第6章:日常の残滓と忍び寄る影
第6章:日常の残滓と忍び寄る影
一
舞が「特異点」の候補者であるという事実が判明してから、数日が経過した。
対魔局は直ちに舞の保護プログラムを発動し、彼女を都内の安全なセーフハウスへと移送した。表向きは「魔法インフルエンサーとしての過労による休養」という名目だが、実際にはノクスの襲撃に備えた厳重な隔離措置だった。
セーフハウスは、外見こそ一般的な高級マンションの一室だが、壁には物理的な防弾装甲が施され、窓ガラスは魔力攻撃を反射する特殊コーティングがなされている。さらに、結月を含む対魔局の精鋭部隊が24時間体制で警備に当たっていた。
蓮は、医務室での絶対安静を命じられていたが、三日目には強引に退院し、セーフハウスの警備任務に合流していた。
「……だから、あなたはまだ安静が必要だと言ったはずです」
リビングのソファで、結月が冷たい声で蓮を咎めた。
彼女はタブレットで周辺の魔力反応を監視しながら、チラリと蓮を睨みつける。
「寝ていても頭が痛いだけだ。それに、舞が狙われているのに、俺だけ安全な場所で寝ているわけにはいかない」
蓮はコーヒーカップを手に、窓の外の景色を眺めながら答えた。
灰色の空の下、東京の街並みが無機質に広がっている。
「あなたの『残響』は不安定です。もしまた暴走すれば、今度こそ舞さんを……」
「分かってる。だから、魔法は使わない。ただ、そばにいるだけだ」
蓮の言葉に、結月は小さくため息をついた。
「……頑固ですね、あなたは」
「お互い様だろ」
蓮が苦笑すると、結月は少しだけ顔を背けた。
その時、寝室のドアが開き、舞がリビングに顔を出した。
彼女はピンク色のパジャマ姿で、髪は少し寝癖がついている。
「おはよう、蓮くん、結月ちゃん」
舞は目をこすりながら、二人に近づいてきた。
「おはよう、舞。よく眠れたか?」
蓮が尋ねると、舞は大きく伸びをした。
「うん、ぐっすり! でも、ここ、ちょっと退屈だね。外に出られないし、配信も禁止されてるし」
舞はソファに座り、クッションを抱きしめた。
「我慢してくれ。お前がノクスに狙われている以上、安全が第一だ」
「分かってるよ。でも、私のせいで蓮くんたちに迷惑かけてるのが、申し訳なくて……」
舞は少しだけ俯いた。
「迷惑なんて思ってない。お前は俺たちを助けてくれた。今度は俺たちが、お前を守る番だ」
蓮が優しく言うと、舞は顔を上げ、嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとう、蓮くん」
その様子を見ていた結月は、静かに立ち上がった。
「私は、周辺のパトロールに行ってきます。雨宮隊員、彼女から目を離さないでください」
「ああ、任せろ」
結月は足早にリビングを出ていった。
その背中が、どこか寂しげに見えたのは、蓮の気のせいだったのだろうか。
二
結月がパトロールに出た後、リビングには蓮と舞の二人だけが残された。
「……結月ちゃん、怒ってるのかな?」
舞が心配そうに尋ねる。
「いや、あいつはいつもあんな感じだ。ただ、お前の護衛任務で少し気が張っているだけだろう」
蓮はコーヒーを一口飲み、ソファに深く腰掛けた。
「そっか……。結月ちゃん、すごく真面目だもんね」
舞はクッションを抱きしめたまま、蓮の顔をじっと見つめた。
「ねえ、蓮くん。蓮くんの記憶、あれからどう?」
舞の問いに、蓮は少しだけ表情を曇らせた。
「……正直、あまり良くない。昔の記憶が、所々抜け落ちている。結衣のことや、お前のことは覚えているが……自分が子供の頃に何をしていたか、どんな友達がいたか、そういう些細な記憶が消えているんだ」
蓮は自分の頭を軽く叩いた。
「まるで、自分の人生が、他人の書いた小説みたいに感じることがある。ページが破れていて、前後の繋がりが分からないんだ」
蓮の言葉に、舞は悲しそうな顔をした。
「……怖い?」
「ああ。怖いよ。自分が自分でなくなっていくような感覚だ」
蓮は正直に答えた。
舞の前では、強がる必要がないような気がしたのだ。
「……私も、同じだよ」
舞はぽつりと呟いた。
「私の代償は『自己認識の喪失』。魔法を使うたびに、自分が誰なのか、何が好きなのか、そういう『自分を構成する要素』が薄れていくの」
舞は自分の手を見つめた。
「最初は、好きな食べ物の味が分からなくなった。次は、好きだった音楽を聴いても、何も感じなくなった。……そして、鏡を見ても、そこに映っているのが自分だと思えなくなったの」
舞の声が震えていた。
「だから、私は配信を始めたの。みんなに『桜井舞』を見てもらうことで、自分がここにいるって、確かめたかったから」
舞の告白に、蓮は言葉を失った。
彼女の明るい笑顔の裏に、そんな深い絶望が隠されていたとは。
「……舞」
蓮は手を伸ばし、舞の震える手を握った。
「俺が、お前を覚えとく。お前が自分を忘れても、俺が『お前は桜井舞だ』って、何度でも教えてやる」
蓮の言葉に、舞は顔を上げ、大粒の涙をこぼした。
「……うん。約束だよ、蓮くん」
舞は蓮の胸に顔を埋め、静かに泣きじゃくった。
蓮は舞の背中を優しく撫でながら、彼女の温もりを感じていた。
(俺は、こいつを守る。絶対に)
蓮は心の中で、強く誓った。
しかし、その穏やかな時間は、長くは続かなかった。
突然、セーフハウスの警報システムがけたたましく鳴り響いた。
『警告。周辺に複数の高魔力反応を検知。防衛システムを起動します』
無機質な機械音声がリビングに響き渡る。
「なっ……!?」
蓮は即座に立ち上がり、舞を背後に庇った。
「ノクスか……! ここがバレたのか!?」
蓮は通信機を起動し、結月に呼びかけた。
「柊! 応答しろ! 状況はどうなっている!?」
しかし、通信機からは激しいノイズが聞こえるだけで、結月の声は返ってこない。
「くそっ……! 通信妨害か!」
蓮は舌打ちをし、窓の外を見た。
セーフハウスの周囲を、黒い霧のようなものが覆い尽くしている。それは、強力な結界魔法だった。
「舞、俺から離れるな」
蓮は両手に炎と雷の式を集中させ、ドアの方を睨みつけた。
「……うん」
舞は蓮の背中にしがみつき、震える声で答えた。
その時、リビングのドアが、凄まじい衝撃と共に吹き飛んだ。
三
吹き飛んだドアの向こうから現れたのは、黒いコートを着た三人の男たちだった。
彼らの顔には、ノクスの紋章である「黒い太陽」のタトゥーが刻まれている。
「見つけたぞ、特異点」
男の一人が、下卑た笑みを浮かべながら言った。
「……ここをどうやって見つけた?」
蓮が低く唸るように尋ねる。
「簡単なことだ。お前たちの通信を傍受し、魔力の痕跡を辿っただけだ。対魔局のセキュリティなど、我々ノクスの技術の前では子供の遊びに等しい」
男は手に持った魔法具を構えた。
「大人しく特異点を渡せば、お前の命だけは助けてやろう」
「断る」
蓮は即座に炎の刃を放った。
「『残響』――炎刃!」
炎の刃が男たちに向かって飛んでいくが、男の一人が前に出て、見えない壁を展開した。
「『空間歪曲』――防壁!」
炎の刃は空間の歪みに飲み込まれ、消滅した。
「……空間歪曲だと!?」
蓮は驚愕に目を見開いた。
ジンの能力である「空間歪曲」を、末端の戦闘員までが使えるようになっているのか。
「驚くのはまだ早いぞ」
別の男が前に出た。
「『崩壊』――重力圧壊!」
男が手を振り下ろすと、蓮と舞の頭上に、凄まじい重力が発生した。
「ぐっ……!」
「きゃあっ!」
蓮と舞は床に押し付けられ、身動きが取れなくなる。
「……ジンから、能力を分け与えられたのか……!」
蓮が呻くように言うと、男たちは嘲笑した。
「その通りだ。ジン様は、我々ノクスの兵士全員に、ご自身の力を分け与えてくださった。我々は今や、無敵の軍団だ」
男たちがゆっくりと近づいてくる。
「さあ、特異点を頂こうか」
男が舞に手を伸ばした、その時。
「『氷結』――絶対零度!」
部屋の温度が急激に下がり、男たちの足元から一瞬にして氷が這い上がった。
「なっ……!?」
男たちの足が凍りつき、動きが止まる。
「……遅くなりました」
吹き飛んだドアの向こうから、結月が現れた。
彼女の制服は所々破れ、息を切らしていたが、その瞳は鋭く敵を見据えていた。
「柊!」
「外の敵は片付けました。ここは私が引き受けます。雨宮隊員は、舞さんを連れて脱出を!」
結月は冷気を纏い、男たちの前に立ち塞がった。
「……ふざけるな! お前一人で、空間歪曲と崩壊の能力者を相手にできるわけがない!」
蓮が叫ぶが、結月は振り返らなかった。
「これは命令です、雨宮隊員。彼女を守ることが、私たちの最優先任務です」
結月の声には、有無を言わさぬ決意が込められていた。
「……くそっ!」
蓮は重力圧壊の魔法具の式を読み取り、「魔力逆流」で強引に解除した。
激しい頭痛が蓮を襲うが、今はそれに構っている余裕はない。
「舞、行くぞ!」
蓮は舞の手を引き、リビングの窓に向かって走り出した。
「逃がすか!」
男の一人が空間歪曲で氷を破壊し、蓮たちに向かって魔法具を向けた。
「させません!」
結月が氷の壁を展開し、男の攻撃を防ぐ。
「結月ちゃん!」
舞が悲鳴のような声を上げる。
「……必ず、生きて戻れよ、柊!」
蓮は窓ガラスを蹴破り、舞を抱きかかえて外へと飛び出した。
セーフハウスはビルの十階にある。
蓮は落下しながら、「風」の式を展開し、落下の衝撃を和らげた。
「きゃあああああっ!」
舞が蓮の首にしがみつく。
「目を開けるな、舞!」
蓮は風のクッションを作り出し、隣のビルの屋上へと着地した。
「……はぁ、はぁ……」
蓮は荒い息を吐きながら、舞を降ろした。
「蓮くん……結月ちゃんは……?」
舞が涙声で尋ねる。
「……あいつなら大丈夫だ。必ず追いついてくる」
蓮は自分に言い聞かせるように言った。
しかし、その時。
「……逃げられると思ったか?」
背後から、冷酷な声が響いた。
蓮が振り返ると、そこには黒崎ジンが立っていた。
「ジン……!」
蓮は即座に舞を背後に庇い、戦闘態勢に入った。
「お前たちの逃走経路など、すでに計算済みだ。特異点は、私が直接回収する」
ジンはゆっくりと近づいてくる。
その周囲の空間は、以前よりもさらに強く、禍々しく歪んでいた。
「……舞には、指一本触れさせない」
蓮の瞳に、再び暗い炎が宿る。
「愚かな。お前の『残響』は、すでに限界を迎えているはずだ。これ以上魔法を使えば、お前は完全に自分を失うぞ」
ジンの言葉は事実だった。
蓮の頭の中は、すでに激しい痛みと喪失感で満たされている。これ以上魔法を使えば、本当に自分が誰なのか分からなくなってしまうかもしれない。
しかし、蓮に迷いはなかった。
「……俺がどうなろうと、こいつだけは守る」
蓮は両手に炎と雷の式を集中させ、ジンに向かって駆け出した。
四
「『残響』――雷炎刃!」
蓮は炎と雷の式を融合させ、巨大な刃を作り出してジンに斬りかかった。
相反する属性を無理やり結合させた不安定な魔法だが、その分、破壊力は桁違いだ。
しかし、ジンは表情一つ変えずに手をかざした。
「『空間歪曲』」
ジンの目の前で空間がねじれ、蓮の雷炎刃は虚空へと吸い込まれるように消滅した。
「……くそっ!」
蓮は即座にバックステップで距離を取るが、ジンの反撃の方が早かった。
「『崩壊』」
ジンが指を鳴らすと、蓮の足元のコンクリートが音を立てて崩れ落ちた。
「ぐあっ!」
蓮はバランスを崩し、膝をつく。
そこに、ジンの見えない一撃が腹部を捉えた。
「がはっ……!」
蓮の身体がくの字に折れ曲がり、数メートル後方へと吹き飛ばされる。
肋骨が数本折れる嫌な音が響いた。
「蓮くん!」
舞が悲鳴を上げて駆け寄ろうとするが、ジンがそれを制した。
「動くな、特異点。お前は私の大切な『鍵』だ。傷つけたくはない」
ジンは舞に向かってゆっくりと歩み寄る。
「……来ないで!」
舞は「幻影」を発動し、無数の光の蝶をジンの周囲に舞い上がらせた。
しかし、ジンは煩わしそうに手を振っただけで、光の蝶は空間の歪みに飲み込まれて消え去った。
「無駄だ。お前の『幻影』は、精神に干渉してこそ真価を発揮する。だが、私の精神はすでに『世界』と繋がっている。お前程度の干渉など、そよ風にも等しい」
ジンは舞の腕を掴み、強引に引き寄せた。
「きゃあっ!」
「……離せ……!」
蓮が血を吐きながら立ち上がる。
視界がぼやけ、頭の中では警鐘が鳴り響いている。これ以上魔法を使えば、本当に記憶が全て消え去ってしまうかもしれない。
だが、蓮は止まらなかった。
「『残響』――全式解放……!」
蓮の身体から、再びあの赤黒い光が溢れ出し始めた。
「……また暴走するか。愚かな」
ジンは冷たく笑い、舞を抱えたまま空間を歪めようとした。
その時。
「『氷結』――氷牢!」
ジンの足元から、巨大な氷の檻が突き出し、彼を閉じ込めた。
「なっ……!?」
ジンが驚愕に目を見開く。
「……待たせましたね、雨宮隊員」
隣のビルの屋上から、結月が飛び降りてきた。
彼女の制服はボロボロで、左腕からは血が流れていたが、その瞳は鋭くジンを見据えていた。
「柊……! お前、その怪我……!」
「かすり傷です。それより、舞さんを!」
結月が叫ぶと同時に、氷の檻が内側から砕け散った。
「……小賢しい真似を」
ジンが氷の破片を払い除けながら、不快そうに顔をしかめる。
「ですが、これで揃いましたね。特異点、そして『残響』と『絶対零度』。私の計画に必要なピースが、全てここに」
ジンが両手を広げると、彼の周囲の空間が、これまでにないほど激しく歪み始めた。
「……来るぞ!」
蓮は赤黒い光を纏ったまま、結月と共に身構えた。
「『空間歪曲』――次元断層!」
ジンが叫んだ瞬間、蓮たちの周囲の空間が、文字通り「切り取られた」。
「なっ……!?」
蓮と結月、そして舞の足元から、屋上のコンクリートが消え去り、真っ暗な虚空が口を開けた。
「きゃあああああっ!」
舞が悲鳴を上げ、虚空へと落ちていく。
「舞!」
蓮は咄嗟に手を伸ばし、舞の腕を掴んだ。
しかし、蓮自身も虚空へと引きずり込まれていく。
「雨宮隊員!」
結月が蓮のコートを掴むが、彼女もまた、次元の断層に飲み込まれてしまった。
「……さあ、新しい世界へようこそ」
ジンの冷酷な声が、虚空に響き渡る。
蓮の意識は、そこで途切れた。
五
「……くん……蓮くん……!」
遠くで、誰かが呼ぶ声が聞こえる。
蓮はゆっくりと目を開けた。
視界がぼやけている。全身が鉛のように重く、頭が割れるように痛い。
「……ここは……?」
蓮が身を起こすと、そこは見たこともない場所だった。
空は赤黒く染まり、大地はひび割れ、無数の巨大なクリスタルが墓標のように突き出している。
空気は乾燥し、微かに硫黄の臭いが漂っていた。
「蓮くん! よかった、気がついたんだね!」
舞が泣きそうな顔で蓮に抱きついてきた。
「……舞。無事だったか」
蓮は舞の背中を軽く叩き、周囲を見渡した。
「柊は……?」
「あそこ」
舞が指差した先には、結月が倒れていた。
彼女は意識を失っており、左腕の傷からはまだ血が滲んでいる。
「柊!」
蓮は慌てて結月に駆け寄り、彼女の身体を抱き起こした。
「……柊、しっかりしろ!」
蓮が呼びかけると、結月は微かに目を開けた。
「……雨宮隊員……ここは……?」
「分からない。だが、ジンの『次元断層』に飲み込まれたのは間違いない」
蓮は結月の傷口に手を当て、「治癒」の式を展開しようとした。
しかし、魔力が全く練り上げられない。
「……なっ……魔法が、使えない……!?」
蓮は驚愕に目を見開いた。
「私もです……。先ほどから『氷結』を試みているのですが、全く反応がありません」
結月が苦しそうに言う。
「どういうことだ……? ここは、魔法が使えない空間なのか?」
蓮が周囲を見渡すと、巨大なクリスタルの一つが、微かに光を放っているのに気づいた。
「……あのクリスタルが、魔力を吸収している……?」
蓮がクリスタルに近づこうとした時、背後から足音が聞こえた。
「その通りだ」
振り返ると、そこには黒崎ジンが立っていた。
「ここは『虚数空間』。私が『空間歪曲』の極致として創り出した、現実世界とは切り離されたポケットディメンションだ」
ジンはゆっくりと三人に近づいてくる。
「この空間では、私以外の魔法は一切発動しない。お前たちの魔力は、全てあのクリスタル――『魔力集積炉』に吸収され、私の計画のためのエネルギーとなる」
「……ふざけるな。こんな場所に閉じ込めて、どうするつもりだ」
蓮がジンを睨みつける。
「言っただろう。お前たちは、私の計画に必要なピースだと」
ジンは舞を指差した。
「特異点である彼女の精神干渉能力。そして、お前たちの『残響』と『絶対零度』。これらをこの空間で融合させ、現実世界の『式』を書き換えるための巨大な魔法陣を完成させる」
ジンの言葉に、蓮は背筋が寒くなるのを感じた。
「……世界を、書き換える……」
「そうだ。魔法適性を持たない弱者を淘汰し、適性を持つ者だけが生き残る、真の魔法適応社会。そのための『鍵』が、お前たちなのだ」
ジンが手をかざすと、三人の身体が見えない力で空中に持ち上げられた。
「ぐっ……!」
「きゃあっ!」
「……やめろ……!」
蓮がもがくが、魔法が使えない状態では、ジンの空間歪曲に抗う術はない。
三人の身体は、巨大なクリスタルの前へと運ばれ、見えない鎖で縛り付けられた。
「さあ、儀式を始めよう」
ジンが両手を広げると、クリスタルが眩い光を放ち始めた。
その光は、蓮たちの身体から魔力を強制的に吸い上げていく。
「あああああっ!」
蓮の頭の中に、これまで以上の激痛が走った。
魔力と共に、記憶が、感情が、凄まじい勢いで削り取られていく。
「蓮くん……!」
舞が悲鳴を上げる。
彼女の身体からも、魔力が吸い上げられ、その瞳から徐々に光が失われていく。
「……舞さん……雨宮隊員……!」
結月も苦痛に顔を歪めながら、必死に意識を保とうとしていた。
(……くそっ……このままじゃ……)
蓮は薄れゆく意識の中で、必死に抗おうとした。
しかし、魔法が使えない状態では、どうすることもできない。
記憶が、消えていく。
結衣の笑顔が。
舞の明るい声が。
結月の不器用な優しさが。
全てが、真っ白な闇に飲み込まれていく。
(……俺は……誰だ……?)
蓮の意識が完全に途切れようとした、その時。
『……諦めないで、お兄ちゃん』
再び、結衣の声が聞こえた。
それは、蓮の脳内に直接響く、はっきりとした声だった。
「……ゆい……?」
蓮が微かに目を開けると、彼の目の前に、淡い光に包まれた少女の姿があった。
「結衣……!」
蓮は驚愕に目を見開いた。
一年前の魔法災害で死んだはずの妹が、なぜここにいるのか。
『お兄ちゃんの「残響」は、ただ他人の魔法をコピーするだけの力じゃない。それは、人々の「想い」を繋ぐ力だよ』
結衣の幻影は、優しく微笑みながら蓮の頬に触れた。
『思い出して。お兄ちゃんが、誰のために戦ってきたのかを』
その瞬間、蓮の脳内に、失われていた記憶が濁流のように流れ込んできた。
子供の頃、結衣と一緒に遊んだ公園。
対魔局に入隊し、結月と初めてバディを組んだ日。
舞と出会い、彼女の笑顔に救われた日々。
全てが、鮮明に蘇ってくる。
「……俺は……雨宮蓮だ」
蓮の瞳に、再び強い光が宿った。
「俺は、大切なものを守るために……戦う!」
蓮が叫んだ瞬間、彼の身体から、これまでにないほど強烈な「光」が放たれた。
それは赤黒い暴走の光ではなく、純白の、温かく力強い光だった。
「なっ……なんだ、この光は!?」
ジンが驚愕の声を上げる。
純白の光は、蓮を縛り付けていた見えない鎖を打ち砕き、さらに舞と結月の鎖をも破壊した。
「……蓮くん……?」
舞が驚いたように蓮を見つめる。
「……雨宮隊員、あなたの魔力が……」
結月も信じられないものを見るような目をしていた。
蓮の身体から放たれる純白の光は、虚数空間のクリスタルが放つ光を押し返し、空間そのものを震わせていた。
「……バカな。この空間では、私以外の魔法は使えないはずだ!」
ジンが焦燥の声を上げる。
「俺の『残響』は、お前の空間歪曲なんかに縛られない」
蓮はゆっくりとジンに向かって歩み寄った。
「俺は、みんなの『想い』を響かせる。それが、俺の本当の魔法だ!」
蓮が右手を前に突き出すと、純白の光が巨大な剣の形となって顕現した。
「『残響』――共鳴剣!」
蓮は純白の剣を振りかぶり、ジンに向かって一気に距離を詰めた。
「……させるか!」
ジンが空間歪曲の盾を展開するが、純白の剣はそれを紙のように切り裂いた。
「なっ……!?」
「これで、終わりだ!」
蓮の剣が、ジンの胸を深く切り裂いた。
「がはっ……!」
ジンは血を吐き、その場に崩れ落ちた。
同時に、虚数空間を構成していたクリスタルに亀裂が入り、空間全体が崩壊を始めた。
「……空間が、崩れる……!」
結月が叫ぶ。
「蓮くん、早く!」
舞が蓮に手を伸ばす。
蓮はジンの身体を一瞥し、舞と結月の元へと駆け寄った。
「掴まれ!」
蓮が二人の手を取った瞬間、虚数空間は完全に崩壊し、三人は眩い光に飲み込まれた。
【第6章終了】
【第6章登場魔法・用語解説】
「次元断層」:黒崎ジンが使用した「空間歪曲」の究極技。対象の周囲の空間を切り取り、現実世界とは切り離された「虚数空間」へと強制転移させる。
「虚数空間」:ジンが創り出したポケットディメンション。この空間内ではジンの設定したルールが絶対となり、他者の魔法は封じられる。
「共鳴剣」:蓮が妹・結衣の幻影(想い)と共鳴し、自身の「残響」の真の力に覚醒して生み出した純白の剣。他者の魔法をコピーするのではなく、人々の「想い」を魔力に変換して放つため、空間のルールや代償の制限を受けない。
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