第11章 解析不能な夜の質量
至近距離。
(……うっ、叔父さん、近すぎる!)
鷹宮から放たれる圧倒的な熱量と肌を刺すような視線で、悠斗の脳内データベースは処理不能なエラーを吐き出し、思考回路が完全にショートした。耳の奥で心臓がドラムのように爆音を鳴らし、医学生としての分析すらできず、ただ熱いという感覚だけが全身を支配する。これ以上見つめられたら中身まで暴かれる。本能的な恐怖に突き動かされ、喉の奥から絞り出したのは最短の拒絶だった。
「で、…電気……っ」
鷹宮がその掠れた声を聞き届け、無言でスイッチに手を伸ばす。カチリという硬質な音と共に、世界が深い闇に沈む。視界が消え、ようやく見られるという恐怖から逃れたその瞬間だった。
(……えっ!?)
背中に大きな掌が回る。視覚が遮断されたことで、かえって他の感覚が異常なほど研ぎ澄まされる。バスタオルがはだけた隙間から、鷹宮の指先が迷いなく悠斗の背中を這った。自分ですら忘れてしまった、死守したはずの赤いホクロをなぞられた。
「……っ、ぁ…………っ!!」
(っ……!?待て、なんで今そこを狙う……いや、そもそもおかしいだろ。……電気消させたのに、なんでそこをピンポイントでなぞれるんだよ……ッ!!)
悠斗の背筋に熱く鋭い電流が走る。それは恐怖ではなく、今まで知らなかった種類の、体の芯から生まれる未知の震えだった。悠斗の呼吸が急激に乱れ、のぼせた肌が一層熱を帯びていく。
「……ここだよな。……隠しても、無駄だ」
(……って、え?今なんて……?叔父さん、中身が俺だって分かって……じゃねえよな!?)
悠斗の理性がその矛盾を解き明かす前に、鷹宮の逞しい腕が腰に巻かれたタオルの内側へと滑り込む。
(……っ、なに!?)
「……熱いな、蓮」
低い囁きと共に、鷹宮の手が直接悠斗のを握りしめた。
「あ…………、だめ……っ」
容赦のない動きに、悠斗の脳は完全にフリーズした。医学の知識も、偽物としての警戒心も、すべてが熱に溶けて蒸発していく。女の子と手を繋ぐのに3ヶ月かかる男にとって、このショートカットすぎる展開は致死量だ。ただただ与えられる快感に振り回され、激しい呼吸と衣擦れの音だけが響く。
……数分後。
悠斗は短い悲鳴を上げ、弓なりに背を反らせた。
事後の脱力感とまだ残る熱の余韻に包まれ、悠斗の意識はもうろうとしていたが、鷹宮の言葉がその霧を切り裂く。
「……早いな、蓮。……気持ちよかったか?」
(死にてえ……。なにストレートに聞いてんだよ!……叔父さんに『手出し』されたとか、どんなバグだよ!!)
羞恥心が限界を突破し、逃げ出そうと身をよじる。だが、鷹宮の掌がベッドに縫い付けるように強く押さえた。
「……待て。どこへ行く?」
「……離……して……っ」
耳元で、さらに熱を帯びた声が重なる。
「自分だけスッキリして逃げようとするな。次は、俺の番だ」
「……え……?」
低い宣言と共に、鷹宮の体が背後から覆いかぶさってくる。
(……ひっ、無理無理!!このままじゃ俺、叔父さんに……)
侵食されるという生存本能が火を噴く。震える指先で、悠斗は縋り付くように背後の男の手を止めた。
「……待っ、……て……っ。……おれ、……やる、から……っ」
(せめて、背面からの侵攻だけは阻止しなきゃ……!時間稼ぎだ、これは高度な遅滞作戦なんだ!)
医学的根拠ゼロの提案に、鷹宮は動きを止め、暗闇の中で悠斗の項を甘噛みした。
「……ほう。やってくれるのか」
意を決し、悠斗の手が鷹宮の方へと伸びる。触れた瞬間、悠斗の時空が歪んだ。
(…………嘘だろ。何だこれ、標本レベルが違いすぎる!)
圧倒的な質量。それは、悠斗が今まで「男の標準規格」として認識していたデータを遥かに超越していた。
「どうした。そんなに、好きか?」
「……っ!? ……ちがっ、……ぁ……っ」
(好きじゃねえよ!驚異だよ!やべえ、これ以上成長させたらマジで壊される。鎮めなきゃ……この暴走を止めるしかねえ!)
悠斗はがむしゃらに手を動かし始めた。5分、10分……。
(……まだ、終わんねーのかよ……っ!?)
悠斗は必死に頑張っても、相手は終わる気配が全くない。
医学的な知識などどこかへ吹き飛び、生存本能だけで、腕がだるくなるほど手を動かし続けた。
(……うそだろ。これ、人間のバイオリズムじゃねえ……っ。叔父さん、バイアグラの過剰摂取でもしてんのかよ!?握力が……俺の筋力が限界だ……っ)
ようやくその時が訪れたのは、悠斗の意識が遠のき始めた頃、30分後のことだった。
名前を呼ぶ余裕すら奪われたのか、鷹宮は低く、獣のような声を漏らして悠斗の手の中で激しく跳ねた。指の間から伝わる熱い感触に、悠斗はガタガタと震えながらシーツを掴んだ。解放感と虚脱感というよりは生還の心地で、悠斗はベッドに沈み込む。
鷹宮は、暗闇に目が慣れたのか、シーツに突っ伏して肩で息をする悠斗をじっと見つめていた。その瞳にはまだ獰猛な色が残っていたが、悠斗のあまりの消耗ぶりに、それ以上の追及を思い止まったようだった。
「疲れたか?一緒にシャワーを浴びてやる」
その言葉に、悠斗の生存本能が再び跳ねた。
(……無理!絶対無理!一緒にシャワーなんて、二次災害が起きる未来しか見えねえ!)
悠斗は返事の代わりに布団をひったくるように体に巻き付け、芋虫のように丸まった。顔半分まで布団に埋め、全力の無言拒絶を示す。その様子を眺めていた鷹宮は、ふっと短く愉しげに笑った。
「……ふっ、そうか。……なら、先に浴びてくる」
大きな手が悠斗の頭を優しく撫で、鷹宮は悠斗を追い詰めることなく、悠然とした足取りでシャワー室へと消えていった。
浴室から水の音が聞こえ始めた瞬間、悠斗はバネのように跳ね起きた。
(今のうちだ!今のうちに……ッ!!)
悠斗は自分の持ち物が勝手に移動された先であろう鷹宮のクローゼットへと這いずるように向かった。暗闇の中、手探りで身を隠すための衣類を必死に探し出し、自分のスウェットをひっ掴む。裏返しだろうがなんだろうが構わず、無理やり服を身にまとった。
数分後、シャワー室のドアが開く音がした。
「蓮、次はお前の……」
「……すみませんッ!!」
一瞬、肩が触れ合うほどの至近距離ですれ違い、鷹宮の言葉を最後まで聞く余裕もなく、悠斗はシャワー室へ突進した。
バタンッと鍵を閉め、冷水を頭から被った。ガタガタと震える膝を抱えて、必死に現状を医学的に解釈しようと試みる。
(……落ち着け。今の現象を整理しろ。……心拍数160超、血中アドレナリン濃度は極限、これは闘争・逃走反応だ。……でも、あの感触、医学的に説明がつかねえ……。あのサイズ、人体解剖図の比率を無視してないか!?)
浴室の鏡に映る自分は、湯気と羞恥で真っ赤に茹で上がっている。
「……蓮。いつまで入っているつもりだ?」
「ひっ……!!」
外からの低い声に、悠斗は震えながらパジャマを着込み、断頭台へ向かう覚悟でドアを開けた。
寝室に戻ると、そこには既にベッドに腰掛け、薄いガウンを纏っただけの鷹宮が待っていた。部屋の隅で硬直する悠斗が一歩も動けずにいると、鷹宮が静かにベッドの端を叩いた。
「蓮、こっちに来なさい。……言わせるな」
(……うわ、怖っ!)
逆らえば、もっと恐ろしいことが起きる。そう直感した悠斗は牛歩の速度でベッドへと近づき、シーツの端に申し訳程度に腰を下ろした。
「寝るぞ」
鷹宮の逞しい腕が背後から悠斗を絡め取り、そのままベッドの中央へと引き寄せた。
「あ…………っ」
悠斗の背中に、鷹宮の胸板がぴったりと密着する。後ろから抱きしめられる形になり、首筋には熱を帯びた鷹宮の吐息がかかる。
(……心臓、止まる……!また何か……何かされる……っ!!)
「……動くな。……そのまま寝ろ」
鷹宮の大きな手が悠斗の腹部を横切って固定し、逃げ道を完全に塞ぐ。
(……寝れるわけねーだろ!!絶対、隙を見てまた攻めてくるつもりだ……。よし、徹夜だ。朝まで一睡もせずに警戒してやる……!)
暗闇の中、悠斗は目を見開き、全身の筋肉を硬直させて、背後の動向を伺い続ける。しかし、伝わってくる体温はあまりに心地よく、格闘した後の疲労が、重い鉛のように悠斗の意識を深い場所へと引きずり込んでいった。
翌朝。
(……ん、……あったかい…………)
深い眠りの底から意識が浮上した瞬間、悠斗が最初に感じたのは、質の良い羽毛布団以上の重厚で安心感のある熱だった。
頬に触れる滑らかな生地の質感が心地よくて、悠斗は無意識にその熱に顔を埋め、さらに強く抱きついた。
(……この抱き枕、最高。低反発だけど適度な弾力があって、……なんか、筋肉質だけど、……ん?筋肉質?)
その単語が脳を通過した瞬間、悠斗の意識が火花を散らして覚醒した。
恐る恐る目を開けた視界の先は、はだけたガウンから覗く鷹宮の逞しい大胸筋だった。しかもあろうことか、自分から子猫のようにしがみついている。
(うそだろ……ッ!!警戒しろって言ったろ俺の脳!!なんで、フル装備で密着してんだよ!!)
パニックを起こそうとした悠斗の思考は、ある異変に気づいて全身から血の気が引いた。鷹宮のガウンの胸元に、朝の光を浴びて……怪しく光る「染み」が広がっている。
(終わった。……医学的知見を動員するまでもない。これ、俺のヨダレだ……ッ!!)
「……おはよう、蓮。随分と熱烈な目覚めだな」
頭上から降ってきたのは、寝起き特有の低く愉しげな声だった。悠斗の動きが、蛇に睨まれた蛙のように凍りつく。
昨夜の底知れない疑惑も、執着の余韻も、すべてはあまりに情けないヨダレの跡と、意地の悪い微笑を浮かべる鷹宮という現実の前に霧散した。
(……逃げろ。一刻も早くこの場を離脱して、脳を初期化しろ……っ!!)
医学的知見も生存本能も、すべてが羞恥パニックに塗りつぶされる。最悪の目覚めから始まる、悠斗の必死すぎる朝の生存戦略へ続く。
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