第二十一話 また夢を見ました
風邪をひいて寝込んでいると……とりわけルーチャの姿でいると、例の悪夢を何度も見る。熱で苦しいせいなのか……それとも、当時のように幼なくなった身体が、あの夜を思い出すのだろうか。
わたしは誰かに抱きかかえられて、あちこちから火の手の上がる路地裏を走っている。舞い散る雪の白、街を彩るオレンジ色の炎。恐ろしくも美しい光景だ。
凍えるほどに寒くて、頬が火照るほどに熱いあの夜に、わたしを連れて走っている誰かを、わたしは長いこと師匠だと思っていた。
けれど考えてみれば、師匠ならば箒を使う筈だ。弓矢の届かない高さまで舞い上がってしまえば、帝国の追っ手から簡単に逃げられる。
三歳かそこらのわたしを抱えていたからといって、師匠は箒を操れなくなるような魔女ではないのだから。
夢の中で幼いわたしは泣いていた。飛んで来る火の粉が、時折り髪の毛や服の裾を焼いている。
わたしを抱いた誰かは、その度に手のひらでパンパンと叩いて火を消してくれる。自分の手のひらが焼けることも厭わずに。自分の背中にだって、火の粉が飛んでいるのに。
手のひらを地面に積もった雪で冷やして、火傷で赤くなった肌に何度も当てがってくれる。
あの手のひらは、いったい誰のものだったのだろう。
「ルーチャ」
夢の中でその誰かに呼ばれたと思って目を開けると、目の前にはアドルフォの顔があった。
「起こしてすまない。ひどく魘されていた」
頬が濡れているので、泣いていたのだろう。また、幼女になっている。
泣き顔を見られて、目尻を優しく拭われて、恥ずかしくなり背中を向ける。アドルフォはその背中を、大きな手でそっと撫でさすってくれた。
ルーチャの姿になると、この男は途端に優しくなる。それこそ下にも置かない勢いで、今は熱を出して弱っているせいか、その勢いに拍車が掛かっている。
ルーシアである時に優しくないわけではないのだけれど、若い女性に対する遠慮と距離が感じられる。ある意味、紳士的と言えなくもない。そして、そこはかとなく、いじめっ子になる。
わたしの方もルーチャになると、幼い身体に引きずられるのか、甘えたい気持ちが湧いて来るから困ったものだ。大きな背中やゴツゴツした手のひらは、幼い頃に憧れていた家族を連想させる。
(もういっそ『お父さん』と呼んで抱きついてやろうかな!)
『お兄ちゃん』じゃないところがミソだ。アドルフォを前にすると、わたしはなぜか少しも素直になれない。
アドルフォの荷物の中にあったオルゴールは、薄桃色の蔓薔薇をモチーフにした美しい小箱だった。どこかの国のお姫さまの化粧台に置いてあり、キラキラ光る宝石や秘密の小部屋の鍵が入っていそうな繊細な細工の品だ。
上等の天鵞絨布で大切そうに包まれたあのオルゴールは、どう見ても訳ありの品だろう。アドルフォの大きく無骨な手のひらには、あまりに似合わない。おまけに蓋を開いて奏でられたのは、わたしの祖国の子守歌だ。
今はもうどこにもない、わたしと師匠の故郷の歌。
遠く離れたこの地で、記憶を失くした男の持ち物から聞こえて来るとは思わなかった。
師匠はわたしを連れて故郷を出て、遠く離れた辺境のこの森に塔を建てた。以来十二年。二人でのんびり修行したり、細々と依頼を受けて暮らして来た。
ぶっきら棒で皮肉屋の師匠は、母親代わりにあまり適した人ではなかったと思う。けれど、わたしが眠れずにべそを掻きながら師匠の部屋へと行くと、そっぽを向きながらも必ず、あのオルゴールの曲を口ずさんでくれた。
歌うのではなく、口の中で唸るように『うーうー、んー、んんんー』と聞こえて来る不器用なその曲。結局わたしは歌詞を知らないまま、子守唄が必要のない年齢に育ってしまった。
記憶を失くす前のアドルフォは、あの曲の歌詞を知っていたのだろうか?
師匠はわたしが魔女になることに反対していた。魔術よりもジャムやピクルスの作り方ばかり教えてくれたし、魔女の集まりへ連れて行ってはくれなかった。
「そのせいでわたし、見事なぼっち魔女になっちゃったんだよなぁ」
魔女は社交的とは言い難い人が多いから、そう群れたりはしないけれど、季節ごとに魔女集会が行われている。もっとも、魔女集会には箒に乗って行くことが義務付けられているから、わたしには参加資格がないんだけどね!
魔女集会に出ない魔女のことを、魔女界隈では『ぼっち魔女』または『はぐれ魔女』と呼ぶらしい。
そんなぼっち魔女のわたしにも、幼い頃から仲良くしている魔女がひとりだけいる。わたしが幼い頃には、何年かこの塔に住んでいたこともある。
絶世の美女と名高い放浪の占い魔女で、名前をカミラという。
カミラは、わたしの兄弟子にして、大陸唯一の男性魔女だ。
師匠が祖国の王族お抱え魔女だった頃からの弟子で、その頃から奔放な人だったらしい。一人前になるとすぐに師匠の元を飛び出し、ジプシーの一座と一緒に旅に出た。
今も旅から旅の暮らしをしていて、一年に何度か思い出したように塔を訪れる。
たくさんのお土産を抱えて、知らない国の楽しい話を聞かせてくれるカミラの訪れは、わたしと師匠の大きな楽しみだった。
今年最初の木枯しが吹き、雪虫が飛んだ晩、カミラからのフクロウの先触れが届いた。
『やっほ! ご無沙汰ちゃんね。ルーシアへのお土産がトランク一杯になっちゃったの。師匠の命日のこともあるし、近いうちにお邪魔するわ。よろしくね!』
もう一度言う。カミラはわたしの兄弟子で、大陸唯一の男性魔女。世間的には『放浪の赤い宝石』と呼ばれている、絶世の美女だ。
時々『アッシュ』という名前が出て来て、戸惑っておられる方もいる事かと存じます。実は『アッシュ』は『アドルフォ』の下書き時の仮名なのです。変換しながら投稿しているつもりなのですが、一部残ってしまった部分がありました。申し訳ないです! もしまだ残っていたら、教えて下さると助かります。
次話 兄弟子が帰って来ました
新キャラが登場して、物語が少し動きますよ! 絡み合った呪いの糸を、解くかそれとも断ち切るか……。さあ、どうする⁉︎