7月7日
久しぶりの更新です。
書いているうちに冬になってしまいそうです。物語の舞台はまだ夏なのに……
「――すべてを公開する。リークする」
空気が凍った。
時計の針だけが進み続ける。
誰も、なにも言わなかった。
「すべて、って」
「ここに僕が独自に調べたデータがある。全部ちゃんとした裏付けが取れてるし、辻褄も合ってる。それと、これまでみんなから集めた情報も、――つまり、岬原、君がつけてきた記録データをすべて公開する、ってことだよ」
「そんな……それじゃあ、俺たちの活動があまりに公になりすぎる!危険すぎますよ!」
岬原が中腰になって身を乗り出す。
「捜索が入れば、横路や雨ヶ崎さんは俺たちが庇ったりなんだりして、まだ、逃げられる可能性があるからまだしも、久野さん含め、俺たちは逃げられない!活動を続けられることに意義があるんじゃないっすか!?何より、久野さん、あんたは無事じゃ済まない!」
「確かにそうだ。岬原、お前は正しいよ。だけど、ちょっと考えてほしい」
久野さんは椅子から少し前に体を乗り出した。
「僕たちの他に誰が正しいことを知っている?」
「…………」
岬原が抗議しようと開いた口をそのまま閉じた。
誰も答えられない。
俺も、答えることはおろか、考えることもできなかった。頭が真っ白になってしまったらしい。
「情報が統制され、操作され、秘匿されたこの世の中、この十年、誰が積極的に情報を知ろうとしてきた?――僕たちだけだ。そうだろ?」
「だけど……」
「多くの人に真実を知らせること。そして、政府に対する不信感を抱かせて、不満を高めさせる。危険さを認識してもらう。それもまた僕らにできることだ。むしろ、細々と影の組織として活動して、政府に直談判するより、よほど効果がある。違うか?」
力説しているわけでも、怒鳴っているわけでもない。ただ、淡々と語る久野さんの語り口に、淡々と引き込まれていった。
「それと、研究所再建案が通る以上、それを食い止めるために動かなくちゃならない。同じ悲劇は、――二ついらない」
ぎゅ、と久野さんが拳を握りしめた。その様子を見て、俺は、この組織に入った理由をぼんやりと思い出していた。
以前久野さんに直接聞いたことがある。まだ、俺が入ったばかりで、組織のトップも別の人だった頃。
『アキにぃは、どうしてこれに入ったの?』
『ん?僕?』
『うん』
『うーん…タクトくんはどうして?』
『俺は、政府がキライだから。なんか仕返ししたくて。昔から、キライなんだよな』
『そっか』
『アキにぃは?』
『僕はね、誰かの大切な人を守りたいんだ』
『僕の大切な人は、この事故に奪われたようなものだから』
『地上の組織に関わるのは、今の僕にはまだ危険すぎるけれど、地下なら話は別さ』
『僕はここで僕にできることをする』
『そっかあ。俺は人の大切なものを取る政府はやっぱりキライだ!』
『……。……そうだね、僕も嫌いだ』
「…………」
今思えば。
そんな単純明快な会話で済むようなもんじゃ無かったと思う。幼いって恐ろしい。
久野さんの拳は、決意の拳。俺がそれを知ったのはしばらく後だった。
その思いをまるで見透かしたかのように、久野さんは続ける。
「僕は、この組織を使って大切な人を守りたい。自分じゃなくても、誰かの大切な人を守れれば、それでいい。そのためにもう、一刻の猶予もきっとない。これ以上被害者を出せるか?」
「…………」
誰も、何も言おうとしない。
「……どうしてみんながここにいるのか、自問自答してくれ。……その上で決を採りたい」
皆、俯いたままだった。考えているからか、それとも……
「……やりましょう、皆さん」
三野さんが、声を上げた。うっすらと微笑みすらしている。
「このままこの事実を埋没させてはなりませんわ。ご存じない方も多い、存じている方が少ない情報を、私たちはたくさん持ってますわ。それを、手元で腐らせてしまっては、いけませんわ」
「けど、ミノリさん。あんた、間違っても議員の娘だろ。もしもあんたが反政府運動に参加してるなんて世にばれたら、親からなにされるかわかんねえぞ?それに、親だって失職しないとは限らねーし。一家揃って路頭に迷うなんてことも……」
「では私に、父が人殺しに加勢するのを黙ってみていろ、とおっしゃるのですね?」
「いや……そういうわけでは」 岬原が口ごもる。
そこに畳みかけるように三野さんは続けた。
「私は三野ミノリとして、SIRに参加しているのです。断じて、衆議院議員、三野シンゾウの娘として参加しているのではありません。それに、その程度の覚悟などとうに決めてますの」
でも…と言いかけた岬原が口を閉じた。
「私たちの活動目的は保身ではないはずです。この十年、十分すぎるくらい守ってきた。今度は……今こそ反撃に転じるべきですわ」
「俺もそう思いますよ」
そう口を開いたのは草上寺さん。
「活動が世間に知れれば、賛同者を一気に集めることができる。数揃えりゃいいってもんじゃありませんが、数が多ければ、できないこともできるようになる。そう思いますよ」
「……統率も難しくなるね。暴走因子が出てきたら、切り捨てなくちゃならないし」
「その代わり、これまで以上に情報は早く伝わるようになる」
「最近では、そういう巨大集団にあえて間者として送り込まれて、騒ぎを起こして、母集団そのものを内部から自壊させる役目みたいなのを負ってる奴もいるみたいっすよ」
岬原がぶっきらぼうに口を開く。くるり、とこちらに向けられたモニターにはコミュニティサイトのようなものの画面が映し出されていた。が、ちょっと読んだだけで荒れに荒れていることがわかる有様。
「デモ隊の中にも、そういう奴が混ざってる。そうなると、リーダーの停止命令が通らなくて、世間からデモそのものが白い目で見られる要因になる。組織を大きくするなら、その辺の統率方法も考えといた方がいい」
その言葉に久野さんは苦笑した。岬原は久野さんを見ないままに続ける。
「SIRの実質的なリーダーは、久野さんっすよ。俺は、その決定にはついて行く。間違ったことじゃないと、思いますから」
「私も……私も、これが今私たちにできる精一杯のことならっ!」
雨ヶ崎先輩も、椅子から立ち上がらんばかりの勢いでそう続いた。
「ワタシは勿論、Mr.久野についていくネ」
「横路、お前はどうする?」
「俺は、」
……この流れで反対できっこねえよな。
正直怖かった。
リークして、それで、どうなる?バレたら、俺は、SIRはどうなる?
活動を続けることに意味があるとしたら。だとしたら、このリスクは避けるべきではないのか?
けど確かに、世間になにも知らせないままに終わる、それもまた間違いではある。
それじゃ、意味がない。
だけど、それでも俺は、失うことが怖い。
一度は固めたはずの考えが再びゆらゆら揺れ始める。
俺は、……どうしたいんだろうな。
「無理に賛成しろとは言わないよ。君が一番大切だと思うものを選んでくれればいい」
決めかねているのを見た久野さんがそんな風に言ってくれるが、俺の耳にはあまり入ってこなかった。
けど……やっぱり……
「俺も、いいっすよ」
俺だって、戦いたい。
このまま終わらせてなるものか。
こんな悪夢は俺たちが終わらせる。俺たちが正義の味方になるんだ。
子供じみた熱く燃えるような考えに、どこか冷めたような気持ちが混ざり込み、奇妙な気分を味わいながら、俺は残りの会議に身を任せた。
俺の学校にはテスト休みは存在しない。つまりは、授業がある。さすが進学校!
……が、その授業もろくに進まないので、休み前の息抜き期間みたいになるのがせいぜいだった。ダラダラと英語のノートを取りながら、机に立てた教科書の後ろで小型端末をいじる。
昨日の会議から、久野さん、岬原、草上寺さんはSIR本部に籠もりきりになっている。リークを実行するための下準備だ。
あそこには岬原たちの手作りとはいえなかなかの性能のスパコンが鎮座している。即時解体は不可能なため、踏み込まれでもしたら逃げはおろか、言い訳すらままならないのだが、あれがあるおかげで俺らの仕事はかなり捗っている。その機械の頭脳を借りて、今まで収集してきた情報をすべて順序よく並べ、読みやすいものに仕立て上げているのだそうだ。
実行は一週間後。
校閲の仕事を手伝いながら、俺もそのときを静かに待つことになった。
そういえば、スコットはこれの英訳を頼まれてんだっけ……フランス語だったかも。
「じゃ、ここの日本語訳、横路いってみよう」
「あー…はい」
ぼんやりしていたせいだろうか、当てられてしまった。まあ、大した訳じゃないからいいんだけど。
可もなく不可もなくの訳を発表して席に着くと、中都方がこちらをじっと見ていた。
(何?)
視線に気づいた俺は口パクでそう問いかける。するとアイツはボールペンを取り出して軽く振って見せた。
……そういうことね。
どうでもいい裏紙を取り出して中都方に準備完了のサインを送った。
しばらくして、ボールペンをカツカツとノックする音。やれやれ。思っていたより長いそのメッセージにちょっと困惑。
程なくして中都方がべしゃっと机に突っ伏した。俺は決められたとおりの暗号に従ってメッセージを書き換えていく。
えーと……
『SIRからへんなめーる。なにかしってる?』
…変なメール?
教科書の裏で携帯端末をいじる。俺には来てねぇな……しかも、合点がいかないのは『変な』ってとこだ。あの人たち、不可解なのは送ってきても、とことん変なのは送って来ねえから……
『ないようは?』
『あとでみせる』
……おお。
そんなわけで通信終了。授業は後10分残っていた。
「で、何?変なメールって」
「おう。これなんだけどよ……お前なら幹部だから何か知ってんじゃねーかなーって」
「見して」
中都方の手から携帯電話を引ったくるようにして画面をスクロールする。
……?
「……おい中都方。これホントにSIRからか?」
「それは間違いねーよ。SIRはアドレス登録してるから……サブ画面に名前出たし」
「…………?」
SIR団員に連絡。
SIRはこれ以降対政府抵抗組織として組織構造を変革。
本日以降、自己防衛手段として許容される範囲内の武装を許可し、必要があれば節度ある暴動も許容範囲内とした活動を行う。
目的は政府組織の目を引き、国民の意思を明確に奴らに刻みつけること。
今ある政府を力に訴えてでも妥当し、国民の安全を脅かす意見の人間を徹底的に排斥し、今こそ国民の国民による国民のための政府を新たに設立すべく立ち上がれ!
来週より、我らが持っている情報を順次公開する。国民がパニックに陥り、至る所で暴動が起これば、政府はこの事態を放って置くことはもはや不可能。 そのときこそ我ら鼠が猫に噛みつき、日本に革命を起こす。
我ら国民をないがしろにする輩に、今こそ魂の鉄槌を!
……武装だと?そんな話聞いてない。
そもそも非武装組織として発足したはずだと思っていたが……あのあと、何かあったんだろうか。
んー……なんか煮えきらねえな。
かつてないほどの違和感を覚えつつ、俺はもう一度自分の携帯を確認する。やはり、俺の携帯には連絡が入っていない。この手の規模の大きい連絡、幹部の俺に回って来ないわけがねぇんだけどな……
「なんかわかるか?」
「いや、なんにも」
「そうか……SIRって、非武装組織だったと思ったんだがな」
「俺もだ。なんだろ……」 既に、政府から何らかの手回しがされているのか、あるいは……まとまらない予測ばかりが脳内を飛び交い、結局俺は考えるのを止めた。
「タクっ!」
「ん…船上?」
「このメール本当なのっ!?」
「SIRが武装組織になるってやつか?」
「うん」
こいつもか…と俺は内心溜息をついた。さっき中都方に説明するのにたっぷり10分かかった……何でこんなことになったんだか。
「とりあえず断定はできねえ。ただ、一つ言えるのは、確認が取れるまで動くなってことだ。船上、パソコンはどうした?」
「あ、えっと、一応ほとんどいじってない。なんかあったら困るから……」
「よし」
ミィが賢明な奴で助かったと思うのはこういう瞬間だ。直情型なところが無いわけではないが、コイツはけして何も考えてないようなバカではない。
「まあ、起動したりするくらいなら大丈夫だろうけど……ネットに繋ぐときは気を付けろよ」
「ん。わかった。…タク」
「なんだ?」
「タクも気を付けてね」
「……おう」
発言の意図は少し読み切れなかったが、まあ、心配されて悪い気はしないので素直に受け取っておいた。そうだ、このこと松部に伝えとかねえとな……けど、デマかも知れないもんを必要あんのかな……?
悶々としていたら始業のチャイムが鳴った。午後をあと二時間乗り切れば終わりだ。そうしたら、SIRを手伝いにいく手はずになっている。かつてない混沌の渦に巻き込まれつつある、SIRをな。
「ねぇ、タク」
「ん?」
「今日は何月何日でしょう」
「あー……7月、…あれ、何日だっけ」
「もう。7月7日だよ」
「おお。そっか。で、何?」
「…今日はなんの日でしょう」
「7月7日……?」
なんだっけ。
「……七夕だよ……タク、あんた大丈夫?」
「ああ」
あったなそんなの。日本人としての一般常識……だった気がする。まあ、年がら年中晴天、映し出された星が年がら年中輝くこの空間、季節感も何もあったもんじゃないが。
「七夕な。で、どうかした?」
「あのね、セントラルモールで七夕限定セールやるの!そこで配ってるブランドの限定モデルがどうしてもほしくって…」
「そうか。いってらっしゃい」
「タクにも協力してほしいの!」
「何で俺なの……?」
「えー…だってこんなこと頼めるのなんて幼なじみくらいだもん……」
「何を頼むつもりなんだよ」
すると、船上は顔の前でパンッ!と手を合わせて頭を下げてきた。
「あたしの彼氏のフリしてほしいのっ!」
「はぁっ!?」
「カップル限定のペアモデルなの!すっごく可愛くて、どーしてもほしいんだけど、あたしフリーだし……」
「おいおい……」
どっかのライトノベルじゃねぇんだから……なーんか…こんな展開あった気がする。
…………。
逡巡。
…………。
まあ…いいか……。後々面倒なことになっても、まあ、死ぬことはないだろうよ。SIRの方は、俺が行くだけ邪魔だろうし……
だって、SIRきってのメカフリーク、システムフリークが集合してるんだぜ?多少の知識止まりのペーペーの俺が行っても精々お茶汲みだ……
…………はぁ。
「わかったよ……わーったわーった。行きゃいいんだろ?でも、行くだけだからな」
「わ!ホントっ!?ありがとー!」
子供のようにはしゃいで飛び跳ねる船上。ったく…こいつは。時に容姿と年齢に合わないことを始めるので、幼なじみとは言え、いまだにかなり面食らうんだよな…。
「じゃあ、放課後セントラルモール前に!」
「あ?こっから行った方が近くないか?」
「あたしは一回家に帰るから!」
なんで?の問いは先生が入ってくることで遮られた。
まあ、いいか。
俺は直接行けばいいしな。
授業中に船上から送られてきたメールの指定は、午後六時、セントラルモール前、だった。巨大な笹飾りの置かれているそこは、学生が何人も行き交い、ちょっと騒々しい。手にしたコーヒーショップのカップだけがやけに冷たくて、そこだけ別空間に持って行かれたような、そんなうだるような暑さだった。
夕暮れ特有のあの感じですね。
行き交う人の流れを呆然と見つめながら、俺はただ、何をするでもなく手持ち無沙汰で、片手にコーヒースムージー、残りの手に携帯端末を握っていた。
ふと、今まであまり考えていなかったことが頭に浮かんだ。
……なにも知らないんだろうな。
これから起こることも、今起こっていることも、過去に起こってきたことも。全部、知らないんだろうな。
自分たちが置かれている状況はおろか、きっと、これからどうなっていくのかの予測すら立っていないだろう。知らないことは、ある意味一番の強みでもあり、一番の恐怖でもあるだろう。知ってしまったら最後、知らないフリはできない。知らなかったほうがよかったと思っても、手遅れなのだから。
そう思うと、急に自分だけが世界から切り取られたようなそんな気がして、周りが静かになってしまったような気がした。無声映画を見ている、そんな気持ち。
……何でこんなセンチメンタルなんだ俺は……
……ていうか、船上、遅いな。
待ち合わせの時間はとうに過ぎている。
きょろきょろと船上の姿を探す。滅多に遅刻するような奴じゃないだけに、若干不安だった。なんかあった訳じゃないだろうな……
パカン、と音を立てて携帯を開くと、船上からメールが来ていた。……携帯手に持ってたのに……気づかなかった。
十分ほど前に届いていたメールには、六時半過ぎるかも!とのこと。なんだ、律儀に連絡よこしてたのか、と思った矢先、「ごめん!お待たせ!」との声。「おせえぞ」と抗議の声を上げようとして、船上の姿にその声が引っ込んだ。
……浴衣だった。
「着付けてたら遅くなっちゃって……」
「あ、いや……まあ……うん。気にすんなよ」
「そお?」
そんなことを言った船上はその場でクルリと回転して、似合う?と聞いてきた。
…うん、まあ…似合ってる。
…小さい頃浴衣に甚平で夏祭りに行ったことを思い出した。それ以来あいつの浴衣は見ていなかったのだが……見違えていた。
「ねっ!早く行こうよ!」
「あぁ……」
船上に腕を引かれるようにして俺はショッピングモールの中の雑踏に身を投じていった。
「わあぁ!可愛いー!」
キラキラと光るシルバーのペンダントを見ながら船上がそんな声を漏らす。お目当てのブランドのショップ内での彼女はずっとこんな調子だ。
「あっ!これこれ!」
そういって船上が指さしたのは、七夕限定モデル!ペアペンダントトップ、限定販売中!の文字。お目当てはこれだ。
船上に引きずられるようにして店員の元へ。そちらの方とですか?――店員が俺を指し示しながら言う。――と聞かれ、はい!などと調子よく答えている船上。いつの間にか腕と腕を絡め合っているような格好にされていた。……こりゃ、バカップルもびっくりだよな。
「お二人のお名前をお入れしますので、少々お待ちください」
店員の営業スマイルと共に差し出された紙に、指示通り「O.Takuto」と記入。その隣に「S.Emi」と船上。
「なんかほんとのカップルみたい」
「そこで笑うなよ」
「だってぇ」
何がおかしいのか船上はクスクス笑いだした。ワケも分からず待っていると、店員が品物を持って戻ってきた。シンプルだが、味気なさすぎることのないデザインだ。それを受け取り、店を後にする。
「ありがとね!タクのおかげで欲しかったのが手に入った!」
「ん。なんか食おーぜ。腹減った」
「そだねー。じゃあ、今日のお礼ってことで、あたしが奢ってあげる。バイト代入ったしね」
「マジで!?」
「物にもよるけど」
端から見れば完全にカップルのような状態で、俺たちはフードコートに足を踏み入れた。
奢ってもらった担々麺を啜りながら、携帯端末をいじる。メールには、デートが終わってからでいいから作業を手伝いにこいと連絡が入っていた。想像以上に手こずっているから猫の手でも借りたいんだそうだ。というわけで、デート……じゃないと言っても信用してもらえないだろうな。
「ねぇねぇ、これ似合う?」
「んー?……ああ、いいんじゃねえの?」
先ほどのペンダントトップを髪留めのピンのトップ部分に刺していた。
「ねえ、タクってば」
「ん?」
「さっきから携帯ばっかり」
「あ、ああ、わりい」
仕方なく、携帯を机の上に置こうとしたときだった。
手のひらの中でバイブが鳴る。
これだけだから、と携帯を開く。メールの差出人は……久野さん…?珍しいな……
time:19:53
title:無題
text:デート中悪いけど、今すぐSIR本部まで来てくれ。SIR本部の入り口は前と同じ。
…なんだこれ。
久野さんが人をこんなに乱暴に呼び出すなんてことは滅多にない。いや、一度もない。なかった。今この瞬間までは。
余程火急のことなのだろう。俺はドンブリの中に残っていた麺を慌ててかき込んで、ごちそーさま!と手を合わせて立ち上がる。
「あ、ちょっと?私まだ食べてるのに!」
「ごめん。急に本部行かなくちゃならなくなったんだ。だから、ごめん」
「そんな……せめてご飯くらいは、と思ったのに」
「ごめん。呼び出された。だから、」
ミィの顔を直視できない。
泣きそうな顔、してるんだろうな。こいつは昔からいつも、そうだった……
だが、そうではなかった。あいつは、笑っていた。
「わかった。行ってらっしゃい」
「……悪いな」
俺は一言だけそういって、その場を離れた。
振り返らずに、そのままショッピングモールを後にする。
ふと、その耳にすすり泣きが聞こえた気がして、俺は唇をかみしめたのだった。
「悪いね、デート中に」
「デートじゃないんですけどね」
本部に飛び込むやいなや、久野さんが苦笑いした。俺も苦笑いする。
「で、なんすか?いきなり久野さんが人を呼び出すなんて珍しいな…って」
「うん、ちょっと君の携帯を調べたくてね。岬原くん」
「はいはい。ほら、横路、携帯寄越せ」
「なんだよ……」
言われるがままに携帯を差し出した。岬原はそれを自分の端末にUSBコードで繋ぎ、パネルを操作する。しばらくすると、「あった」と声を上げた。
「あった?何が?」
「スパイウェア」
「は!?」
その言葉が信じられなくて、俺は思わず画面をのぞき込んだ。のぞき込んで愕然とした。偽りなく、そこに表示されているのはスパイウェアソフトのコード。一般的によく知られているシロモノとは少し異なっていたが、紛れもなくベースはよく知られてるタイプのモノだった。
「そんな……でも、なんで…?」
「怪しいと思ったんだよ。どうして僕たちの動きの内容があんなに早く公開されたんだろう、ってね。初めはここにいるメンバー以外がリークしたのかと思ったんだ。だけど、違った。犯人はこいつだ」
「そんな!俺、こんなの……」
「わかってる。横路くんの所為じゃない。何も君を犯人扱いしてるんじゃないんだよ」
「横路、お前、前に謎のURLが届いたって言ってたな?」
岬原の問い掛けに、俺は一度肯いた。
あのときは、俺の端末を岬原に預けて……?
「あのとき俺は、お前の端末からあのサイトにアクセスした。そのときにこのソフトが仕込まれたんだ」
「それって……」
「ああ、立派な違法行為さ。アクセス法あたりにはバッチリ抵触するんじゃないかな」
久野さんが笑いながら、そう言った。目が、笑っていなかったが。
「この様子だと、盗聴ソフトも組まれてるな。岬原くん、バイパスとってあるかな?」
「もちろんっすよ」
「一体誰が……」
「まあ、順当に政府だろうね」
久野さんのあまりの即答に思わず息が詰まる。わかっては、いたんだが……
「君だけじゃない。恐らく、このアドレスへ接続を試みた端末機が根こそぎやられてると思った方がいいと思う」
それは――俺の言葉はそれ以上続かなかった。
余りに不特定な数と、その規模の大きさ。日本中でこのアドレスに接続した人間は少数ではないはずだ。
「そうか、だから地上からの直転送アドレスが利いたのか……」
岬原が舌打ちしながらそんなことを言う。確かに、それなら全ての辻褄が合うと言えば合う。
政府の仕掛けた難攻不落の防壁であっても、内側からなら容易に攻略法は簡単に見える。つまり、全てが策略のうち、というわけだ。
「けど、こんなソフト仕掛けて、どれだけ大規模なことしようってんだ…?」
「いや…そこまで大規模なことが目的じゃないかも知れないよ」
「どういうことっすか?」
「あくまで首謀者を割り出すため……とかね?」
会議などの内容を自由に盗聴できれば、その人物がシロかクロかははっきりと分かる。そのために、たとえば不特定多数の人間に対して盗聴ツールを仕掛けて、引っかかった人間のアドレス帳や送受信履歴をチェックさえすれば……
「あっという間に仲間全員の居所やつながりが割れる……」
「そういうことさ」
久野さんが笑顔を作るが、やっぱりその眼は笑っていない。笑える方がむしろ、不思議なくらいだが。
「というわけで、横路くん、君の携帯のデータを破壊しようと思うんだ。申し訳ないが」
「いいですよ……こうなったからには仕方がないですから」
「飲み込みと同意が早くてありがたいよ。電話番号とアドレスも全部変えることになるけど……」
「いい…です」
この集まりが続かない方が俺には怖かった。それなら、携帯データの一つくらい……
「じゃあ……」
「え?」
久野さんが取り出したのは、巨大なハンマー。
「ちょ、ちょっと……」
「解約とか、削除だと感づかれるからね。携帯本体が事故かなんかで破損したってことにするよ」
「え…」
「大丈夫。スパイウェア導入前の君の携帯のバックアップが取ってあるから。それをこっちの端末に移してすぐに返すよ」
「いや、あの、ちょっと……」
えぇぇぇぇ!
俺が絶叫している間に、床に置かれた携帯にハンマーを振り下ろす久野さん。
こうして物理的破壊によって、スパイウェアの脅威は一時的とはいえ去ったのであった。
……しかし、本陣の悲劇がこれからだと言うことを、この時の俺たちはまだ、知らなかった。