26.仕組まれた罠
呼び出しは、朝いちばんに来た。
ギルドの大部屋に、監査役が三人と、両替商が一人。ヴァルダスは卓の端に立ったまま、座らなかった。
卓の真ん中に、三通の為替手形が並べてある。
「カイン・ヴォルティス殿。この署名に、見覚えは」
俺は、手形を手に取った。
心臓が、一度だけ大きく打った。
俺の字だった。
「ヴ」の縦棒を、最後に少し撥ねる癖がある。前世からの癖で、この世界の文字を覚えるときも直らなかった。それが、三通とも入っている。紙を透かした。書き足した跡も、なぞった跡もない。一息で書かれている。
「……俺の字に、見えます」
「認めるのか」
「認めません。俺は書いていない」
「では、なぜあなたの字なのか」
答えられなかった。
前世でも今世でも、俺は他人にこれを聞いてきた側だ。なぜあなたの署名がそこにあるのか。答えられない相手を、何十人も追い詰めてきた。答えられないというのは、たいてい、やったということだった。
「引き出されたのは、銀貨二千枚」
監査役が続けた。
「三通とも、日付は先月の二十二日。北の両替商で換金されている」
日付を聞いて、少しだけ息ができた。
「二十二日、俺は街にいません。辺境の遺跡調査に出ています。往復に六日かかる場所です」
「同行者は」
「フィオナ・レーヴェンと、案内人が一人」
「その案内人からは、すでに証言を取ってある」
監査役は、別の紙を出した。
——カイン殿は、三日目の朝に一人で街へ引き返された。理由は聞いていない。
「……嘘だ」
「案内人は、伯爵家が手配した者だ。あなたがたのギルドに与する理由がない」
その通りだった。だからこそ選ばれたのだ、と俺は理解した。
「フィオナが証言します。俺はずっと一緒にいた」
「ギルド長の娘だ」
監査役は、それだけ言った。
それで、終わりだった。身内の証言は、証言として数えられない。俺が今までさんざん使ってきた理屈だった。
ヴァルダスが、卓の端で口を開いた。
「監査役殿。手形の紙は、うちの書式だ。持ち出せる人間は限られてる。書庫の出納記録を——」
「出納記録には、カイン殿の名で三度、手形用紙の払い出しがあります」
ヴァルダスが、黙った。
俺は、手形をもう一度見た。
これを作った人間は、俺の字の癖を知っている。俺がどの紙を使うかを知っている。俺が街を離れる日を知っている。俺の書庫の使い方を知っている。
——ずっと、見られていた。
たぶん、何年も。
「渉外官の職務を、当面停止とする。街を出ることは許さない。次の審問までに、身の証を立てられるなら立てなさい」
三人が出ていって、両替商も帰って、大部屋には俺とヴァルダスだけが残った。
俺は、しばらく卓を見ていた。
「……ヴァルダスさん」
「なんだ」
「俺は、これを何十回もやってきました」
「ああ」
「証拠を並べて、この署名は何ですかと聞いて、答えられない相手を潰してきた。答えられないのは、やってないからかもしれないのに」
ヴァルダスは、何も言わずに、俺の向かいに座った。
「一度も、考えませんでした。一度もです」
「カイン」
「はい」
「今それを考えるのは、後にしろ」
彼は、卓に肘をついた。
「今のお前は、依頼人だ。渉外官じゃねえ。依頼人が自分の案件を考えると、ろくなことにならん。お前が一番よく知ってるはずだ」
俺は、顔を上げた。
その通りだった。前世で、俺は依頼人にいつもそう言っていた。
「……誰に頼めばいいんですか」
「うちの渉外官は、お前しかおらん」
ヴァルダスは、そう言って笑った。笑って、それから真顔になった。
「だから、フィオナだ」
扉が開いた。
フィオナが立っていた。いつから聞いていたのか、顔が白かった。
「案内人を、探す」
「フィオナ」
「あの人が嘘をついた理由があるはずでしょ。金か、弱みか。どっちにしても、動いた痕は残る」
「伯爵領に入ることになる」
「入るわよ」
彼女は、外套を掴んだ。
「あなた、動けないんでしょう。街を出るなって言われたんだから。じゃあ私が行くしかない」
俺は、立ち上がった。
「危ない」
「知ってる」
「そうじゃなくて——」
言葉が、うまく出てこなかった。
俺の頭の中には、いくつもの筋道があった。案内人の身元を洗う手順、伯爵領での聞き取りの危険、こちらに残された時間。全部、整理できていた。整理できているのに、口から出てきたのは、それとは関係のない一言だった。
「一人で行かないでくれ」
フィオナが、少しだけ驚いた顔をした。
それから、いつもの調子で笑った。
「三日で戻る」
彼女は外套を羽織って、出ていった。
扉が閉まった音を、俺はずいぶん長いこと聞いていた気がする。
ヴァルダスが、低い声で言った。
「あいつは、俺の娘だ」
「……はい」
「三日で戻らなかったら、俺は伯爵領に殴り込む。ギルドが潰れてもだ」
俺は、卓の上の三通の手形を見た。
俺の字で書かれた、俺が書いていない紙。
この紙を作った人間は、俺のことをよく知っている。俺の癖も、俺の予定も、俺の弱いところも。
——なら、フィオナが動くことも、読まれている。
背中が、冷たくなった。




