この礼儀知らずの痴れ豚に
これでこの旅は終わった。カサルは去来する喪失感を誤魔化すように辺りを歩きまわる。
リマ達にあてがわれていた客間は谷の上層部に有り、階段を下りて行くほど辺りの雰囲気は変わって行く。下層部はエルフの数が増え、路地裏のような雑然さを感じさせる。
(この辺りは文字通り下町ってわけか。それにしても、歓迎されている雰囲気じゃねーな)
すれ違う人々はみな眉をひそめ、カサルが通り過ぎるのを見ている。中でも年配のエルフが見せる拒否反応は特に強く、露骨なまでに嫌悪の表情を浮かべていた。
そんな周りの様子を気にも留めず、カサルは谷中を歩き回った。
この谷に一体どれだけエルフの民が暮らしているのだろう。すれ違うのは子供から老人、男に女、年齢も性別も様々で、皆一様に同じような白い服を着ている。
回廊を渡り、つり橋を通って、気が付けば巨大な風車前の広場へと辿り着いた。広場は岩壁の両岸から幾つもの鎖で吊るされ、大人が集団で運動を出来るほど広い。
広場は木製の板が並べられた作りで、板同士の接合に遊びを設けることで揺れに柔軟に対応している。中空に浮かんだ広場はギシギシと音を立、左右上下へと僅かに揺れている。こんな所に広場を作る発想には恐れ入る。
(改めて見ると、ここはスゲー所だな)
目の前に吊るされた風車は身の丈よりも遥かに大きく、広い足場は谷底の遥か上空に浮かび、両側には垂直の岩壁が空に向かって伸びている。
巨大な構造物に囲まれふわふわと揺れる足場にいると、空中を飛んでいるような錯覚を感じる。
「なんで豚がこんな所に這い出て来ておる?」
(豚?)
風車を見上げていると、後ろから話し声が聞こえた。実際、こんな所に豚がいるのかと辺りを見回したがいる訳もない。いたのは両脇に男を従えた少女、谷に到着した時に丁重な出迎えをしてくれたエルフの三人だ。
「主のことよ、オーク」
そう呼ばれても実感がなく、カサルが自分を指差すと少女は不機嫌そうに頷いた。
「色々と罵られてきたが、豚と呼ばれるのは初めてだな」
「老人達が申していたわ、オークは欲望のままに餌と女を食べつくし、戦いを求める豚だと」
なるほど、少々オーバーではあるが確かにその指摘は当てはまる。カサルは思わず口元を緩めた。
「はて、顔は豚というわけではないようじゃな。それに不相応に弓を背負うて。主のか?」
豚、豚、連呼する少女はカサルの腰の物を指差した。どうやら興味があるのはオークよりもユニコーンのようだ。
「ああ、そうだ」
「主がどうしてもと言うのなら、その弓を手に取ってやってもよいぞ」
少女はカサルのすぐ側まで近寄ると、新しいオモチャを前にした子供のように目を好奇心で輝かせている。どんな環境で育てば、そんな上からの物言いが出来るようになるのか。
「生憎だな、子供に触らせるようなオモチャじゃない」
「ぬ、我を子供と申したか?パラミライはもう立派な淑女よ、物言いに気を付けい」
「淑女ってのは豚豚と口汚く連呼するような女のことなのか?人に物を頼むには態度に気を付けな」
「だから頼んでおるではないか、見てやってもよいと」
「話にならねーな、おチビちゃん」
カサルは呆れてシッシと犬を追い払う仕草で手を払う。
「ぬわー!誰がチビじゃ!やっぱりお前は豚じゃ、豚!豚!豚!」
少女はワナワナと震え出し、怒りを爆発させまくし立てる。
「ぬー、頭に来たのじゃ。折角優しく話しかけてやったというのに、なんという礼儀知らずじゃ。もうそんな弓、見たくなど無いわ!エルフにはもっと立派な弓がある。カリキュラ!」
「ハイ」
横で今まで黙って様子を見ていたエルフが一歩前に出た。カリキュラと呼ばれた長髪の青年は、背中に身の丈よりも長い弓を掛けている。カサル達が谷に足を踏み入れた時、上から矢を射かけたのはこの男だ。
「この礼儀知らずの痴れ豚に身の程を教えてやるのじゃ!」
「如何様に?」
「弓で勝負じゃ!コテンパンに叩きのめしてやれ!」
「御意に」
カリキュラは笑いを浮かべるとカサルに向き直った。
「ハーフ・オークよ、姫様の所望により弓勝負を行うが、異存は無いな」
「はあ?あるよ、大有りだ馬鹿野郎。なんで俺がそんな面倒臭いことをしなきゃならねー。おい、姫様だかなんだか知らねーが、俺に命令できると思ったら大間違いだぜ」
「フ、フン!お前に決定権など無いのじゃ。我は姫、この谷の者は我の言うことを聞かねばならぬ。断るのなら今すぐにあの女共々ここを出て行くがよいのじゃ」
「はぁ?俺とリマの契約はもう終了している、アイツとはもう無関係だ。気に入らないってんなら今すぐ俺が出て行ってやるぜ」
「ホホーン、さては主、あの女を庇っておるな?面白いのじゃ、そういうことなら尚更あの女を置いておく訳にはいかぬのじゃ!」
少女は片目をキランと輝かし、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。それほどの力があるというのだろうか。
「おい、後ろの二人。このオチビちゃんはそんなに偉いってのか?」
この少女では話にならない。もう一人の従者は少し困ったような顔で首肯した。
「チッ、いやらしい姫様だぜ。その話、面倒だが乗ってやるよ」
さっきは己の怒りから交渉を中断させてしまった経緯がある。これ以上リマの邪魔をするわけにはいかない。
「よいぞ、よいぞ!面白くなってきたのじゃ、お前の主人と谷の者が見てる前で、お前に恥をかかせてやるのじゃ。明日、ここに皆を集めて弓勝負をしてやる。楽しみにしておれ。ヨーホホホホ!」
とうとう笑い出す少女。
そんな勝負に負けたところで恥になど思わないし、勝ったところで嬉しくもない。こんなことはただただ面倒なだけだ。会談はブチ壊してしまったし、どうにも今日はツキが無い。
「やれやれ、厄日だなまったく。一応、あいつ等にも説明しておかねーとなあ」
カサルは首を摩りながら、今日のツキの無さをボヤいた。