18.ヴァルダスの試験
ヴァルダスが、俺の机に木箱を置いた。
書類が詰まっている。上から押さえないと蓋が閉まらない量だった。
「サーヴェル、トゥーレ、バンドー。三つの商会が絡んでる。全部お前だ」
「……全部、ですか」
「聞き取りも、調べも、決着も、報告も。俺もフィオナも口を出さん」
俺は、箱の中を見た。それから、ヴァルダスの顔を見た。彼は何も言わずに、背を向けて出ていった。
——ああ、これは試験だ。
言われなくても分かる。この人は、そういう言い方をしない人だ。
三日かけて、書類を読んだ。
話の起こりは単純だった。染料を作るミラ工房が、代金を受け取れていない。相手は織物商のサーヴェル商会。金額は銀貨で千二百枚。
サーヴェルは払えないと言う。ただし、サーヴェルの支払いには金物商のトゥーレ商会が保証を付けている。だから工房はトゥーレに払えと言う。
トゥーレは断る。保証したのは去年までの取引で、今回のぶんは範囲外だ、と。
そこへ穀物商のバンドー商会が割り込んでくる。トゥーレはバンドーに八百枚の借りがあり、トゥーレが工房に払えば、その返済が滞る。だから払わせるな、と言う。
四日目、俺は三軒を順に回った。
サーヴェルの主人は、痩せた初老の男だった。帳簿を出すのを渋った。
「うちは、来月には入金がある。それまで待ってくれと言っているだけだ」
「来月の入金の当てを、教えていただけますか」
「……南の商会からだ」
「その商会の名は」
主人は答えなかった。
トゥーレの主人は、逆に饒舌だった。
「保証はした。したが、去年の暮れで一度切れている。切れた後の取引まで面倒を見る義理はない」
「切れた、という書面はありますか」
「書面? そんなもの、いちいち作るか」
バンドーの主人は、露骨に苛立っていた。
「うちは巻き込まれただけだ。トゥーレが払わなきゃならんなら、先にうちに払え」
三人とも、自分の話しかしなかった。そして三人とも、他の二人の名前を出すとき、少しだけ声を落とした。
宿に戻って、俺は三軒から借りた契約書を、床に並べた。
書式がばらばらだった。サーヴェルのは羊皮紙、トゥーレのは紙、バンドーのは板に写したもの。文言も、書き手の癖も違う。
だから、最初は気づかなかった。
日付を、並べ替えてみた。
——三通とも、同じ日に交わされている。
四年前の、秋の十一日。
俺は、床に座り込んだまま、しばらく動かなかった。
四年前の秋。あの年は、大陸中が不作だった。俺の村で麦が実らなかったのと同じ年だ。
その日、三つの商会は、同じ卓についていた。
サーヴェルの支払いをトゥーレが保証し、トゥーレの支払いをバンドーが保証し、バンドーの支払いを——俺は三枚目の裏を返した。裏書きがあった。サーヴェル商会の署名。
輪になっている。
三人は、互いに保証しあうことで、信用を作った。実際に金を動かさずに、「あの三軒は互いに背中を預けている」という評判だけを立てた。不作の年に、それがなければ誰も彼らに荷を売らなかっただろう。
四年、輪は回った。誰も倒れなかったから。
そして今年、サーヴェルが本当に傾いた。
輪が、止まった。
翌朝、俺はもう一度サーヴェルの主人のところへ行った。
「四年前の秋、あなたはトゥーレさんとバンドーさんと、同じ部屋にいましたね」
主人の顔が、一瞬で変わった。
「……誰から聞いた」
「三通の日付が同じでした。それだけです」
「……」
「南の商会からの入金は、ないんですね」
主人は、椅子に沈み込んだ。それから、両手で顔を覆った。
「……あいつらに、言わんでくれ」
「なぜですか」
「あの二人は、あのとき、俺を助けてくれたんだ」
俺は、その言葉を聞くまで、この案件を「三人の商人が責任を押しつけ合っている」と理解していた。
違った。
三人は、互いに恥ずかしいのだ。四年前に手を組んだことを、もう口に出せなくなっている。だから他人行儀な契約書の話しかせず、他の二人の名前を出すときに声を落とす。
「主人。ひとつ、うかがいます」
「なんだ」
「あなたが今いちばん怖いのは、金を払えないことですか。それとも、あの二人に、助けた甲斐がなかったと思われることですか」
主人は、答えなかった。
答えないことが、答えだった。
ギルドに戻ると、廊下でフィオナとすれ違った。彼女は俺の顔を見て、足を止めた。
「進んでる?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「金の話じゃないと分かりました」
フィオナは、少し驚いた顔をした。それから、余計なことは聞かずに頷いた。
「父さんが見てるわよ。三階の窓から」
見上げると、確かに、三階の窓が少し開いていた。人影は、すぐに引っ込んだ。
俺は、木箱の書類を全部抱えて、自分の机に戻った。
三通の契約書を、もう一度並べる。
輪。金が一周して戻ってくる形。
前世で、俺はこれを何と呼んでいたか。
——相殺。
輪になっているなら、輪の中で消せるはずだ。互いに向き合った債権と債務は、金を動かさずに、突き合わせて消せる。全部は消えない。差額は残る。だが、千二百枚と八百枚と、あと何本かの糸が絡まっているだけなら、実際に誰かが出さなければならない金は、ずっと小さくなる。
問題は、ひとつだけだった。
相殺をするには、三人が同時に、同じ卓につかなければならない。
四年前、一度だけ同じ卓についたきり、互いの顔を見られなくなった三人を。




