8-9
「……あれ? このイントロ、カナエの曲じゃないよね?」
「これって、ヒカリちゃんが前に一度だけ歌った曲じゃないか?」
突然のゴーちゃんの豪快な登場にざわついていたファンたちが、新たな異変を察してステージを振り返った。その隙に、マコトは急いで着ぐるみを脱ぐ。
エリヤが連絡先を入手してきた後、なぜかマコトを除いた四人がかりでメッセージをやり取りしていたヒカリ。本来流れるべきカナエのソロ曲とは違う曲が流れ出したことで、彼女が自分たちを信じて行動してくれたのだとわかった。
『カナエが自分のソロ曲の前に少しでも迷う素振りをしたら、そのときはカナエ作詞作曲の歌に差し替えてほしい』
そんな無茶苦茶な要求を「カナエの為なら」と受け入れてくれた、今は舞台袖にいて姿が見えない相手に向かって、マコトは心からの感謝を送る。
動画を何度も見たお陰で、すっかり耳に馴染んだ曲。
ヒカリの声と、幼いカナエの声でしか聴いていない曲。
仲間たちの記憶を思い出したカナエが、ありったけの感情を込めて歌うことができるのなら、きっと氷の女王すら溶かしてしまうに違いない。
それがマコトたちの目的であり、カナエを救う唯一の方法だった。
最後のトリガーは、たった今、引いた。あとは全て、カナエにかかっている。
マコトが固唾を呑んで見守る舞台の上で、ずっと伏せられていたカナエの顔が、イントロの進行に合わせてゆっくりと上向いた。
「わ」
「えっ、なに」
一瞬のどよめきは、ファンの戸惑いが形になったものだろう。穏やかな序奏にエスコートされて現れた最初の一音が、あまりにも優しく、あまりにも儚く、会場へと降り立った。
今までのカナエとは決定的に違う。生命と体温を感じさせる吐息のような歌声が、押し黙るファンの間をゆっくりとかき混ぜていく。
――そして。
まるで、熱風のように熱く。
まるで、電撃のように激しく。
カナエの声圧が、マコトを打ちつけた。
「っ!」
足元から脳天までを、見えない何かが駆け上がっていく。
歯の根が合わなくなるほど、全身が震え出す。
「……嘘っ、ホントにカナエなの!?」
「こんな歌い方、初めて聞いたよっ?」
悲鳴にも似た歓声が、あちこちから上がった。
ひとつの驚愕が、新たな感動を誘発して、どんどん広がる。
ずっと彼女を追いかけて来たファンも見たことがない――マコトでさえ知らないカナエが、そこにいた。
声を絞り出すように全身を揺らし、短い髪を振り乱しながら空に向かって手を伸ばす。
その顔は、笑っていた。
カナエが、笑っている。
心の底から歌うことはこんなに楽しかったのかと、まるで自分自身に驚いているように。
「……なんか、今までのカナエと全然違うけどさ」
「うん、わかるよ、わかるわかるっ」
感極まって涙ぐむファンがいる。
両手を突き上げて叫ぶファンがいる。
会場の全ての人たちに、笑顔という花が咲く。
「さいっこうに、かっこいいね……!」
『氷の王子』と呼ばれていた人形のような少女は、もうどこにもない。
舞台の上にいるのは、自分の力で氷を打ち砕いて外に飛び出した、強くて優しくて大好きな仲間だった。
「……すごいよ、カナエちゃん」
カナエの熱い心が渦を巻いて、会場中に伝播していく。
誰よりもカナエに近いところにいる氷の女王に、この熱が届かないわけがない。
「頑張れ……、頑張れっ!」
病院の窓から、横断歩道を見ていた。
ランドセルを見るたびに、心が騒いだ。
元気な子がいて、優しい子がいて、不思議な子がいた。
友達になりたいと、何度も願っては、何度も諦めた。
だから、偶然に出会えたときは本当に嬉しかった。
偶然ではないかもと気づいて、本当に苦しかった。
もう二度と、みんなと一緒にいられなくても構わない。
みんなが笑って、幸せでいてくれるなら、それがいい。
なんて、嘘だ。
やっぱり無理。
一緒にいたいと望む心だけは、どうしても凍ってくれないから。
全部ぶっ飛ばして、全部ぶっ溶かして、みんなに会いに行くの。
「……、……!」
歌うことが楽しいと、心からそう思ったのは、いつ以来だったか。
まるで自分のものではないような激しい歌声を、腹の底からぶちまけながら、カナエは笑う。
もともとの歌詞を即興で変更してでも、伝えたい感情があった。カナエはもう、自分の気持ちを外に出すことを恐れない。
目の前で、たくさんの花が咲いている。まるで暖かな春のように。
氷の女王に、見えているだろうか。あの、優しい少女にも。
全てを掌握する絶対の王が悲しい存在だと気づいたのは、異世界で対峙したときだ。
誰とも触れ合えない孤独を抱えていることを知ったのは、体内に封じ込めたときだ。
何かを寂しいと、誰かを恋しいと思う気持ちが、氷の女王とカナエを縁者たらしめたのかもしれない。
「つ」
じわりと、目の端が熱く濡れる。
ごめんなさい。私は、あなたという存在を消し去ろうとしている。
けれど、せめて。あなたの寂しさも、一緒に溶けてなくなりますように。
ラストサビを、女王への餞に変えて。
どこまでも高く、強く、歌い上げる。
――そうして、終わりを迎えた瞬間。
ぱきんという澄んだ鈴の音を響かせて、会場中を覆っていた氷の結晶が緩やかに砕け散った。
雲の隙間から差すスポットライトを浴びた薄氷が、まるで花びらのように辺りを漂う。
割れんばかりの歓声と、弾けんばかりの笑顔。
カナエの本当の歌声を、カナエのありのままの想いを、この会場の全てが受け入れてくれた。
ミサキ。タイシ。ユウ。エリヤ。マコト。頼もしい仲間たちが、それぞれ手を振る姿が見える。
ヒカリ。ウララ。ツヅル。新しい仲間たちが、嬉しそうに駆け寄ってくる姿が見える。
アイドルを失格になってしまいそうなほど、涙で顔をぐちゃぐちゃにしたヒカリに抱き着かれながら、カナエも笑い、泣き続ける。
――ありがとう、と。少女と女王の重なる声が、雪の降り始めた空から聞こえたような気がした。




