お買い物③
「じゃ、ルナはルナで欲しい服でも選んでてくれ。母さんからその分の金は貰ってるからさ」
服屋「しもむら」に入って早々に、リアはルナと反対方向のメンズコーナーへと向かう。
「お姉様!? そっちは男物の服しかありませんよ!?」
案の定、ルナは制止の言葉をかけてくるが無視だ。男物しかない? 分かってる。だから向かっているのだ。身体は女の子になってしまったが、心はまだまだ男の子。これ以上、辛い思いをしてまで女物の服を着るつもりはない。
(だいたい、なぜ私生活にまで女物の服を着なくてはならない。どいつもこいつも女物の服を着せようとしやがって!!)
とりあえず春先で暖かくなってきているのを考慮して、Tシャツ売り場に行こうとしたその時。
「っ!! 待ってくださいお姉様!!」
「うぉっ」
急に後ろに引っ張られるような感覚で足が止まる。振り返ると、ルナの体が青白く光っていた。また念力魔法かと、少々面倒クセェなという雰囲気を出しながら振り返る。
「はぁ、なんだよ」
かったるそうなジト目を向けてくるリアに対して、ルナは俯きながら口を開く。
その言葉は、どうせまた必死に説得してくるのだろうと予想していたのだが、その予想の範疇からだいぶかけ離れたものだった。
「ファーストファンタジーIII」
「……ん?」
ルナの呟いた言葉に、ゲーム好きは反応してしまう。
それは、先週発売したばかりの大人気ゲームソフト「ファーストファンタジーシリーズ」略して「ファスファン」の3作目のタイトルだ。リアは一応、通販サイトMiturinで様々な特典付きの限定版を予約していたのだが、限定版の予約が締め切られた後で実家の場所が宅配範囲外になった為、泣く泣く購入を諦めたのは記憶に新しい。
……でも、それがどうしたというのだろう?
疑問に思い頭の中にハテナを浮かべていると、ルナがニヤリと微笑むのが見えた。
「限定版に店舗特典のついたファスファンIII、実は買ってあるんですよ」
リアの耳がピクリと動く。
「……なに?」
限定版を買ってある……?
入手を諦めていた限定版をルナが?
それは、凄く羨ましい。できるのならめちゃくちゃ欲しい。
(でも、ゲームはあまりしないルナがなんで買ったんだ?)
そうリアが再び疑問に思うのと同時に、ルナは口を開く。
「ふふっ、買ってはありますが、まだパッケージを開けてはいませんよお姉様。どうしてだと思います?」
ルナの笑みが濃くなっていく。
意味が分からず考え込むリアを他所に、ルナは大仰な仕草で両手を広げると笑みを深くしていった。
「実は、お姉様にプレゼントする為です」
その言葉に、リアは弾かれたようにルナの顔を凝視する。なんだかとても得意気な顔をしているが、そんなことはどうでもいい。
「まじか!! くれるの!? しゃぁぁあ!!」
大喜びのリアは、異性ならば誰もが振り返るであろう可憐な微笑を浮かべてルナに感謝した。
「ありがとうルナ!!」
小さくガッツポーズをして喜ぶリアに、ルナもまた微笑む。
「くっ、可愛い……。でも!! 今のままじゃ渡せません!!」
肩をすくめながら、とても残念そうに言うルナに、リアは「え?」と遅れて反応した。
笑顔を凍りつかせているリアに、ルナは聖母のような微笑みを向ける。
「ふふっ、さて、それでは取引をしましょうか?ファスファンIIIが欲しければ……そうですね、交換条件としてお姉様の服は私が選ばさせていただくという事で。嫌なら……そうですねぇ。友達にでもあげちゃおうかなぁ……」
「なん……だと……」
ファスファンIIIの限定版を手に入れるには、もうルナから貰うしかない。
しかし、その為にはルナが選んだ服を買わなくてはならず、結果女物の服を着る羽目になる……。
い、嫌だ。嫌だけど…でも欲しいという欲は止め処なく溢れてきて。
(くぅ……と、とりあえず落ち着け俺。そうだよ、よく考えれば、今は言う通りに服を買って、寮に持っていくのはジャージだけにすれば万事解決じゃ……)
「あ、寮に持ってく服は今から私が選ぶ物とジャージ1着だけにしてもらいます。それから、私服は私の選んだ物だけを着てもらいますね!」
(退路を塞がれた!?)
ジャージ1着だけでは、毎日着回す事ができない。ある意味で鬼畜の諸行に、リアは心の底から叫んだ。
「この鬼!!」
「あははははっ!! なんとでも言うがいい!! そして、ゲームが欲しければ、ついでにこう言ってください!! 『私はルナの着せ替え人形です』と!!」
「自分が圧倒的有利だからって変な要求すんじゃねぇよ!!」
「返答は『Yes』か『はい』しか受け付けません!!」
「ぐっ……このぉ……」
どうする…どうすればいいんだ。このまま「私はルナの着せ替え人形です」と言うのか、それとも限定版を諦めるのか。
……いや、逆に考えるんだ。所詮は服。そう、たかが服なのだ。布切れ、布切れを着るだけでいい。それで欲しいものが手に入る。
だけど、たかが服でも女物で、少なくとも1年間はルナの選んだ服を着なくてはならない。そうなれば僅かばかり残っている男としての精神が燃え尽きてしまう。
まさに悪魔の取引。魂を売り渡しゲームを手に入れるか、ゲームを諦め精神を守るか。
二者択一。究極の選択。
けれど……リアが決心するのに、長い時間は要さなかった。考えに考え抜いた結果、自身の心に従って選択したのだ。
1人の「ゲーマー」として、答えなんて聞くまでもないだろう? と。
「……り……っ」
「え?なんですか?」
ボソリと言った言葉は、声量が小さいのと途切れ途切れなのもあり、ルナには聞こえなかったようだ。
態とらしく、耳に手を当てながら聞き返してくる。
「……になります」
「聞こえませんねぇ。もう少し大きな声でお願いします」
再び口を開き、プライドをズタズタにしたが、ルナには聞こえなかったらしい。リアは今度こそ聞こえるようにと大きく口を開いた。
「……っぅう……ルナの、着せ替え人形になります」
この瞬間、リアはゲームの為に魂を売った。顔を真っ赤にして俯きながらの宣言は、虚しく店内の雑音に溶けて消える。
一方、作戦が上手くいったルナは口元を三日月のように歪めていた。まるで悪魔が悪戯が成功した時のような邪悪さがそこにはあった。
「うふふ、はあぁいいわぁ、お姉様ぁ……。涙で潤んだ瞳に悔しさと羞恥で顔を真っ赤にしながらも凛々しく睨みつけてくるその表情っ!! とっても素敵です!! あぁ……でもどうしてでしょうか? そんな表情を見てたら私、もっと虐めたくなってきました……」
まとわりつくようなねっとりと湿った声で、何か危ない発言をしながら片手を頰にあて愉悦の表情を見せる。ついでに、背筋からゾクゾクとした快感が全身を駆け巡っていた。
ルナは、何かに目覚めかけているようだ。
その姿に全力で引きながら、リアは本気で身の危険を感じるのだった。
…………
「だぁあー疲れた」
買い物を終え、大量の衣服を購入したリアとルナは休憩する為に近くに備え付けてあったソファに座る。途中、ルナが飲み物を買ってくると言い自動販売機に走っていったので、リアは1人でぐったりとソファに座り込み、自分で自分の凝った肩を揉む。
女の服選びは長いとよく聞くが、実際長かった。でも意外と、ルナの選んだ服を着るのが少しだけ楽しかった気がしなくもない。認めたくないが。
そうして試着しては脱いでの作業をやり終えた後、今度はリアがルナに似合いそうな服を選んでみたり、はたまた着てもらったりして、先のやりとりが嘘のように平和な買い物だった。
と、ルナが両手にジュースの缶を握りしめ戻ってくる。
「はい、お姉様。コーヒーです」
「サンキュー」
受け取った缶コーヒーのプルタブを開き、飲み口に唇を当て傾ける。喉に流れる冷たくも甘く苦いコーヒーは、疲れた脳を癒していった。
ルナはリアの隣に腰掛け、同じコーヒーの缶に口をつけている。
「帰るにはまだ早いが……どうする?」
ふとした問いにルナは自身の携帯端末で時間を見ると
「そうですね、ちょうどでお昼時ですし、ご飯でも食べにいきましょう!!」
「オーケー、でも、もうちょい休憩してから行こう」
「はいっ」
2人並んで「ふぅ」と息を吐き一服する。久しぶりの都市部ではしゃぎ過ぎたせいか、自身でも分かるほど精神的に疲れているようだ。
ルナも同じくはしゃぎ疲れているらしく、肩に寄り掛かるように体重を預けてくる。だけど、決して重くない。逆に信頼されているような気がして、なんとも落ち着く重さだ。
リアはコーヒーの缶をグイッと傾け、残った液体を全て喉に流し込むと、口を開いた。
「どうせここまで来たんだし、昼飯にするならちょっと食べ歩かないか?」
何となくの提案にルナは両手を合わせる。
「いいですね。私アイスが食べたいです」
「アイスは昼飯じゃない気もするが……あ、そういや、さっき通った所にアイスの専門店があったな」
リアは軽く勢いをつけ立ち上がると、ソファに置いていた買い物袋を持ち上げる。それから、空き缶をゴミ箱に放り入れてた。放物線を描き、缶は綺麗にゴミ箱に入る。
「じゃ、行くか」
「はーい」
ルナと共に来た方向を戻ると、直ぐに店は見つかった。店前には休憩スペースが広くとってあるようで、疎らに人が集まっている。その中でもカップルらしい男女のグループが多いようだ。
店に近づくと、ポニーテールが可愛らしく揺れる若い女店員が「いらっしゃーい!」と快活の良い声をあげた。
ショーウィンドウの中を覗き込むと、これまた色彩豊かなアイスが所狭しと並んでいる。
「どれにする?」
隣いるルナに問いかけると、彼女は顎に人差し指をあて「うーん」と唸りながらも、何か思いついたのかポンと手を叩きショーウィンドウを指差した。
「ストロベリーで!」
「おう、じゃあ俺はチョコで。お願いします」
店員さんにアイスを指差しながら注文を言うと「かしこまりましたー」と返ってくる。
それから暫くして「お待たせしました」と言った店員さんから、丸いアイスの乗ったコーンを2つ受け取り料金を支払った。
ピンク色のアイスをルナに渡して、共に人の少ない休憩スペースの座席へ腰掛ける。
「こんな風にアイス食うのも久しぶりだなぁ」
しみじみと呟きながら、茶色のチョコレートアイスに舌を這わせ、掬い上げる。
舌に乗ったアイスは口の中で瞬く間に溶けて、カカオの香りと濃厚な甘さが口いっぱいに広げていく。
甘さとカカオの苦味と風味が絶妙で美味しい。やはり専門店のものは違うなと、感想を思い浮かべながら舐めては溶かしの作業を繰り返す。
そうして、半分くらいまで舐め終えた時だ。
「あのお姉様、ちょっと提案があるのですが」
隣にいたルナが自身のアイスを胸の前に持ちあげ、顔を近づけてくる。リアは少し仰け反る体制になりながら「な、なんだ?」と話を促した。
「あの……そう、実はお姉様のチョコ味がどんな味なのか気になっちゃいまして。一口頂けませんか?」
確かにルナが食べているストロベリー味がどんなものか気になったリア。なら、量的にもう一本くらい食えるし買ってきてもいいか。そう考え、ルナに提案するように言ってみる。
「ならもう一本買って」
「ストップ!!」
だが物凄い剣幕で「ストップ」と制止され、リアはたじろぐ。そんなリアの反応にルナは口元をニヤリと歪めながら
「もう一本買うのも勿体無いですし、私のと交換しませんか?」
そう言って上目づかいで見上げてくる。別に断る理由もないので、リアは快く了承した。
「いいぜ、ほれ」
「ありがとうございます!! では、私のストロベリーをどうぞ」
其々交換し合い、ルナの食べかけのアイスに舌を這わせる。ストロベリーはチョコ味とは違い、酸味が強めのせいか濃厚なのにさっぱりしていた。
「あー、やっぱ甘い物はいいなぁ」
目をつむり幸せそうにアイスを消化していくリア。
一方、ルナはというと。
「お、お姉様の食べさし……。ハァハァ…か、間接キス……ふ、ふふっ」
ふるふると震える手をどうにか抑え込み、ゆっくりとアイスに顔を近づけていく。
そして、小さな桜色の唇から覗かせるように熱を持った舌を出すと、リアが最後に舐めた場所を丁寧に舐めとり、舌に乗ったアイスを口に運ぶ。口の中に入ったアイスは口内の熱によりすぐに溶けていった。
(……お姉様の味と香りが口いっぱいに!!)
実際そんな味も香りもしない。だが、ルナの桃色に染まった思考回路では、何故かリアの味と香りがするようだ。それから表現のしようがない、どこか背徳的なエクスタシーを感じながら、貪るように再び舌でアイスを舐めとる。
チョコレートアイスは、優しい甘さと冷たさをもって、口の中を蹂躙していった。
「甘ぁい」
誰にも聞かれる事のないルナの呟きは、リアにすら聞かれる事はなかった。それどころか、他の客もルナの内面に気がつく事はないだろう。
なぜなら、側から見ればただ幸せそうにアイスを食べる少女にしか見えないのだから。
………
パリ、パリと小気味良い音を立てながら、アイスのコーンを噛み砕く。
そうして最後の一欠片を口に放り込み、満足気にため息を吐き出した。
「ストロベリーも中々美味かった。なぁ、ルナ」
急に話を振られたルナは、何故か慌てふためきながら答える。
「へっ!? は、はい!お姉様のチョコ味も美味しかったです!!」
ふーふーとルナの鼻息が洗いが、いったいどうしたのだろう?
リアは体調が悪くなったのかと心配になり問いかけようとしたその時。
空気を裂くように、それは唐突に訪れた。
「きゃぁぁああ!!」
モール内に響き渡る程の声量で、女性の甲高い悲鳴が響き渡る。途端に走る緊張の糸が、周囲の人を静止させる。
平穏な時間は唐突に、面倒な時間へと転じたようだ。