雨上がりの帰り道
雨上がりの帰り道
雨は、つい十分ほど前に止んだばかりだった。
放課後の校舎を出ると、濡れたアスファルトが街灯の光を反射している。
「雨、止んだね」
隣を歩く彼女が空を見上げた。
結衣。
同じクラスで、家も途中まで同じ方向だった。
「そうだな」
俺は傘に残った雫を払いながらたたむ。
「残念」
「なんでだよ」
「別にぃ」
そう言って結衣は笑う。
最初は偶然だった。
昇降口で雨が降っていて。
俺が傘を持っていて。
結衣が傘を忘れていて。
それだけだった。
「入れて」
と自然に言われて。
「別にいいけど」
と自然に答えた。
ただ、それだけのはずだった。
なのに。
気付けば心臓が妙に落ち着かない。
肩が少し触れる。
髪が風に揺れて頬に当たる。
ふわりと甘い香りがする。
それだけで意識してしまう自分が情けなかった。
「ねえ」
「ん?」
「今日さ」
結衣が前を向いたまま言う。
「部活、なんで来なかったの?」
「補習」
「だっさ」
「うっせぇ」
結衣はくすりと笑った。
「一日が終わらない気がした」
どきりとした。
結衣はこちらを見ない。
ただ歩きながら続ける。
「どういうことよ?」
「愁斗のシュート見ないと、一日が終わらない病」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「あははっ!」
結衣が吹き出した。
「やば、オヤジギャグみたいになった!」
「お前が言い出したんだろ」
「言った後に気付いたの!」
笑いながら肩を叩いてくる。
その無邪気な笑顔に、また心臓が変な音を立てた。
昔からそうだった。
結衣は距離感が近い。
誰にでも優しい。
だから勘違いするな。
何度もそう自分に言い聞かせてきた。
だけど。
「ねえ」
「次は何だよ」
「来週の土曜日空いてる?」
足が止まりそうになった。
来週の土曜日。
休日。
しかも突然。
「……なんで?」
「聞いてるの私なんだけど」
「いや、だから」
「空いてる?」
街灯の下で結衣がこちらを見る。
少し首を傾げる仕草。
反則だろ、そんなの。
「まあ……空いてるけど」
「ほんと?」
「たぶん」
「よかった」
結衣が嬉しそうに笑った。
胸の奥がざわつく。
「買い物付き合ってほしいんだ」
ああ。
そういうことか。
期待した自分が馬鹿みたいだった。
「なんだよ」
「何が?」
「いや、別に」
勝手に期待して。
勝手に落ち込んで。
自分でも忙しい。
すると結衣がじっとこちらを見た。
「なんか残念そう」
「気のせい」
「ふーん」
絶対気付いている顔だった。
だけどそれ以上は言わない。
二人でしばらく歩く。
夜の住宅街は静かだった。
やがて分かれ道が見えてくる。
いつもここで別れる。
結衣の家は左。
俺の家は右。
「じゃあね」
結衣が言った。
「ああ」
いつも通り。
それで終わるはずだった。
なのに。
「ねえ」
また呼び止められる。
「ん?」
振り返る。
結衣は少しだけ困ったように笑っていた。
「買い物って言ったけど」
「うん」
「半分嘘」
意味が分からない。
「は?」
「付き合ってほしかっただけ」
一瞬。
頭が真っ白になった。
「え?」
「だから」
結衣の頬が少し赤い。
街灯のせいじゃない。
「デートしたかったの」
心臓が跳ねた。
今までで一番大きく。
間違いなく。
結衣は照れている。
「……それ」
「うん」
「俺でいいの?」
聞いた瞬間。
結衣は吹き出した。
「ほんと鈍い」
「何が」
「私が他の人誘うと思う?」
その言葉で。
ようやく全部つながった。
部活のことを見ていたこと。
休日を確認したこと。
嬉しそうに笑ったこと。
全部。
最初から。
「じゃあ土曜日」
結衣が一歩下がる。
「楽しみにしてる」
そう言って、バッグから折りたたみ傘を取り出した。
俺は思わず目を見開く。
「……お前、傘持ってたのかよ」
結衣はいたずらっぽく舌を出した。
「気付くの遅い」
「いや待て」
「じゃあね!」
そう言うと、結衣は逃げるように駆け出した。
濡れたアスファルトを軽やかに蹴って。
振り返ることもなく。
ただ一度だけ、ひらひらと手を振る。
俺はしばらくその場から動けなかった。
離れていく後ろ姿を見送りながら、雨上がりの空を見上げる。
雲の切れ間から、小さな星が見えていた。
来週の土曜日が。
人生で一番待ち遠しい休日になる気がした。




