7-3
「……カナエ、さん?」
スターレットの、白宮カナエ。まだ記憶を思い出していないユウには正直まだ実感は薄いが、マコト曰く六人目の仲間であるはずの彼女の姿が、そこにあった。裾先が雪の結晶のレースで覆われている白いワンピースという出で立ちが新鮮で、彼女が宙に浮いているという不可思議な現象すら看過してしまう。
『どうして、もっと早く見つけてくれなかったの』
「え……?」
冷たい声音。元々、色素の薄い肌が、いっそう色を失ったかのような人形めいた容貌から発せられた言葉には、現実味がない。けれど、それは間違いなくカナエの声だ。カナエ本人の声で、ユウは何かを責められている。
『もっと早く見つけてくれていたら、あなたたちを拒んだりしなかったのに』
「!」
――それは、ユウの裡で燻っていた火種だった。
ユウとエリヤの二人は、他の三人より半年も早く出会っていた。ほかに仲間がいたということも、その時点でうっすらと思い出していた。けれど、今の今まで見つけることができなかった。なにかを抱え込んでいたカナエを、余計に苦しませてしまった。そんな、誰にも打ち明けられなかった後悔の源泉を、白日の下に曝け出される。
「耳を貸すな。シロは、そんなこと言わねぇ」
いつの間にか、エリヤがすぐ下の段にまで来ていた。ユウの肩越しにカナエを見据えつつ、挑戦的に口元を吊り上げる。
「懐かしいな、そのやり口。えぇ? 精神攻撃が大好きな、氷の女王サマ」
「え……!?」
にぃっ、と。全身が真っ白に染まっている中で、唯一、紅い唇が、エリヤの言葉でゆっくりと弧を描いた。その瞬間、ユウの背筋がぞっと震える。人の形を取りながら、その中には紛れもなく『人ではないもの』が棲んでいるのだと、本能的に気づいてしまった。
「オマエは知らねぇだろ。こいつが、同年代の人間を見かけるたびに、いちいち馬鹿正直に許可を取って正面から目を合わせてたこと。学校だろうと、街中だろうと、お構いなしにな。お陰で『校内の変人』として、今やオレに次ぐ人気者だ」
「い、言わなくていいから、そんなこと……っ」
まさかこの場において、よりにもよって氷の女王の目の前で、己の恥ずかしい話を暴露されることになるとは。制止のために慌ててエリヤを振り返ったが、彼の眼差しは怖いほど真剣で、決してユウを揶揄う目的があるわけではないことを、はっきりと示していた。
「そんなコイツを咎める権利なんざ、誰にもねぇ。氷の女王だろうが、シロだろうが、ユウ本人だろうがな」
「……っ」
とっくに見抜かれていたのだと気づいたユウの顔が、驚愕と羞恥で熱くなる。自分の奇行を半年も黙って後ろから見守ってくれていたエリヤの言葉には、心の底に渦巻いた暗雲を簡単に消し去ってしまうような強い光が込められていた。
『あなたに、後悔はないの?』
これ以上、ユウを責め立てても無駄だと判断したのか、カナエの姿をした女王は、今度は片割れに向けて惑いの言葉を紡ぐ。ニヤリと笑って、エリヤが応じた。
「ねぇな。強いて言うなら、そういう役目はオレが引き受けるはずだった。怖がりのくせに、いきなりしゃしゃり出てきやがって。余計な真似してんじゃねぇぞ、馬鹿」
女王ではなく、その姿の本来の主に向けて、エリヤは恨み言を吐く。ひとりで重荷を抱えることを選んだカナエに対する静かな憤怒と、やむを得ない状況になれば真っ先に自分が命を投げ出すという頑なな決意が、よく響く声を通して伝わってきた。それはエリヤの犠牲的精神から考えれば自ずと辿り着く帰結ではあったが、実際に本人の口から聞いてしまったことで、ユウの胸は引き攣るように鋭く傷む。
『賢しらなこと。――縁者というだけで、ここまであの男に似るなんて』
「え……?」
それはカナエを取り繕うことを忘れた、本来の氷の女王としての独白のようだった。今までの流れとは全く違う内容と口調に思わず疑問の声を上げたユウの目の前から、カナエの姿が溶けるように消えていく。
「……エリヤ、今のって」
縁者。マコトから聞いた話によれば、それは氷の女王と深いつながりのあるカナエを指す言葉だったはず。それが今は、確かにエリヤに向けられた。あの男という、全く新しい人物の存在を添えて。
「適当ぶっこいてオレらを混乱させるのが、いつものアイツのやり方だったろうが。いちいち真に受けてんじゃねぇよ」
そう言うと、当事者であるはずのエリヤはまるで気にした様子もなく、長すぎる足でユウを追い越し、さっさと階段を上っていく。その背を慌てて追いかけながら、ユウは重い口を開いた。「……今も、自分がカナエさんの代わりに犠牲になっていればよかったって、そう思ってるのか?」
「いや」意外にも、すぐにあっさりとした返事が上から降って来る。「シロだから三年も耐えられてるんだろ。女王を体内に閉じ込めるには縁者という適性が必要不可欠だったのかもしれねぇが、それを抜きにしてもアイツは心が強い。――オレは無理だ」
足を止めて、言葉を切って。僅かな逡巡の末に、エリヤは言う。
「オレに、ひとりは無理だ」
無理、と。本来ならば否定的でネガティブなイメージがつきまとう言葉が、このときばかりはユウの胸に安堵と幸福を届けてくれる。「……そっか」というユウの小さな呟きだけで笑顔の気配を感じ取ったのか、エリヤは振り向きもせず、先ほどよりも早足で階段を上り始めた。
「大体、オマエは人のことをとやかく言える立場なのかよ。コスプロへの乗り込み、オレがやらなかったらオマエが先にやってただろうが」
「えっ」
必死にエリヤの後を追いかけていたユウが、びくっと肩を跳ね上げた。事実を言い当てられて混乱している間に、美しすぎる探偵が簡単すぎる推理を披露してくれる。
「ビュッフェで動画を見たときのオマエの態度。アイドルなんかに興味ねぇ癖に、コスプロの名前には反応してただろうが。あれで、オレも思い出した。数か月前、街中でおかしな奴に声を掛けられたこと。あのときは、オマエも名刺を貰ってたよな?」
――アイドルになりませんか? お二人の笑顔、とっても素敵です!
エリヤの異常なオーラは強烈に人を惹きつけるが、同時に強烈に人を委縮させる。そのため、普通の人間が彼に近づくことは難しい。けれど、そこは芸能事務所のスカウトマン。なかなかの胆力の持ち主だったようで、仲間を探して街中を歩いていたエリヤとユウに真っ正面から声をかけてきた。お二人、とは言っていたものの、ユウは自分に関してはエリヤのついでのような感覚で処理されているのだと思っていた。差し出された名刺も儀礼的に受け取るだけで「いつでも連絡お待ちしています」という話を真に受けたりはしなかった。
けれど、六人目の仲間かもしれない少女が、そのコスモスプロダクションに所属していると聞いてしまった、あの瞬間。行動力がないはずの自分の中で、珍しいほど大胆な選択肢が生まれた。それは責任感であり、なによりも罪悪感に背中を押されてのことだったのだと、今ならわかる。
「オマエやほかの連中のほうが、オレよりよっぽど自己犠牲が好きだろうが。そのうえオレと違って無策で、リカバリーも下手だ。危なっかしいって自覚を持ちやがれ」
要するに、そのうちユウがひとりで黙って事務所に突入するということがわかっていたから、エリヤは先手を打ってあんな無茶な真似をしたのだ。全て自分のせいだったと気づいてしまったユウは、お湯が沸いたやかんの如く騒ぎ立てていたことが急に恥ずかしくなり、謝罪も謝辞も告げられないまま黙り込む。
「おい、道が分かれてんぞ」
ふと我に返って顔を上げれば、立ち止まったエリヤの背中が間近に迫っていた。視線の先を追ってみると、螺旋状の階段から枝分かれするように、一本の氷の道が伸びている。
「……本当だ。下から見上げたときには、気づかなかったけど」
黒い背景に同化していたのか、それとも新しくできたのか。それなりの幅がある氷の道は、ゆるく蛇行しながらどこまでも続いている。こちらも、先は見えない。
「どうする?」
このまま階段を上り続けるのか。平坦な氷の道を進むのか。エリヤは顎の先を軽く上げて、ユウの意見を求めてくる。
ミサキは「上へ行け」と言った。タイシと一緒にいる彼女なら、この異空間を攻略するためのヒントがわかっているのかもしれない。それなら引き続き、その言葉に従うのが得策だろう。
ユウはエリヤの問い掛けに、言葉ではなく行動で答える。階段を駆け上がってエリヤを追い越すと、その勢いのまま氷の道へ足を踏み出した。確かな強度を靴の裏に感じてから、くるりとエリヤを振り返る。
「大丈夫そうだよ」
「急に飛び移んな。安全を確認してからにしろ。ってか、上に行かなくていいのかよ」
なんだかんだミサキの忠告を受け入れている辺り、彼女と彼女の後ろにいるタイシへの信頼のほどが窺える。ユウは小さく笑いながら「上には行くよ」と頷いた。
「でも山頂を目指すなら、垂直な崖を急いで登るよりも、迂回する山道をゆっくり進んだほうが、結局は早いんじゃないのかと思って」山登りの経験はないが、ユウの性格的にも、できれば緩やかなルートのほうが好ましい。「――それに」
異空間にやってきたときから、ずっと感じていた違和感を、ユウはとうとう口にする。「階段だと、会話をするのが大変なんだ」
その意見には、エリヤも賛同してくれるらしい。ずっとひそめていた眉をほどき、口の端を小さく上げると、音ひとつ立てない軽やかな軌道で氷の道に飛び乗って来た。




