襲撃
天文十九年(一五五〇年)三月 摂津国武庫郡 瓦林城下
「……っ、誰だ手前ェ!」
腕を押さえて唸り声をあげていた頭目らしき男だったが、直後には痛みを塗り潰すような怒声を上げた。聞くものを萎縮させるような声量だ。
「……」
だが、対峙する忍びの男に一切の動揺はない。刀を平正眼に構えたままじっと動く様子を見せない。……かと思えた次の瞬間、
「ぐぶっ……」
背後から忍び寄ろうとしていた浪人の喉笛に鉄片が突き刺さる。湿り気を帯びた断末魔をあげて倒れるよりも早く、抜き打ちの体勢をとっていたはずの忍びの姿が視界から消えた。速い!と思う間もなく、私に背を向けていた男がどさりと倒れる。
瞬きの間に距離を詰めて喉を掻っ切ったのだと理解したのは、仰向けに倒れる男の喉笛から、派手に血飛沫が上がったからだ。恐るべき体捌きに驚嘆しているのは私だけではない。護衛の兵たちに張り付いている浪人たちも、急な状況の変化に明らかに動揺している。楽な仕事ではなかったのか、そんな感情が透けて見えるようだ。
「お前ら、先ずはこの男だ!此奴を囲んで殺せェ!」
そのせいだろう、頭目らしき男が胴間声を張り上げた時も反応が鈍かった。三々五々といったふうにばたばたと動き、元々無いようなものだった統率が完全に失われている。
包囲されては厄介と考えたのだろう、忍びが再び刀を平正眼に構えた。あの姿勢から二人の仲間が瞬く間に殺された記憶は、浪人たちの脳裏に刻み込まれているのだろう、彼らの出足は明らかに鈍っている。
じりじりと包囲を敷こうとする浪人たち。腰は引けているが、その分一度の踏み込みでは届かない絶妙な空隙が生まれている。意図したものではあるまいが、あれはかなり厄介だ。
視界の端ですっ転んでいた長左衛門がなんとか起き上がった。護衛の兵たちも態勢を立て直している。そして浪人たちはそのことに気付いていない。
“いけるか?”長左衛門に目配せすると、僅かな首肯が返ってくる。敵の視線が通っている私からは指示を出せない。ここは長左衛門に任せるしかないが……。
わたわたとした頼りない身振り手振りが伝わったのか、兵たちは各々が頷き、刀を構えた。あとは機を待つのみだ。
「おう手前ェら、縮みあがってねえでさっさと掛かれェ!」
「だけどよお頭ぁ、そんなこと言ってもこいつ滅茶苦茶に強えんだぜ?俺らじゃあっという間にやられッちまうよォ!」
「すッとろいこと言ってんじゃねェ、全員で掛かりゃ良いだろが!そうすりゃ確実に彼奴を殺せる!」
“おお”と感心した声が浪人たちから上がる。殺せはするだろうが、少なくない犠牲が出るのは目に見えているだろうに。
阿呆かこいつらはと思った次の瞬間、大気を打擲するような鋭い音が響き渡った。何が起きた?と思う間もなく、頭目の身体がぐらりと傾ぐ。再び同じ音が響くと、頭目はばたりとその場に倒れ込んだ。見れば蟀谷に小さな穴が穿たれ、そこから血が止めどなく溢れている。
呆然としている、いや状況を理解できていない浪人たちの前で忍びが腕を素早く振るった。腕の軌跡に黒染めの絹糸が連なる。そしてその先端には鈍い光を放つ鏢が結わえ付けられていた。
「今だッ!者共、かかれーッ!」
鏢が放つ光芒が浪人たちの眼前を横切った直後、私は大声で叫んでいた。弾かれたように駆けだす兵たちに釣られて視線を反らした一人の蟀谷に、吸い込まれるように鏢が突き刺さった。これで敵の死者は四人。まだ数の上では有利だが……。
「うわあーっ!」
「ひいーっ、く、来るなぁー!」
頭目が死に、更に良いところなく味方の損害だけが増えている状況では、その程度の数的優位は容易くひっくり返るものだ。息せき切って突っ込んできた兵たちに押し出されるようにたじろいだ浪人たちは悲鳴をあげ、蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってゆく。
「何とかなりましたな」
「全くだ。あの者が居なければどうなっていたやら……」
長左衛門の言葉に息を吐きながら頷く。兵たちも緊張が切れたのかその場に座り込んでいる。そして忍びの男、彼は端然として少し離れた場所に立っていた。
「敵か味方か……どちらだと思う?」
「さて、どうでしょうな。我らを助けたことを考えれば味方と言えましょうが……来援自体、都合がよすぎるようにも思われます」
「自作自演ということか?」
“その可能性も排除は出来ませぬ”という長左衛門の言葉に頷いた私は、意を決して男の方へと近づいてゆく。
「先程は助かった、お陰で命拾いした。私は」
「瓦林甚五郎殿でございますな。存じております」
これといった特徴の無い声音だ。身の丈は五尺八寸くらいか。上背とよく鍛え上げられた肉体は、凄腕の遣い手であることを雄弁に物語っている。だが、その姿形からは想像もつかぬほどに存在感が薄い。
「知っているのか」
「摂津では知らぬものなどおりませぬぞ。三好筑前守様の懐刀、若年とは思えぬ知恵者と」
男の言葉に思わず顔が歪む。それ自体は無責任な噂かもしれないが、私にとっては好ましいものではない。ただでさえ面倒な立場に置かれているのだからと、慎重に身を処そうと思っていたというのに……やはり父上の命は固辞すべきだっただろうか。
「つまらぬ噂が流れたものだな」
「まこと、噂でございますか?」
私の顔を覗き込むようにして忍びが訊ねてくる。
「どうかな。いずれにせよ、名乗りもせぬ者に答える義理は無いさ」
内心を見透かされそうな視線を避け、思わず子供じみたことを口走ってしまった。言い放ってから後悔している私を見て、忍びが僅かに笑ったような気配がした。
「これは、ご無礼を致しました。某は藤木戸次郎右衛門と申す者。以後お見知りおきを」
忍び改め藤木戸次郎右衛門が慇懃な態度で名を名乗った。どうにもあしらわれている気がしてならないが、敢えて鷹揚に頷いてみせる。
それにしても、この男とは何処かで会ったような気がしてならないのだが、どうにも思い出すことができない。果たして何処で出会ったのだろうか。少し考えを巡らせたが、答えは出なかった。
「……名乗ったからには答えるが、三好家にとっては噂でしかない。それも至極くだらぬ類のな。分かったのならば今後は口に出さぬことだ」
脅し文句をどう捉えたのか、次郎右衛門は黙って頭を下げた。
「噂のことは措いておこう。私としてはそなたに是非とも礼をしたい。したいのだが、生憎と今は持ち合わせがなくてな。そこで、城に招いて歓待したいと思うておるのだが」
もう一手畳み掛けるか。そう思って笑顔を浮かべると、次郎右衛門は僅かに首を傾げ、熟慮の姿勢を取った。此度の襲撃がこの男の差し金であるのならば、ここで何かしらの利益を引き出そうとする筈だが。
「仰せは有難いことなれど、某はたまさか通りかかっただけでございます。礼など受け取る筋合いではございません」
だが、返事は想定とは真逆のものだった。この男が無欲の善人であるのか、はたまた慎重なのかは分からない。もっとも、次郎右衛門の言葉が真実であるなら、前者ということになるのだろう。今ひとつ信用できないが……。
「そうか、残念だが無理強いも出来ぬ。歓待は諦めるとしよう。だが、何も渡さぬでは私の気が済まん。そこでだ、これを受け取ってくれ」
「いえ、ですから礼には及ばぬと」
あくまで拒絶しようとする次郎右衛門に、腰から外した脇差を無理やりに押しつける。困った様子の次郎右衛門を、私は鼻を鳴らして睨めつけた。
「そなたとはいずれ話したいことがある。私からの礼物ではなく、通行手形と思ってそれを取っておけ。よいな?」
“時機はそなたに任せるが、必ず瓦林城に来るのだぞ”と、私はそれだけを言い捨てると、次郎右衛門に脇差を突き返される前に、長左衛門と兵たちを伴ってその場を立ち去った。




