Mission:3 Let's Learn AnotherWorld!
今更言うまでもないことだろうけど、あたしは全く別の世界に来てしまっている。少なくともあたしのいた地球ではなく、別の星の、別の国にいる。物語で読んだ、異なる世界への転移、いわゆる異世界転移というものを経験するとはおもってもみなかった。
この世界で暮らすにさしあたって、一番最初の壁は言語だった。
国どころか世界が違うんだから当然だった。
あたしがグラップと意思疏通ができるのは、『翻訳魔法』というチートじみた目に見えない技術を使ってくれるからだ。
グラップが翻訳してくれないと誰が何を言っているのかすらわからなくなる。そのグラップもいつまでもあたしと一緒にいてくれるわけがないだろうし。
言語の習得は急を要する課題だ。
「あたしに言葉を教えてくれ。」
「忙しい。」
はい、断られました。
革のブーツを履いて紐を結びながらグラップはにべもなくそう言った。考えてみたらこんなとこにいてたまたまあたしを見つけるということ事態がすでに奇跡に等しかったんだ。
当然、彼は忙しい。
「家にベニヒメがいる。そいつに言葉を教えてもらえばいいじゃないか。」
「いや、いやいや…その言葉がわからないのにどうやって教えてもらうんだよ!」
「過去の先人も、何も言葉もわからない状態でゼロからコミュニケーションを取っているんだ。できないことはないだろう。」
たしかに、外国へ先んじて行き、試行錯誤でゼロからその言葉を学んだひとがいるからこそ、専用の辞書や科目というものが生まれたんだ。とても昔のことでいまや当たり前のことなんだろうけど、先人の時代ではそれがなかった。
今あたしはその先人と同じ状態だろう。
………。
あたしはやるときはやる子だ。
大丈夫。ひらがなやカタカナ、漢字などという世界でトップクラス文字数を誇り、それに比例して難解な文法をたくさん持つ日本語のような言語じゃなければ希望はある。英語みたいにシンプルであればまだいける………はずだ。
「………わかった。頑張ってみる。」
「1週間ここを空ける。それまでベニヒメと一緒に生活していてくれ。そのあとどうするか………任せるよ。」
1週間………か。
「………期待しないで待ってるね。」
「行ってくる。」
グラップはそういって、ドアに手をかける。
「帰ってきたらお前の名前を聞かせてほしい。」
「―――考えとく。」
グラップはドアをくぐって家を出た。
―――さてと。
これからどうしようか。
松葉杖で体を支えながら家の中を歩く。昨日治癒魔法とやらを使ってくれたベニヒメのおかげか、痛みはほとんどない。魔法さまさまだ。
大きなテーブルのある部屋に入り、あたしは椅子に座る。棒を脇に置く。
テーブルの上にはたくさんの本がある。
書籍…それも紙の媒体なんてもう長いこと見ていなかった―――戦争で大半が焼け、ほとんどが電子書籍へ姿を変えた。
分厚い板で本を保護しているようでカバーの部分がとても固くざらざらしている。それを開く。
そこには文字の羅列があった。
グラップから教えてもらった簡単な解説が蘇る―――この世界では9割以上の国が『中央第一標準語』という言語を第一公用語として定めているらしい。まるで英語のような言語だが、英語の方は第二の言語として選択され、第一の言語は地元の言葉になるはずだ。その点で英語とはまるで違う言語のように感じる。
言語の名前からしても仰々しく標準化されたように感じる。
奇妙な言語だ。
次のページを開く。紙の質は上質だが若干の黄ばみが年季を感じさせる。文字はどれも同じ規格で制作されたような雰囲気であり、ちゃんとした工場で印刷出版されたものだとわかる。あたしたちのいた世界と技術的な格差を感じない。いや、むしろこっちのほうが進んでいそうな気がする。
丸と線を組み合わせたような文字がたくさん並んでいる。アルファベットやアジア圏の文字とはまた違った雰囲気。ギリシャ数字ととてもよく似ている。
………だけど、ヒントもなく読んだだけではわからない。
話してくれる人もいないので、音声情報も読み取れない。
さて困った。
あたしがため息をつくと、とことこと足音が響く。
その方向を見ると、ベニヒメがえっちらおっちらとお茶を運んでいた。
「………!」
………お茶だよ! といっているのだろうか。
ベニヒメはにこーっと笑ってあたしの目の前に飲み物をくれた。あの赤い透明の液体、レッドティー。
「ありがとう。」
「えん……きゅー?」
聞いた言葉をそのまま反復し、首をかしげる。
そのときに頭の突起も揺れる。細かい毛………?のようなものが生えている。
「ごめん、ちょっと触ってみてもいい………?」
あたしがそういうとベニヒメは頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。あたしがその頭の上に手を伸ばすと、ベニヒメはなにかを察したらしくエクストラメーションマークを飛ばす。そしてぐいーっとその頭をあたしの手にこすりつけた。
うわっ………何この感触。
さらさらの茶色の髪の毛が、あたしのざらざらと汚れた手に触れ、その柔らかい感触をダイレクトに伝える。
細く柔らかい髪の下から感じる、暖かさ。
皮膚の柔らかさとその下にある頭蓋骨の芯のある固さ。
いつだか忘れてしまった、その感触。
心のなかがふっと少しだけ、紙一枚分、軽くなった気がする。
「………あったかいな。」
小さな女の子は口をきれいな逆三角形に変え、汚れを全く知らない笑顔を見せる。
ふと気づいた。
あれ………この子。
耳がない。
側頭部にあるはずの耳がない。
念のため耳があるはずの部分をぺたぺた触るけどつるつるもちもちした肌の感触が返ってくるだけで、独特の形や軟骨の柔らかさが伝わってこない。
………???
えっ?
この子音声には反応してるのよね?
「わっ。」
気になって試しに少し大きな声をあげてみた。
頭の上の突起がぴくっと動いて、まるで指向性アンテナのようにこちらへグルリと動く。
この動き方………まるで動物、猫とか馬の耳みたいな動きをする。
………!?
「…?」
なあに? とでもいうかのように首をかしげたベニヒメ。
まさか………。
この頭の上にある突起は。
………………耳?
「これ、耳?」
突起とあたしの耳を左手でそれぞれ示して聞いてみた。
ベニヒメは最初しばらく………?と首をかしげたが、とても賢いようであたしの言いたいことがわかったらしい。こくこくとうなずいた。
まさか、こんな人間らしい顔していて頭の上に獣の耳が生えているなど誰が思うものか。何かのコスプレのように見えたその突起が本物の耳だなど。
「ヘリャ! ヘリャ!」
「えり…へり………えりあ?」
なんだ、なんだ。
おそらく耳を示す単語だとは思うけど、発音が難解だ。『え』なのか『へ』なんなのかわからない。
まて。
よくよく考えたらこの子まだかなり幼い方に見える。言動や見た目から察するにまだジュニアスクールに入りたての頃のように見える。
発音は舌っ足らずでまだ上手くない、と考えた方がいいのかな。とりあえず耳は『エリャ』ね。
どう発音すればいいのかはわからないけど、耳で聞いたその『カタチ』ならわかる。
意外と早い段階で単語を初めて覚えた。………間違ってるかもだけど。
「エリャ?」
「ヘリャ!」
そういうわけで、この世界の言葉で初めて学んだのは………『耳』だった。
この世界に来てからはやくも三日は経った。
異世界語のレッスンを重ねて来た結果、ベニヒメだけにかぎれば、コミュニケーションにつまることは少なくなってきた。
なにせこの子は表情がすごくわかりやすい。
何を伝えんとしているのか、それを伝えるのがとても上手なのだろうか。なんとなく言いたいことがわかるんだ。
発音は諦めた。どうもアメリカ英語で培った発音技術ではこの国の言語は非常に発音しづらい。寿命が1週間という状況で、たった数日そこらでどうこうなるようなレベルじゃないので今は諦めることにした。
今できることは、文字の習得だ。
カタチが何千年もかけて洗練されたようなシンプルさで、すぐにその文字の特徴もつかめる。日常生活で覚える文字は英語より多いけど、それでも五十字程度。多くはない。
この五十字はすべて独自の発音をもち、文字の組み合わせ………つまり単語になる際に、一定のルールに従い発音が変わる。ここは英語も一緒。
そのルールがすこし多い感じだろうか。
英語の場合で例えていうなら、単語の最後にEがつけば大抵の単語はアルファベットの音に従った発音になる。
あたしが今学んでいる言語も、これと同じようにある一定の場所に対応する文字があればその文字によって全体の発音のルールが変わる、とかとか。
この数日で意味はわからずとも、その構造やルールがなんとなくつかめてきた。なるほど、こう言いたいのだな、ということが伝わる。
この言語はとてもシンプルで豊かかつ素直だ。表現がとても素直でわかりやすい。
この言語の名前は『中央第一標準語』なのだが、聞いた所他にも『北方第二標準語』とか『紅津語』とかが有名どころの言語のようだ。
………この紅津語について書かれた本を持ってきてもらったので読んでみた。
そこであたしは目を見開いた。
紅津語―――どう見ても日本語だ。
読めないけど、間違いない。
この難解なひらがなにカタカナ、漢字。
若干記憶にあるものとは違うけど、間違いようがなくこれは日本語だ。
………まさか、この世界に日本人がいる?
「おねーちゃん! きょーはなにする!?」
紅津国が出版した本とにらめっこしていたらベニヒメが出てきた。わっくわくとしっぽを振りながらこっちをキラキラと見ている。
「えっと………きめて、ない。」
うう、発音が難しすぎる………。
舌がひきつりそう。
「そっかー! おかいものいこう!!!」
「え? ………おか、も?」
そりゃ外は出たことあるよ。
1日勉強をみっちりやって鬱になって外の光景も見たくなるし。
だけど、ベニヒメのいうお買い物。
それはつまり、外部の人間とコミュニケーションをとって、ものを買うこと。
当たり前だけど、何の言葉も介さず買い物ができるわけがない………第三次世界大戦が始まる前まではインターネットを介して直接関わることのなく買い物ができていたらしいけど。
そんなわけであたしはベニヒメによそ行き用に着せ替えさせられている。
「うーーーーん!!」
ベニヒメがひらひらの服を取り出して広げながらくちを尖らせている。かわいい。
だが。
「………はぁ。」
………見りゃわかるでしょう?
四肢が欠損し、銃痕とか擦り剥き傷跡だらけ。
髪は男みたいに短く、長い間ケアもできてないのでボサボサだ。女のくせに肌は病気かってくらいに白いし、そばかすもある。
瞳は青く三白眼気味で鋭く細い。
男よりも攻撃的で、目を向けただけで人を殺せそう………などとどこぞの単眼野郎みたくいじられたことがある。本当に冗談じゃないよ。
そんなあたしがこんなかわいい服を着たって似合うわけがない。
「ベニヒメ………。」
「うゆ?」
耳が先に反応し、こちらへ振り向くベニヒメ。
「ごめんなさい。あたし、あの服がいいかな。」
「あの服―――………。」
あたしが指で示す先には………ごわごわした生地でできた焼けた小麦のような色の服。ポンチョによく似た服だ。
インディアン………だったかな? 鳥の意匠が凝らされた民族衣装を思わせるデザインだ。
大きくゆったりしているから………この荒々しい傷痕と欠けた体のシルエットを隠しやすい。
「あれがいいのー?」
「うん。ごめんね。」
「いいよーー!」
ベニヒメは口を大きく開けて笑う。
よく笑う子だなぁ。
ゆったりと大きなポンチョのような服を着ると、おお………と自分で感嘆する。
着心地が想像以上によい。ごわごわしているのかと思いきや、さらさらふわふわした布地で、すこし伸縮性がある。
「にあってるよー!」
「ありがとう。」
あたしは右手で長い棒をもち、それを支えに立ち上がる。すこしからだの中が痛んだけど、我慢。最初のあれほどじゃない。
立ち上がる。
残された左足が消えていった右足の分も支えようとすこし震える。
………つきりと幻肢痛が発生する。かなり痛む。
「………はぁ。」
右足が腿の中間からえぐりとられて無くなっているのに対して、左足が比較的軽傷だっただけで、こちらも無事とは言わない。残された足も普通にボロボロだ。
こんなんで仕事できるっていうのかよ………。
「なにしに、いくの?」
「おやさいとおさかなをかうの!」
おやさい………野菜ね。おさかな………おさかな………発音が聞き取りにくいなぁ。
「おでかけ!!」
彼女はそういって玄関のドアを開ける。
【太陽】の光が、そこから大量に流れ込んでくる。
思わず目を細める。未だに【太陽】の強烈な光には慣れない。
陽光に照らされ黒い陰と化すベニヒメの、笑顔がこちらに向けられているのがかすかに見える。
「………眩しいな。」
ドアをくぐればそこは外の世界。
たくさんの人々が石の床の上を闊歩する。
多くの家がそこに立ち並ぶ。
異世界………か。
神様が何の気まぐれでここにあたしを呼んだのか。
生まれ変わりでもない、ただの転移。
ここにも異世界からの転移者、転生者がいると聞く。すべて同じ世界ではなく、異なる世界から来ているという。
同じ世界ということはほとんどない………だから同郷のひとと出会えるかどうかもわからない。
だけど掛けてみる価値はある。
………それがグラップに対する、この世界で生きる意味の答え。
それにはおそらくグラップのように『お仕事』とやらをやるのが一番手っ取り早い。
………おそらく、軍人として培った殺人能力を買われるだろうけど。
まあいいや。
【ろくでもないやつ】だったら殺せばいい。
「おねーちゃん、かおがこわいよ?」
ベニヒメがこちらを見上げてそう言った。
………子供のいるところで考えるものじゃなかった。
「ごめんね。変なことを考えてた。」
つい英語で言ってしまったけど、ベニヒメは気にしないようでにっこり笑った。
………この子は何の苦労も知らなさそうだな。
過去のことは知らないけれど、幸せに暮らしてきたようだ。
………グラップとベニヒメは親子なのだろうか?
「ベニヒメ。」
「なあに?」
「グラップは、あなたのおとうさん?」
ベニヒメは首を横にふる。
………?
「おいちゃはね! おいちゃなの!」
お、おいちゃ………おいちゃ………?
突然何をいっているのだろう。
「おいちゃはね! すっごいの! わるいやつがいーーーっぱいきてヒメのところにきたの! おいちゃはね! ヒメをまもってくれたの! うでがばーってうごいて、わーってたおしたの!」
怒涛のまくし立てにあたしは圧倒される。うぅ、何を言っているのかわからない、すごい興奮してる!
「そうよ、こいつまだ子供だった。」
まだ発音はなめらかではないので、勉強真っ只中のあたしには何をいっているのか甚だわからないときがある。それがいまみたいな【具体的な説明】じゃなくて【抽象的な説明】だったら何をいっているのかわからないのは当然。
ただ、ベニヒメが自分のことをヒメと呼ぶのはなんとなく読めた。
そして「おいちゃ」とやらがおそらく、グラップのことを示すんだろうか。
「そうなんだ………すごいね。」
「うん! すっごいの!」
わちゃわちゃと腕を動かすので、グラップのあの腕の装備のことをいっているんだろう。あのなんだかよく分からないガントレットのようなもの。
まだまだ二人には謎がたくさんあるみたいだ。
この買い物にはあたしにとってはリハビリの意味も兼ねている。
本来いきなり片手片足になっていきなり立ち上がるとか歩くとか、そういった動作はできない。
それでも家の中で何度も何度も試行錯誤している内に、なんとかコツを覚えた。家のなかに限れば多少は歩けるようになった。
でも、実際外に出てみれば自分が『身体障害者』であることをまざまざと感じる。
地面を見れば土はぼこぼこ、石も混じってる。靴を履いた足ならまだしも、棒で支えている腕は想像以上にパワーを使う。
そのうち美しくないアンバランスな肉体になりそうで怖い。
これで両腕が残っているならもっとかなり楽だったろうに。
「はぁ………はぁ………。」
軍人として鍛えた体力もさすがに疲れが見えてきた。
ほんのわずかに息があがる。
ベニヒメはいちいち「大丈夫?」などとは聞かない。
最初の状態に比べればとてつもなく回復していることを知っているからだと思う。
まだたった三日の絆だけれど。
ほんの少しだけ、ベニヒメのことがわかってきた気がする。
………やけに視線が気になる。
まわりの人がこちらを見ている。
「………。」
あたしもぱっと周りをみるけれど。
肌が白くて灰色がかった髪で傷だらけで片手片足の女はいないよね。
その上目付きも悪い。完全に不審者だ。
「………ここって治安いいのかな。」
ベニヒメは知らないけれど、服の下に拳銃を隠し持っている。
弾は入ってないけど、無いよりはマシかな、と判断して持ってきている。
片手片足の女と年端もいかないガキの二人組だからね。
悪いことを考えるやつがいないことを祈ろう。
―――
「それでねー、おいちゃは………」
ベニヒメの呪文のようなおしゃべりを聞きながら、あたしはその男を発見する。
こっちをみた瞬間分かりやすく眼をそらした男。
そしてすれ違おうとする―――
男の手があたしの腰に伸びる。
………くそが。
あたしはその男の手をさらりと避ける。荷物を強引に引ったくるつもりだった男の手はスカッと空振り、転けかけた。
「っ!」
「………?」
あたしは普通にそのまますたすた歩き、後ろで物音がしたのに振り向くベニヒメ。
男はこちらを睨む。
………何?
「顔、覚えたぞ。」
男は去り際に吐き捨てるように何かをいってきて、そのまま雑踏の中へ消えていく。
何を言ったのかわからなかったけど、明らかに面倒なやつだ。
「なにー?」
「なんでもないよ。―――ちょっとぶつかっただけ。」
治安の悪そうな匂いを感じる。
それから少し歩いて、スーパーらしき場所に着いた。
らしき、というのはスーパーを実際に使ったことがなければ見たこともない場所だからで、漫画やらで時々出てくるのを見て覚えている程度だからだ。
ところ狭しと商品のおかれた棚、古ぼけた丸いランプ。シャープでクリーンなイメージのあるスーパーとは似ても似つかないほど古ぼけているが、中身はほとんど一緒だ。
「さあさ! よってらっしゃいみてらっしゃい! 朝早くから仕入れてきたお魚だよ! 今だけ安く売るよ! ぶりっぶりのお魚だよー!」
三十路ほどのふくよかな女性が町行く人に声をかけている。そこそこ繁盛しているようで何人か客らしき人を見かける。
「ばっちゃ! おかいものきたよ!」
「おーーー! ヒメじゃないかっ! 良いところにきたよ!」
ベニヒメはとたたたーっと女性にかけより、買い物かごを見せつける。ばっちゃとよばれた女性はふとあたしに気づく。
「ばっちゃ! ごしょうかいするね!! このおねーちゃんはね! おねーちゃんなの!」
………たぶん紹介になってない。
まあしょうがないか、まだ名前教えてないし。
女性も困ったように苦笑する。
「どうもよろしくね、「おねーちゃん」。あたいはソニャ。ここで商売しているよ。この町には去年越してきたばかりでねぇ、その頃からヒメん家にはお世話になっているよ。」
発音がすごくきれいだ。舌っ足らずなベニヒメとは違い、すんなり耳に入り翻訳できた。
「………どうも。………まだ、このくにのことば、うまくない。」
ぎこちないながらも自分がよそ者であることを意識しつつそう伝えた。
ソニャは目を丸くする。
「あら。なんだか聞きなれない発音だねぇ。あたしの言葉はわかるのかい?」
あたしはうなずく。この数日間がんばったあたしを褒めてほしい。
「へぇえ、そうなんだね………っと無駄話してごめんよ! さあさ見てらっしゃい。今日はとびきり良いもの揃えたよ!」
「わー!!!」
なかば強制的に会話が終わったような気がする。………まあそうか。
ボディランゲージも使えたらいいけど、あいにくあたしは五体満足でもなければ愛想の良い顔もしてないし、なによりそんな性格じゃない。
………なんて頭のなかで言い訳していたってしょうがないか。
どれくらいなのかわからないけれど。
少なくとも今のあたしはこの世界で生きている。
………最悪自分一人でも生きられるようにならなきゃ。
あたしはソニャへ近寄り、呼び掛ける。
ソニャが振り返るのをみてから伝える。
「あたしに………かいもの、おしえてほしい。」
この世界にはその国それぞれで独自の貨幣が発行されている。数字のやり方も十進法、あたしの文化と共通だ。
紙幣と硬貨の両方が流通している。コインの素材は何でできているかわからないけど………偽造がしにくいような素材でできているらしい。
随分前に硬貨の廃止がされたせいで紙幣ぐらいしか触ったことのないあたしにとっては新鮮な硬さだ。ぱっと見る限り6種類以上はある。茶色と銀色の硬貨がそれぞれ2種類、黄色に赤の硬貨だ。どれくらいの額なのかはわからないがとにかく種類が多く、紙幣も出回っている。
「通貨のことまで知らないなんて………あんた本当にどこから来たんだい?」
「………とおい、とおいくにからきた。」
今はそうとしかいえないけど、ソニャは疑いの眼差しを向ける。ほんとかなぁー? ………とでも言いたげな表情だ。
「よくわからないけど、好きでここにきたわけじゃなさそうね。」
なんとなく自分が言いたいことを伝えてくれたのでうなずく。
それにしても………。
常に最前線にいて軍用のレーションが主食だったあたしにとって、これが【食べ物】だということに少なからずショックを受けている。
緑色、赤色、黄色、オレンジ色。極彩色の【食べ物】がそこらに並べられている。正直あんまり美味しそうには見えない。
………いや。あのレーションが最低基準の味だとして、こいつらはもう少しまともかもしれない。
「初めて見るのかい? ………。」
しげしげと丸くて赤いつるつるしたモノを手に取り、眺める。しっとり重くたっぷりと水気を蓄え、ハリのある皮の弾力を感じる。
「これは、なに?」
「うーーーん、ますます怪しいなぁ………それは【トマト】だよ。」
…や、やとぅー…めい……???
ダメだ、また知らない単語だ。
「よくサラダなんかに使うやつでね。栄養たっぷり、良く売れてるよ。皮が苦手な人もいるけど、その場合肉スープに切って入れて煮込むのもあるし、すりつぶした汁に油と酢や塩、ハーブを混ぜてドレッシングにしちゃえば良くなるよ! ただあんまり日持ちはしないけどね!」
まてまてまてまて、そんなにいっぺんにいわれたらききとれない。
がんばって頭のなかで翻訳しようとするんだけど、いかんせん知らない単語が多くて九割は理解ができなかった。まるで暗号か呪文みたいなもんで何も分からない。
まあ要するに「おいしい」ということなんだろう。
「そう。【トマト】ね。」
「ばっちゃ! これ買う!」
お話していると、ベニヒメがとことことーっと近づいてカゴいっぱいに入れた【食べ物】を見せつける。ソニャは笑って「あいよ! ………お代は1350ロズよ!」とお代を一瞬で計算してそう伝えた。
二人が金銭のやり取りをしているところを眺める。
………。
これが、【買い物】か。あたしの世界ではかつて行われていた日常的行動。
食糧はすべて配給制となり、稼いだカネはすべて娯楽か装備に回され。それもこのようなひとを介した買い物でもなく大半はネットか裏市場でやりとりされる。
こんな、あたたかい光景ではなかった。
「………。」
戦争が起きれば、必ずだれかが死ぬ。
食い物もまた、自由ではなくなる。
人々が戦うために動員され、カラダをぐちゃぐちゃにされて死ぬ。
すべては自分達の社会を守る、大きくするために。
そして死んでいったひとたちはすべて「未来のための犠牲」となり、崇めて讃えられ立派な墓を立てられておしまい。
………誰も死ななければそれでよかったのに。
過去の人間はどうしてそんな簡単に戦争を起こしてしまえたのだろうか。
あたしにはそれが甚だ疑問でならなかった。
価値観の違いなのだろうか。
この異世界の、この小さな国のこの平和な街のこの風景。
………。
「なーんか悩んでるみたいね。」
ソニャがあたしを見て気になったのだろう。そう聞いてきた。
「………。」
うまく言葉にできない。
こんなあたしの世界が求めてやまなかったであろう【平和】を体現しているこの世界に、兵器………軍人として育て上げられたあたしが馴染めるのか。
漠然とした不安がある。
「……へいわ。」
ソニャは眉をつり上げる。
「何いってんだいな………。」
あたしの言ってることがまったく理解のできないソニャは眉をひそめて不可解なものを見るかのような表情を浮かべた。




