表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残響魔術(エコー・コード)  作者: 天音シオン
第一部 覚醒と喪失

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/62

第8章:静寂の後の波紋

第8章:静寂の後の波紋



東京湾の人工島での激闘から、一週間が経過した。


メインタワーの機能停止により、ノクスの「世界書き換え計画」は完全に頓挫した。タワー周辺で捕縛されたノクスの構成員たちは対魔局の地下施設に収容され、厳しい尋問を受けている。

しかし、肝心の黒崎ジンの姿は、崩壊したタワーの最上階から忽然と消え失せていた。彼が死んだのか、それとも空間歪曲で逃げ延びたのか、確証は得られていない。


それでも、世界はひとまずの平穏を取り戻していた。


「……というわけで、今日の配信はここまで! みんな、応援ありがとね!」


対魔局本部の特別室で、桜井舞がカメラに向かって笑顔で手を振った。

配信が終了したことを示す赤いランプが消えると、彼女は大きく息を吐き、ソファに倒れ込んだ。


「お疲れ様、舞」


部屋の隅でタブレットを操作していた橘凛音が、コーヒーの入ったマグカップを差し出した。


「ありがとう、凛音ちゃん。……ふぅ、久しぶりの配信だったから、ちょっと緊張しちゃった」


舞はコーヒーを受け取り、一口飲んでから小さく笑った。


「同接数、過去最高だったわよ。タワー事件の『公式ヒーロー』としての人気は健在ね」


凛音がタブレットの画面を見せると、そこには驚異的な数字が並んでいた。


「でも、私が本当にヒーローなわけじゃないよ。本当に戦ったのは、蓮くんと結月ちゃんだもん」


舞は少しだけ寂しそうに呟いた。


「二人とも、まだ医務室?」


「ええ。蓮くんは全身の骨折と魔力枯渇で全治一ヶ月。結月ちゃんも左腕の裂傷と過労で、まだ絶対安静よ」


凛音は肩をすくめた。


「あの二人、本当に無茶苦茶なんだから。特に蓮くんの『全式共鳴』なんて、理論上は不可能に近い魔法よ。一歩間違えれば、自分の魔力回路が焼き切れて死んでたわ」


「……蓮くん、私のために……」


舞はマグカップを両手で包み込み、俯いた。


「舞のせいじゃないわ。蓮くんは、自分が守りたいものを守っただけ。それに、あの二人がいなかったら、今頃東京は消し飛んでたんだから」


凛音は舞の頭を軽く撫でた。


「さ、お見舞いに行きましょ。二人とも、舞の顔を見れば元気になるわよ」


「うん!」


舞は立ち上がり、凛音と共に医務室へと向かった。






対魔局本部の地下にある特別医務室。

そこは、重度の魔法障害や外傷を負った隊員を治療するための、最新の医療設備が整った部屋だった。


蓮は、ベッドの上で退屈そうに天井を見つめていた。

全身を包帯とギプスで固定され、身動きが取れない。魔力回路の修復のために、点滴から特殊な魔力回復薬が投与されている。


「……暇だ」


蓮がぽつりと呟くと、隣のベッドから冷たい声が返ってきた。


「安静にしているのが仕事です、雨宮隊員。あなたが無茶をしたせいで、こうなっているのですから」


隣のベッドには、結月が横たわっていた。

彼女も左腕を包帯で巻かれ、点滴を受けているが、蓮に比べれば軽傷だ。


「お前だって、俺の『全式共鳴』に無理やり付き合わされたんだ。文句の一つも言いたくなるだろ」


蓮が首だけを動かして結月を見ると、彼女は静かに本を読んでいた。


「文句はありません。あの状況では、あれが最善の選択でした。それに……」


結月は本から目を離し、蓮を真っ直ぐに見つめた。


「あなたの『想い』が、私の中に流れ込んできた時……不思議と、嫌な気はしませんでした」


結月の言葉に、蓮は少しだけ驚いた。


「……そうか」


「はい。ただ、次からは事前に相談してください。心臓に悪いです」


結月が微かに微笑むと、蓮もつられて笑った。


その時、医務室のドアが開き、舞と凛音が入ってきた。


「蓮くん! 結月ちゃん!」


舞が駆け寄り、蓮のベッドの脇に座り込んだ。


「舞。配信は終わったのか?」


「うん! 今日の配信も大成功だったよ。みんな、蓮くんたちのこと心配してた」


舞は嬉しそうに報告した。


「そうか。心配かけて悪かったな」


「ううん。蓮くんが生きててくれて、本当によかった……」


舞の目に涙が浮かぶ。

彼女は蓮の包帯だらけの手に、そっと自分の手を重ねた。


「……もう、あんな無茶しないでね。私、蓮くんがいなくなったら……」


「分かってる。約束しただろ、お前たちを置いて死んだりしないって」


蓮が優しく言うと、舞は涙を拭って頷いた。


その様子を、結月は静かに見つめていた。

彼女の胸の奥で、またあの「チクリ」とした痛みが走る。

それが何なのか、結月にはまだ分からない。ただ、蓮と舞が親しげにしているのを見ると、無性に心がざわつくのだ。


「……柊隊員、顔色が優れませんね。どこか痛むのですか?」


凛音が結月の様子に気づき、声をかけた。


「いえ……大丈夫です。少し、疲れているだけかもしれません」


結月は誤魔化すように本に視線を戻した。


「そう? 無理しないでね。二人とも、まだ魔力回路が不安定なんだから」


凛音はタブレットを操作しながら、二人のバイタルデータを確認した。


「特に蓮くん。あなたの『残響』、タワー事件以降、少し性質が変わってるみたいよ」


「性質が変わった?」


蓮が眉をひそめる。


「ええ。以前は他人の式を『コピー』するだけだったけど、今は他人の式と『共鳴』する力が強くなってる。つまり、他人の魔力や感情に、より敏感に反応するようになってるの」


凛音の説明に、蓮は虚数空間での出来事を思い出した。

結衣の幻影と共鳴し、純白の光を放ったあの感覚。


「……それは、良いことなのか? 悪いことなのか?」


「分からないわ。ただ、他人の感情に引きずられやすくなる危険性はある。魔力は精神と密接に結びついているから、強い感情の波に飲まれると、また暴走するかもしれない」


凛音は真剣な顔で警告した。


「……気をつけます」


蓮は頷いた。


「まあ、今はゆっくり休むことね。世界はしばらく平和よ」


凛音が明るく言うと、医務室のドアが再び開いた。


入ってきたのは、神宮寺紗綾だった。

彼女の表情は、いつになく険しい。


「……平和、とは言えなくなったわね」


紗綾の言葉に、部屋の空気が一瞬で凍りついた。






「どういうことですか、部隊長」


蓮が身を起こそうとするが、激痛が走って顔を歪めた。


「寝ていなさい、雨宮。話だけ聞いて」


紗綾は蓮のベッドの足元に立ち、タブレットの画面を空間に投影した。


映し出されたのは、日本の各地で発生している「異常現象」のデータだった。


「タワー事件以降、全国で局地的な『魔力異常』が頻発しているの。突然、空間が歪んだり、重力が異常に強くなったり……まるで、ジンの魔法が世界中に散らばったような現象よ」


「ジンの魔法が……?」


結月が眉をひそめる。


「ええ。凛音の解析によれば、タワーのコアが停止する直前、ジンが自身の『式』をネットワークを通じて全国に拡散させた可能性があるわ」


紗綾の説明に、凛音が補足する。


「タワーの起動は阻止できたけど、ジンの魔力の一部はすでにネットワークに乗っていたの。それが今、各地で『残響』のように発現しているんだと思う」


「……ジンの置き土産ってわけか」


蓮が舌打ちをする。


「問題はそれだけじゃないわ」


紗綾は画像を切り替えた。

そこには、黒いコートを着た集団が、街中で暴れている映像が映っていた。


「ノクスの残党よ。彼らはジンの拡散した魔力を利用して、再び活動を活発化させている。しかも、以前よりも組織的に、そして過激に」


「ジンがいないのに、誰が彼らを指揮しているんですか?」


結月が尋ねる。


「それが分からないの。ただ、彼らは自分たちのことを『新星ノヴァ』と名乗り始めているわ。ジンの意志を継ぎ、魔法適応社会を完成させると宣言してね」


紗綾は深くため息をついた。


「対魔局は現在、この『新星』の鎮圧と、各地の魔力異常の解決に追われている。正直、人手が全く足りない状況よ」


「……俺たちも、すぐに出撃します」


蓮が無理やり身体を起こそうとするが、紗綾がそれを制した。


「バカ言わないで。今のあなたたちが出撃しても、足手まといになるだけよ。最低でもあと二週間は絶対安静。これは命令よ」


紗綾の強い口調に、蓮は渋々ベッドに横たわった。


「……分かりました」


「舞、あなたも気をつけて。ノクスの残党が、再び特異点であるあなたを狙う可能性は十分にあるわ」


紗綾が舞に視線を向けると、舞は力強く頷いた。


「はい。私も、自分の身は自分で守れるように訓練します」


「ええ、凛音に護身用の魔法具を調整させておくわ」


紗綾はそう言うと、医務室を出ていった。


残された四人の間に、重苦しい沈黙が流れる。


「……終わってなかったんだね」


舞がぽつりと呟いた。


「ああ。ジンの計画は阻止したが、奴が蒔いた種は、確実に世界を蝕んでいる」


蓮は天井を見つめながら言った。


「でも、俺たちがやることは変わらない。目の前の敵を倒し、守るべきものを守る。それだけだ」


蓮の言葉に、結月も静かに頷いた。


「はい。私たちの戦いは、これからが本番ですね」






その夜。

蓮は、深い眠りの中で夢を見ていた。


そこは、真っ白な空間だった。

上下も左右も分からない、無限に広がる白い世界。


『……お兄ちゃん』


不意に、背後から声が聞こえた。


蓮が振り返ると、そこには結衣が立っていた。

彼女は、一年前の魔法災害で亡くなった時の、中学生の姿のままだった。


「……結衣」


蓮は結衣に近づこうとしたが、足が動かない。

まるで、見えない壁に阻まれているかのようだった。


『お兄ちゃん、気をつけて』


結衣の表情は、いつになく真剣だった。


『世界が、悲鳴を上げている。ジンの魔法が、世界の「式」を少しずつ狂わせているの』


「……どういうことだ? タワーは止めたはずだ」


『タワーは止まったけど、ジンの「悪意」は消えていない。それは、人々の心の中に潜り込み、増幅していく』


結衣は悲しそうに目を伏せた。


『お兄ちゃんの「共鳴」の力は、人々の想いを繋ぐ力。でも、それは同時に、人々の「悪意」とも共鳴してしまう危険があるの』


「悪意と、共鳴する……?」


『うん。だから、絶対に自分を見失わないで。お兄ちゃんの中にある「光」を、信じて』


結衣の姿が、少しずつ薄れていく。


「待ってくれ、結衣! もっと詳しく教えてくれ!」


蓮が叫ぶが、結衣の姿は完全に白い光に溶け込んでしまった。


『……忘れないで、お兄ちゃん。私はいつも、お兄ちゃんのそばにいるから……』


その声を最後に、蓮は目を覚ました。


「……はぁ、はぁ……」


蓮は荒い息を吐きながら、ベッドの上で身を起こした。

全身が汗でぐっしょりと濡れている。


「……雨宮隊員? どうかしましたか?」


隣のベッドで、結月が心配そうに身を起こした。


「……いや、なんでもない。ただの夢だ」


蓮は額の汗を拭い、息を整えた。


結衣の警告。

「悪意」との共鳴。


蓮は自分の手を見つめた。

この手は、大切なものを守るための力だ。しかし、一歩間違えれば、自分自身を滅ぼす刃にもなる。


(……俺は、負けない)


蓮は強く拳を握りしめた。






翌日。

対魔局本部の地下訓練場では、舞が凛音の指導のもと、魔法具の訓練を行っていた。


「はい、そこ! もっと魔力を集中させて!」


凛音がスピーカー越しに指示を飛ばす。


「えいっ!」


舞が手首に装着したブレスレット型の魔法具に魔力を流し込むと、そこから光の盾が展開された。


「よし、いいわよ。その盾は、物理攻撃と下位の魔法攻撃を弾くことができる。でも、魔力の消費が激しいから、使い所を見極めてね」


「はい! ありがとうございます、凛音ちゃん!」


舞は汗を拭いながら、笑顔で答えた。


「舞、少し休憩しましょ。スポーツドリンク持っていくわ」


凛音が訓練場に降りてきて、舞にドリンクを手渡した。


「ありがとう。……ねえ、凛音ちゃん」


舞はドリンクを飲みながら、少し真剣な顔で凛音を見た。


「どうしたの?」


「私、もっと強くなりたい。蓮くんや結月ちゃんに守られるだけじゃなくて、私も一緒に戦えるようになりたいの」


舞の言葉に、凛音は少しだけ驚いたような顔をした。


「……舞の『幻影』は、直接的な戦闘には向いていないわ。それに、あなたの代償は『自己認識の喪失』。魔法を使えば使うほど、自分が誰なのか分からなくなっていくのよ。それは、すごく危険なことだわ」


「分かってる。でも、蓮くんが言ってくれたの。『俺がお前を覚えとく』って」


舞は嬉しそうに微笑んだ。


「だから、私はもう怖くない。蓮くんが私を覚えていてくれるなら、私は何度でも魔法を使える」


その真っ直ぐな瞳に、凛音は小さくため息をついた。


「……本当に、あの二人に感化されちゃったわね。分かったわ。じゃあ、舞の『幻影』を戦闘に応用する訓練を始めましょ。ただし、絶対に無理はしないこと。約束よ」


「うん! 約束する!」


舞が元気よく返事をした時、訓練場のドアが開き、一人の男が入ってきた。


「……おや、熱心ですね」


男は、対魔局の制服を着ていたが、その顔には見覚えがなかった。

年齢は三十代半ば。細身で、眼鏡の奥の瞳は冷たく光っている。


「あなたは……?」


凛音が警戒して尋ねる。


「申し訳ありません、挨拶が遅れました。私は、本日付けで対魔局本部に配属された、特務監査官の『神崎かんざき』と申します」


神崎と名乗った男は、丁寧にお辞儀をした。


「特務監査官……? そんな話、聞いてないわよ」


凛音が眉をひそめる。


「上層部からの急な決定でして。タワー事件以降の対魔局の運営状況、および『特異点』の保護状況を監査するために派遣されました」


神崎は眼鏡を押し上げ、舞をじっと見つめた。


「あなたが、桜井舞さんですね。素晴らしい才能をお持ちだ」


「……どうも」


舞は、神崎の視線に薄気味悪さを感じ、凛音の背後に隠れた。


「監査官殿。特異点の保護は、我々技術班と実働部隊が責任を持って行っています。監査の必要はありません」


凛音が冷たく言い放つ。


「そう言わずに。私も、皆さんの力になりたいのですよ。特に……」


神崎は、薄く笑った。


「雨宮蓮隊員の『残響』には、非常に興味があります。彼の力は、対魔局にとって諸刃の剣。私がしっかりと『管理』しなければならないと考えています」


その言葉に、凛音の顔色が変わった。


「……蓮くんを、どうするつもり?」


「おや、怖い顔をしないでください。ただの監査ですよ。……それでは、私はこれで。またお会いしましょう」


神崎は再び丁寧にお辞儀をし、訓練場を出ていった。


「……何なの、あの男」


凛音が忌々しそうに呟く。


「凛音ちゃん……あの人、なんか怖い……」


舞が震える声で言う。


「大丈夫よ、舞。私がついているわ。それに、蓮くんや結月ちゃんもいる。あんな奴に、好き勝手はさせない」


凛音は舞を抱きしめ、ドアの方を睨みつけた。


新たな敵は、外部だけでなく、内部にも潜んでいるのかもしれない。

静寂の後の波紋は、確実に広がり始めていた。



数日後。

蓮と結月は、驚異的な回復力を見せ、予定よりも早く退院の許可が下りた。

魔力回路の修復は完全ではないものの、日常生活や軽い訓練には支障がないレベルまで回復していた。


「……やっと、この窮屈なベッドから解放される」


蓮は私服に着替えながら、大きく伸びをした。


「あまり調子に乗らないでください。まだ全快ではありませんよ」


結月も制服に着替え、蓮に釘を刺す。


「分かってる。だが、じっとしているのは性に合わないんだ」


蓮が笑うと、結月も小さくため息をつきながら微笑んだ。


二人が医務室を出ると、廊下で神宮寺紗綾が待っていた。


「退院おめでとう、二人とも。でも、休む暇はないわよ」


紗綾の表情は険しい。


「何かあったんですか、部隊長」


蓮が尋ねると、紗綾はタブレットを差し出した。


「これを見て」


タブレットの画面には、都内の廃工場で発生した爆発事故のニュース映像が流れていた。


「昨夜、江東区の廃工場で大規模な魔力爆発が発生したわ。現場からは『新星ノヴァ』の紋章が発見されている」


「新星のテロですか」


結月が眉をひそめる。


「ええ。でも、ただのテロじゃない。現場の魔力残滓を解析した結果、爆発の原因は『空間歪曲』と『崩壊』の複合魔法……つまり、タワーでジンが使おうとしていた魔法と同じ波長だったの」


「なんだと……!?」


蓮は驚愕に目を見開いた。


「ジンは生きていて、新星を裏で操っているということですか?」


「その可能性が高いわ。あるいは、ジンの魔法を完全にコピーした何者かがいるか」


紗綾はタブレットをしまった。


「あなたたちには、この事件の調査に向かってもらう。ただし、戦闘は極力避けること。あくまで情報収集が目的よ」


「了解しました」


蓮と結月は敬礼し、現場へと向かった。






江東区の廃工場は、爆発の熱で鉄骨が飴のように曲がり、周囲には焦げた臭いが立ち込めていた。

警察の規制線が張られているが、対魔局の権限で二人は現場の奥へと足を踏み入れた。


「……ひどい有様ですね」


結月が周囲を見渡しながら呟く。


「ああ。これだけの破壊力……間違いなく、ジンの魔法の波長だ」


蓮は地面に残された魔力の痕跡を「残響」で読み取ろうとした。


その時。


「……おや、対魔局の優秀な猟犬たちではありませんか」


瓦礫の陰から、一人の男が姿を現した。

対魔局本部の訓練場に現れた特務監査官、神崎だった。


「神崎監査官……なぜ、あなたがここに?」


結月が警戒して尋ねる。


「監査官として、現場の状況を直接確認しておく必要がありましてね。それに、あなたたちの働きぶりも見ておきたかった」


神崎は眼鏡を押し上げ、蓮をじっと見つめた。


「雨宮隊員。あなたの『残響』で、何か分かりましたか?」


「……まだ何も。ただ、ジンの魔法の波長に似ていることだけは確かです」


蓮は神崎の視線に不快感を覚えながら答えた。


「なるほど。ジンの魔法、ですか」


神崎は薄く笑い、瓦礫の一つを拾い上げた。


「ジンという男は、実に興味深い。彼は『世界を書き換える』という壮大な理想を持っていた。その理想自体は、決して間違っていなかったと私は思いますよ」


「……何を言っているんですか」


蓮が鋭く睨みつける。


「魔法適応社会。それは、人類が進化するための必然のプロセスです。弱者は淘汰され、強者のみが生き残る。それが自然の摂理というものでしょう?」


神崎の言葉に、結月が冷たい声で反論する。


「それは、ノクスの思想です。対魔局の監査官が口にしていい言葉ではありません」


「おや、これは失礼。少し個人的な見解が過ぎましたね」


神崎は瓦礫を放り投げ、肩をすくめた。


「しかし、対魔局の上層部にも、私と同じ考えを持つ者は少なくありませんよ。特異点である桜井舞さんを、単なる『保護対象』ではなく、『兵器』として利用すべきだという声も上がっています」


「……ふざけるな。舞は兵器じゃない!」


蓮が怒りに任せて一歩前に出る。


「落ち着いてください、雨宮隊員。私はただ、事実を述べているだけです」


神崎は全く動じることなく、冷たい笑みを浮かべたままだった。


「あなたたち実働部隊は、現場で命を懸けて戦っている。しかし、世界を動かしているのは、現場の兵士ではなく、我々のような『管理者』なのです。そのことを、忘れないでいただきたい」


神崎はそう言い残し、背を向けて歩き出した。


「……待て!」


蓮が呼び止めるが、神崎は振り返ることなく、廃工場の外へと消えていった。


「……何なんだ、あの男は」


蓮は忌々しそうに舌打ちをした。


「神崎監査官……彼の背後には、対魔局上層部の暗部が絡んでいるかもしれません。部隊長に報告しましょう」


結月が冷静に言う。


「ああ。ノクスの残党に、内部の不穏分子。……面倒なことになってきたな」


蓮は深くため息をつき、再び現場の調査に戻った。


新たな戦いの火種は、すでに彼らの足元で燻り始めていた。





【第8章終了】





【第8章登場魔法・用語解説】


「魔力異常」:タワー事件後、全国各地で頻発している局地的な魔法現象。ジンの拡散した魔力が原因とされており、空間の歪みや重力異常などを引き起こす。


「魔力回復薬」:対魔局の医療班が開発した特殊な点滴薬。枯渇した魔力回路を修復し、魔力の自然回復を促進する効果がある。ただし、過剰摂取は肉体に負担をかける。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ