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神に拾われた臆病者 〜逃げ続けた俺は、二度目の人生で旅を始める〜  作者: 星海凡夫


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閉じた扉


第1話 閉じた扉


俺の一度目の人生で、誰かに誤解されて憎まれたことなんてなかった。


長い間、俺はそうじゃないと思い込もうとしていた。


姉が厳しすぎただけだとか、母さんは俺を守るつもりで弱くしてしまったんだとか、近所の連中は事情も知らずに噂していただけだとか、世界のほうが、俺が自分の足で立つ前から隅へ追いやったんだとか。


言い訳はいくらでもあった。


夜中、布団に寝転がって、天井の黄ばんだ染みを見つめながらそれを何度も頭の中で繰り返していると、いくつかは本当に賢い理屈のように聞こえた。


扉の向こうでは、母さんが仕事へ行く支度をしていた。


母さんは六時前には家を出る。


俺は、その一連の音をまともな生活習慣よりもよく知っていた。小さなアラームの音。洗面所の蛇口。台所の引き出し。弁当箱を包む薄いビニールの音。靴を取ろうとしてしゃがんだとき、母さんの膝が小さく鳴る音。


それから廊下を歩く足音。


俺の部屋の前に近づくと、その足音は決まって少しだけ慎重になる。


疲れていても、もう大人の息子を背負うには年を取りすぎていても、母さんはまだ俺を起こさないように気を遣っていた。


俺は、ほとんどいつも起きていた。


玄関の扉が閉まるまで、身じろぎもせずにいた。


そしてようやく、まともに息をした。


まるで何かから逃げ切ったみたいに。


眠気でも、病気でも、上等な鬱でも、静かな悲劇でもなかった。


ただ怖かったのだ。


母さんが俺の部屋の扉を開けて、あの低い声で「今日は仕事を探すの?」とか「大丈夫?」とか聞いてくるのが怖かった。


簡単な質問ほど、一番きつかった。


そこには、臆病を理屈にすり替える余地がなかったからだ。


俺の部屋は、出来合いの飯と、着古した服と、澱んだ空気の匂いがした。机のそばには空のペットボトルが転がり、床には丸めたレシートが散らばり、一度も渡したことのない履歴書が置いてあった。


本も何冊か、適当なページで開かれていた。


母さんが入ってきたとき、ちゃんと使っているように見える位置に置いてあった。


専門学校。


公務員試験。


初級英語。


なんでもよかった。


俺は勉強していなかった。ただ、今にも始めそうな人間の部屋を作っていただけだ。


努力しなくていい努力だけは、得意だった。


母さんが仕事の話をすれば、俺は世間の厳しさを語った。


講座の話をすれば、母さんには分からないと言った。


金を差し出されれば、屈辱を受けたような顔をしてから受け取った。


その援助の重さをちゃんと感じていることが、まだ俺に尊厳が残っている証拠であるかのように。


母さんが金を差し出さなくなると、俺は俺で、見捨てられたのだと思った。


俺は、人のどんな仕草でも自分への非難に変えるのがうまかった。


そして自分への非難を、誰も俺を分かってくれない証拠に変えるのが、もっと得意だった。


姉の遥は、母さんより先に限界を迎えた。


最後に三人で食事をした夜に、怒鳴り声も、割れる皿も、記憶に残るような大きな事件もなかった。


たぶん、だからこそ残っている。


義兄が、ここ二週間ずっと残業続きだとこぼした。


俺は笑った。


自分が何を言ったのか、正確には覚えていない。たぶん、会社に魂でも売ったのか、みたいなことだったと思う。


俺の頭の中では、気の利いた冗談に聞こえた。


外に出してみれば、母親に養われている男が、朝から働く人間を小馬鹿にしているだけだったのだろう。


遥は箸を置き、妙に静かな目で俺を見た。


その落ち着きが、何を言われる前から俺を苛立たせた。


「直人。あんた、あの人が働きすぎだから嫌いなんじゃないよ」


母さんが、止めようとするように姉の名前を呼んだ。


けれど遅かった。


「立ち上がってるから、嫌いなんでしょ」


俺はまた笑った。


笑うのは、簡単に閉められる扉みたいなものだった。


「へえ。電車の中で練習してきたのか?」


遥には怒鳴ってほしかった。


怒鳴ってくれれば、俺も怒鳴れた。


喧嘩というものは、汚れをばら撒いてくれる。そうすれば、誰か一人だけが完全に汚れているようには見えなくなる。


けれど遥は、ただ立ち上がり、鞄を取った。


そして出ていく前に言った。


母さんがいなくなっても、自分には電話してくるな、と。


俺は、しないと答えた。


その瞬間、それは勝利に思えた。


俺にはそういう勝利がたくさんあった。


小さくて、惨めで、男を同じ場所に留めておくことにしか役に立たない勝利が。


それから、母さんは夕食の席であまり喋らなくなった。


それでも俺の茶碗には飯をよそい、まだ手間をかける価値がある服を見つければ畳み、わざとらしく忘れたふりをしてテーブルの上に金を置いた。


俺は受け取った。


いつものように、受け取ることに傷ついている顔をして。


最悪なのは、俺の中の一部は本当に傷ついていたことだ。


夜中になると、俺は変わりたいと強く思った。


強く思いすぎて、時々、その願望を変化そのものと勘違いできそうになるくらいだった。


リストを作った。


求人サイトを開いた。


朝早く起き、謝り、帰り道に母さんへ何か買って、遥に大人の声で電話をかける自分を想像した。


朝になると、母さんは六時前に出ていった。


そして俺は、布団の中にいた。


そうやって、母さんが台所で倒れた夜まで続いた。


音は小さかった。


人生ひとつを背負うには、あまりに普通の音だった。


まず、茶碗が流しに当たる音。


それから、物ではないものが倒れたような、短くて奇妙な音。


俺は片方のイヤホンを外し、母さんを呼んだ。


返事はなかった。


今でも、どれだけの間そこで止まっていたのかを思い出そうとすると、頭が俺を守るためか、責めるためか、嘘をつこうとする。


数秒だったかもしれない。


もっと長かったかもしれない。


重要なのは、そこに間があったということだ。


そしてその間の中で、俺が最初に考えたのは、母さんが死ぬかもしれない、ではなかった。


今かよ。


その思考は、ほんの一瞬だった。


でも、確かに存在した。


台所へ行くと、母さんは横向きに倒れていた。片手を胸に押し当て、片方のサンダルが食器棚の近くに脱げていた。


目は開いていた。


母さんは俺を見た。


あの目に何があったのか、俺には分からない。


恐怖。


痛み。


助けを求める気持ち。


失望。


俺に、一番優しい言葉を選ぶ権利はない。


救急車を呼んだ。


携帯の暗証番号を二回間違えた。


電話の向こうの声が、呼吸を確認しろ、体を横に向けろ、服を緩めろ、落ち着けと指示した。


俺は下手に従った。


たくさん泣いた。


けれど、泣くことは善人の証明ではない。


時には、自分のことではない出来事の中心に自分を置くための、もう一つの方法でしかない。


母さんは夜明け前に死んだ。


病院で、遥は母さんが倒れた時間を聞いた。


俺は、見つけてすぐに助けを呼んだと言った。


ほとんど本当だった。


俺はいつも、ほとんど本当のことが好きだった。


大きな嘘ほどの勇気もいらず、完全な真実ほどの代償も払わなくてすむからだ。


遥は、俺をしばらく見ていた。


そのあいだ、俺は殴ってくれればいいのにと思った。


肉体の痛みのほうが、ずっと分かりやすかった。


けれど遥は、ただ言った。


あんたはいつも、やるべきことより少ないことをして、それを自分にできる全部だったって呼ぶんだね。


長く彼女を憎むことはできなかった。


葬式のあと、俺は母さんの物をいくつか売って生活費にした。


最初は、理由をつけられるものからだった。


その後は、そうでないものも売った。


ミシン。


腕時計。


来客用に取っておいた食器のセット。


一時的なものだと自分に言った。


俺の人生では、何もかもがいつも一時的だった。


無職も、汚れた部屋も、罪悪感も、臆病も。


俺はいつも、何かの前に生きていた。


良くなる前。


謝る前。


誰かになる前。


そして、アパートが火事になった。


咳き込みながら目を覚ました。


喉が焼けるように痛み、部屋の扉の下から黄色い光が差し込んでいた。


空気は焦げたプラスチックの匂いがした。


廊下から、何かを叩く音が聞こえた。


そのあと、助けを求める声。


俺はどこかで見た記憶を頼りに、洗面所でタオルを濡らし、玄関の扉まで行った。


開けた瞬間、煙が一気に流れ込んできた。


分厚く、熱かった。


左のほう、階段の近くから熱が来ていた。


右のほうでは、低い影が廊下で動いていた。


誰かが咳をしていた。


その声が、もう一度助けを呼んだ。


俺の手は、ドアノブにあった。


俺は扉を閉めた。


そこに高潔な考えも、計算も、苦渋の決断も、美しい悲劇もなかった。


頭が言い訳を見つけるより先に、体が動いた。


あるいはそれこそが、俺の体が俺について初めて出した、最も正直な説明だったのかもしれない。


俺は浴室へ行き、濡れたタオルを口に押し当て、冷たい床に座り込んで救急へ電話しようとした。


できたのかもしれない。


できなかったのかもしれない。


扉の向こうで、もう一度叩く音がした。


そのあとは、音と煙と恐怖の区別がつかなくなった。


呼吸が、続けるには小さすぎる作業になったとき、俺は台所で倒れていた母さんのことを考えた。


それから、扉のことを考えた。


俺はまた閉めたのだ。


そうして俺は死んだ。


浴室の床で丸まり、濡れたタオルを握りしめながら。


一人で生き残ろうとすることに、まだ何か尊厳があるかのように。


そのとき、扉が開く音を聞いた。




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