全国大会編⑨・「分岐点」
後日。
練習が終わり、グラウンドに夕方の風が流れる。
選手たちの笑い声は遠ざかり、ボールの転がる音も止んでいた。
監督はベンチに腰を下ろし、手元のメモに目を落とす。
――三試合。
最初の二試合は、危なげなく勝利。
だが、最後の社会人チーム。
(……厳しかったな)
ページをめくる指が止まる。
(もし、あのまま続いていたら――)
考えが、そこで途切れる。
足音がひとつ、近づいた。
「監督」
顔を上げる。
相沢だった。
まだ練習着のまま。汗も拭ききっていない。
「どうした、キャプテン」
相沢は一瞬、言葉を探す。
そして、口を開いた。
「……最近、羽谷に集まりすぎてませんか」
風が、止まる。
監督はすぐには答えなかった。
「勝率は高い形だとは思う」
率直な言葉。
事実でもあった。
県大会以降、内容も結果も安定している。
相沢は小さく頷く。
「はい。強い形だとは思います。ですが……」
言葉が続かない。
間違っていないからこそ、言いづらい。
監督が静かに促す。
「どうした、キャプテン。共有したい。選手目線でしか見えないものもある」
一拍。
「気を使わずに言ってくれ」
相沢は息を整えた。
「……強すぎる気がするんです」
監督の視線が、わずかに動く。
「強すぎる?」
「羽谷が触れば前進できる。崩せる。決まる」
言葉を選びながら、続ける。
「だから、みんなまず羽谷を見る」
自分の手を見つめる。
「それ自体は悪くない。でも……」
言葉が止まる。
監督が、その先を引き取った。
「羽谷が消されたら、止まる」
相沢の目が、わずかに開く。
「……気にはなっていた」
低い声。
責める響きではない。
共有だった。
「エースを使うのは間違いじゃない。むしろ正解だ」
監督はグラウンドを見る。
「だが、それに慣れた瞬間――チームは考えなくなる」
静かな言葉が落ちる。
相沢は息を飲む。
「俺たち、羽谷に預けてるだけかもしれません」
監督は首を横に振った。
「預けることは悪くない。信頼だ」
そして、少しだけ目を細める。
「だが――信頼と依存は、似ている」
その境界は、曖昧だ。
沈黙が落ちる。
遠くで、誰かが蹴ったボールの音がした。
相沢がゆっくりと口を開く。
「……今、変えた方がいいですか」
監督はすぐには答えない。
勝率。
時間。
全国まで、残り一週間。
(今、崩すのか)
思考が巡る。
やがて口を開く。
「今の形は、全国でも通用する可能性が高い」
それもまた事実。
「だが――」
一拍。
「通用することと、成長することは別だ」
相沢の胸が、わずかに熱を帯びる。
監督は立ち上がった。
「俺も迷っている」
その一言に、軽さはない。
むしろ重みを増す。
完璧ではない。
だが、考えている。
それが指揮官だった。
「お前はどう思う」
相沢は迷わなかった。
「羽谷なら、気づいています」
その瞬間。
ベンチ横の通路から、足音がひとつ。
二人の視線が向く。
立っていたのは――羽谷だった。
「お話し中、すみません」
監督は小さく息を吐く。
「……お前もか」
羽谷は少しだけ目を細めた。
「少し、話せますか」
夕暮れのグラウンドに、夜の気配が落ちていく。
全国大会まで、残り一週間。
チームは今、分岐点に立っていた。




