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元服

天文二十一年(一五五二年)一月 山城国愛宕郡 京都御所


「ううむ、緊張してきた……」


 そう言って身じろぎする兄上の姿に、思わず笑みが浮かぶ。今日は兄上の元服の儀が執り行われる日だ。


 随分と間が空いたような気がするかもしれない。それも仕方のないことだ。公方様と三好家との和睦が成立してからというもの、畿内は至って平和だったのだから。

 私も領内の統治以外に駆り出されることはなかったし、摂津国内では私が始めた政策が徐々に広まり、さらに豊かになりつつある。父上はこの流れは三好の権威が認められつつある証だと言って喜んでおられた。

 もっとも、父上が上機嫌な理由は別にあるのかもしれない。昨年智様と私の母が娘を産んだのだ。智様の娘は千代、私の妹は静と名付けられたのだが、父上はどちらも目に入れても痛くないほど可愛がっているらしい。

 私も一度見に行ったが、確かに二人とも愛らしい赤ん坊だった。まだ目鼻立ちもはっきりしていない頃だったが、長じれば可愛らしい姫君になることだろう。


「そう構えることも御座いますまい。段取りは弾正殿としっかり打ち合わせをしたのでしょう?」


「それはそうなのだが、しかしなあ……」


 兄上が弱り顔なのには理由がある。一つは元服の儀に幕府が関与していることだ。

 三好家は今や、畿内の最大勢力としての地位を盤石なものとしつつある。細川京兆家の家臣という立場は維持しているものの、その勢力は阿波、讃岐、淡路、摂津、和泉、南丹波に及び、本来足利家の本領であるはずの山城も、実効支配しているのは三好家だ。

 これだけの大勢力ともなれば、幕府としても無視をすることは出来ない。だが、父上は幕府に対し冷めた感情を持っている。これでは当主の線から関係を修復するのは相当に難易度が高い。

 そこで、次期当主の元服に一枚噛むことで影響力を持とう、という発想に至ったらしい。

 幕府と三好家との間で思惑が錯綜した結果、烏帽子親は先代(よしはる)様の頃からの最側近で、幕府内談衆に任じられている大舘(おおだち)陸奥守(むつのかみ)晴光(はるみつ)殿が務め、さらに儀の後に公方様から直々に御言葉を賜る運びとなったのだ。

 もう一つの理由が、近隣の大名が寄越した使者だ。公方様の呼びかけに応え、畠山尾州(びしゅう)家、朝倉家、一色家など、それなりの数が集まってきている。

 将軍の影響力を示す目的としか思えないが、名目上は兄上の元服を(よみ)するためだ。父上も内心では相当苦々しく思っていただろうが、結局は笑顔で受け入れざるを得なかった。


「朝倉からは魚住(うおずみ)彦四郎殿、一色からは稲富(いなとみ)弥四郎殿、畠山からは遊佐河内守殿がお見えになられたとか。他家からの使者も有力家臣が目白押し、素晴らしいことでございますな」


 敢えて茶化すように言うと、兄上の弱り顔が渋面へと変わる。応対のことを考えれば面倒な限りだろう。

 それにしても、遊佐河内守殿がやってきたのには驚いた。彼の御仁は今から半年ほど前に暗殺されたと思われていたからだ。

 河内守殿が懇意にしていたという僧侶が金で転び、不意を衝いて殺した――そのような、まことしやかな話が畿内のそこかしこで流れていた。さらに畠山家の家督継承に混乱が生じていたことも相俟って、河内守殿の死は誰もが真実だと思い込んでいた。

 実際は僧侶の様子がおかしいことに河内守殿が気付いたことで暗殺は未遂に終わり、状況を利用した河内守殿が家臣団の粛清や、先代当主の畠山播磨守(はりまのかみ)政国殿との関係修復を進めていたようだ。


「河内守殿とはお話を?」


「父上と河内守殿との会談の後に少しだけな。いずれ孫の顔を見に行きたいと言っておられた」


 兄上の表情に変化は見られない。河内守殿の様子におかしなところはなかったのだろう。


「父上とのお話のことは?」


「教えてはくれなかった。父上もな」


 兄上にも教えないとなると、会談の内容は余程の秘事ということか。使者として来れば父上と会談の場を持つことも不自然ではない。上手いことを考えるものだ。


「元服さえ済めば兄上も晴れて一人前。これからは謀議の場に加えてもらえるのでは?」


「そうなると良いが……。弾正と大叔父上の話を聞いていると、どうにも自信がなくなってくるよ」


 兄上は悄気返っているが、私はむしろ立派なことだと感心していた。

 若者というのはどうしても血気に逸り、自らの力を世に示したいと思いがちなところがある。元服し、世に出る頃ともなればそれがもっとも顕著に表れる時期と言っていい。

 そこを鑑みると、兄上は自らの力量を知り、これでは足りぬと思っている。慎重が過ぎて臆病と誹る向きもあるやもしれぬが、あえて器量充実なりと評価しておこう。私は兄上贔屓なのだ。


 ……私はどうなのだと言われそうだから先に言っておくが、前世を足せば既に四十年近い歳月を生きているのだ。子供じみた真似など、恥ずかしさが勝って出来たものではない。


「元服を前にして己の至らなさを知っている、というのは得難い資質ですよ。……とはいえ、それを表に出すのはあまり宜しくありませんが」


「どういうことだ?」


「悩むのは内心に留め、外面は自信に満ちた姿をお見せなさいませ。この乱世、国人衆は強く頼りになる寄親を必要としております。そして、それは民草も同じこと。上に立つものが頼りない姿を見せれば、下風に立つ者たちはその者を侮りましょう。それが付け入る隙になるのです」


 兄上がしきりに頷くのを見ながら、前世のことを思い出す。力を持つものが幅を利かせ、武威が衰えたものは容赦なく喰い散らかされる世の中だった。

 梁の武帝蕭衍は長い治世で国体を朽ちさせ、最期は飢えと渇きの中で命を落とした。私に毒杯を賜与した高緯も惨めに国内を逃げ回り、結局は反乱に連座して殺されたと史書に記されている。

 あの時代では、民のことを慮るなどという発想はまず出てこなかったであろう。仁政を敷いた君主や行政官は居たが、突き詰めればそれは天下を一統するという目的のための手段であった。そして、丁寧な仕置きは理不尽な暴力に押し流されてしまい、後には何も残らないのだ。

 兄上にはそのような男には育ってほしくないものだ。武力だけでなく、統治においても力を発揮する英傑こそ、乱世を終わらせるに相応しいのだから。


「やはり、そなたは博識だな。これからも相談に乗ってくれると助かるのだが……」


「勿論でございます。……ただ、私だけを頼っては寵が過ぎると言われかねませんよ?」


 冗談めかして言うと、兄上が声を上げて笑う。笑いごとで収まることを願うばかりだ。


「若様、甚五郎殿、殿がお呼びでございます」


 ばたばたとした足音と共に、小姓が廊下に控える。息せき切ってやってきたのだろう、額には少し汗が浮かんでいる。……以前にもこのようなことがあったような気がするな。あの時も面倒ごとだった。嫌な予感がしてきたぞ。


「どうした、何か大事が出来したのか?」


「はっ。六角家から使者が来たのですが……」


 小姓が困惑顔を浮かべる。余程の人物が来たのだろうか?六角家で重臣と言えば六人衆と呼ばれる重臣たちがいる。その中でも後藤、進藤辺りが来たのならば大事だが。


「六角弾正少弼殿が参られたのです」


「は?」


 昨年に当主の座を嫡男の六角四郎義賢に譲って隠居した弾正少弼殿が来た?いや、幾ら何でも冗談だろう。


「父上は何故私たちを呼んでいるのだ?」


「それが、弾正少弼殿のご要望とのことでございまして……」


 ……やはり厄介ごとか。頭が痛くなってきたな。私と兄上は顔を見合わせ、どちらからともなく溜息を吐いた。


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