寄らば大樹の陰 上
天文二十一年(一五五二年)一月 山城国愛宕郡 京都御所
今頃は、兄上の元服の儀が始まった頃であろうか。私はその場に立ち会うことが叶わず、大広間で、随行してきた他の三好家家臣や幕臣たち、そして大名家からの使者たちと共に待機している。
まだ時間に余裕があるからだろう。皆が思い思いに話しているせいで、大広間は随分な喧騒に包まれていた。
居並ぶ幕臣たちの様子をそれとなく眺めていると、彼らの間にも温度差のようなものがあることに気付く。
最も穏やかな空気をまとっているのは、上座にいた一団だ。年嵩の人物が三人ばかり。聞くところによると、内談衆――つまり兄上の加冠役である大舘陸奥守殿と同役の方々らしい。
彼らは先々代、ないしそれ以前から幕臣として勤めてきた者たちで、時の公方様が重ねてこられた苦労をよく知っている。 そのせいだろうか、三好家が将軍家との繋がりを強めることを歓迎しているように見受けられた。畿内とその周辺が安定すれば、公方様が再び地方を流浪することもなくなるからだ。
下座にいる若手らしき幕臣たちの表情も、比較的明るい。彼らの中には、御先代様と共に坂本へ移ったのが初めての流浪であった、という者も少なくないのだろう。いつ終わるとも知れぬ地方での逼塞は、さぞ息苦しかったに違いない。 本来の居場所である京へ戻れたこと、そしてその暮らしを長く保つために三好家との紐帯を強めることに、さほど抵抗はないのだろう。
一方、その中ほどにいる幕臣たちの中には、面白くないと言わんばかりの顔をしている者が多い。実務に携わる者が多いのだろうか。三好家が幕政に関与すれば、己の領分が侵されると不安を抱いているのかもしれない。
「随分とお悩みのようでございますな」
「将来のことを考えるとな、安穏としているわけにも――」
言葉を続けかけて、私は慌てて横を見た。いつの間にか、そこには一人の若者が座っていた。年の頃は二十を少し過ぎたくらいだろうか。丸っこい顔に、人懐っこい笑みを浮かべている。一目見ただけでは、武士なのか商人なのかも判然としない風体だ。
ずいずいと身を乗り出してくるその若者に辟易していると、彼の背後から、今度はずんずんと近づいてくる人影があった。
「兄上、名乗りもせずにそのような……無礼が過ぎますぞ!」
肩を怒らせているのは、十代後半、恐らく二十にもなっていないであろう若者だった。細面で、見るからに才気煥発といった雰囲気だが、不思議と、目の前で溜息を吐いている若者とどこか似ている。顔立ちは似ても似つかぬのに、不思議なものだ。
「落ち着かんか、与一郎。大声を出さずとも聞こえておる」
「以前もそれで父上に叱られたのをお忘れですか? このままでは御役目は任せられぬとまで言われていたというのに……」
与一郎、と呼ばれた若者が呆れたように息を吐いた。しっかり者の弟と粗忽者の兄。どこかで聞いたような取り合わせだ。
「分かった、分かった。……騒がしくして申し訳ございませぬ、甚五郎殿。見ての通り、弟は堅物でしてな――」
「兄上」
「急かすなと言うに……。某、三淵弥四郎藤英と申します。甚五郎殿のお噂をかねがね耳にしており、つい気が先走って話しかけてしまいました。どうかお許しくだされ」
弥四郎殿は私の方へ向き直ると、再び人好きのする笑顔を浮かべ、深々と頭を下げた。粗忽者かと思っていたが、礼儀そのものは意外に弁えているらしい。
それにしても三淵か。確か幕臣の中に同じ姓の者がいたはずだ。……申次役の三淵大和守晴員殿だったか。この御仁の御子息、といったところだろう。
「これは某の弟、細川与一郎藤孝でございます。私よりも数段優秀でして、今は乞われて細川刑部少輔殿の養子となっております」
弥四郎殿に紹介され、与一郎殿は素早く端座して頭を下げた。動き一つで測るのもどうかとは思うが、確かに出来が良いと言われるのも分からぬではない。そう思わせる所作であった。
「紹介に与りました、細川与一郎藤孝と申します。噂に名高い三好家の神童と知己を得られたこと、望外の喜びにございます」
……さて、何やら聞き捨てならぬことを言われた気がする。
「神童、でございますか? そのような噂は、寡聞にして存じ上げませぬが」
「波多野家の調略に始まり、今出川前左府様と近衛内府様を口説き落として和睦を推し進め、さらに摂津国を富ませる施策を打ち出しておられる。これで神童と呼ばずして、何と申しましょう」
弥四郎殿がそう言って笑い、与一郎殿も苦笑を浮かべている。
「それは……幕府の中で噂になっている、ということでございますか?」
「左様にござる。波多野の件は普元入道殿、和睦の件は太閤殿下と内府様が出処にございますな。摂津のことは……山城からでもよく見えておりますれば」
与一郎殿の表情を見る限り、悪しざまに広まっているというわけではなさそうだ。だが、彼らが好意的に受け取ってくれているからといって、それが幕府の総意ということにはなるまい。先ほど面白くなさそうな顔をしていた連中などは、なおさらだ。隙あらば刺客の一人でも差し向けてきかねない。
「どうやら過分な御評価をいただいているようで、面映ゆいばかりにございます」
「過分などと。太閤殿下も内府様も、甚五郎殿を随分お気に召した様子でございましたぞ。そのこともあって、一度じかに御話を伺ってみたいと思ったのです」
なるほど、ただの興味本位というわけではなかったか。弥四郎殿なりの思惑はあったのだろうが、それにしても、もう少し穏当なやりようはあったのではないかと思う。
「普通にお聞きくだされば、よろしかったではありませぬか」
「それでは印象に残らぬと思いましてな。少々、奇襲をば」
からからと笑う弥四郎殿に、私と与一郎殿の溜息が重なった。兄弟であれ他人であれ、この開き直りには呆れるほかない。
「それで、聞きたいこととは?」
「三好家は今後、どのような道を歩むのか――それをお聞きしたいのでございます」
静かな、それこそ私以外の誰にも聞こえぬような声だった。だが、その一言だけで、空気が一気に張り詰めたようにさえ感じられた。
「……さて。当面は、畿内の静謐を目指すことになりましょうが」
これは三好家が公に打ち出している見解だ。公方様との和睦が成った以上、次に目指すのが畿内の一統というのは、さほどおかしな話ではない。
「そうでしょうな。では、その後は?」
「その後、でございますか。……それは我が殿と公方様がお決めになられることでしょう。私の関知するところではありませぬ」
誤魔化した、というわけではない。実際のところ、まだ何も定まってはいないだろうし、私も何一つ知らぬ。弥四郎殿は不満げな顔をしたが、逆さに振っても何も出てこないのだから、仕方あるまい。
「その後のことは、私よりも……弥四郎殿の上役の方々にお尋ねになった方がよろしいのではありませぬか」
弥四郎殿が訝しげな表情を見せる。武力を持つ三好家が主導して事を動かす――そう見るのが常道であり、私も普通ならばそのように考えたはずだ。
おそらく弥四郎殿は、三好家が第二の普元入道になることを危惧しているのだろう。
畿内で勢いを得た者たちが、将軍位に就く者すら恣にしてきたのが、近年の政情であった。三好家にしても、御祖父様が平島の足利義維様を担ぎ出し、幕府に対抗したことがある。そうした経緯を思えば、弥四郎殿の危惧を的外れと一笑に付すことはできない。
だが、少なくとも現状の三好家に、公方様と敵対する意思はない。将来どうなるかは分からぬが、今この時点において、その方針に変わりはなかった。
となれば、状況を動かしうるのは、むしろ幕府の側ということになる。幕臣、それも中枢に近い面々が三好家の存在を疎ましく思っているであろうことは、想像に難くない。今でさえ、三好家が指名した伊勢伊勢守貞孝殿が政所執事として幕政を取り仕切っているのだ。心証が悪くこそなれ、良くなるとは到底思えなかった。
「我々としては、とにかく畿内の静謐を専一に考えております。あまり痛くもない腹を探るような真似をされては、却って藪蛇になりかねませぬぞ」
これ以上は聞いてくれるな――そう言外に告げると、弥四郎殿はしばらく難しい顔をしていたが、ややあって頭を下げた。納得したのかどうかまでは分からない。だが、ともかく話は終わったということだ。
「上の意向はともかく、幕府と三好家は先の和睦で一度手を取り合ったのです。これからも上手くやっていきたいものでございますな」
与一郎殿が明るい声で言うと、弥四郎殿もウンウンと頷く。同床異夢ということもあろうが、できることなら、こちらとて上手くやっていきたい。その思いに嘘はない。
私も頷き返すと、弥四郎殿が満面の笑みを浮かべた。
その後は他愛のない話に興じていたのだが、やがて廊下の方がにわかにざわつき始めた。どうやら元服の儀が終わったらしい。弥四郎殿と与一郎殿が、席へ戻ろうと腰を浮かせる。
「いずれまた、このようにお話しする機会を持ちたいものでございますな」
私がそう声をかけると、二人は顔を見合わせ、それから笑みを浮かべた。
「左様でございますな」
「いずれそのような機会があれば、今度は漢詩についてのお話もお聞かせ願えればと」
二人の言葉に頷き返し、私は端座して、兄上がやって来るのを待った。あとは公方様からの御言葉を残すのみである。




