表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お酉様とうす紫に雲  作者: すいか太郎
3/4

三の酉

 二の酉の帰りの電車でカレンダーを確認すると、次の三の酉は日曜日で、制服で行けないことにちょっとハードルの高さを感じた。

 外はもう暗くて、電車のドアの窓に反射する自分の顔はいつもと同じだったと思うけど、心の中ではしばらく緊張したままで、自分の小心者加減を思い知らされつつも、なんとなくふわふわした気持ちが悪くはなかった。


(…別に。文子さんの着物とか言葉の使い方とかしぐさとか、もう少し話してみたいと思っただけだし)


 たかが女の子とちょっと約束をしたくらいで浮かれた気分になるのがかっこ悪く感じて、心の中で言い訳してみるけど、『文子さん』なんてクラスメイトには絶対呼ばないような呼び方を思い出しただけで、恥ずかしくなる。

 それでもさっきまでの自分の行動や発言に変なところがなかったかと頭の中で振り返って、思わず口に手を当ててしまったから、電車の他の乗客に見られていた時の為に、わざと軽く咳を出してみた。




 結局、あの雨の日に一人で行動したことも言いづらくて、相田にも浜口にも誰にも相談をせずにそのままいつも通りの日常を過ごした。


(別に何もないし…)


 次の日とその次くらいはちょっとそわそわしていたけど、約束の日までは少し先だったしほとんどの時間は意識なんかしていなかった。

 あれから俺のSSRはもうちょっとで進化するところまで育ったし、週末には男三人でコラボ企画のガチャスポットを回ってアイテムを集めたり、靴屋で見かけたスニーカーを試着してみたり。さすがに寒くなってきて、示し合わせたわけでもないのにちょうど同じ日から三人ともマフラーをし始めたら、色もデザインも全員似たり寄ったりで自分たちの平凡さが笑えたり。塾の冬期講習に申し込む話とか、髪を切りすぎた浜口のツーブロックの刈り上げ部分を撫で上げる嫌がらせをしたり、帰り道にコンビニで肉まん買ったりして、わいわい過ごした。

 いつもと同じ、笑い飛ばして終わってしまう、もうちょっとしたら思い出せなくなりそうな日常のことばかり。でもそれが楽しかった。

 風はどんどん冷たくなるし、日は短くなるから、放課後も今までと同じ時間なのに随分遅くまで三人でつるんでいるような錯覚が起こる。


 学校の最寄り駅で解散して全員違う電車に乗って、電車のドアに寄り掛かって窓の外と反射する自分を静かに見ると、ふとあの雨の日を思い出す。

 雨で冷えた指先、提灯の滲んだ明かり、着物の裾から見える靴下、濡れた灯篭、黒い傘、笑った涙目、次の約束。

 考えるとあの時の何かを思い出して顔が緩みそうになるから、目を軽く閉じて誰も見ていないであろう周りの乗客に『疲れてます』をアピールしてみる。


(明後日…)


 もう期末テストの勉強は始めてるけど、まだ切羽詰まってはいないからちょっと祭りにでかけるくらいどうってことない。

 思っていたより十二日は長くて、待ち遠しくは待っていないつもりだったけど、ようやくだと思うとちょっと緊張しつつ楽しみで。また顔面に力を入れないといけなくなってきたから、目を閉じて電車のドアにもたれかかる。






 放課後じゃないから時間がよくわからなくて、少し早めに家を出たらまだ設営中の屋台もあったりして、祭りの裏側を少しだけ見れた気がする。なんだかんだお酉様はあんまり回っていなかったから、まだそんなに始まっていない夜店をチラ見をすると、夏祭りなんかでは見たことがない漬物や七味唐辛子の屋台なんかがあってちょっと驚く。

 時間でいうとまだ早いはずだけど空は薄暗くなっていて、提灯にも灯篭にも明かりがついた。先にお参りを済ませようと参道を抜けていくと、前には気づかなかった七五三ののぼりなんかも脇に立っている。

 最初に文子さんを見かけた大きな木の、参道を挟んで反対側には大きな銀杏(いちょう)の木があって、茶色ではなく明るい黄色に紅葉するのが銀杏の良いところだと思う。


(あ……)


 五円玉を投げてからまた気づく。鶏カラの神様。


(…『良いご縁が、ありますように』)


 冬期講習とか受験の話題も出てきているけど、今はなんとなく学業の神様じゃなくていいや。



 境内を軽く一周して、まだ来ていないことを確認してから二の酉の時に座った社殿の奥の目立たないところに腰掛ける。普段ならすぐにスマホで暇つぶしを始めるところだけど、もし彼女が来た時に気づかなかったら失礼な気がして、ぼんやりと周りを見る。

 神社独特の反りかえった屋根を下から見ると、木が複雑に縦横に組まれていて、昔の人は手間のかかることするよななんて、漠然とした感想を思う。お寺と神社の建物の違いもよくわからないけど、どっちも『和』っぽい雰囲気が好きだから、たまにはこうして通うのも悪くないかもしれない。

 十二月も近い風は冷たいけど、厚手のジャケットにマフラーも重ねてきたから、むしろ歩いて火照った体にはちょうどいい。吐く息が白くもやって、冬を感じる。

 人が増えてだんだんざわつき始める境内、提灯の明かりが夕闇に映えて、たまに風が前髪を軽く飛ばす。神社の木は大きくて、少し離れた場所から見上げても顎を少し持ち上げないと一番上が見えない。

 不思議と待つのを退屈には感じなくて、光が届いていない先端の枝のシルエットを見ていると、砂利を踏む音が近くで聞こえた。



「こんばんは、悟さん。お待たせしてしまってすみません」

 前回と逆の位置、俺の斜め下に文子さんは現れた。

「別に待ってないよ…砂利、大丈夫?」

 俺だって砂利が少し歩きにくいから、着物だともっと歩きにくいだろうと立ち上がって近寄る。思わず手を差し伸べてしまって、その所在なさに恥ずかしさを感じる前に揃えた指を重ねられた。

 何でもないように「ありがとうございます」なんて言われるから、内心の動揺を悟られないように、一段だけの高めの段差を彼女が登りやすいようにぐっと引っ張ってやる。

 細い指先は冷たいけど、文子さんの雰囲気はなんだか暖かく感じて、そんなことを考える自分が照れくさい。

 この間と同じ場所に腰掛けて、薄暗い中でちらりと彼女自身を見る。

 いつもより明るい色の着物に膝近くまである長い上着を羽織って、足元は足袋に草履。街中で一番見かけるようないかにもな和服。


「……なんか、いつもと雰囲気違う?」

 顔の横の三つ編みは同じに見えるのに、思わず声が出ていた。

 文子さんは一度俺の顔を見ると、照れるように目線を逸らす。

「いつも近所を歩く格好だったので…折角お会いする約束をしたので、ちょっと整えただけですよ」

 それは、俺と会うのにおしゃれをしてくれたように聞こえて、ちょっと心が跳ねる。

「悟さんも、いつもと違うお仕立てですね。…綺麗な色」

「今日は、学校ないから…」

 にっこり笑って言われると、目を逸らしたくなった文子さんの気持ちがわかった。

 無地だけどグラデーションがきれいな、無難なシャツを着てきて良かった。


「あぁ、そうなんです…この間の悟さんのお話し。カラスの。お友達に話したらみんなで笑って、勇気づけられたってお話ししてましたよ。ありがとうございます」

 くすくすと笑いながら口元に添える文子さんの指先が白くて、あんな思い付きみたいな話にまだ喜んでくれるなんて、ちょっと恥ずかしくて嬉しい。

「…みんな、悟さんみたいに思ってくれたら素敵なのに、って」

 俯きがちに言うからはっきり聞こえなくて、自分に都合よく解釈しているような単語に思わず文子さんを見返してしまう。

「だから、今日お会いすると言ったら、お友達がリボンを結んでくれました」

 文子さんが背中を向けると後頭部に大ぶりなリボンがあって、三つ編みは同じでも髪型が少し違うから今日は雰囲気が違って見えたのかもしれない。

「ホントだ、かわいいね」

 和柄小物なんて夏しか見かけない。うす紫に雲、花に鳥がいて、甘すぎないのが文子さんっぽいと思ってしまう。

 思わず手を伸ばしそうになって、さすがに勝手に触るのは悪いと思って引っ込める。

「こーゆーの、俺、結構好き」

 文子さんが着る着物や小物は、素直に可愛くて自分好みで、雰囲気が好きだなと思う。


「あの、今日はっ、」

 リボンを俺に向けたまま、文子さんは膝の上の手提げをごそごそするから、頭のリボンが動きに合わせて揺れるのがまた可愛い。

「べっこう飴を持ってきたんです。…甘いものはお好きですか?」

 文子さんが広げてくれた固そうな紙包みの中には、半透明な飴がいくつか入っていて、どうぞと持ち上げてくれるからひとつ摘まんで口に入れる。


(甘い……)


 ありがとうと言うと、はにかむようににっこり笑ってくれる。

 久しぶりに食べるべっこう飴は素朴で甘くて、そういえば子供の頃はこの味が好きだったことを思い出す。

「あ、ちょっと待って」

 文子さんもべっこう飴をひとつ摘まんで口を開けるから、止めてしまった。


(確かあったはず…)


 自分から会えるかどうか誘ったのに、そういえばお茶もお菓子も用意しなかった自分の気の利かなさに、せめてと背負ったカバンをごそごそと探る。

「チョコ、どうぞ」

 食べ掛けだけど、昨日買ったマーブルがまだ残っていてちょっとほっとした。

 細い筒を差し出すと文子さんも手のひらを出してくれるから、その上に粒を出す。カラコロ出てきたのは最後の数粒だけだったけど、カラフルな色が薄暗い中でも提灯の明かりを鈍く反射する。

「これ、チョコレイ糖ですか?…きれい」

 こんなにもらっちゃ悪い、みたいな視線を感じたから食べてと促す。

 文子さんは黄色のひと粒を摘まんで目線の高さに持ち上げて見てから口に入れる。 口の中で歯に当たる音が微かに聞こえた。


「……あまいです。すごい、今までで一番、美味しい」

 嬉しそうに笑ってくれる、細められた瞳にも提灯の光が反射してきらりと見えた。

「大げさだよ…ちょっとしかなくてごめん」

 左の手のひらに残りのチョコをのせて、光に当てたりしている横顔が楽しそうで。

 こんなに喜んでくれるなら、デパ地下ででもなんでも、もっと女の子が喜びそうなのを買ってくれば良かった。

 着物の袖は長いけど、チョコを明かりに掲げただけで少しずり落ちて、露わになった左手首にドキリとする。

 こんな少しのことで喜んでくれるのが嬉しくてこっちまでドキドキしてしまうから、マフラーをずらして表情を隠す。



 夜の薄暗い中で見る着物の柄は、灯篭と提灯の明かりが届くところだけ暗く色が見えて、白い手がよく映える。

 ふと我に返ると、女の子の手を凝視するなんて自分がちょっといやらしく感じて恥ずかしくて、焦って視線を上げると大きなリボンがまた目についた。

 そういえばこんな和柄のリボンを普段使いするなんて、やっぱり文子さんのお友達も和柄が好きだったり着物を着たりするんだろうか。

「…文子さんとお友達って、いつも何して遊んだりするの?」

 俺と相田と浜口が似たようなマフラーを選んでしまうように、似た者同士はやっぱりつるみやすくなると思う。

「もう…遊びというよりも、おしゃべりをするのがほとんどになってしまいましたね。お歌を歌ったり…あ、ちょうどこの間久しぶりに少しだけ影踏み鬼をしたら、みんなですぐに息切れしちゃいました」

 子供みたいで恥ずかしい、と照れたように笑うけれど自分にも思い当たるから、くすっと笑ってしまう。

「わかるわかる。子供の頃の遊びって、今やろうとするとすごく疲れるけど、やっぱり楽しかったりするよね」

 唐突に始める鬼ごっことか、なんだかんだで盛り上がる。

 そうそう、と言って笑ってくれるから、子供の頃の遊びだと男女の違いがあんまりなくて共通の話題のようでうれしい。


「あ、ねぇ、あれ知ってる?『かごめかごめ』」

「えっと…あの?『うしろの正面だぁれ』?」

「そう、あれ。少し前にあの歌の歌詞がちょっと流行ったの。『夜明けの晩』って夜明けなのに晩っていつ?とか縁起のいい『鶴と亀が滑った』とか、実はちょっと怖い歌なんじゃないかって」

 都市伝説として特番テレビで取り上げられていた次の日、クラスでちょっと話題になった。かごめかごめを知らないクラスメイトはいなくて、高校はみんな地元ってわけじゃないのに、子供の頃の遊びが一緒なのが面白かった。

「……確かに。意味もわからない内に覚えてしまったので考えてもみませんでしたけど…言葉のひとつひとつを考えるとちょっとおかしいですね…」

 右手で軽く口元を隠す文子さんは上目遣いに困り眉で、本気で悩んで考え込んでいるようでちょっとかわいい。

「『うしろの正面』なんて言い回し、他ではしませんし…」なんて真剣な顔で言う文子さんはだんだん本当に怖がってきているようで、ちょっと申し訳なくて焦る。

 それでもこんなちょっとしたことで怖がるなんて、笑って話していたクラスの女子とも違う。

「ごめん、そんなに考えすぎなくて大丈夫だよ」

 笑いながら顔を見ると困り眉のまま首を傾げる。


(……真面目だなぁ)


 その仕草が可愛くて、口の端がうっすら持ち上がる。

 自分だって学校や世間に文句は言っても逆らったりしない、そこそこマジメで普通の学生だと思うけれど、それ以上に文子さんの受け止め方は真面目で、その分何でも冗談で済ましてしまうようなことはしないだろうと思う。

 俺がちょっと笑ったことに気づくと、文子さんは急に釣りがちな目を大きくして、ごまかすようにそっぽを向く。

「別に、そうだなぁって思っただけですよ。珍しい解釈なのでふぅんって聞いていただけです」

 本当に怖がっているのかそうでないのかはよくわからないけど、かわいく強がる彼女の空いている右手をとって立ち上がる。

「ちょっと変な話しちゃってごめん。だからさ、お参りしようよ」

 折角神社に居るから、参拝所の方を目線で示して笑うと文子さんは手と俺の顔を交互に見てから、頷いて左手のマーブルをぱくんと口に入れる。

 手のひらに残るちょっと溶けたチョコレートを、ぺろりと舐めるところを見てしまった。



 薄暗かった空はもう暗くなって、暗い夜空に白い提灯が映えるのは夏祭りとも違って幻想的に見える。日曜日とあって混雑はしているのに、文子さんに促されて行った端にある手水舎には人が居なくて、二人で無言で手を洗う。

 おおざっぱに手を洗う俺に比べて、文子さんは柄杓で丁寧に手と口を洗っていく。屈めていた顔を上にすると、唇がつるりと濡れていた。

「あ……」

 急に文子さんの動きが止まるから、どうするかと覗き込むと恥ずかしそうに目を合わせてきた。

「……手ぬぐいを、忘れてしまいました」

 濡れた指先で着物の袖の先を探ってから言うのがうっかりしていて、恥ずかしそうなのが可愛く思えて笑ってしまう。

「俺の使って」

 俺が使って湿ったハンカチを出すと、すみませんと言いつつすんなり受け取ってくれた。

「…悟さんのお手拭き、きれいですね」

 手と口を拭きながら、文子さんはまじまじと見るから「ふつうだよ」とだけ答える。

 何の変哲もない、薄い水色に濃い水色でうっすらとチェック模様がついている。文子さんが特別なもののように扱ってくれるから、それだけで水色のハンカチは特別になる。


 そのまま参拝の列の後ろに並ぶと、すぐに後ろにも人が迫ってカバンを開けるには狭すぎて、文子さんにはハンカチを持っていてもらうと着物の袖の中に仕舞ってくれた。

 ちょっと窮屈な人混みに二人で並んで、赤い提灯の背景に見える黄色い銀杏の葉がひらりと落ちるのを目撃する。正面を見ながら隣にいる肩までの気配と話していると、狭くてじりじりとしか進まない列でも気にならない。

 子供の頃の遊び、最近寒くなってきたこと、紅葉が見ごろで遠くの山の色が変わってきたねなんて。なんでもない話しばかりでも、つまらなくないのが仲のいい友達と同じで楽しい。流行りの歌でも学校でも、ソシャゲの話でもなくて、共通点なんてないのに自分が触れない話題がむしろ新しい。


(一番最近友達と回し読みした本が短歌集って…)


 渋すぎてちょっとズレてて、やっぱりお嬢様なのかなと思いつつ、一緒にいて楽しい。


 着物、三つ編み、べっこう飴。うす紫のリボン。

 リップクリームも使っていなさそうな唇は、クラスの女子より艶はないのに柔らかそうに見える。

 賽銭箱の前でお賽銭用に十円玉を渡すとじっと見て、促してようやく投げ入れていた。


(『ご縁がありますように』)


 本日二回目の鶏カラの神様へのお願いはためらうこともなくて、自分が浮かれていることを自覚する。

 参拝者の人混みを抜けると立て替えたお賽銭の小銭を渡してくれようとして、断ると真面目な顔で「私のお願いを神様が聞いて下さらなかったら困ります」なんて。

 そんな律儀なところも好感が持てて笑う。




 まだ会ったばかりの高校生女子を引き留めるには遅い時間になったから、名残惜しくても引き留めないでサヨナラする。

「ねぇ、もう今年の『お酉様』は終わりでしょ?…次は普通に会おうよ。遊ぼう?」

 断られたらなんて少し緊張はするけれど、それ以上にまた会いたいから誘うのにためらわない。

 文子さんもちょっと動きが止まってから目を合わせて頷いてくれるから、嫌われてはいないと思う。

「じゃあ、次の日曜日。十二時にここで、どう?お昼ご飯も一緒に食べようよ、場所は俺が探しておくから」

 座って話しているときはそんなに気にならなかったけど、文子さんは背が俺の肩までしかないから、視線を合わせるためには少し首を傾げないといけないのが新鮮で。


(背の低い子と話すときって、こんなだったっけ?)


 特別よく話す女子もいないし、特定な誰かなんて浮かびもしないから比較対象がいない。

 時間も場所も、断られないで笑顔のOKをもらえたから、もう次の日曜日が楽しみになる。

 暗くなったのは心配だけど、すぐだからと言う家まで送るのもマナー違反かなとも思うから、正面ではなく社殿の脇の小さな出入口で立ち止まる。


「またね、文子さん。気を付けて帰ってね」

 指先を掴むと、きゅっと握り返してくれた。

「また…来週の正午に。今日は楽しかったです。…悟さんも、お気をつけて」

 俺も緊張してたけど、たぶん文子さんも少し緊張しながら目を逸らさないで笑ってくれたのが嬉しくて。

 放っておいても顔が笑って、表の屋台の喧騒とは違う少し静かな細い通りに、ほどけた指先ごと文子さんの背中が消えていくのを見送る。曲がる角で振り返って会釈をしてくれたから、手を小さく振れたことにも満足する。


 十一月も終わりの夜ともなると、空気は冷たいけど火照った頬には気持ちいい。見上げて吐く息は月を一瞬隠してすぐに消える。

 神社に背を向けて駅に向かう足取りも軽い。


(……やっぱこれって)


 たぶん初めての気持ちに、少し恥ずかしくて照れるけど、今はそれ以上に楽しい気持ちが強い。

 にやける顔を隠す傘も今日はないから、少しだけマフラーを鼻まで上げて、早く来週の日曜日のお昼にならないかと考えながら不思議と早歩きになってしまう。

 もうとっくに溶けてしまったはずなのに、口の中にべっこう飴の甘さが残る。









評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ