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零時のログ  作者: 橋本陽


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13-2

「なら、ログ00:00は実23:57かもしれない」

 修の指先が僅かに動いた。

 修は何かを言いかけて、やめた。

 言えば自分の関与が見えてしまうのかもしれない。


 結菜は続けた。

「もしそうなら、“0時以降の違反者”って断定は崩れる」

「……そうですね」

 修は答えた。答えた声が少し震えていた。

 震える修を、結菜は初めて見る気がした。修は怖いのだ。

 怖いから抜いた。怖いから丸める。怖いから沈黙する。

 怖さは優しさの顔をして、構造を守る。


 結菜は修に聞きたかった。

 抜いた一枚には何が書いてあったのか。

 でも聞けば、修は言わないかもしれない。言わない沈黙が、罪になる。罪になると、静香が言う構造が再生する。

 結菜はそれを避けたい。避けたいのに、避けるほど真相は遠のく。


 結菜は別の問いを選んだ。

「昨夜、廊下の灯り、三回」

 修は頷いた。

「00:00、00:04、00:10」

「……実時刻に直したら、23:57、00:01、00:07」

 結菜が言うと、修の目が僅かに開いた。

 修はそれを知らなかったのか、知っていたのか。

 結菜は続けた。

「00:01って……誰かが“部屋にいた”って言える時間」

 修は黙る。

 結菜は思った。ここで「誰が」へ戻ると危ない。

 結菜は自分を止め、言い換えた。

「“証言が割れやすい時間”」

 修が小さく息を吐いた。

「……あなた、頭いいですね」

 修のその言葉は褒めではない。警告にも聞こえた。頭がいいと、正しく裁けてしまう。

 結菜は苦笑した。

「頭がいいと、壊すんでしょ」

 修の肩が僅かに揺れた。

 修はそれ以上言わなかった。



 夜。

 二十二時集合まであと少し。

 結菜は廊下の時計とスマホの時刻を何度も見比べた。三分。変わらない。変わらないズレが、いまは落とし穴に見える。

 集合時刻を館内時計で揃えれば、実時刻では誰かが三分早く動ける。

 三分早く動けると、ログの「同時」が崩れる。

 同時が崩れると、誰かのアリバイが崩れる。

 アリバイが崩れると、疑いが生まれる。

 疑いが生まれると、沈黙が罪になる。


 結菜は自分の思考が、すでに“裁き”へ向かっているのを感じた。

 裁きたくない。裁きたくないのに、裁きの材料を集めている。

 その矛盾こそが、透明化テストの構造だ。誠実でありたいから、相手を縛る。守りたいから、相手を支配する。


 廊下の向こうで、足元灯がふっと明るくなった。

 誰かが動いた。

 結菜は息を止めた。

 今夜の動きは、明日ログになる。ログになれば、誰かを罰する材料になる。

 罰する材料になると分かっていながら、誰かは動く。動く必要があると思っている。

 必要。

 必要という言葉も便利だ。必要と言えば、どんなことでも正当化できる。


 結菜は思った。

 時間のズレは、ただのズレじゃない。

 ズレは、人を裁くための余白だ。

 余白があるから、誰かが「0時以降だ」と言える。

 余白があるから、誰かが「0時前だ」と言える。

 余白があるから、合意が曖昧になる。

 曖昧な合意は、最も危険だ。


 結菜は受領確認書の控えを握り、廊下に出た。

 足元灯が明るくなる。音はない。

 光の下で、結菜は自分の影が床に落ちるのを見た。影は薄い。薄い影は、透明に近い。

 透明化。

 結菜は笑えなかった。


 廊下の端に静香が立っていた。

 静香は結菜を見て、淡々と言った。

「気づいた?」

「……時間のズレ」

 結菜が答えると、静香は頷いた。

「ズレは、武器になる」

 静香の声は静かだ。静かなのに、断言する。

「武器にするの?」

 結菜が問うと、静香は首を横に振った。

「武器に“される”。だから、先に見つける」

 先に見つける。

 先に見つけて、先に言語化する。

 言語化するのは正しい。正しいから、人を動かす。

 動かすことは支配に近い。

 結菜は静香を見た。静香もまた、正しさを使う側だ。正しさを使って終わらせようとしている。

 終わらせるためなら、正しさを使っていいのか。

 結菜は分からない。


 静香が続けた。

「今夜、ログが増える。ログが増えたら、誰かが“0時以降”って言う。誰かが“0時前”って言う」

「……そのとき、どうするの」

 結菜が聞くと、静香は淡々と言った。

「“基準”を疑う」

 結菜は息を吐いた。

 基準を疑う。

 それは簡単じゃない。基準を疑うと、基準がなくなる。基準がなくなると、皆が不安になる。不安になると、誰かが新しい基準を作る。新しい基準を作る人が強くなる。

 強い人の言葉が正しくなる。

 また同じだ。


 静香は結菜の目を見た。

「だから、基準を疑うのは怖い。でもね」

 静香は一拍置いた。

「怖いからって、基準に従って誰かを壊すのは、もう終わりにしたい」

 結菜の胸が痛んだ。

 終わりにしたい。

 結菜もそうだ。

 なのに結菜は、正しさを手放すのが怖い。


 廊下の時計が二十一時五十九分を指している。スマホは二十一時五十六分。

 三分。

 その三分が、これから誰かを救うか、誰かを壊すか。

 結菜は喉の奥で、自分の唾を飲み込んだ。


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