だから今はこれだけで
「おかえり。楽しかったようだね」
ディリスを迎えたシラーは丸わかりのその様子に微笑み、追いついてきたリー、それからケルトへと視線を移す。
「はじめまして。カルフシャークだね。来てくれてありがとう」
「あ……は、はじめまして。でもどうして俺の名……」
「シェルバルクが伝えに来てくれたんだよ」
「シェルバルク兄さんが……」
おそらく請負人組織に連絡をする際に、ここへも許可を取りに立ち寄ってくれたのだろうとリーは思う。
「友達になったんだ!」
「そうか、よかったな。カルフシャーク、これからも仲良くしてやってくれ」
「俺も友達になれて嬉しい」
和やかな三人の会話を微笑ましく聞いていると、歩いてきたフェイが隣に立った。
揃うのを待っていたのだろう、シラーが会話の区切りでリーとフェイへと向く。
「ありがとう。いい旅だったとディリスを見るだけでわかるよ」
「それが、もう少しで騒動に巻き込むところで……」
「別に何もなかったのに」
俺は楽しかったよ、とディリスが口を挟む。
「シラーの造った街道を歩けて、聞いたことのあった物を見られて、人について知れて、龍の知り合いも……友達もできた」
振り返ってリーたちを見るディリスは、初めて会った時よりも落ち着き、二度目に会った時よりしっかりとして。
「リーたちのおかげだよ。本当にありがとう」
礼を言い笑うその顔に表れる確実な成長。
短い旅路ながら得るものがあったなら、同行者としてこれほど嬉しいことはない。
「俺も楽しかった。役に立てたならよかったよ」
「ただ一緒に歩いただけだがな」
「でもそれが――」
突然ディリスが言葉を止め、はっと銀の瞳を瞠った。
「ディリス?」
リーの声には応えずに、シラーに近付いて何やらこそこそと耳打ちをするディリス。柔和な表情のまま聞いていたシラーが頷くと、途端に嬉しそうに瞳を輝かせた。
何をと怪訝に思う間もなく、ディリスが目の前へと駆け寄ってくる。
「リー! 俺の名前、ヒストシェイドだよ」
唐突に渡されたその名に、今度はリーが瞠目する番だった。
「本当はずっと前から教えたかったんだけど、教えていいのかわからなくて」
ディリスは照れ臭そうにそう言って、ちらりとシラーを見やる。
「私はハルヴァリウス。二千年の懸念を解消してくれてありがとう」
継がれた言葉に更に固まってから、リーはぎこちない動きでまずはディリスを見た。
「……嬉しいけど……いいのか……?」
「うん。そう呼んでくれたら俺も嬉しい」
心からの笑みに戸惑いも解け、残る感謝にリーも相好を崩す。
「ありがとう。これからもよろしくな、ヒストシェイド」
初めて呼ばれた龍の名に、はにかんで頷くディリス。
「また一緒に歩いてね」
「もちろん」
手を伸ばして銀の頭を撫でてから、リーはシラーへと視線を移した。
「ごめん、こっちは何のことかさっぱり……」
棲処のこともディリスのことも精々数十年。二千年もの事案に関わった覚えはない。
困惑するリーに、シラーはさも当然と笑う。
「私の自己満足のようなものだからね。気にしなくていい」
「そう言ってもさ……」
気にせず受け取るには大きすぎる感謝に戸惑いを隠せない。
「このまま知らぬままかもしれないし、いつか話を聞くかもしれない。だがどちらだとしても、私の感謝に変わりはないよ」
それすら受け入れるかのように穏やかに言い切ってから、シラーは集う一行を見回した。
「まだゆっくりできるなら、是非とも皆で旅の話を聞かせてほしい。お茶も出せなくて申し訳ないがね」
「買ったお土産、一緒に食べよう」
「俺も父さんからお土産もらってる」
ぽん、とフェイに肩を叩かれる。
龍たちからの肯定に、リーはもう素直に過ぎる栄誉を受け入れることにした。
息とともに力を抜き、顔を見合わせ笑い合う。
「ありがとう、ハルヴァリウス。ここで火を使っていいならお茶は俺が淹れるよ」
カルフシャークが集めた水とフェイがつけた火でお茶を淹れ、請負人組織本部を出てからの話をする。
興奮気味のディリスの話を補足しながらここまでの旅路をなぞるうち、すっかり日も傾いた。いいならと請われ、ランタンの灯りを囲んで尽きぬ話に花を咲かせる。
柔和な顔で相槌を打ったり質問したりするシラーを眺めながら、リーはなんとなくこの先また彼と会うことはあるのだろうかと考えていた。
護り龍でもなく、人の姿で紛れる龍でもない、ただ棲処が人の世と重なっているだけ。
いくら名を教えてもらったからといって、気安く会いに行っていいものなのか。
――もしかするとこの先二度と会うことがないかもしれない。
そう思うと感じる寂しさと、それが意味する彼らの平穏。それならその方がいいのかという考えがよぎったその瞬間。
「こうして話せる相手もできたことだし。私もこれからまた新たな景色を見られるかもしれないね」
僅かに瞠目するリーに、シラーは静かに微笑む。
「いい場所があれば教えてくれるかな?」
ランタンの光に更に深く輝く赤の瞳は、その杞憂ごと受け入れるようで。
龍相手に取り繕っても仕方ないかと内心苦笑して、リーも辞色を和らげる。
「じゃあまた話しに来るよ」
「ああ。楽しみに待っているよ」
そうできれば嬉しい。そんな思いを込めた呟きに返された応えには、同じ気持ちを含むとわかる響きがあった。
初めてだらけの旅の終わりは今までで一番長くて短い夜。朝の気配の近付く空に、ヒストシェイドはいいようのない安堵と寂しさを覚える。
これからは今まで通りのハルヴァリウスとの静かな日々。それは楽しみとはまた違う、自分にとって当たり前のこと。穏やかな生活に戻れる喜びはもちろんあるのだが――。
纏めた荷物を持ち、龍の姿で佇むカルフシャーク。人に見られぬよう夜が明ける前にここを離れる友との別れは、やはり寂しい。
「じゃあまたね」
別れの挨拶をするカルフシャークの正面に立ち、ディリスは頷く。
カルフシャークとはここに来るまでの間にたくさん話をした。そしてこれからも、もっとたくさん話ができる。
「うん。またね」
だから今はこれだけで。
互いに顔を見合わせ、曖昧な約束だけを交わした。
「ハルヴァリウスもありがとう」
「こちらこそ来てくれてありがとう。今度はふたりでウェルトナックたちに礼を言いに行くよ」
「気をつけて」
「うしろにいるから何かあれば引き返してこい」
次々にかけられる声にわかったと元気よく返し、カルフシャークは藍色の空に飛び立っていった。
見えなくなるまでと思い見上げていると、夜闇に白く浮かぶ体が途中でくるりと円を描く。
目立つだろ、と苦々しくも温かなリーの声音に笑ってから、ディリスはまたねともう一度呟いた。
カルフシャーク本人の了承の元、一定の距離を空けてフェイがあとを追う。
徒歩で下山するリーも、人に会わぬようフェイと同時に出立することになっていた。
「ありがとう。世話になったね」
「役に立てたならよかったよ」
相変わらず謙虚な様子に、シラーは首を振る。
「リーだからこその結果だと思っているよ」
この旅でヒストシェイドが得た出会いはもちろん、自分がギルスレイドと再会できたのもリーの持つ縁のおかげ。
当の本人は知らずとも、踏み込む勇気と至る道筋をもらえたのだ。
こちらの感謝は伝わっているものの、おそらくその大きさまでは理解していないのだろう、大袈裟だなと笑うリー。
理屈などわからないが、彼は在るべくして龍の愛子であるのだと感じられた。
リーから繋がり広がる幸運が、自分たち同様ギルスレイドにも訪れるように。そう独りごち、シラーは改めてふたりを見やる。
「私たちからフェイに言うのもおかしな話だが、ふたりともまた来てほしい」
「待ってるからね」
「もちろん。ふたりも何かあれば俺個人にでも本部にでも」
「まぁ好きに使えばいい」
じゃあ、とフェイが火龍の姿に戻ってからヘビ型を取り、南へと飛び去った。
それを見届けてから、リーが荷を担ぎ直す。
「俺も行くよ。ハルヴァリウス、ヒストシェイド。色々ありがとう」
「ありがとうはこっちだよ」
「そうだな。リー、こちらこそ本当にありがとう」
もういいよ、とこそばゆそうな笑顔を残し、リーも手を振って山を下っていった。
森の端でもう一度手を振り合ったあと、姿の消えたその先を暫く黙り込んで見つめていたディリス。やがてするりと龍の姿に戻り、シラーを見上げる。
「……ねぇ、ハルヴァリウス」
「なんだ?」
「もっと話、聞いてくれる?」
「もちろんだとも」
細められる銀の眼に、シラーがそっとその頭に手を置いた。
「戻ろうか」
「うん! ハルヴァリウスの話も聞かせてね」
擦るように少し頭を動かしてから、棲処の入口へと飛んでいくヒストシェイド。
離れる気配に感謝を抱きながら、シラーも踵を返した。
まだ朝も早いことから、中腹でも誰にも会わずに無事下山することができたリー。
道中、アディーリアから強い安堵と興奮を感じたことから、カルフシャークが無事に池へと着いたのだと知った。
ウェルトナックへの報告はフェイに任せているので、自分はここから本部へと向かえばいい。
山を下りたのは四番街道側、そこから橙四番と黄の四番の間の中継所を目指して歩き出す。
夕方前には到着できるはずなので、あとはゆっくりできると思っていたのだが――。
昼を少し過ぎた頃、道の先に見える姿にリーは足を止めた。
(な……んでこんなとこにっ)
ものすごく逃げたいが逃げるわけにもいかず立ち尽くすリー。とっくに気付いていたのだろう、保安の隊服を着たその人物がパタパタと駆け寄ってきた。
飴色の髪の小柄な少年は、言葉を失うリーの前でにっこりと笑う。
「待ってましたよぉ」
灰色の瞳を細め、セルジュが告げた。






