第十三話:侯爵家の野望と恋のドレス選び
雨脚が激しさを増す中、王宮の長い回廊に、場違いなほど朗らかな声が響いた。
「お久しぶりですな、ジャック殿下」
振り返った先に立っていたのは、恰幅の良い中年の男と、その半歩後ろに控える若い女性だった。侯爵家当主と、その令嬢である。令嬢は桃色のドレスを纏い、作られた可憐さを隠そうともしない。
「……何の用だ」
ジャックは一歩も距離を詰めず、冷ややかな視線だけを向けた。
「我が領地の件で、少々ご相談をと思いましてな」
侯爵は人の良さそうな笑みを浮かべるが、その奥には計算高い光が潜んでいる。
「近年、作物の不作が続いておりまして……」
ジャックは応じない。数日前の内偵で把握した事実が脳裏をよぎる。経済悪化は表向きの理由に過ぎず、裏では犯罪に手を染めている――すでに確証を得ていた。
その時、侯爵令嬢が一歩前に出る。透き通る青い瞳で見上げ、甘く声を作った。
「騎士団長様に、ぜひ一度お目にかかりたくて……。わたくしの領地では毎月、祝福の祈りを――」
「不要だ」
淡々と遮る。
「用件があるなら、正式な書面で提出しろ」
侯爵の笑顔が、わずかに引き攣った。
「……実は、もう一つ。先日の伯爵家の騒動についても――」
(やはり、それが本題か)
「すでに内偵中だ」
冷ややかに言い放つと、侯爵は肩をすくめた。
「そうですか。何か必要な資料があれば、喜んで提供いたしますが」
その瞬間、別の足音が近づく。
「叔父上」
現れたのはレオンハルトだった。自然な微笑を浮かべ、会話に加わる。
「こちらは侯爵家の方々でしたか」
侯爵令嬢の視線が即座に彼へ移る。
「レオンハルト殿下……」
「ご機嫌麗しく」
完璧な社交辞令の笑みを返すと、すぐにジャックへ視線を向けた。
「叔父上、急ぎの要件があります。少しよろしいでしょうか」
ジャックは無言で頷き、視線だけで『来い』と合図する。
立ち去ろうとした、その時――
「団長様!」
侯爵の制止を振り切り、令嬢が声を上げた。
「ずっと憧れておりましたの……。ぜひ一度、我が家のお茶会に――」
「時間がない」
感情を一切乗せず、即座に切り捨てる。
侯爵は娘を睨みつけるが、令嬢は意に介さず、楽しげに微笑んだ。
「またお誘いしますわね」
――――
執務室に戻ると、空気が一変した。
「叔父上」
レオンハルトが封書を差し出す。
「侯爵家の裏帳簿です。人身売買、麻薬取引――決定的な証拠が揃いました」
ジャックは眉間に深く皺を刻む。
「……あの男、思った以上に腐っているな」
視線を落とし、静かに命じた。
「包囲網を狭めろ。逃げ道は一つも残すな」
「了解しました」
だが、レオンハルトは一瞬、言い淀む。
「……あの令嬢は、どうされますか?」
「放置すれば、いずれ害になる」
短く答え、ジャックは立ち上がった。
「すまないが、今日は別の用事がある」
「まさか……エレナ嬢と?」
「ああ」
その口元が、わずかに緩む。
「婚約衣装を選ぶ約束だ」
――――
王都中心部の老舗仕立て屋。
店内には色とりどりの布地が美しく吊るされている。
「いらっしゃいませ、王弟殿下。お待ちしておりました」
店主が深々と頭を下げた。
店に入った瞬間、店員たちが息を呑む。
騎士団長としての凛々しさとは違い、今日のジャックは洗練された装いだった。銀髪が陽光を受けて煌めいている。
「遅れてすまない」
「いえ、私も今来たところです」
白いシンプルなドレス姿のエレナが微笑む。その姿は、店内の空気を一瞬で柔らかくした。
試着室へ案内される前、店主が丁寧に提案する。
「まずはエレナ様に最高級の化粧を施させていただけませんか?」
「あっ……」
エレナが躊躇う。普段は意図的に地味にしているのだ。
ジャックは首を傾げたが、特に気にする様子もなく頷いた。
「構わない」
――それから一時間後。
「お待たせしました」
扉が開いた瞬間、空気が止まった。
そこに立っていたのは、まるで別世界の美女だった。
腰まで届く白金色の髪は艶やかに波打ち、蒼と薄紫の瞳は宝石のように輝いている。淡い紅を差した頬、上品な色を宿した唇。何より、素肌の美しさが際立っていた。
「……エレナ……?」
ジャックの声がわずかに上ずる。普段の彼女とは別人のようだった。
エレナは恥ずかしそうに扇子で顔半分を隠した。
「なんだか……やりすぎではありませんか?」
その仕草すら、目を奪うほど魅力的だった。
ジャックは一歩、また一歩と近づき、彼女の前で跪いた。
「美しい……」
手袋越しにそっと手を取る。
「こんな宝石のような人を見たのは初めてだ」
その率直な称賛に、エレナの頬が朱に染まる。
(なんでこの人こんなにストレートなのよ!)
内心で慌てる彼女を見て、ジャックの口元がわずかに緩んだ。
「衣装選びは任せてほしい」
自信に満ちた声で言う。
「この国のすべての宝石を集めても――」
言葉を切り、手を軽く握った。
「それでも足りないと思う」
(ちょっと待って!褒めすぎでは!?)
店員たちが固唾を飲む中、ジャックは衣装を選び始めた。冷静さを取り戻したように見えるが、耳朶はほんのり赤い。
(あ……照れてる)
その姿に胸がきゅっと締め付けられる。
最終的に選ばれた銀青色のドレスを身にまとい、エレナが再び姿を現す。
ジャックの視線が完全に釘付けになった。
「素晴らしい……天使のようだ」
(ジャック殿下の方がよほど天使ですけど!)
心の中で思わず突っ込む。
「どうかしたか?」
「いえ……ただ嬉しくて」
微笑むエレナ。
その笑顔に、ジャックの顔はさらに赤くなる。王弟としての威厳も騎士団長としての凛々しさも忘れ、ただの恋する青年のようだった。
店員たちはそっと目配せを交わす。
――伝説になるであろう恋人たちを、目撃しているのだと確信しながら。




