海陽市
「原さんと警察が同時に動き始めた。有、そろそろ休憩は終わりにしてくれないかな?」
秋山有の自宅。壁は隙間なく物で埋め尽くされていて、見ているだけで窒息しそうになる。
彼なりの、装飾…だろうが、初めて訪れた人間なら、部屋に入った瞬間に飲み込まれるような圧迫感を覚えるだろう。
ナイフの隣に壁画が、壁画のとなりに教科書が、教科書の隣にベッドのシーツがあった。
そんなキッチンの中でテーブルに座って、男女が話をする。
秋山有はテーブルを無表情のまま見つめ、両手を膝の上に置き全く身動き一つしなかった。
「松本隆一の失踪で街が騒いでいる、静かな霧が晴れるのは今じゃない。まだ時間じゃない」
テーブル越しに座っていたのはマグカップを手に持った羽田家だった。
深刻そうな顔で有を睨みつく。
「休憩は終わりだ。有」
「休憩は終わりじゃない」
「終わりだ」
「いやだ」
「終わりだっつったんだッ! クソガキみたいに自分の好きなことだけやって生きていけると思うのであれば大間違いだッ!」
マグカップを地面に投げ捨てて羽田家は椅子を落として立ち上がり、有のボサボサの髪を掴んで顔の近くまで引っ張り上げた。
「僕の家に入るな…鶴丸」
目を閉じて、痛みをかき消そうとする。肩から力が抜け、抵抗する気配はなかった。
「有、お前には恩があるからって優しすぎたのかもしれない。松本隆一に何をした」
「なにも、何もしてない…」
「あいつは死ぬはずだったッ! 私が終わらせるはずだったッ! なのにあんたは、あんたはぁッ!!」
有は両手を前に出して羽田家を押し出し、髪を無理矢理離させた。
突き放され、壁に背中をつけた羽田家が手を見ると、そこには有の髪の束が強く握られていた。
「本当のことを言え」
握る手を徐々に弱くし、汚い地面に髪をゆっくり落とす。
「僕は隆一が今どうなってるのかは何も知らない。それは君たち姉妹が管理してるはずだった」
有は深く呼吸をして、取り乱した自分の精神を戻そうとしていた。
「彼の家を特定した時に吾輩は約束した、何もしないって。鶴丸に約束した」
その時階段から急いで降りて、キッチンに顔を見せた人がいた。
「今ドンってしたけど?!」
「…」
鶴丸夏帆はタオルだけを体に巻き付けたまま二人を信じられないような目で見ていた。
「夏帆、上に戻ってなさい」
「夏帆ちゃん、オラは大丈夫だから」
「あんたたち松本の話してるの?」
「…」
有は黙っていた。
「ねぇ有さん、出してよここから。鍵を開けて、服を返して? 松本たちのことは私がちゃんと見てくるから、まかせ――」
「駄目だッ! 夏帆はここに残っていろ! 有の家はどこよりも確実に安全だ。有は夏帆を守ってることにだけ意識しろ、私が松本隆一と、勇気を見る。有が本当に隆一の失踪と関係ないのであれば警察はここに来ることはない」
有は羽田家を見てから小さく息を吐いて
「もう許可なしにここに入ってくるな。ノックをするんだ、ノック…ノック」
とつぶやく。
「それなら、ノックの音でお姉ちゃんだって分かるようにしたい」
「…それなら私はパンパンパン、パパパッって感じでノックするから、それがパスワードね。わかった二人とも?」
「はい」
夏帆と有が同時に答えた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
二人は車の中にいた。
黒沢はフロントガラスの向こうを睨みながら、小さくつぶやく。
「悪い予感がする」
「黒沢さんは考えすぎですって、普通刑事の悪い予感って当たるもんなんで、まずまず喋らないほうがこの街にとって得ですよ」
「松本宅へ向かうんでしたよね? 黒沢さん」
「それじゃなきゃどこへ行くんだ? 喋る前に考えろ」
「…はい」
「それにしても、本当にいい気がしない。松本勇気のあの変な態度からしてこの家族には何かがあったに違いない」
「虐待とかですかね」
「喋る前に考えろって言ったよな?」
「そんなに当たり前でした?」
「…とにかく、松本勇気の心は深く傷ついている部分がある。それが母親にもあるのかをこれから確かめる」
黒沢はポケットから煙草の箱を取り出し、開けようとすると白沢ににらまれた。
「車の中ではやめてください」
「私は好きな時に、好きな場所で煙草を楽しむ。お前の許可がいちいち必要なら、土下座でもして頼んでやるよ」
「本当ですか?」
「そんなわけないだろう」
角を曲がって住宅街をゆっくり通る、周りには同じような家が立ち並び、同じような光景ばかりが続いていた。
「…松本はここに住んでるのか?」
黒沢は窓の外を眺めながら聞いた。
「いや、この先のカフェと精神科を過ぎて国道に出ます。左折して、コンビニの裏だって言ってましたね」
「住所で言え。目印が多すぎる」
「あぁ…」
カフェの前を通ると、多くの薔薇があることに気が付いた。
黒沢は後部座席からバッグをとり、中を漁り始めた。
「白沢、ちょっとゆっくり走れ。庭がきれいだ。写真を撮ってみたいが…」
「あ、カメラですか? カメラなら俺持ってますよ」
「仕事用の?」
「はい」
「渡せ」
「どうぞ」
白沢はポケットから細く古いカメラを取り出して黒沢の手のひらに置いた。
すぐにカメラを構えて窓を下げ、パシャッと写真を撮った。
「雨の日にぴったりな場所だな…調査が終わったら来てみるのはどうだ?」
「悪くはないですが、すぐにまた調査があると思いますよ。最近は悪い噂がいろいろ出回ってますし」
「夢くらい見させてくれよ」
「…夢、ね」
写真を撮り終えると、白沢はまたすぐに速度を出した。
「なんだ、さっきまで遅かったのに」
「あそこは住宅街で、子供も多いんですよ。飛び出されるとさすがに反応できないのでゆっくり走ってました」
「…当然ではあるな」
そう賛成して、カメラを警察のバッグにしまった。
「白沢、バッグから何かをとったらバッグの中にしまえ。カメラも資料も全部だ」
「…でも持ってた方が取り出すの早いですよ」
「それはそうだが、これは私たち二人の共有物だ。お前一人の都合で持ち歩くな。使い終わったらバッグに戻せ」
「わかりましたよ」
バッグを後部座席に戻して黒沢は静かに松本家にたどり着くのを待った。
「…」
「…」
「音楽流しますか? 黒沢さん」
「いや、考え事をしていたんだ。でも圧倒的に証拠が足りない。まだ何も掴めてない」
「…それはそうですね、調査は今日の朝始まったばかりですもん」
「糞、移動時間なんてもんがなかったら人生はもっと濃かった」
「移動時間も楽しむものだと思うんですけどね、少なくとも俺は車運転すんの好きですよ」




