お買い物①
小鳥のさえずる音が耳に届き、微睡から覚めるのを感じる。
目を薄っすらと開けると、窓から柔らかく太陽の光が差し込んでいた。
同時に、目の前に一枚の壁ができたように光は影った。そして、聞きなれた涼やかな声が耳に響く。
「お姉様起きました?」
薄く開いていた目を完全に開くと、目の前にルナの顔がどアップで見えた。影のせいか、薄く笑う表情が不気味に見えたリアは、バネのように飛び起きる。
「うわぁぁあ!」
「きゃぁあ!」
勢いあまって互いのデコがぶつかり「ゴンッ」と鈍い音が鳴った。
ヒリヒリと痛むデコを片手で摩りつつ……リアは赤くなったデコを摩っているルナに目を向けた。
彼女の体は青白い光を放ち、フヨフヨと空中に浮かんでいる。
その手には何やら水色のワンピースのような服が一枚握られているが、そんな事よりも。
「痛っぅ……ルナ、お前、何してたんだよ……」
ジト目を向けながら問いかけると、あからさまに目線をそらしてルナは答えた。
「《念力魔法》で寝起きドッキリでも仕掛けようかなぁと思いまして。あと、あわよくばお姉様の無防備な寝顔を観察しyいひゃい!!」
ルナの両頬を両手で掴み、適度につねる。痛みからか少し涙目になった。
「ひ、ひどいですお姉様」
頰を膨らませるルナ。その頰を指で突っつくとプスーと口から空気を漏らした。
「おはようルナ。いい朝だな」
朝の挨拶を口にする。「いい朝だな」は、ルナに向けた皮肉だ。
ルナはリアの言いたい事を理解したのか面白くなさそうに「むぅー」と唇を尖らせ「おはようございます、お姉様」と返してくれた。
だが、直ぐに不機嫌そうな顔を一転、「ふっ」と悪戯っ子のような表情を浮かべると、両手に持っていた水色のワンピースをずいっと突き出してきた。
「お姉様、おはようついでにこれを着てください!! 今日の為に厳選した私のお気に入りのワンピース!! 絶対似合います、この私が保証しますよ!!」
たぶん、これから自分に着せる為の服なのだろうとは思ったが、女物の服を着るというのはやはり、些か躊躇いを感じ、できれば遠慮したかった。
だから、リアは少しの希望を持って「ジャージという選択肢は」と呟くが。
「ありません!!」
希望は一刀両断された。拒否権はないようだ。解せぬと、今度はリアが頬を膨らませる。
そんな反応など意に介さないルナの態度に、拒否する事を早々に諦めて、とりあえず胸に押し付けられたワンピースを受け取った。
バサリと広げてみれば、予想よりも飾りっ気が少ないシンプルなワンピースだった。
だが、その分清純な雰囲気のある一着だ。布地はシルクのようにスルッとしていて気持ちいい手触り。
色は水色を基調としているようだが、肩にかける紐の部分は紺色だったり、袖周りの折り目の部分は薄浅葱色だったりと、所々細かい工夫が凝らされているのが分かる。
「ほら、お姉様。早く着てください!! ほらほら!!」
「や、やめ。急かすな急かすな……」
諦めるしかないようだ。ワンピースを片手にジャージを脱ぎ去るとベッドに放る。
そして、ワンピースに渋々袖を通そうとしたその時、妹の憎々しげな視線に気がついた。
「な、なんだ?」
「……なんというか、今更ですけど、お姉様の胸、私のより大きいですよね」
チラリと下に目を向けると、二つの膨らみが見える。
それを見てから妹の胸に目を向けて……。
リアは「あっ」と呟いて察した。ルナの胸は成長期だとしても、なんというか、一言で言えば貧弱である。無乳とまではいかないが、しかしほんのりとした膨らみしかないのだ。だからか、元男のリアの方が大きい事が大変、心の底から、気に入らないらしい。
が、リアからすれば、二つの脂肪の塊にいい所など無いと叫びたい気分だった。重い、重心が傾く、など良い事はあまり無いからだ。しかし叫んだら最後、更に不機嫌になりそうなので勿論口に出しはしないが。
そして、リアは機嫌を直してもらおうと、適当に言葉を並べる。
「でも大きいと邪魔だぜ? あとブラ着けないと揺れるし鬱陶しいぞ? しかも、うつ伏せで寝ると痛いしな」
個人的には妹くらいの慎ましい胸の方が羨ましくもあった。交換してくれと思えるくらい、自分が巨乳になっても良い事など一つもない。
正直、男ならば大きいのが好きかもしれないが、実際自分の胸になると邪魔でしかないと、たった1日で思い知った。
しかし、ルナはその言葉に眉根を寄せた。
「なんですかお姉様。大きいと邪魔って嫌味ですか。大きい人にしか分からない、なんとも羨ましい悩みですね。というか今、誰の胸が慎ましいって言いました?ねぇ…お姉様ぁ?」
(こ、怖い。ナチュラルに心読んでくるし怖い)
ルナのハイライトの消えた眼に、底知れぬ闇が見えた気がした。
「くっ、この胸が!! この無駄にデカイ脂肪が私たち姉妹の絆を妨げているんだ、もげろぉ!!」
急にキリッとした目つきになったと思ったら、阿呆な事を言い出し、ルナはリアの胸を鷲掴みにして揉み始める。
しかも、妙に慣れた手つきだ。もしかしたら、妹は大きくする為に日夜揉んでいるのかもしれないと思いながらも「どうどう」と止めにかかる。
「ちょ、頼むから揉むな揉むな!! もげないから!!」
制止の言葉だけかけるが、ルナが止まる気配はない。
全体を労わるように、マッサージするように、彼女は様々な力加減と絶妙な角度から揉みしだく。すると、何故だろう? 々段々とふわふわと変な気分になってきた。何か、まずい気がした。
そして、唐突に謎の感覚が胸に介して全身に走る。
痺れるような弱く電撃のような痺れが全身を巡り、手足がビクンと震える。
運動しているわけでもないのに肌が汗で湿りはじめた。
なんかやばい、言葉にできないけどやばい。そんな陳腐な言葉が頭を巡り……。
「ルナ、ほんとにやめて」
自分でも驚くほどに艶のある声が漏れ、恥ずかしさのあまり顔が熱くなる。当のルナは「ふーふー」と息を荒らげ止まる気配は皆無。
「だめだこれ、聞こえてねぇ」
致し方ない。こうなったら最終手段だと、右手の拳を握り、頭上まで振り上げてから弱めのチカラで振り下ろす。
ゴンッと骨がぶつかり合う鈍い音がすると同時に、ルナの手が止まった。
「イタッ、ハッ!! 私は一体何を……」
やはり無意識。ルナは興奮すると無意識にこういうことやるんだなぁと学習する。それから、やんわりと未だに胸を揉む手をやんわり退けると。
「まったくお前というやつは。今から着替えるから、ベッド脇にでも座って待っててくれ」
「ん、分かりましたお姉様」
さっきの暴走はなんだったのかと思えるほどお淑やかな仕草で、ちょこんとベッドに座り、こちらを見るルナ。その目には期待という期待が籠っている。
本当は着たくないけど、ルナの悲しそうな顔を見る方が嫌だし、結局リアに選択肢はないというか、自分が折れるしかないと諦めながら。
やはり妹には甘いなぁと、自分自身に対して嘆息した。
さて、それとは別に。誓いを一つ。
今後一切、胸の話題だけは妹の前ではしないと決めた。
揉まれた時に感じたあの感覚をまた体験してしまえば、男としての心が、精神が壊れてしまうと危機感を抱きつつ、誓うのだった。
…………
「ど、どうだ? なんか、胸元が開きすぎてる気がするんだが。あと、ブラの紐とか丸見えだけど大丈夫なのか?」
ワンピースに着替え終わった後、妹に貸してもらった灰色の皮ベルトを腰に巻く。腰を引き締めることで、胸の大きさによって生じるブカブカを解消しつつ、体の線を強調してセクシーに見せるのだとか。
裾は膝あたりまであるが、ズボンを履かない服というのは初体験のせいか、股の間がスースーとして落ち着かない。女の子のスカート類はだいたいこんな感じなのかと、新鮮な気持ちとパンツが丸出しという恥ずかしい気持ちがぶつかり合う。複雑な気分だ。
あと、一応サイズはピッタリのようで、膝丈までしか隠せなかった。
そんな女物のワンピースを着たリアを見て、ルナはどこか惚けたような顔でポツリポツリと呟いた。
「なんという黄金比……。水色のワンピースがお姉様の肌の白さと、濡れたような艶を放つ黒髪を尚の事際立出せている。綺麗な鎖骨の曲線美、チラリと見える豊かな谷間。その胸を支える為のブラの紐が妙にエロい。更に、腰のベルトのおかげで程よく肉体を締め付けられる事により、その美しく括れた腰が強調されている。水色ワンピ姿の黒髪美少女。これこそまさに、王道の清楚系!! ……はぅ、もじもじして顔を赤らめているお姉様……最高……。完璧です、私が男なら速攻でナンパします!!」
「お、おぅ」
かなりの好評価。嬉しい気持ちが湧いたが、男の精神としては喜んだらいけない気がして複雑だ。
しかし、まぁ……とりあえず変じゃないなら何でもいいや。と投げやりな気分で自分を落ち着かせ。
ワンピース一つでこの評価と喜びようのルナと服屋など行ったら、着せ替え人形にされるのではないかと、途端に行くのが面倒に感じた。
(……うん、いざとなったら《身体強化》の魔法使って逃げよう)
「んじゃ、ルナもさっさと着替えてこい。都市部まで2時間近くかかるんだから早めに行くぞ」
ルナは「はいっ。では着替えてまいります」と言って部屋から出て行った。
ルナが着替えている間、男物の黒く小さな肩掛け鞄に、財布と携帯端末を突っ込む。お金は昨日母と師匠から貰っているので、財布の中身は潤っている。
それから、腕時計をつけたりと外に出かける準備を整えた。
(そういえば、こうして都市部に出かけるのも2年ぶりだなぁ)
都市部どころか、大体のものはネット通販で買える昨今、態々外に出る予定が無かった為に学校以外で家から出るのも久し振りだった。まぁ、ここはもう宅配範囲外になってしまうので、今度から出かけなくてはいけなくなったのだが。不便なものだ。
そして……流石に2年も経つと街並みも変わっているだろうし、やはり一年間都市部で暮らしていたルナに案内してもらえるのは心強い。
その後は、本棚の小説を読むなどして妹が着替え終わるまで時間を潰す。5分ほど経った時だ。予想より早く、こちらに戻ってくる足音が聞こえた。
「お姉様、お待たせしました!」
入り口の方へと目を向けると、身支度を終えたルナが胸に手を当てながら立っている。
ルナの服装は、一言で言えば「白黒」だ。上半身には長袖の白いカッターシャツを着て、その上から白いカーディガンを羽織っている。
下は上半身とは対照的に黒い冬用のパンツを茶色い皮ベルトで締めていて、スッキリとした印象だ。肩には黒いショルダーバックがかけられている。
「うん、似合ってる」
ルナは母に似て、贔屓目無しに美少女なので正直何を着ても似合うと思うが、何かの本で見た「女性は服装を褒められると喜ぶ」という記事を思い出して素直に感想を言う。
「ほ、本当ですか。良かったぁ……」
褒めると喜ぶというのは、少なくともルナには有効だったらしく、彼女は片手を胸の高さでギュッと握りしめて頬を緩めている。そんな仕草も、どこか初々しくて可愛らしい。
「じゃあ、行くか」
「はい、お姉様。行きましょう!! あ、なんだか今のやりとり、まるでデートの待ち合わせをした男女みたいですね」
「この場合、友達同士の方だと思うんだが……まぁ、別にデートでもいっか。じゃ、頑張ってエスコートしてくれよ?」
「ふふっ、任せてください!」
苦笑を浮かべるリアの腕を掴むルナ。そして、引っ張られるように2人並んで玄関を出るのだった。