表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/75

第十五話:囚われの姫と救世主


深夜の王宮執務室。

広げられた羊皮紙の上に、緻密な文字列が連なっている。


「これで決定的だな」


ジャックの低い声に、室内の空気が引き締まる。


「侯爵領内の麻薬精製工場の位置、取引先、人身売買の契約書……」

レオンハルトが続けるように言った。

「どれも言い逃れはできません」


副官も頷く。

「被害者は少なく見積もっても五十名以上。明朝、突入可能です」


ジャックは拳を握り、机に静かに置いた。


「……これ以上、引き延ばす理由はない」


「明日正午、侯爵家に突入します」

レオンハルトが確認する。

「陛下の裁可も下りました」


その瞬間だった。


――ガシャン!


窓ガラスが割れ、黒装束の男が執務室に転がり込む。


「申し上げます!」


膝をついた男の声は、明らかに切迫していた。


「エレナ様が――誘拐されました!」


一瞬、世界が止まる。


「……何だと」


ジャックの声が、氷のように冷える。


「裏ギルド〈闇の爪〉による犯行と見られます!」

「目的は侯爵家の断罪阻止……隣国への売却を企図している可能性が高いかと!」


「居場所は」


言葉は短く、だが殺気を帯びていた。


「旧港湾地区、廃倉庫群です!」


その瞬間、ジャックはすでに動いていた。


「全騎士、即時出動。俺が先行する」


「叔父上――!」


レオンハルトの声を背に、彼は扉を蹴開ける。


(待っていろ、エレナ)

(必ず――連れ戻す)


――――――――


薄暗い地下牢。

湿った石床の冷たさが、エレナの感覚を鈍らせていた。


「……最悪ね」


後ろ手に縛られたまま、小さく息を吐く。


「まさか本当に誘拐されるなんて」


(どんだけテンプレ展開よ)


鉄格子の向こうでは、男たちが下卑た笑い声を上げて酒を飲んでいた。


「珍しい目の色だ」

「隣国の好事家が高値を付けてるらしいぜ」

「まずは港で検分だ。その後は娼館行きだろ」

「貴族の女は扱いが違う。初物として競りにかけりゃ金になる」


胸の奥に、じわじわと恐怖が広がる。


(……娼館)


言葉の意味を理解した瞬間、喉の奥がひくりと引きつった。

隣国へ売られ、名前も身分も奪われ、客を取らされる――そんな未来が現実味をもって迫ってくる。


(それだけは……絶対に、嫌)


(大丈夫……まだ、折れてない)


そのとき、甲高い笑い声が地下に響いた。


「――あら、本当に惨めね」


現れたのは、桃色のドレスを纏ったアマンダだった。


「王弟殿下の婚約者、ですって?」

彼女は嘲るように笑う。

「身の程を知りなさいよ、田舎伯爵家の娘が」


腹部に走る衝撃。


「……っ!」


床に崩れたエレナを見下ろし、アマンダは満足そうに息をつく。


「明日には隣国行きよ。

あなたの居場所なんて、最初からなかったの」


それでも、エレナは顔を上げた。


「……あなたみたいな人に、ジャック様は――」


次の言葉は言わせてもらえなかった。


「黙りなさい!」


乱暴に髪を掴まれ、床に叩きつけられる。


「奪われたのは私の方なのよ!

ずっと、ずっと……!」


歪んだ嫉妬が剥き出しになる。


「あなたなんかが、あの人の隣に立つなんて――!」


その瞬間だった。


――轟音。


錠前が弾け飛び、地下牢に光が差し込む。


「エレナ!!」


聞き慣れた声。

その名を呼ぶ響き。


銀髪の男が、鬼神のような形相で立っていた。


「……ジャック様」


安堵が、遅れて全身を満たす。


「離れろ」


短い一言と共に、マナの奔流が地下を薙ぎ払った。


男たちとアマンダは抵抗する間もなく吹き飛ばされ、恐怖に顔を歪める。


「な、なぜ……!」


「――触れるな」


ジャックはエレナの前に膝をつき、そっと縄を断ち切った。


「無事か」


震えを隠しきれない声。


「……はい」


そう答えた瞬間、彼の腕が強く、しかし壊れ物のように抱き寄せる。


「よかった……」


胸に顔を埋められ、エレナは気づく。


(怒っているだけじゃない)

(怖かったんだ)


その事実が、胸を熱くした。


「もう、大丈夫だ」


囁きは誓いのようだった。


闇の底で、エレナは初めて確信する。


(私は……この人に守られている)

(この人は……私を失うことを、ひどく恐れている)


その想いが恋かどうかは、まだ分からない。

けれど確かに――心に深く刻まれた。


――――――――


ジャックの視線が、エレナの身体へと落ちる。


赤く腫れ上がった手首。縄の跡がくっきりと残り、頬には殴打の痕が痛々しく浮かんでいた。


「……っ」


怒りと悲しみが同時に胸を締めつける。


「だ……大丈夫です……」


エレナは笑おうとするが、痛みに顔が歪む。


その瞬間――ジャックの理性が音を立てて軋んだ。


「……すまない」


震えを含んだ声で呟き、そっと彼女を抱き寄せる。


「俺が……間に合わなかった」


怒りは自分自身へも向けられていた。


その時、瓦礫の向こうから悲鳴が上がった。


「助けて……! ジャック様……!」


血と埃にまみれ、足を潰しながら這い出してきたアマンダだった。


「わ……私じゃありませんの……!」


涙を流し、必死に縋る。


「エレナ様が……私を騙して罠にはめたんです……!」


エレナの表情が凍りつく。


「私は……ずっと父の陰謀を調べていて……」

嘘泣き混じりに続ける。

「危険だと思って……だから彼女を誘い出せば証拠が――」


「黙れ」


たった一言で、空気が凍結した。


「お前の父親が人身売買と麻薬取引で何をしてきたか……」

ジャックの瞳は氷のように冷たい。

「すべて証拠は揃っている」


「で……でも……!」


「いい加減にしろ」


怒声が地下に轟く。


「どれだけ醜い芝居を重ねれば気が済む」


アマンダは叫んだ。


「こんな女より……私の方が、あなたに相応しい!」


嫉妬に歪んだ顔。


「地味で、平凡で……!」


だが――


「違う」


低く、しかしはっきりとした声。


「お前は何一つ理解していない」


ジャックはエレナの肩に手を置いた。


「彼女は――誰よりも誇り高く、強い」


その瞬間、周囲の空気が変わった。


「既に証拠は揃っている。陛下に提出すれば侯爵家は終わりだ」


「待って……!」


アマンダは地面に伏し、土下座する。


「お願いです……! 私だけは……!」


「アマンダ」


ジャックの声に慈悲はない。


「お前に与える情けはない」


マナの拘束具が彼女を縛り上げる。


「レオンハルト!」


王太子が騎士団を率いて現れた。


「この女を連行しろ。父親共々、極刑相当だ」


泣き叫ぶ声が遠ざかっていく。


ジャックは一度も振り返らなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ