2日目⑧
1時間後、起こしてくれたコトセ先生に感謝を伝え、それから返してもらったカッターシャツを着た。ボタンはきっちりと縫い付けられている為、もう早々取れる事はなさそうだ。というか取れる云々の前に、ちょっとキツイ気がする。単にサイズが合っていないのだろう。
まぁ、それはさて置いておいて、保健室を後にした頃には12時を過ぎた時間帯であった。
大方、部活見学は終わったので、もうそのまま帰る事にする。
静かな廊下をのんびりと歩きながら、昇降口を目指した。
お昼時なのもあってか、生徒達の喧騒も少しだけ収まって穏やかな空気が流れているような気がする。
昇降口を通り過ぎ、暖かいポカポカとした日差しを全身に浴びながら、グッと肩を伸ばす。その時にふと、ルナは保健室から出た後どこに向かったのだろうかと思う。
「もう帰ったのかな」
散々、動かない自分を撮影しておいて、さっさと帰宅したのだろうか。いや、腹を立てるような事でもないのだが、少し寂しさを感じつつ。
……帰りは1人かと思いながら、ルナの異常な言動と何故に写真など欲しかったのだろう? と首を傾げた。意味が分からない。
「ご褒美」とか言っていた気がするが、縛られただけの写真が一体何故、ご褒美になるのか。甚だ疑問だ。
……まぁ、撮影中は大変興奮しながら楽しんでいたのは、側から見ていてもよく分かったが。だからこそ、好きにさせて放心していたのもある。
ただ、あの時のはしゃぎまくった彼女の様子は、少々恐怖を感じずにはいられないものだったと断言できる。
あの時の、ルナの目は……例えるなら、兎を捉えたライオンとでも例えよう。要するに、ギラギラとした肉食獣の目であった。そして悲しい事に魔力切れの自分は両手の拘束を解く事すら出来ない。言うなれば捕食される草食動物だったのだ。これで、自分が感じた説明し難い恐怖感を分かってもらえた筈だ。
まぁ……それでも、感じた恐怖を拭うように頭を振って思う。
まぁ正直、悩むなんて今更すぎる。
性別が変わってからのルナの変態的行動の数々は、増え続ける一方なのだ。悩んでいてはキリがない。
「それに、それだけ俺の事を好いてくれてるって事だよな。兄としては嬉しい限りだが」
考え方を変えれば、ルナの変態行動も愛情表現のように見えてくる……。気がした。たぶん、恐らく普通の愛情表現を超えてきているようにも思うが、しかしそう考えれば受け入れやすくもなるもので。
それに、今日だけの奇行だったのかもしれないし、疲れた所為でやってしまったのかもしれない。疲れたのなら、できるだけ甘やかして、癒してあげたいとは思うのだ。
「俺は甘いな……」
苦笑しながらも、気持ちに整理がついた。これなら、ルナとも普通に接する事ができる筈。
こうして、どんな事をされても結局、可愛い妹をとても愛しているリアは、ルナの変態的な行いを許してしまうのだった。
……………
校門前に差し掛かった時に、銀髪のポニーテールを揺らしている生徒が見えた。エスト先輩だ。
彼女は校門から出て行く生徒を見ては、声をかけたり、周囲を見回したりしている。誰かをさがしている様子だ。
なんとなく気になり、一応声をかけてみる。
「お疲れ様です、エスト先輩」
「リア、君もお疲れ様……もうお昼だから、こんにちはかな?」
「はい、こんにちはです」
彼女の笑顔に、疲労の色が濃く見えた気がした。
疲れているという事は、それだけ仕事が増えたのだろう。まさか、またルナか?
「……えっと、誰か探しているんですか? もしかして、ルナ?」
心配になりながら探し人を問い、それからルナの名を出した。すると、エストはふっと息を吐きながら頭を2度左右に振った。
「違うよ。ルナはちゃんと仕事をしてくれたさ。昨日の分の残りも含めてね」
「よかった……」
安心して胸を撫で下ろす。
が、しかし。エストは直ぐに安心感など粉々にして消し飛ばすような言葉を口にした。
「さっき誰かを探しているのかと聞いたな? 実は、演習場を無断で使った奴等がいたようで、そいつらを探しているんだ」
「え?」
「普段なら軽く注意するだけなんだが……今回は地面のコンクリートなどが粉々でな。一応錬金術が使える生徒会の役員達に頼んで直してもらったんだ。それで……使った人間に注意と説教をしたくて、こうして聞き込みをしている。まぁ、新入生なら知らなかったという事もあるから一応な。安全管理も生徒会の仕事だから仕方ない」
説明を聞くたびに、脂汗が滲んだ。
「へ、へぇ……因みに、何処の演習場なんですか?」
「第2演習場だが」
エストの回答に、リアは確信した。
(先輩の探し人、完全に俺とレイアじゃねぇか!! どうしよう。告白したほうがいいのか? で、でも、正直怖い。
くっ、だが後始末までさしてしまったのだ。説教くらいは受けるべき罰だよな? いや、しかし……)
そんな事を思い、額に流れる汗を軽く手の甲で拭ってから、口を開こう……としたのだが、背後から突如響いた声のせいで遮られてしまった。
「犯人は……お前だァ」
「ひゃいっ!?」
囁きに驚き、体をビクンと震わせた。そんなリアを見て、ケラケラと楽しそうに笑う声が聞こえる。
「くふっ、ふはっ!! ひゃ、ひゃいって!! ふひひっ」
振り返ると、腹を抱えながら笑うダルクの姿が目に入った。後輩を弄りご機嫌なダルクだったが、後ろにいたライラがダルクの頭に「ガンッ」とゲンコツを食らわした。そして何食わぬ顔で挨拶をする。
「やぁ、リア。今帰りか? 私らも今から帰る所だ」
「そ、そうですか」
「リアも良ければ一緒に帰らないか?」
「じゃあご同行させていただきたく……」
思考は取り敢えずこの場から離れる一択になっていたリアだったが。ライラの背後から飛び出るように、藤色のツインテールがひょっこりと現れる。
「リア!!」
声の主であるティオは、小さく頬を膨らませていた。
「何故起こしてくれなかったのだ!! 我もリアとレイアの決闘見たかったのに!!」
「ちょ、まっ!!」
チラッと横を見ると、エストの笑顔に影が射したように見えた。全く変わらない筈なのに、急に笑顔が怖くなった気がする。
「君達、詳しく聞かせて貰おうか?」
エストの有無を言わせぬ言葉に、観念して頷いた。ついでにライラとダルクはまるで風のようなその場から姿を消した。
「あっ、あれ? ライラ!? ダルク!? あいつら何処に行ったのだ!?」
ティオを置き去りにして、ダルクとライラはたぶん帰って行った。まぁ、ライラから小さな声で「すまない」と謝った声が聞こえたので、そういうことだ。
そんな2人に対し、リアは今回の事は生徒手帳の規則欄を読んでいなかった自分の自業自得でもある為、さすがに「薄情者!!」とは言えなかった。
ただ、ティオはエストの笑顔に何かを察したのか、全力で「ちょっ、我全く関係ないのに!! ダルク!! ライラ!! 貴様ら覚えとけよォオ!!」と、無実を訴えつつ涙声で叫ぶのだった。
……その後、友人に売られ涙目で項垂れるティオを優しく抱き締めながら撫でた。先輩ではあるのだが、なんというかシュンとしている顔を見ると思わず撫でたくなったのだ。ある意味で、その表情は魔性の表情だと思った。保護欲が掻き立てられまくられる。女じゃなかったら間違いなく通報されていただろう。
そして、ティオ本人も嫌がるどころか「もう少し撫でていてくれ」と言ったので、その後暫くティオの頭を撫で続けるといった一幕もあった。
頭を撫でる、たったそれだけだが、後輩からされても気持ちのいいモノなのだろうか?
そこのところは、深く切り込めば沼に嵌る話になるかもしれないと思い口を閉ざした。誰しも過去に何かあるのだから……と考えてしまうのは、今日に至るまで自分が交友関係を広げられなかったからだ。
ただ「気持ちいいんですか?」と正直に問えば、彼女は照れながら「頭を撫でられると落ち着くのだ」と答えた。まさか、自分の撫で撫でにそんな効果があるとは……意外な発見だ。今度ルナが変な事をしてきたら、優しく頭を撫でてあげよう。
(って、いつも撫でてたな)
何となく、ルナが頭を撫でるように催促する理由が分かった気がした。
そうして、生徒会室に向かって歩く。
……………
生徒会室には、フカフカの赤い絨毯と、まるで円卓の騎士でもいるのかと言いたくなるような、漆黒に金色の装飾が入った丸テーブルが置かれており、その周囲を等間隔に12席の高級そうな白色の椅子が配置されていた。
しかし当然そんな椅子に座れる訳もなく、絨毯の上に正座の体制で座らされ、そのまま説教をされた。
ついでにティオは無関係なのにも関わらず、結局一緒になって説教を受けて、不服そうにしながらも説教が終わると文句を言いながら先に帰っていった。
まぁ、しかし、幸いな事に説教自体は長くなかった。
なかったのだが、途中にレイアがグレイダーツ校長に首根っこを掴まれて引きずられながらお話に加わったり、帰ったと思っていたルナが乱入したりして。
結果、エスト先輩の顔にはさっきよりも疲労が色濃く表れ、更に本筋以外の事で無駄に話が長くなった。
そうして、30分後に解放され、帰宅路をルナと共に歩く。
「疲れた……」
エスト先輩には申し訳ないが、説教も含めてかなり疲れた1日だった。そんな呟きに、ルナは花が咲いたような笑顔で答える。
「お疲れ様です!!」
「お前は元気だな……」
「それはもう……ご褒美を沢山もらいましたから!!」
「……因みに、俺の写真なんか撮って何に使うんだ?」
「それは……ふふっ……」
目から光を消して不気味に笑うルナに、リアはこれ以上追求するのを止める。
ここから先を聞くのは、本能がヤバイと告げていた。なんと表現すれば良いのか分からないが、とにかく兄としての精神を粉々に吹っ飛ばされる気がした。
あと、今までは見て見ぬ振りをしていたが……ルナはどこかヤンデレの気質があるように思う。まぁ、言い換えれば病むほどに自身の事を好いてくれているとも言えるので嗜める気にはならないし純粋に嬉しくも思うけれど。それに、今回の事は別にして行動が過剰になっていかなければ大丈夫だろう。
そうして、鞄を担ぎ直しながら口を開く。
「さっさと帰るか」
「はいっ!!」
一瞬で目に光を戻したルナと共に、学生寮の帰路を歩くのだった。




