大和へ
天文二十一年(一五五二年)八月 山城国相楽郡 鹿背山城近郊
あれから一月、軍勢を率いた私は大和国侵攻の途上にあった。今は大和との国境にある城の程近くに布陣している最中だ。夏の盛りでかなりの暑さだが、それは誰しも同じこと。一々文句や愚痴も言っていられない。
山城口と河内口の二方面から行われる今回の大和攻め、山城口の大将は父上だ。その下には兄上と大叔父上、弾正殿を筆頭に摂津衆が名を連ねている。その中には件の芥川孫十郎殿の名もある。孫十郎殿は参軍として父上の側で働くように命じられたそうだ。
「囲んでいるだけというのはどうにも暇だのう。おまけにこの暑さじゃ、気が滅入っていかん」
「ぼやいたところでどうにもならんぞ、源太郎」
能勢源太郎のぼやきに孫七郎叔父上が嘴を挟む。私たちが囲んでいるのは鹿背山城。木津氏の持つ城で、尾根沿いに設けられた複数の郭で構成された非常に堅固な山城だ。当主の木津民部少輔英晴は鹿背山城に籠もっているが、今頃は父上の送った使者と話し合いの真っ最中だろう。
「一当てすれば民部少輔めも悲鳴を上げて降るのではないか?」
「阿呆吐かせ。そんなことをしては却って心を頑なにするだけよ。そもそもこの城は陥とすのではなく降すと決まっておるのだ、余計な真似はするものではない」
源太郎が説教は御免だと手を振り、叔父上がならば余計なことを言うなと釘を刺す。御尤もだと思いながら、私は此度の大和攻めに至る原因を思い出していた。
大和国へ攻め入る口実を整えるのは、当初相当に難航することが予想された。何と言っても大和は興福寺をはじめとする寺社権門の力が強く、露骨な侵攻は朝廷や将軍家との関係を損ないかねない。そのような土地に対する野心を剥き出しにすれば、三好家が今まで築き上げてきた関係性を打ち砕くことになりかねなかった。
一度は四国統一に方針転換をするべきではないか、というところまで紛糾した議論が侵攻へと決したのは、なんの因果か普元入道の一党が原因であった。柳本孫七郎元俊――官途を左衛門尉という――が南大和の有力国人である越智小三郎家高に接触し、大和で騒乱を起こそうとしているという報せが届いたのだ。
そもそもの原因は大和で大勢力を持つ筒井家の当主、筒井順昭殿が二年前に身罷られたことにある。筒井家の家督を継いだ藤勝殿は数え四歳という若年というよりも幼年というほどの年齢であり、当然の帰結として、家中では後見の座を巡って一族と有力家臣との間で諍いが起こった。
ただの諍いならば筒井家にとって上役にあたる興福寺の仲裁で収まったのだろうが、一族の側が武力による後ろ盾を欲して将軍家の援助を求め、片や家臣の側は権威を後ろ盾とすべく興福寺に援助を求めたことで状況は一気に抜き差しならぬものへと変化してしまったのだ。
こうなると興福寺としても迂闊に手を出すわけにはいかず、将軍家としても首を突っ込めば即ち仏教勢力と事を構えることになる。そもそも興福寺一乗院の門跡は、当代義藤様の御舎弟である覚慶様なのだ。
というわけで秘密裏に将軍家と興福寺との間で話し合いの場が設けられ、筒井家の家中で起きた騒動は穏便に決着する……筈だった。
此処に首を突っ込んだのが、越智家高、十市遠勝、楢原政遠ら南大和の国人衆だった。
越智、十市の二家は共に筒井家によって圧迫を受けて領地や影響力を減じており、楢原家は長年筒井家と同盟者のような関係にあったものの、順昭殿の代に関係が悪化し、彼の死後に縁を切っている。形は違えど、彼らはそれぞれに筒井家とは因縁を抱えていたのだ。
それでも彼らだけでは動きを見せることなどなかっただろうが、大和に不穏の気配ありと知った普元入道の旧臣である三好政勝と香西元成が、知己のあった柳本元俊を使者として接触し、何らかの密約を結んだ。これにより、騒乱の火は俄に勢いを増すこととなる。
越智小三郎を旗印とした三家は南大和の国人衆を糾合して決起し、これは私戦故口出し無用、などと嘯きながら筒井家の領地に襲いかかったのだ。
泡を食った興福寺は北大和の国人衆に動員を命じた。だが、彼らも筒井家には思うところがあったらしく、兵の集まりは悪い。さらに他の寺社領も飛び火を恐れ、出兵を拒んだ。
二進も三進もいかなくなった興福寺と幕府、そして朝廷の思惑が錯綜し、朝廷の内意を受けた幕府が“畿内の静謐を回復せよ”との御内書を発給した。それは六角と畠山へ送られたものの色好い返事を得られず、結局は大軍を動員できる態勢が整っていた三好家へ送られてきたのだった。
「殿はどこまでやるおつもりかな」
「どこまで、とは?」
独り言が思いのほか大きく響いたのだろうか。叔父上が首を傾げている。暇そうにしていた源太郎も興味津々といった風だ。別に話す気も無かったのだが……。
「どこまで大和に介入する心積もりなのか、ということです」
叔父上は小さく頷き、源太郎は「獲れる所まで獲るのでは?」と怪訝な顔をしている。尋常の土地ならば源太郎の言うことが正しいだろう。
父上がどこまで先を見ているかで、大和への処置は変わる。当座の影響力を強化するだけならば深入りはしないだろうし、天下を睨んでいるのであれば支配権を確立しにかかるだろう。
「甚五郎はどう考えておるのだ?」
「これを機に大和を三好の勢力圏に組み込んだほうが良いとは思いますが」
私が答えると、いつの間にか姿を見せ、問いかけてきた兄上がにんまりと笑みを浮かべた。何をやっているのだか……と問いかけるまでもなく、“お前を呼んでくるよう父上から言われたのでな”と答えが返ってきた。
「それで、何故大和を我らのものとしたほうがよいと思うのだ?」
本陣へ向かう道すがら、兄上が問いかけてくる。兄上なりに考えてはおられるのだろうが、まだ三好家の方針を決めるには経験が足りていない。あと二年もすれば熟れてくるのだろうが、それまで我慢が利くかどうか……。
「大和という土地は様々な寺社が権門領主として威を張っている国でございます。国人衆もそれらと強く結びついており、この点だけを見ても極めて介入が難しいと言えましょう」
「ふむ」
「一方で得ることが叶えば山城、河内、紀伊、伊勢、伊賀の五カ国と街道によって結びついた交通の要衝でもありますから、ゆくゆくは交易によって多大なる利益を得ることも望めます。更に此処を獲れば近江へ睨みを利かせることもなり、伊勢から東へと進出する際の足がかりとしても重要な拠点となります。今の三好家は西方へ進出する道筋は多いものの、東方へ進む道筋は殆どが蓋をされている状況ですから、それを打開する為にも押さえておきたい土地といえるのではないかと」
「なるほどな。面倒ではあるが旨みも大きい国ということか。確かに得る価値はあるやもしれん」
得心したように頷いていた兄上だったが、不意に考え込むような表情を見せる。
「ところで、父上はどうお考えだと思う?」
なるほど、父上の方針に思いを巡らせていたのか。確かに父上は評定においても此度の戦の最終的な目標を明言しなかった。幕府側に真意が漏れることを嫌ったのだと思っていたが、或いは父上としてもどうするべきか考えあぐねていたのかもしれない。そのことに思い至ったのだろうか。
「その前に、兄上はどうお考えなのですか?」
「私か?……そうだな、まずは大和の騒乱を鎮定することを目指すべきだと思う。公方様からもそのように要請があったからな」
「なるほど。……しかし、それは正しい認識とはいえませんよ、兄上」
「というと?」
「公方様より下された御内書には“畿内の静謐を回復せよ”と記されていました。大和の騒乱を鎮定せよとは記されておりません」
「ふむ……」
「この二つには大きな違いがございます。後者の命であれば効力は大和一国、更に此度の騒動に介入し、沙汰を下せば終いです。我らとしては手弁当のくたびれ損といったところでございましょう」
「確かに、我らにとっては得るものの無い戦ではあるな。だが、公方様のご意思に沿うものであるのならば、奉公の姿勢を見せることで三好家の覚えをよいものとすることになるのではないか?」
なるほど、そういう見方もあるか。現世も前世も戦に明け暮れてきた私には無い視点だ。
「公方様の覚えは確かに目出度くなりましょう。しかし、我らが奉公を重ね、公方様の御覚えが目出度くなればなるほど、側近衆は我らが幕府を壟断するのではないかと疑うでしょう。であれば、来たる時に備えて三好の持つ勢力を盤石なものにするべきかと」
兄上が息を呑む音が妙に大きく響く。幕府は将軍がいてこそ成り立つが、組織を実際に動かすのは幕臣たちなのだ。彼らが悪心を持って我らを讒訴したとき、果たして公方様がそれに抗することが出来るのか……。
元服の儀で見た男たちのことを思い出す。憎々しげな表情を浮かべていた連中が、我らが奉公をしたところでそれを素直に受け取るだろうか。鹿背山の蝉のように、声高に、そして飽きもせず口を極めて我らを讒訴するに違いない。我らが威名を轟かせるほどに。
そして公方様、あの覇気に乏しいお方がそれを跳ね除けられるとはとても思えなかった。
「どうした、甚五郎?」
兄上が気遣わしげな表情をしている。いかんな、余計なことに気を煩わせてしまった。今考えることではないというのに。“暑さと蝉の声に些か参ったようです”とだけ言うと、兄上は得心がいったと笑みを浮かべた。
「確かに今日は少しばかり暑さが厳しいからな。おかげで蝉の声も一倍煩わしいな」
「まこと、その通りで。……話を続けますよ。我らの行いは、それが道理に悖らぬという前提ありきではございますが……御内書が保証となってくれるのです。これを活用しない手はありません」
「しかし、それをすれば幕府との関係が徒に緊張するのではないか?御内書は確かに公方様が発給した文書だが、それを盾に勝手気儘に振る舞うのは、それこそ筋が通らぬ行いだと思うのだが」
兄上の顔に不安の色が浮かぶ。自分の元服が幕府との修好を企図していると知っている身からすれば、確かに容易く受け入れられる話ではないだろう。元服の儀はなんだったのだ、という思いがあるのだ。
「畿内静謐をお望みなのです。それを乱すものを討つことこそ、公方様のご意思に叶いましょう」
我ながら白々しい言い草だが、私が父上の立場であれば迷わずそう言い切っただろう。斯様な隙を晒したほうにこそ非があろう、とまでは言うまいが。
兄上が雲間から差した陽射しに顔を顰め、額から落ちる汗を拭った。渋い表情だ。或いは、私の言い草を不快に思ったのかもしれない。
「それに、五畿内の静謐が成れば、それは公方様の御威光によるものでございましょう。喜びこそすれ、お怒りになるとは思えません」
怒り狂うのは公方様よりも側近の連中だろうな。父上が大内左京大夫の如き勢力を持てば確かに幕府は安定するだろうが、一方でそれは幕府が持つ権威の後ろ盾をも三好家に依存することになる。彼らの望みは幕府の威光を今一度天下に輝かせること。我らの存在は邪魔でしかないだろう。
「そうだろうか……甚五郎、そなた私を言いくるめようとしているのではあるまいな」
「左様なことはございませんとも。……ささ、殿をお待たせするわけには参りますまい。続きはまた後ほどということにいたしましょう」
わざとらしく畏まってみせると、苦笑を浮かべた兄上と共に陣幕へ向けて歩き出したのであった。父上がどうなさるおつもりなのか、本当のところは私も知っておきたいのだ。




