27.フィオナの危機
三日目の夜、フィオナは戻らなかった。
四日目の朝、伯爵領の役所から書状が届いた。
——フィオナ・レーヴェン、窃盗の嫌疑により留め置き中。
ヴァルダスが、書状を握り潰した。握り潰してから、手を開いて、皺を伸ばした。伸ばしても元には戻らなかった。
「……俺が行く」
「駄目です」
「なんでだ」
「ギルド長が伯爵領に乗り込めば、ギルド対伯爵家になります。そうなったら、フィオナさんは政治の駒です。駒は、交渉が終わるまで返ってきません」
「じゃあ、どうしろってんだ」
「俺が行きます」
ヴァルダスが、目を剥いた。
「街を出るなと言われてるだろうが。出た瞬間、お前は逃げたことになる。手形の件は、それで終わりだ。二千枚の泥棒として終わる」
「はい」
「分かってて言ってんのか」
「はい」
俺は、外套を取った。
「ヴァルダスさん。俺は今、依頼人です。あなたがそう言った。依頼人は、自分の案件の判断をしてはいけない。だから、これは判断じゃありません」
「じゃあ何だ」
「……ただ、行きたいんです」
ヴァルダスは、しばらく俺を見ていた。
それから、馬の鍵を投げてよこした。
「速いのを使え。厩の奥の栗毛だ」
伯爵領の宿場町ヴェイルまで、飛ばして半日かかった。
役所に着いたのは、日が傾いてからだった。石造りの平屋で、窓が小さい。受付の役人は、俺の顔を見て、面倒くさそうな顔をした。
「面会は許可がいる」
「面会に来たのではありません」
俺は、外套の埃を払った。息が上がっていたが、声だけは整えた。
「留置の手続きを確認しに来ました」
「なんだと」
「ラティア王国の領地法。領主が人を留め置く場合、三日以内に領主裁判所へ送致すること。三日を過ぎて送致されない場合、留置は効力を失い、直ちに釈放しなければならない。ゲイル伯爵領も、王国の領地です」
役人の顔から、面倒くささが消えた。
「……送致は、済んでいる」
「いつですか」
「昨日だ」
「では、送致状の控えを拝見できますか。日付が入っているはずです」
役人は、動かなかった。
「控えは、必ず作ります。作らないと、裁判所が受け取ったかどうか分からなくなる。役所が困るからです。あなたが困らないために存在する紙を、見せてくださいと言っています」
長い沈黙のあと、役人は奥へ引っ込んだ。
戻ってきたとき、彼の手には紙があった。俺に見せまいとするような持ち方だった。
俺は、待った。
「……日付を、読み上げてもらえますか」
「……今朝だ」
「今朝は、四日目です」
役人は、紙を卓に置いた。それから、俺を見ずに言った。
「……三日目の夜に、担当が休んだ」
「はい」
「それだけのことだ」
「はい。それだけのことです」
俺は、頷いた。
「それだけのことで、あなたはこの留置を続けられなくなりました。俺が偉いのではありません。あなたがたが決めた手順が、そうなっているだけです」
半刻後、奥の扉が開いた。
フィオナが出てきた。
髪がほつれて、外套の裾が汚れていた。だが、背筋はまっすぐだった。俺の顔を見て、目を丸くした。
「……なんで、あなたがいるの」
「迎えに来た」
「街を出たら駄目でしょう」
「出た」
フィオナは、口を開いて、何も言わずに閉じた。
役所を出て、通りを少し歩いた。日が落ちて、風が冷たかった。
彼女は、歩きながら喋った。
「案内人、ラドっていう男。逃げてた。でも女房が村に残ってて、話を聞けた。受け取った金は、伯爵家の出納から出てる。銀貨で三百枚。証文の写しを取った」
「持ってるのか」
「持ってない。捕まる前に、村の井戸の内側に隠した。石を一つ抜いたところ」
「……三日、黙ってたのか」
「言ったら、取りに行かれるでしょ」
俺は、足を止めた。
フィオナが、二歩先で振り返った。
「なに?」
外套の袖が、少しめくれていた。手首に、縄の痕があった。赤黒く、二重になっている。三日ぶん締め直された痕だった。
俺は、それを見ていた。
「……ああ、これ」
フィオナは、袖を引き下ろした。
「大したことない。私、暴れたから」
「フィオナ」
「なによ」
言おうとしたことが、いくつもあった。
証文の場所を先に聞いておくべきだった。伯爵領に入る前に、こちらから同行者をつけるべきだった。そもそも、俺が動けないことを前提にした計画自体が甘かった。全部、俺の落ち度として整理できた。整理できてしまった。
だが、口から出たのは、また違うことだった。
「……ごめん」
フィオナは、少しのあいだ黙っていた。
それから、いつもより低い声で言った。
「ねえ。あなた、この前『一人で行かないでくれ』って言ったでしょ」
「言った」
「あれ、初めてだった」
「え?」
「あなたが私に何か頼むとき、いつも理由があったの。この書類を見てほしい、この商会を調べてほしい。ぜんぶ、案件のため」
彼女は、自分の手首をさすった。
「理由のないお願い、初めて聞いた」
風が吹いて、彼女の髪を乱した。
「だから、三日、黙ってられたんだと思う」
俺は、何も返せなかった。
フィオナは、それ以上その話をしなかった。「早く行くわよ、井戸まで」と言って、先に歩き出した。
俺は、その背中を追った。
追いながら、頭のどこかが、まだ勝手に働いていた。証文を回収したら、筆跡を照合して、出納の日付と手形の日付を突き合わせて——。
俺は、その働きを、無理やり止めた。
今は、歩くだけでいい、と思った。




