お嬢様と謝罪
急いで支払いに戻り、場所は町長の屋敷へと移る。
古くからある事は一目で分かるが、よく手入れされている屋敷の門を叩いた二人は使用人から応接室へと通された。
使用人に通された応接室。そこに並んでいたのは、使い古されながらも磨き抜かれた椅子と、簡素な木製のテーブル。だが、何よりヴィクトリアの目を引いたのは、その奥の壁であった。おそらく絵画が飾っていたであろう四角く色が変わっている壁。
町長とは言え、物を売りに出さない事には生活が出来ないのだとヴィクトリアは察した。
(お父様……一体何故ここまでする必要があるのかしら?)
そして気がつき、視線を落とす。細く、白い自分の指。
ニーナのように手荒れしていることもない。串焼きの店主のように炭で汚れるいるわけでもない。傷一つない美しい指。
この細い指が、かつてはどれほど無自覚に、奪われた富の上に胡坐をかいていたことか。
「……お嬢様。いいですか? 今は『ヴィクトリア』ですよ」
隣でニーナが、小さな声で、けれど鋭く釘を刺す。その真剣な眼差しに、ヴィクトリアは小さく頷く。
ほどなくして、重々しい足音と共に、疲れ切った、けれど鋭い眼光を宿した一人の老人が姿を現した。
「お待たせいたしました。町長のダレンと申します」
小さく頭を下げたダレンはテーブルを挟んで向かいの椅子に腰を下ろした。
「それで……旅のお方が、この枯れ果てた街の町長に何の御用かな? お引き取り願おう。見ての通り、あんたたちに振る舞える茶も、奪える金もありはせん」
ダレンは、組んだ手の隙間から二人を観察するように言った。
目を引くのはその見た目ではある。ヴィクトリアは言わずもがな、ニーナも町娘であれば高嶺の花となるだろう。月の女神と花の妖精が、なぜここに現れたのか町長は分からなかった。
「……いいえ、ダレン様。わたくしが求めているのは、貴方の金ではございませんわ。むしろ、逆ですの」
ダレンはヴィクトリアへと視線を向けた。
初めて視線があった二人。
「わたくしはこの街を潤したいのですわ」
「いったいどの口が……ヴィクトリア・セプタム公爵令嬢が……潤す?一体誰がこの増税を強いたと思っているんだ?」
「……左様ですわ。この増税を強いたのは、わたくしの父。セプタム公爵に他なりませんわ」
ヴィクトリアは、逃げることなくダレンの眼光を受け止めた。その瞳には、ただ静かな覚悟だけが宿っている。
「……分かっているなら話は早い。公爵の愛娘が、今さら何の慈悲だ。施しか? それとも、さらに絞れる血が残っているか確認しに来たのか!」
ダレンの声が荒くなる。組んでいた手は震え、机を叩く音に応接室の埃が舞った。
ふぅと息を吐きヴィクトリアは椅子から立ち上がり、その場に跪かんばかりの深い、深いお辞儀をした。銀色の髪が、テーブルに垂れる。
「……なっ……!?」
「わたくしの一族が、この街にご迷惑をおかけしたこと……心より、お詫びいたします」
「頭を下げて済むか! この部屋から消えた名画が、領民が!失った笑顔が!それで戻ると思っているのか!」
ダレンの怒号が部屋に響き渡る。……しかし、その横でずっと黙って控えていたニーナの眉間が、ぴりりと動いた。
「お前の!お前達の一族が!自分達の贅沢の為に、この街!この領の民に重税を課して、何を施した!?」
せき止められていた川の水が決壊したかのように、ダレンの言葉は留まることを知らなかった。
机を叩く拳は赤く染まり、その震えは怒りゆえか、あるいはこれまで必死に堪えてきた悲しみゆえか。
「見て見ぬふりをしてきたのではないのか!? 豪華なドレスの裾を汚さぬよう、泥を啜る我々を高い窓から見下ろしていたのではないのか!」
ダレンの怒声が、応接室の冷えた空気の中を荒れ狂う。
ヴィクトリアは、深く頭を下げたまま、そのすべてを黙って受け止めていた。
テーブルに垂れた銀髪が、ダレンの言葉の重みに耐えるように微かに揺れる。
――反論など、あるはずもなかった。
現に自分は、この街がこれほどまでに色を失っていることさえ、ここに来るまで知ろうともしなかったのだから。
「答えろ! 公爵令嬢! 今さら何を潤すというんだ! 枯れ果てた大地に、お前の高価な香水でも振りまくつもりか!」
その時だった。
ヴィクトリアの隣で、ずっと影のように控えていたニーナの肩が、大きく跳ねたのは。
「黙って聞いてれば、いい加減にしなさいよ!」
ダンッと、机を叩きニーナが怒鳴った。
頭を下げたヴィクトリアの視線が、言葉を吐こうとしたダレンの視線がニーナへと移る。
「このお嬢様が!どんな覚悟で来たと思ってるの?きっとそんな高尚なものは持ち合わせていない!けど、この街を何とかしたいって気持ちはきっと嘘じゃない!」
顔を真っ赤にして――
ダレンの口から漏れるのは行き場を失った息。
「この格好をみて分からない?貴族のようなドレスを着てるの?親から勘当されても、それでも頭を下げて謝ってるお嬢様に何でそんな酷いこと言えるの!?」
目尻に涙を浮かべながら――
勘当された事などダレンは知らない。知らないが、ニーナの剣幕に気圧される。
「ニーナ、やめなさい。これはわたくしの――」
ヴィクトリアがニーナを止めに入る為、手を差し出すが、ニーナはその手を振り払う。
「やめません!あんな最低な父親のしでかした事に頭を下げてる娘にどうしてアンタはそんな酷い事を言えるんだ!」
怒っている人間のすぐ隣でより怒っている人がいたら冷静になるそれと同じである。
ダレンはニーナから怒鳴られた言葉の欠片を繋ぎ合わせる。
勘当された、それでも頭を下げている。
つまり、自分は関係があるようで関係のない第三者に頭を下げさせ、怒鳴り散らしたと理解した。
それでもお構いなしにニーナは感情のまま怒鳴ろうとした時――
「ニーナ!」
一喝。ヴィクトリアの言葉にニーナの目が見開かれる。
「ニーナ、ありがとう。でも、これはわたくしの問題よ。下がっていなさい」
「でも、お嬢様……私、お嬢様が……こんなのっ」
涙混じりの声を響かせるニーナの肩を優しく押さえ、椅子へと座らせた。
「重ねてありがとう。後はわたくしにお任せくださいな」
ニーナの涙をその指で拭い、ヴィクトリアは再びダレンへと向き直る。
先程までの敵意はニーナによって徹底的に削ぎ落とされていた。
「わたくしの従者が失礼しましたわ。わたくしに言いたい事があるなら今のうちに」
「いえ……いい従者ですね。主人の為にここまで怒れる従者なんて初めてです。私からも謝罪を――何も知らないのに知った口で責め立てて申し訳ございません」
そう言って頭を下げたダレンである。
「ええ。受け入れますわ。そうですわね、わたくしにとって最高の従者ですわ――高尚でもない、碌な父親でもないわたくしについて来てくれてますもの」
それはそうと、ニーナが言ったことはしっかりと刺さっているヴィクトリアであった。
ニーナの肩が震えた。




