男たちの中から一人の人物が進み出た。


「……遅かったですね、雨宮隊員」


その声に、蓮は足を止めた。


「……神崎……!」


そこに立っていたのは、特務監査官の神崎だった。

彼の周囲には、新星の戦闘員たちが控えている。


「どういうことだ……! なぜ、お前が新星と一緒にいる!」


蓮が怒りに震える声で叫ぶ。


「簡単なことです。私が、彼らを『管理』しているからです」


神崎は眼鏡を押し上げ、薄く笑った。


「対魔局の上層部は腐敗している。彼らは現状維持を望み、魔法適応社会という人類の進化を恐れている。だから私は、ジンの遺志を継ぐ彼ら『新星』を利用し、真の進化を促すことにしたのです」


「……お前が、新星の黒幕だったのか……!」


「黒幕という言葉は人聞きが悪い。私はただの『導き手』ですよ」


神崎は、気を失っている舞を見下ろした。


「彼女の『特異点』としての力は、私の計画に不可欠です。対魔局の特務隊員という名目で彼女を前線に引きずり出したのも、こうして回収しやすくするためでした」


「……ふざけるな!」


蓮は「共鳴剣」を顕現させ、神崎に向かって一気に距離を詰めた。


「『残響』――共鳴剣!」


純白の剣が神崎を捉えるかに見えた。


しかし、神崎は指を鳴らしただけだった。


「『支配』――強制停止」


その瞬間、蓮の身体がピタリと動かなくなった。

純白の剣が消滅し、蓮は地面に膝をついた。


「なっ……!? 身体が……動かない……!」


「私の魔法は『支配』。対象の魔力回路に直接干渉し、その動きを完全にコントロールする力です。あなたの『残響』がどれほど強力でも、魔力回路そのものを止められては、何もできないでしょう?」


神崎は蓮を見下ろし、冷酷に笑った。


「……くそっ……!」


蓮は必死に抗おうとするが、指一本動かすことができない。


「さあ、特異点を頂きましょうか」


神崎が舞に手を伸ばした、その時。


「……させません!」


廃ビルの窓を突き破り、結月が飛び出してきた。

彼女の制服はボロボロで、全身傷だらけだったが、その瞳は鋭く神崎を睨みつけていた。


「柊……!」


「おや、あの数の戦闘員を全滅させましたか。さすがは『絶対零度』ですね」


神崎は少しだけ驚いたような顔をした。


「『氷結』――氷槍雨ひょうそうう!」


結月が無数の氷の槍を神崎に向かって放つ。


しかし、神崎は再び指を鳴らした。


「『支配』――強制停止」


結月の身体も空中で硬直し、そのまま地面に落下した。


「きゃあっ!」


「柊!」


蓮が叫ぶが、結月もまた、身動きが取れなくなっていた。


「無駄な抵抗です。私の『支配』の前では、いかなる魔法も無力」


神崎は舞を抱き上げ、空間を歪め始めた。


「……待て……! 舞を、返せ……!」


蓮が血を吐くような声で叫ぶ。


「彼女は、新しい世界のための礎となります。あなたたちも、いずれ私の計画の『駒』として使わせてもらいますよ。それまで、せいぜい足掻いてください」


神崎はそう言い残し、舞と共に空間の歪みの中へと消えていった。


「……舞ぃぃぃっ!」


蓮の絶叫が、夜の街に虚しく響き渡った。




神崎と舞が消え去った後、蓮と結月を縛っていた「支配」の魔法が解けた。


「……くそっ!」


蓮は地面を強く殴りつけ、血が滲む拳を握りしめた。

目の前で舞を奪われた無力感と、神崎の圧倒的な力の前に何もできなかった悔しさが、蓮の心を黒く塗りつぶしていく。


「雨宮隊員……」


結月が痛む身体を引きずりながら、蓮のそばに歩み寄った。

彼女の制服は破れ、左腕からは再び血が流れている。廃ビルでの多勢に無勢の戦闘が、どれほど過酷だったかを物語っていた。


「……柊、お前、その怪我……」


「私のことは構いません。それより、凛音さんが……」


結月が視線を向けた先には、炎上する装甲車両の傍らで倒れている凛音の姿があった。


「凛音!」


蓮は慌てて駆け寄り、凛音の身体を抱き起こした。

彼女は頭から血を流し、意識を失っているが、呼吸はあった。


「……生きてる。すぐに医療班を呼ぶんだ!」


蓮が通信機を操作しようとした時、凛音が微かに目を開けた。


「……蓮、くん……」


「凛音! 大丈夫か!?」


「……ごめん……舞を、守れなかった……」


凛音は苦しそうに顔を歪め、蓮の袖を掴んだ。


「神崎が……突然現れて……私の魔法具を、一瞬で無効化して……」


「喋るな。お前のせいじゃない。俺が、神崎の狙いに気づけなかったからだ」


蓮は凛音の手を優しく握った。


「……神崎は、舞を……『箱舟』に連れて行くって……言ってた……」


「箱舟……?」


「……ノクスの、新しい……拠点……」


凛音はそこまで言うと、再び意識を手放した。


「凛音! しっかりしろ!」


蓮が叫ぶが、凛音は動かない。


「雨宮隊員、医療班と応援部隊の要請が完了しました。数分で到着します」


結月が通信機を下ろしながら言った。


「……ああ」


蓮は凛音を静かに地面に寝かせ、立ち上がった。

その瞳には、かつてないほど暗く、冷たい炎が宿っていた。


「……神崎。絶対に許さない」


蓮の身体から、赤黒い魔力が漏れ出し始める。

それは、虚数空間で純白の光に変わる前の、あの暴走の兆候だった。


「雨宮隊員、落ち着いてください。今、あなたが暴走しても、舞さんは戻ってきません」


結月が蓮の肩を掴む。


「分かってる! だが、このままじゃ……俺は……!」


蓮が叫んだ瞬間、彼の脳内に、再び結衣の声が響いた。


『……お兄ちゃん、ダメ。悪意に飲まれないで』


「……結衣……」


蓮はハッとして、自身の魔力を抑え込んだ。

赤黒い光がスッと消え、蓮は荒い息を吐きながらその場に崩れ落ちた。


「……すまない、柊。少し、頭を冷やす」


蓮は両手で顔を覆い、深く息を吸い込んだ。


結月は、そんな蓮の背中を静かに見つめていた。

彼女の胸の奥で、またあの痛みが走る。

蓮が舞のためにこれほどまでに取り乱し、苦しんでいる姿を見るのが、たまらなく辛かった。


(……私は、どうしてこんなに……)


結月は自分の胸に手を当てた。

「感情の喪失」という代償を持つ彼女にとって、この痛みは理解不能なものだった。

だが、一つだけ確かなことがあった。


彼女は、蓮をこれ以上苦しませたくない。

そして、舞を取り戻したい。


「……雨宮隊員」


結月は、蓮の隣に膝をついた。


「舞さんは、必ず助け出します。私たちが、二人で」


結月の言葉に、蓮は顔を上げた。

彼女の瞳は、氷のように冷たく、しかし確かな熱を帯びていた。


「……ああ。絶対に助け出す」


蓮は力強く頷いた。






数時間後。

対魔局本部の作戦会議室には、重苦しい空気が漂っていた。


神宮寺紗綾は、モニターに映し出された神崎の経歴データを睨みつけていた。


「……完全に一杯食わされたわね」


紗綾が忌々しそうに呟く。


「神崎の経歴は、全て偽造されたものだった。彼は数年前から対魔局の上層部に潜り込み、ノクスの思想に共鳴する者たちを密かに組織していたのよ」


「上層部の腐敗……神崎の言っていたことは、本当だったんですね」


包帯を巻かれた結月が、静かに言う。


「ええ。局長をはじめとする一部の幹部たちは、神崎の『魔法適応社会』という思想に魅入られていた。彼らは、特異点である舞を利用して、対魔局の権力をさらに強固なものにしようとしていたのよ」


紗綾は深くため息をついた。


「現在、局長を含む関与が疑われる幹部たちは、内部調査部によって拘束されているわ。でも、神崎本人はすでに姿を消している」


「……『箱舟』の場所は、分かりましたか?」


蓮が低い声で尋ねる。


「凛音の残したデータと、神崎の通信記録を解析した結果、ある場所が浮上したわ」


紗綾はモニターの画像を切り替えた。

映し出されたのは、太平洋上に浮かぶ、巨大な人工浮島だった。


「これは……?」


「旧時代に計画され、放棄された海上プラントよ。神崎はここを『箱舟』と名付け、新星の新たな拠点として改修していたの」


紗綾はレーザーポインターで浮島を指し示した。


「神崎の目的は、この箱舟で舞の特異点としての力を極限まで増幅させ、タワー事件でジンが成し遂げられなかった『世界の書き換え』を完了させることよ」


「……タイムリミットは?」


「分からないわ。でも、神崎はタワーの失敗から学んでいる。準備が整い次第、すぐにでも計画を実行に移すはずよ」


紗綾は蓮と結月を真っ直ぐに見つめた。


「対魔局は現在、上層部の混乱で組織として機能していない。大規模な部隊を動かすことは不可能よ」


「……つまり、俺たちだけで行くしかないと」


蓮が言うと、紗綾は無言で頷いた。


「これは、公式な任務じゃない。神崎を止め、舞を救出するための、あなたたち個人の戦いよ。……行く覚悟はある?」


「愚問ですね」


結月が即座に答えた。


「私たちは、仲間を見捨てません」


「俺も同じです。神崎をぶっ飛ばして、舞を連れて帰ります」


蓮の瞳には、迷いはなかった。


「……分かったわ。移動用のステルスヘリを手配する。出発は一時間後よ」


紗綾はそう言うと、二人に背を向けた。


「……死なないでよ、二人とも」


その声は、微かに震えていた。


「はい」


蓮と結月は敬礼し、会議室を後にした。






一時間後。

対魔局の秘密ヘリポートから、漆黒のステルスヘリが夜空へと飛び立った。


機内には、蓮と結月の二人だけが乗っている。

自動操縦に設定されたヘリは、太平洋上の「箱舟」に向かって音もなく進んでいた。


蓮は、窓の外に広がる暗い海を見つめていた。

頭の中では、神崎の「支配」の魔法をどう破るか、シミュレーションを繰り返している。


「……雨宮隊員」


結月が、静かに話しかけてきた。


「どうした、柊」


「……少し、話してもいいですか?」


結月の声は、いつになく弱々しかった。


「ああ。なんだ?」


蓮が振り返ると、結月は自分の膝の上で手をギュッと握りしめていた。


「……私、ずっと分からなかったんです。自分のこの『痛み』が何なのか」


結月は、自分の胸に手を当てた。


「私の代償は『感情の喪失』。だから、悲しみも、怒りも、喜びも、本来なら感じないはずなんです。でも……あなたが舞さんのために苦しんでいるのを見た時、ここが、すごく痛かった」


結月は、蓮を真っ直ぐに見つめた。


「……それが『嫉妬』だということに、ようやく気づきました」


結月の告白に、蓮は言葉を失った。


「私は、あなたが舞さんに向ける優しさが、羨ましかった。私には、そんな風に誰かを想う感情は、もう残っていないと思っていたから」


結月の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「……柊……」


「でも、今は違います。私は、あなたと一緒に舞さんを助けたい。それが、今の私の『本当の感情』です」


結月は涙を拭い、力強く微笑んだ。


「だから、絶対に三人で帰りましょう。誰一人、欠けることなく」


その微笑みは、蓮がこれまで見た結月のどんな表情よりも、美しく、人間らしかった。


「……ああ。約束だ」


蓮は、結月の手に自分の手を重ねた。


「絶対に、三人で帰る」


二人の手が、しっかりと結びつく。

それは、互いの想いを確認し合う、静かで力強い誓いだった。


ヘリは、夜明け前の暗い海を切り裂き、決戦の地「箱舟」へと向かっていく。


交差する想いを胸に秘め、彼らの最後の戦いが始まろうとしていた。





【第9章終了】





【第9章登場魔法・用語解説】


「箱舟」:太平洋上に浮かぶ旧時代の海上プラントを改修した、新星の新たな拠点。神崎はここで舞の力を増幅させ、世界の書き換えを企んでいる。


「感情の喪失(進行と変化)」:結月の代償。本来は感情が徐々に失われていくはずだが、蓮との関わりの中で、彼女の中に「嫉妬」や「仲間を想う心」といった新たな感情が芽生え始めている。これは、蓮の「残響(共鳴)」が彼女の精神に何らかの好影響を与えている可能性を示唆している。



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