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悪魔の花嫁 エルフの花婿 〜悪魔のぼくと美人なエルフのお姉さん〜  作者: よるねこ


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12/22

第十二話 天才美少女魔導師が実はすごかった日の話

 翌朝は、妙に早かった。


 まだ空が白みきる前の、夜の冷えが床板に残っているような時間に、部屋の扉が叩かれた。乾いた音が三つ、間を置いて二つ。寝台の上で丸くなっていたシロウは、その音だけで肩を跳ねさせた。


 知らない土地では、扉の音ひとつでも心臓に悪い。


「……はい」


 寝起きで掠れた声を返すと、すぐ向こうから明るい声が落ちてきた。


「わたし」


 聞き覚えがありすぎた。


 シロウは目を閉じた。寝たふりという言葉が頭をよぎる。だが、隣の寝台ではリテュシアがもう上体を起こしていた。金の髪を指で払い、寝起きだというのに顔には迷いがない。


「早いですね」


 扉を開けたリテュシアが言うと、外に立っていたユーナは、何の遠慮もなく片手を上げた。


「人が少ない時間の方が都合いいからね」


 昨日と同じ焦げ跡のある外套を羽織り、朝の冷気に少しも気後れせず立っている。シロウは布団から半分だけ顔を出し、心の底から嫌そうな声を出した。


「帰ってください……」


「起きてるならいいじゃん」


「よくないです」


 ユーナは返事もしないうちに部屋へ入ってきた。遠慮というものを持っていない。リテュシアも止めない。昨日からずっとそうだが、この二人は、止めるべきところと流すところの線引きが、シロウにとってひどく厳しい。


 結局、観念して起き上がることになる。


 水差しの冷えた水で顔をぬぐい、髪を整え、外套を羽織る。まだ頭は半分寝ていたが、卓の上に置かれた首輪型の魔道具を見た途端、眠気は少し飛んだ。昨日ユーナが置いていった、顔の印象をぼかすというあれだ。


 ユーナは椅子に座るなり、その首輪をつまみ上げた。


「じゃあ、まずこれ試そう」


「今ですか」


「今だよ」


 細く、地味な輪だった。見た目だけなら、値打ちのある品にはとても見えない。だが昨日聞いた値段を思い出すだけで、迂闊に触るのもためらわれる。


 シロウは恐る恐る受け取った。


 金属はひやりとしている。首に回し、留め具を合わせると、かすかな魔力の流れが首筋を撫でた。だが、それだけだ。自分では何も分からない。鏡でもあればまだしも、この部屋にそんな気の利いたものはない。


「……どうですか」


 真っ先に尋ねた先はリテュシアだった。


 リテュシアは正面からじっと見る。数拍の沈黙のあと、首を傾げた。


「そんなに変わりませんね」


 シロウは露骨に顔を曇らせた。


「変わらないんですか」


「だから、それはそうだって」


 ユーナが肩をすくめる。


「リテュシアちゃんは元からシロウくんを認識してるでしょ。こういうのは、知らない相手がぱっと見た時の引っかかりを弱めるの。知ってる相手には効きが薄い」


「では試しようがないのでは」


「あるよ。ほら、一回後ろ向いて」


 言われた通り、リテュシアが窓の方へ身体ごと向く。そのまま少し間を置いてから振り返り、改めてシロウを見た。


 今度は、その瞳がわずかに細くなる。


「……なるほど」


 シロウが身を乗り出す。


「分かるんですか」


「はい」


「どうですか」


 リテュシアは少し考え、それから率直に言った。


「何となく、ぎりぎり悪魔ではない感じがします」


 シロウの肩が落ちた。


「ぎりぎりなんですね……」


「十分でしょ」


 ユーナは笑う。


「知らない人がちらっと見た時に、悪魔だってところまで思考が進みにくい。それで充分。だからわざわざ早朝に来たんだし」


 その言葉で、シロウもようやく納得した。人の多い時間に街へ出て、失敗したら目も当てられない。そういう意味では、この時間を選んだのはありがたい。


 リテュシアは首輪を見たまま問う。


「かなり良い品ですね」


「良いよ」


「昨日も聞きましたが、本当にその値段なのですか」


「二つで金貨三十枚くらい」


 シロウは反射的に首へ手をやった。


「今、そんなものを着けてるんですか」


「そうだよ」


「怖いんですけど」


 ユーナはけろりとしている。


 リテュシアはその横顔を見て、改めて相手を測り直した。魔道具を撃ってくる危険人物であることに変わりはない。だが、それだけでは済まない。自分でその品を作り、平然と手元から出せるだけの技術と資金を持っている。


「外で試しますか」


 リテュシアが言う。


「そうしよう」


 ユーナはすぐ立ち上がった。


 三人で宿を出る。


 朝の空気はまだ冷たく、人の姿もまばらだった。露店を開ける準備の音、荷車の軋む音、遠くで金属を打つ乾いた響き。昨日の喧騒が嘘のように静かだが、それでも魔道都市特有の焦げた匂いは消えない。


 シロウは外へ出た時点で、もう肩が固くなっていた。


 フードを深く被ったまま歩く。昨日のことが頭から離れない。通りの真ん中で魔道具を撃ち込まれた時の衝撃と、そのあと集まった視線。あんなものを一度味わえば、街そのものが怖くなる。


「ほら、下ろしてみて」


 ユーナが軽く言った。


 シロウはびくりとした。


「今ですか」


「今だよ」


「まだ早い気がします」


「それを試しに来たんでしょ」


 その通りで、反論しづらい。シロウは困ってリテュシアを見る。


 リテュシアは迷いなく頷いた。


「やってみてください」


 その一言で逃げ道が消える。


 シロウはしぶしぶフードへ手を伸ばし、少しずつ顔を出した。冷えた空気が頬を撫でる。牙も肌も変わっていないはずなのに、それでも昨日よりましに感じるのは、首の魔道具の存在を知っているからだろうか。


 通りを歩く人影が近づき、すれ違う。


 誰かの目に入っていないわけではない。


 だが、誰も立ち止まらない。


 振り返られない。


 怪物でも見るような露骨な視線が飛んでこない。


 シロウは思わず足を止めた。


「……見られてない」


「見えてはいるよ」


 ユーナが横で言う。


「でも、その先へ行きにくい。何だろうって意識が深く引っかからない。そういう感じ」


 シロウは頬に触れた。何一つ変わっていないのに、周囲の反応だけが違う。それが不思議で、ありがたくて、胸の奥が少し熱くなる。


 リテュシアも周囲を見渡し、小さく頷いた。


「なかなかすごいですね」


「でしょ」


「ただ」


 ユーナが一本指を立てる。


「尻尾と翼は別だからね。顔が何とかなっても、そこまで見せたら終わり。そこは注意」


「はい」


 シロウは素直に頷いた。


 その素直さを見て、ユーナの口元がわずかに歪む。計算の混じる笑みだ。これだけ真っ直ぐに礼を言い、言われれば試し、信じた相手に判断を委ねる。扱いやすいと言えば扱いやすい。だからこそ、自分の手の届く場所へ引き込んだ方が安全だと判断できる。


 シロウはその計算に気づかない。


「ありがとうございます、ユーナさん」


 真面目に頭まで下げた。


 ユーナは軽く笑って手を振る。


「どういたしまして」


 リテュシアだけが、その笑みの意味を見ていた。善意だけで動く相手ならまだ楽だった。利益だけで動く相手なら、もっと単純だった。だがユーナは、その両方を同時に持っている。そこが厄介だ。


 三人はそのまま研究区画へ向かった。


 宿屋や店の並ぶ通りとは空気が違う。大きな石造りの建物が増え、荷車には木箱だけでなく金属枠や管のようなものまで積まれている。窓から青い光が漏れる建物もあれば、どこかで何かが弾ける音もする。魔道都市の心臓部と呼ぶべき場所なのだろう。


 シロウは一歩進むごとに落ち着かなくなった。


「怖いんですけど」


「ここでは普通だよ」


「普通にしないでください」


 ユーナは笑って先へ進む。


 やがて、一際大きな建物の前で足を止めた。門の向こうには人の出入りがあり、荷を運ぶ者、紙束を抱える者、作業着のようなものを纏う者が忙しそうに動いている。


 シロウは口を開けた。


「ここ、ですか」


「そう」


「大きいですね……」


「それなりには」


 ユーナは平然と中へ入る。


 内部の空気はさらに濃かった。魔石の乾いた気配、熱せられた金属の匂い、紙と薬液の混じったような匂い。棚には部品や石が並び、卓の上には分解された魔道具や図面が散らばっている。別の部屋では誰かが作業している音も聞こえた。


 シロウはきょろきょろと視線を動かす。


「すごい……」


「危険そうなものも多いですね」


 リテュシアの声は変わらない。


 ユーナは頷いた。


「危ないよ。危ないから高いし、高いから儲かる」


 その言い方が実にこの女らしい。


 奥の部屋へ通される。そこが中心らしかった。図面の束、魔石、作りかけの魔道具、記録の紙束。散らかっているようでいて、ユーナには全部位置が分かっているのだろう。迷いなく自分の椅子へ腰を下ろした。


「ここで魔道具作って、魔石も見て、あとは色々」


「色々とは」


 リテュシアが問う。


「アーシアン探したり、保護したり」


 シロウが顔を上げる。


「保護してるんですか」


「できる範囲でね」


 ユーナは肩をすくめた。


「全部は無理。そんな力はないし、この街だけでも拾いきれない。でも、一人でも拾えればゼロじゃない」


 軽い言い方なのに、その芯だけはぶれなかった。


 シロウはしばらく黙っていたが、やがて小さく言う。


「すごいです」


「何が」


「だって、探して、助けてるんですよね」


「助けられるところだけだよ」


「それでもです」


 シロウの目は真っ直ぐだった。


 ユーナは一瞬だけ言葉を失ったように見えたが、そこへリテュシアが淡々と差し込む。


「ただの慈善ではないのでしょう」


「うん」


 ユーナは即答した。


「向こうの知識は何かと金になるし、研究としても価値がある。善意だけだと続かない」


 悪びれた様子はない。


 リテュシアは小さく頷いた。


「その方が信用できます」


「そこ褒める?」


「善意だけでは守れないものがあります」


 そう言ってから、リテュシアはシロウを見た。


「金になる。立場になる。利益になる。だからこそ続けられることもあります」


 シロウは少し困った顔をしたが、否定はしなかった。昨日の首輪ひとつで、そういう話が机上の空論ではないと分かっている。


 ユーナはそこで机を軽く叩いた。


「じゃあ本題」


 シロウのしっぽが外套の下で小さく揺れる。嫌な予感しかしない。


「二人とも、うちに雇われる気ない?」


「は?」


 間の抜けた声を出したのはシロウだった。


 リテュシアは黙って続きを待つ。


 ユーナは指を二本立てた。


「リテュシアちゃんは研究室のスタッフ。シロウくんは、表向きうちの実験動物」


「嫌です」


 今度は驚くほど早く答えた。


 ユーナが笑う。


「そこだけ反応いいね」


「よくないです。何でぼくがそうなるんですか」


「その方が守りやすいから」


 言い方はひどい。だが続く言葉は妙に筋が通っていた。


「この街で身分無しは危ない。特にシロウくんはね。でも、わたしの研究室所属って形なら話が変わる。スタッフに勝手に手を出すのも面倒だし、実験動物に勝手に手を出しても面倒。よそが何かしたら正式に返還請求もできる」


 リテュシアは即座にそこを読む。


「安全性が上がる」


「かなり」


「宿暮らしを続けるよりは」


「ずっとまし」


 シロウは嫌そうな顔のままだった。物みたいに言われるのは腹立たしいし、怖い。だが、全てを切り捨てるほどの材料もない。


 ユーナは続ける。


「わたし、若いけど教授だし。この研究室、魔道都市でもかなり稼いでる。発言力はあるよ」


 その一言で重みが増す。


 リテュシアは短く息を吐いた。


「どうしますか」


 それは自分にもシロウにも向けた声だった。


 シロウはしばらく悩み、それから正直に言う。


「怖いです」


「そうですね」


「でも、一人じゃ無理です」


「それもそうです」


 短い会話だったが、そこでほぼ答えは決まった。


 リテュシアがユーナを見る。


「一時的なら受けます」


「いいよ」


「完全に身を預ける気はありません」


「こっちも今すぐ全部信用してるわけじゃないし」


 ユーナは軽いまま返した。


 シロウはまだ渋い顔をしていたが、リテュシアが決めたなら従うしかない。


「シロウ」


「……はい」


「今よりはましです」


 その言葉で、シロウは小さく頷いた。


「分かりました」


 ユーナの目がまた細くなる。やはり引き込みやすい。そう判断している顔だった。


「じゃあ住むところもこっちでいいね」


 ユーナが続ける。


「宿代、もったいないでしょ。部屋あるし、わたしと同居で良ければ使っていいよ」


「同居」


 シロウの顔が少し引きつる。


 リテュシアはすぐに問う。


「部屋は分かれていますか」


「もちろん」


「なら問題ありません」


 答えが早い。


 シロウは驚いたようにリテュシアを見るが、リテュシアは表情を変えなかった。研究室に近く、安全で、金も浮く。理屈だけで見れば断る理由は薄い。


「荷物を取りに戻ります」


 リテュシアが言う。


「戻ったら部屋に案内するよ」


 ユーナは気軽だった。


 部屋を出る直前、ユーナがするりとリテュシアの近くへ寄る。


 シロウは一歩遅れていた。


 その隙を突くように、ユーナが声を潜める。


「悪魔が普通に増えるか興味あるんだ」


 耳元へ落ちたその一言に、リテュシアは最初意味を取り損ねた。


 だが、次の瞬間、頬に熱が集まる。


「……何を」


「何でもないよ」


 ユーナは笑って離れた。


 リテュシアは無表情を保とうとしたが、耳の先まで熱い。そこでシロウが振り返った。


「どうしました」


「何でもありません」


 少しだけ早口になった。


 シロウは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。


 二人は研究室を出て、宿へ向かった。


 来た時よりも街は賑やかになっている。人も増えた。けれど首輪型魔道具のおかげで、シロウの呼吸は昨日ほど乱れていない。怖さはある。それでも歩ける。それだけで十分だった。


 リテュシアは表面上いつも通りだが、内心では計算を続けていた。安全性は上がる。身分も得られる。だが、その代わりにユーナとの距離は一気に縮まる。


 それでも、今はこの選択が最善だ。


 宿へ戻り、荷物をまとめる。見慣れた卓、寝台、荷物の袋。まだそう長くいたわけでもないのに、ここを離れると決まると妙に落ち着かない。


 シロウは自分の荷物をまとめながら、ぽつりと言った。


「何か、急ですね」


「そうですね」


 リテュシアは短く答える。


「でも、昨日からずっと急だった気もします」


「それは……そうです」


 シロウは少しだけ苦笑した。


 怖い。落ち着かない。けれど、首輪の効果も、研究室の規模も、ユーナの立場も見てしまった今、ここに留まり続ける方が危ういとも分かる。


 荷をまとめる手を止めて、シロウは小さく言った。


「でも、さっきはちょっとだけ歩きやすかったです」


 リテュシアの手が一瞬だけ止まる。


「そうですか」


「はい」


「なら、それは良かったですね」


 それだけだった。


 だが、その短い返事で十分だった。シロウは少しだけ肩の力を抜き、もう一度荷物へ手を伸ばす。


 外では魔道都市の朝が、すっかり本来の騒がしさを取り戻していた。


 新しい場所へ移る準備は整いつつある。


 それが救いになるのか、さらなる面倒の始まりになるのか、まだ誰にも分からなかった。

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